五四話 野望
菊水は雪を追って、湖の上に浮かぶ屋敷へとたどり着いた。
だがその周囲には雪の姿はなく、どこか不気味な雰囲気だけが漂っていた。
「……ここにあの子が居るんだね」
菊水はそう案内してくれた鵂や梟に問いかけた。途中で雪を見失った菊水は、森の動物達の力を借りて、ここまでやって来たのだ。
馬から降りると、菊水はその足を引きずって屋敷へと入っていった。
ここには玉藻がいる事は百も承知だ、それでもどうしても雪を救わなければならない。彼女の『呪』を解いて、元に戻さなければならない。
「桜子さん……僕、君の娘を助けるからね……」
最愛の人にそう誓うが、正直菊水には恐怖もあった。
幾ら血が繋がっているとは言えども、もう二〇年以上一度たりとも顔を合わせた事が無い自分が、いきなり父親だと言って果たして受け入れてもらえるだろうか。
上野で会った時も、突き飛ばされてしまった。
もしかしたらまた拒絶されてしまうかもしれない。
「弱気になっちゃ駄目だ……僕はあの子の『呪』を解くんだ!」
それが何だと言うのだ、例え自分が父親だと理解されなくとも、彼女は最愛の人、桜子の娘なのだ。その子を救えるのだから、例え認知されなくても構わない。
菊水は足を引きずりながら、どうにか門の前まで辿り着いた。更に屋敷の中へと入ると床張りの広い部屋へとたどり着いた。
「うっうわぁ……どうしよう、こんなに広いなんて」
屋敷の大きさはかなりの物だった。そこから雪を見つけるなど、足の悪い菊水にとってはかなりの難しい事だった。
奥の方になぜか水と砂の様な灰の様な物がまき散らされていた。一体何なのか分からないが、気を引き締めて行かなければならない。
「そうだよ、ここは陰陽師の屋敷なんだから……きっとなんかすごい罠とか仕掛けとか、怖い化物とかも出て来るかもしれないんだから……」
菊水は何時に無く慎重にその床張りの部屋へと進んだ。
「陰陽師なんて、怖くないんだから!」
虚勢を張って恐怖を振り払おうとした時だった――、自分の真後ろに人の気配を感じた。なんとなく嫌な予感を感じながらも、菊水は恐る恐る振り返った。
まず見えたのは、長く垂れ下がり片目を隠している前髪、もう片方の目に施された蛇の刺青。染み一つない白い着物、更にその上から紫色の羽織を着ていた。
その様な人物は、菊水の知っている中では一人しかいない――。
「たっ……玉藻」
よりによって、真っ先に最悪の人物に出会ってしまった。
折角逃げたのに、このまま捕まってしえば雪の『呪』を解く所ではない。
今すぐ逃げなければ、菊水の全身の細胞と言う細胞が警報を鳴らしていた。
「あっ……あっ、いっ嫌だ、僕は、僕は……」
菊水は玉藻への恐怖から後ずさりした。足の悪い彼では逃げる手段などない。
「…………貴方様は」
玉藻の眼が、菊水を見つめる。そして一歩こちらへと近づいて来た。玉藻の草履が床を踏みしめる音だけでも怖い。
「ひっひぃぃっ!」
菊水が悲鳴を上げながら、一歩後ろに後退した時だった――。
突然足元が光り輝いた。
転と言う字を丸で囲んだ図形が、浮かび上がっている。
それが一体何なのか菊水が理解する前に、彼は消えた。
その場に残されたのは玉藻ただ一人だった。
***
龍久と斎藤は葛葉と土方を探して、次の部屋へと進んでいた。
しかし一つの部屋で止まってしまっていた。
「斎藤さん……そろそろ行きましょうよ」
「……無理だ」
斎藤が両手で顔を隠して、一人部屋の隅の方に座っていた。龍久に背を向けて完全に自分の中に閉じこもってしまっていた。
その理由は――。
「あんな『鬼』一匹倒したくらいであの様に下品に笑うなど、己は子供か!」
どうやら先ほど気分が良くなって笑っていたのが、とても恥ずかしかったらしい。確かにいつも冷静沈着な斎藤にしては、感情を露わにした方だとは思うが、それくらいでこんな風になるなど、それこそ稚児だと龍久は内心思っていた。
「斎藤さん、なんであんなすごい事出来るのにやらなかったんですか? 俺初めて見ましたよ……」
「昔、新八さん手合せする機会があってな、その時あれをやったら『怖いから、本当に危険になった時だけにしろ』と言われて、以来あまり使っていない」
きっと新八はあの異様にご機嫌な斎藤が怖くてたまらなかったのだろうと、龍久にはその時の新八の心持が手に取る様に分かった。
