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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第一部 江戸編
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五話 白い襟巻

翌 一二月二〇日。

もうだいぶ日が暮れて、すっかり夜になった頃二人は動きだした。

今夜は屋敷には数人の奉公人と龍久しかいない、二人だけになれる時間が多くなる。

誰にも聞かれずに、彼だけに話をするのはこの時しかなかった。

「お時、やっぱり言わなくちゃまずいよね……」

 今になってなんだか緊張して来た、話してしまえば楽になる。分かっていてもこの胸の鼓動で体が張り裂けて死んでしまいそうだった。

「大丈夫やって、なんならウチがゆってあげよか?」

「ちょっ、だっ大丈夫だよ! じっ……自分で言う」

 耳まで真っ赤にする雪光。そんな彼を見て微笑んだ。その笑顔で一体雪光がどれ程勇気づけられている事か、きっと彼女には分からないのだろう。

「おいお時、これを藤田に届けて来い」

 突然やって来た龍久は、そっけなくお時に文を渡した。

「もうずいぶん遅いよ、明日で良いじゃないか龍久」

「ダメだ、今すぐ届けに行け、藤田には話を通してある」

 雪光はあまり乗り気ではなかったのだが、お時は文を懐に入れると提灯を手に取った。

「藤田はんの家なら近いので問題ないと思います、大丈夫ですよすぐ帰ってきます」

「でも……」

 心配というより不安だった、自分一人で上手くやれるかどうかが。そんな自分の心の中を全て知っている様に微笑んだ。

「あっちょっと待っててお時、まだ行っちゃダメだからね!」

 雪光は何か思い出したように駆け出して行った。今この場に居るのはお時と龍久だけになってしまった。しばらくの無言の後――。

「……お前達仲良いんだな」

 口を開いたのは龍久だった。今までずっと気になっていた事をぶつけてみたのだった。

「へぇ、まあそうどすなぁ……」

 わざと濁す様にそう答えた。お時はなんとなく龍久の言いたい事が分かっていたのだ。

「…………お前は雪光とどういう関係だ」

「ただの奉公人とお客様どすけど……」

 もう一度そう意地悪をしてみた。すると我慢できなくなったのか、声を荒らげて――、

「雪光と付き合ってるのかと聞いているんだ!」

 勢いに任せて行ってしまった様で、言ってから後悔したらしく顔をそむけた。

 そんな彼を見ながら、微笑を浮かべた。

「ウチと雪光さんはそんな関係やありまへん、ただのお友達どす」

「だっだが……そんな風には見えな――」

 お時は龍久の口を塞ぐ様に人差し指を向けて来た。驚く彼に一言物申した。

「龍久はん、ええ加減自分の気持ちに正直になってもええと思いますよ」

「なっ」

 ばれていないとでも思っていたのだろうか、どうやら思い人同士すっかりすれ違っていた様だ。そんな二人に呆れながらも笑顔を向けた。

「目に見える事だけが真実とは限らへんし、もっと自分が思う様に生きへんと後悔する事になりませすえ」

「はあ?」

 その言葉の意味する所は理解できなかった。

「ウチにこんな時間にこの使いを頼んだのも、雪光さんと二人きりで話したいからやろ?」

 全てを見透かした様な笑顔で言う物だから、龍久は何も言えずに顔をそむけた。

反論でもしようとしたのが、雪光が大急ぎでこちらに駆けて来たのでそれ以上追及する事は出来なかった。

「今日は冷えるから襟巻して行きなよ」

「お前、襟巻なんて持っていたのか!」

 本来隠居した人間がするものなのだが、雪光は特に躊躇いもせずにお時の首に巻き、彼女もそれを嫌がりはしなかった。

「本当に大丈夫お時……、なんなら僕も一緒に行こうか?」

「大丈夫やって、藤田はんの家はすぐそこやて」

 それでも心配そうな雪光を見て、お時は耳打ちする。

「(ウチが留守の間にゆーてしまうんやで、そうすれば龍久はんも正直に話してくれます)」

「ええっ! それどういう事!」

 驚く雪光にまた意地悪な笑顔を浮かべる。だがそんなやりとりも龍久には仲がいい恋人同士にしか見えないのであった。

「ほな行ってきますね」

 お時は何時も通りの笑顔を二人に向けると、そのまま勝手口の小さな戸から出て行く為に体を屈める。

 その時ちょうど、雪光が巻いて上げた襟巻が宙を踊っていた。

 綺麗だと思った頃には、戸は閉められてしまっていた。

「…………」

 龍久と二人きりになってしまった。だが、どう話を切り出せば良いのか分からない。言葉に悩んでいると龍久の方から口を開いた。

「雪光、話があるんだが……いいか?」



 縁側に行くと、龍久がお茶を持って来てくれた。

 もう一二月、この寒さの中縁側にずっといるのは少し堪える。

 またしばらく無言の時間が流れた。何から話し始めれば良いのか分からなかった。

(どうしよう……何か言わなくちゃ)