「斎藤さんいい加減に行きましょうよ……葛葉と土方さんを見つけないと……」
「無理だ……まだ先に進めない……」
(さっきはあんなにご機嫌で先導してたのに……)
先ほどまでとは雲泥の差だ。あんなに威勢がよく先導していたのに、今は部屋の隅で小さくなっている斎藤。
今までは冷静沈着と言う印象しかなかったが、こんな一面もあるなどかなり意外だった。
もう屋敷入ってどれくらい経っただろうか、随分経った様にも感じるが、屋内では星や月を見て時間を知る事も出来ない。
「どうすればいいんだよ……」
龍久がそうぼやいた時だった、遠くから何か音がした。それは徐々に近づいて来て、だんだんと鮮明に聞こえて来た。
「どおおおおおおおおおおおりゃああああっ!」
人の叫び声、それが誰の物か理解する前に、それは起こった。
瞬間、壁が爆発した。
数十匹の『鬼』達が、水しぶきと一緒に壁を破壊して吹っ飛んで来た。
一体何が起こったのか分からないが、吹っ飛んで来た『鬼』が全て崩れて、砂の様な灰の様な物になっていった時、破壊された通路から一つの影が出て来た。
「ぜぇぜぇぜぇ……次から次へと湧き出てきやがってぇ……お前らはGか! 一匹いたら三〇匹はいるのか、ええん!」
息が上がり髪はボサボサ、童水干も所々汚れている葛葉だった。
「葛葉ぁ、良かった無事だったんだな!」
「無事ぃ……それはこっちの台詞だ! あんな罠に引っ掛かりやがってぇ、何なんだもう俺に喧嘩でも売ってるのかこの野郎!」
どうやら随分『鬼』に襲われたらしい。酷く疲れていて、ご機嫌ななめだった。
「まぁお前が無事でよかったけどよぉ……ん? なんだ斎藤と一緒だったのか……てっ、なんだよ壁と話してるのか?」
「ああ、まあ……色々あってな」
ひとまず葛葉と合流できたのは幸いだった。これでようやく先へ進めそうだ。
「斎藤さん行きますよ、葛葉も来たんですから……ほらぁっ」
龍久は斎藤の腕を引っ張るが、よほど心に負った傷が酷いのかまだ立ち上がる事も出来ない。仕方なく無理矢理引っ張って行く。
「葛葉ぁ、ちょっと手伝ってくれ」
「たく、なんでこんな事を……せーのっ」
斎藤を二人掛かりで、壁際から引っ張り出した。しかしそれでも斎藤は自分で歩いてくれない。
「斎藤さん! 立って下さいよぉ~~っ」
思い切り引きずっているのだが、斎藤は立ち上がろうとはしなかった。仕方なく龍久がこのまま引きずって行こうと、足を踏み出した時だった。
龍久の足元が光り輝いた。
「えっなっな――」
「あっこの――」
「…………」
状況を理解できず驚いている龍久と、状況が理解できて焦る葛葉、そして状況の理解さえしようとしない斎藤、三人を包む様に光が強くなった――。
瞬間、三人は消えた。
「――んだコレ!」
「――バカ久!」
「…………」
光が止んだかと思うと、先ほどとは全く違う部屋に来ていた。
造りは大して変わらないのだが、広さが違う二四畳はあろうかという大部屋だった。
「なんでお前はいちいち罠に嵌るんだよぉ!」
「ごっごめん」
しかし何よりも幸いだったのは三人とも密着していたので、一緒に移動できた事だ。
「……これはこれは、随分騒がしい登場だなぁ」
三人の物ではない声が耳に入って来た。そちらを見た龍久の眼に声の主が映った。
まず目に入ったのは長く垂れ下がり片目を隠している前髪、もう片方の眼に施された蛇の刺青。そして不気味なほど色の濃い紫色の水干。
その様な人物、龍久が知っている中では一人しかいない――。
「たっ……玉藻!」
二尺ほど宙に浮き、こちらを見下ろしていた。
そんな彼を見て、龍久に例え様のない怒りが込み上げて来た。
平助を殺し山崎を虚仮にし、雪と菊水に酷い事をしようとしているこの男に対して、龍久は並々ならぬ怒りが湧き上がって来る。
「玉藻ぉ……てめぇ」
龍久は玉藻を睨みつける、そんな彼を玉藻は嘲笑うかの様に見下ろしている。
「ほう南雲龍久、お前生きていたのか……宇都宮城で死んでおけば良かった物を」
「ほざけ! 平助を殺して山崎さんを虚仮にしやがって……二人の仇、今ここでとる!」
龍久が刀を向けるが、玉藻にとってそんな事どうという事はない。鼻で小さく笑った。
「さあて、そんな事があったかなぁ? 生憎だが私はどうでもいいことは直ぐに忘れるのでなぁ?」
「この糞野郎! ぶち殺してやるぅ!」
龍久は今にも玉藻に向かって斬りかかろうとする。葛葉がそれを必死に止めていた。
「やめろ龍久、冷静になるんだ! お前が勝てる訳ねぇだろう!」
「はっ離せぇ葛葉ぁ、あいつを一回たたっ斬ってやらねぇと気が済まねぇ!」
むきになる龍久は葛葉を振りほどこうと暴れる、その時龍久の眼にある人影が映った。
「ひっ……土方さん」
土方がちょうど部屋に入って来た所だった。相手が玉藻でも四人がかりで葛葉と龍久が居れば勝てるかもしれない、龍久にそんな淡い希望が湧いた。
「土方さん、良かった無事だったんですね!」
龍久は土方へと駆けよったのだが――その途中、何かに頭を打ち付けた。
「いっいてぇっ……なっなんだぁ」
一体何かと思い手を伸ばすと、なにもないはずの空間で手が止まった。まるで眼には見えない壁がある様だった。
「これは……硝子か?」
「こっこんな大きな硝子があるんですか!」
回復した斎藤がいつも通り冷静に分析した。だがこの様な巨大な硝子は初めて目にした。
どうやらこちらに気が付いたらしく土方が近づいて来た。
しかし彼もまた同じ様に壁にぶつかった。
「土方さん、ここに壁があるんですよ!」
しかし土方は、龍久の言葉などまるで聞いて居ない様に兼定を構えた。そして硝子に向かって手を伸ばした。
「ひっ……土方さん? どうしたんですか、俺達は此処に居ますよ! 土方さん!」
龍久が幾ら呼んでも土方は言葉を返してはくれない。まるでこちらが見えていない様だ。
「無駄だぞ南雲龍久ぁ、それはただの硝子ではない、マジックミラーだ」
「まっまじっ……なっなんだよ葛葉!」
聞いた事もない言葉に困惑する龍久、反射的に葛葉に問うた。
「こちらからは硝子だがあちらからは鏡に見える、今から何百年も後の未来の技術だ! 玉藻、お前『運命を視る力』を利用して、未来の技術を逆輸入しやがったなぁ!」
「やろうと思えばなんだって作れるぞ、未来の技術と我々陰陽師の術があれば、大体の物は作れる……この力で手に入るのは『未来に起こる事柄』だけではなく、『未来の技術』そのものなのだ、これを使わぬ手はあるまい」
マジックミラーだけではない、この屋敷もまた陰陽師達が未来の建築技術と陰陽の術を使って作り上げた物だった。
「この様な物があると言うのになぜ有効活用しないのだ? やる気になれば新政府軍が使う銃よりもずっと性能がいいライフルだとか戦車も作れるだろうに……ああ、ミサイルも作れるかもしれないなぁ」
「ふざけるんじゃねぇ! そんな物作ったら均衡が崩れちまうだろうが、そんな事をしたら新政府軍やら幕府軍やらという垣根を通り越して、欧米をも凌ぐ力が手に入っちまう、『運命の流れ』に背く事になるのだぞ!」
この時代には、この時代のやり方という物がある。それから逸脱する事は『運命の流れ』そのものを変革する事になってしまう。
しかし玉藻はその言葉を聞いて、気持ち悪い笑みを浮かべるばかりだった。
「ふふっ、そんな事より、来たぞ」
葛葉は視線を玉藻から、彼の視線の先へと移した。それに続く様に、龍久と斎藤も視線を移す。
それはまるで雪の華が散華している様な光景だった。
『鬼』の砂の様な灰の様な物が、風に舞っているのだと気が付いた時に、初めてその姿が見えた――。
白髪白皙の『夜叉』――雪である。
「ゆっ……雪が……なんで」
まさか雪がこんな所まで土方を追ってくるなど思いもしなかった。
龍久は今すぐにでも雪の元へと駆け寄りたかったが、マジックミラーが邪魔をして傍に行く事が出来ない。
「なら叩き割ってやる!」
「よせ龍久怪我をするぞ!」
葛葉は龍久を下がらせると針を投げつけた。しかし針は跳ね返されて、音を立てながら床に落ちて行った。
「残念、防弾ガラス仕様にしてみた……なかなか大変だったんだぞ」
「このくそったれ! 土方と殿下をぶつけてどうするつもりだ! これ以上時代に干渉するのは止めろ!」
「何を愚かな事を言ってる居るんだ針の法師……、我々には能力があるのだ、それを使わないなど、なんという宝の持ち腐れだろうか、こうやって利用してる事こそが我々の『使命』だとは思わないか?」
「この力は全て俺達陰陽師の私欲の塊だ! この力はそもそも人の手には余る物なのだ、我々が扱ってよい代物ではない!」