 雪光はとりあえずこの無言の時をどうにかしようと、口を開いたのだが――。

「「あのっ」」

 龍久も同じ事を考えていたのか、同じ様に口を開いた。

「なっなんだ雪光…………」

「えっ……たっ龍久の方こそ何?」

 顔が火照ってしまってしょうがない、きっと赤くなっているだろうにばれていないか心配で仕方がない。

「……なぁなんで、ウチの養子になるのが嫌なんだ?」

 龍久がそう切り出した。意外という訳ではないけれど少し驚いた。

「俺の事が嫌いか?」

「ちっ違う!」

 思わず声を荒らげて答えてしまった。

 そうだ、嫌いなはずがなかった、だって雪光は龍久の事を本当に思っているのだから。

「じゃあどうしてなんだ……、俺はお前の事……とても親しい友人だと思っているし、もう家族同然だって思ってる、このまま一緒に暮らしたいって……でもお前は違うのか?」

「そうじゃないよ! 僕だって龍久やおじさんやおばさんと一緒に居たい! 藤田君と三人で馬鹿な事をして遊んだり勉強したりしたい! したいんだよっ」

 感情に呑まれて立ち上がっていた、自分を見上げる龍久は驚いている様にも見えるが、何処か哀しそうだった。

「ならどうして、養子になってくれないんだ! このままじゃお前は家を出て行くんだろう! 俺の弟になるのがそんなに嫌なのか!」

 龍久も立ち上がり、雪光の両肩を握って顔を近づける。それがどれ程雪光の鼓動を速めているかなんて知らないで――彼は話を続ける。

「俺は、俺はお前の事を…………」

 そこで龍久の言葉は終わってしまった。何が言いたかったのか分からなかったが、雪光の顔の火照りは覚める事はなく、心の臓などまるで子鼠の様に小刻みに脈打っている。

 胸が詰まって言葉を上手く出せなくなった、でもどうにかして今言わなくちゃいけない。

 今言わなかったら、一生後悔する事になるから――。

「あっあのね龍久……僕君にずっと話さなかった事があるんだ……聞いてくれるかい?」

「…………分かった、聞く」

 肩から手を離した龍久は、黙って雪光の眼を見ている。

 大きく息を吸い、この気を静める。

 本当の事を言えば、龍久は怒って出て行けと言うかも知れない、それでも伝えたかった、今の自分の気持ちを。

「あのね、僕本当は――――」


 雪光の言葉を遮る様に、表の戸を叩く音と数人の男の声が聞こえた。

 急ぎの様だったので、二人はしぶしぶ表の方へと向かった。そこには見たことない男達がいて、風貌から察するに岡っ引きの様だった。

「ああ、この家の者かね?」

 龍久が頷くと、岡っ引きは数人の男と何やら話し始める。どうやら当主がいないので話すべきかどうか相談している様だった。

「どうしたんですか、なにかあったのですか?」 

 そう尋ねると、しぶしぶと事情を話してくれるようだった。

 だがこの時雪光は知る由もなかったのだ。

コレが全ての始まりで――全ての終わりだった事を――。


「この家の奉公人の女が、先ほどそこの通りにて死体で発見された」




***



翌朝 浅草 奉行所。

 二人が事情を聞かれて、町奉行所にやって来た時には、既に日が昇って来ていて辺りはずいぶん明るくなった時だった。

 奉行所の砂利の庭に、一つの人だかりが出来ていた。

 その中に龍久の父の姿を確認して、二人は傍へと駆け寄った。

「あっ……ダメだ雪光君! 君は見てはいけない!」

 龍久の父は雪光を必死に抑えようとするが、雪光は多少の無礼などお構いなく、彼を突き飛ばした。

 目の前にあるのは、適当なボロに包まれた物体。コレがお時だと信じたくなかったが、そこにはか細い手足が生えていて女の人だと分かる。

 雪光は誰の制止も聞かないでそのまま顔の部分のボロをめくりあげた。

「――――――っ!」

 声が出なかった。顔が恐怖で歪んだ、それと同時になぜ彼が自分を制したか分かった。

 ゆっくりボロを元に戻した。すると涙がこみ上げて来た。

「……もう顔で判断する事が出来なかったんだ、こんな物を君に見せたくはなかった」

 そう龍久の父はつらそうに言った。

 この女性は、もう誰だか認識出来ないほど酷い刀傷を付けられていた。だからこの死体が果たして誰なのか分からないままだったのだ。

 だからコレが、お時ではない可能性だってあるはずなのだ――。

「この仏さんは、これをしていたんだが心当たりはあるかい?」

 そう言って岡っ引きが風呂敷に包まれたそれを見せて来た。

 雪光は、涙で滲む目を擦りながら、それに目をやった。


 それは、白い襟巻だった。


 間違えなく、雪光が出掛けの時に彼女に巻いてやった白い襟巻。

 もう血で滲み、赤黒くなっていたが雪光には分かった、いや分かってしまった。

「お時……嘘だろう、なんでこんな事になってるんだよ! なんで、なんでなんだよ」

 雪光の目から涙は止まる事が無かった、まるでそこが割れた茶碗の様に、涙は絶え間なく流れてくる。

「目撃者の話ではな、昨晩男女の言い争う声が聞こえて、提灯の明かりを頼りに寄ってみると、浅葱裏風の男が抜き身の刀を持って逃げて行くのが見えたそうだ……そしてこの仏さんを発見した訳なのだ」

「その目撃者の方は大事には至らなかったのですか?」

「ああ、何せ運河の対岸にいたそうだからな、あの辺りは川幅も狭く見渡しもいいからな」

 お時には特に浅葱裏などという田舎侍の知り合いなどいない。

 つまりこれは――。

「辻斬り……」

 龍久がそう言った。皆頷いた。こんな年の瀬に辻斬りが起こるなど驚きを隠せなかった。

「ああ、まだ一六ぐらいであろうに……こんな女子に手を掛けて、他にも材木町や吉原の方でも四人ほど辻斬りがあってな、斬られたのはどれも女だそうだ」

「なんと、女子ばかり斬るとは武士の恥ではないか!」

「どうやら女ばかり狙った辻斬りと我々は見ている、それも時刻から察するに複数人いる可能性がある」

 複数人の武士が、寄ってたかって女子ばかり狙って辻斬りをするなど、狂気の沙汰としか言いようがない。

「お時、約束はどうなるんだよ! 僕を、僕を連れて行ってくれるって言っていたじゃないか、その君が死んでしまったら、僕は! 僕はぁぁぁ」

 龍久に自分の思いを伝えられなくなってしまう。

 お時がいなくなってしまったら、もう何も出来なくなってしまう。

 もう言葉が出なかった、哀しくて哀しくて、ただ泣きわめくしか出来なかった。すっかり冷たく硬くなってしまったお時の手を握りながら、ただ哀しむしか無かった。

 だから周りなど見えなかった、男らしく無いとかそういう物はもう関係ない。

 ただ、哀しみに身を任せて、涙を流す事しか出来なかった。

 この胸の哀しみを、知らしめる様に()くことしか出来なかった――。


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