葛葉がそう諭す様に言うが、玉藻は耳を貸そうとはしなかった。
「いい加減に諦めろ、俺達が干渉する時代は終わったんだ! ましてや我らが『神』に対して非道な行いをしてまで成し遂げる様な物などない!」
「非道な行い? この五〇〇年玉座は普通の人間ながらも崇拝され続けて来た者達だ、それから席を奪い取るには、それなりのインパクトが必要だろう? 誰もが一目で『神』だと分かる様な、今必要なのは席に座る派手な人形だ」
本来陰陽師の一族の望み、それは『真の天皇』の一族である者を、玉座に座らせる事。本来の血筋を正すという重要な使命のはずだった。
「五〇〇年前、南北朝時代と呼ばれたその時代、我々陰陽師の立場をお前だって知っているだろう? 徐々に失っていく権力の中で、我々の祖先が何を感じ、何を思ったのか?」
平安の時代、それはまさに陰陽師の最盛期と呼べる時代だった。
彼らは天文学者であり医師であり、時には『呪』を使って人を占ったり呪ったりした。 そんななかで彼らは確固たる地位を築き上げて、時には大いなる権力を持った者もいた。
それが葛葉と玉藻の一族であった。
しかし徐々に朝廷に権力が無くなると、彼らの栄華にも陰りが見え始めた。地位と権力を失うのが恐ろしかったのだ。
だがそんな中発生したのが、『神の力』の失踪。
「たった一人の女が、絶対唯一の力を胎に宿して行方を暗ませた、確かに重大な事件だったが、それは我々陰陽師にとって都を去ってまで探すほど重要な事だったのだろうか?」
「何が言いたいんだ玉藻! …………葛葉どういう事だ?」
状況が全く分からない龍久が、そう尋ねて来た。葛葉は言い難そうに口を開く。
「衰退する一族は永遠たる地位を築く為に、その時の地位を全て捨てて、ある一つの機会に賭けたんだ……それがこの動乱の『幕末』、様々な幕府が倒れて再び天皇中心の社会が成形されるこの時に、『真の天皇』が現れれば皆の心がそちらに移るのは道理という物だ」
陰陽師達は知っていたのだ、何百年も前からこの『幕末』に戦争が起こり、再び『天皇』が政治にかかわる様になる。長い間苦しめられてきた武士達が一掃される事を――。
「俺達の先祖はそう思ったのだ……最高の後ろ盾、永遠たる地位と権力を求めて、自分たちが『神の一族』を見つけて、これを民衆に知らしめて即位させようと……もちろん自分達が『本当の神』を見つけたのだから、それなりの実権を握れる事を計算して」
将軍を祀り上げる幕府の武士よりも、天皇を祀り上げる政府軍の兵士よりも、『神の血族』を祀る陰陽師達が最も敬われるべきものだと――。
「じゃあ……まさか玉藻、お前の目的は……」
驚く龍久を見下ろしながら、玉藻はあの気味の悪い微笑みを浮かべる。
「そうだ、この国の全ての権力だ」
平安の栄光よりもずっと大きな力、国一つ丸ごと動かすだけの力を手に入れる。
当時全ての陰陽師がそれを思っていたかは分からない、だがそれは彼らにとっての悲願だったのだ――。
「再び始まるのだ、我々陰陽師の時代が! 幕府や朝廷が何だと言うのだ! 我々陰陽師こそが、この国に最も相応しく、正しい道へとかじ取りが出来る! その為の力があるのだ! これ以上に相応しい人材が他にどこに居ると言うのだ、ええん?」
『未来を視る力』を使えば、この先起こる全ての災いからこの国を守る事が出来る、例え予測不能な天災が起ころうと、世界中を巻き込む戦争が始まっても――彼らならば回避できるのだ。
「ふざけるな……ふざけんじゃねぇ! てめぇは自分の権力の為に菊水さんと雪に、酷い事をしようとしてるのか!」
本来の血筋を正す様な事を言っておきながら、実際は自分の事しか考えていない。この国の未来の事も、ましてや『神』であるはずの雪や菊水の事など微塵も考えていない。
富士山丸で演説をしていた時は、この国の未来を本当に考えている様な事を言って居たが、腹の底ではこんなふざけた事を考えていたのだ――。
「こんな馬鹿な俺でも……新政府軍の連中がこの国の事を考えていると言う事ぐらい分かる……でも! てめぇは自分の事しか考えてねぇ、性根が腐った醜悪な糞野郎だ!」
龍久は再び玉藻に向けて剣を構えた。それが通用しない事は十分わかっていたが、それでも、どうしても自分の今の怒りをぶつける為には、向けずにはいられなかった。
「俺はお前を絶対に許さないぞ、玉藻ぉ!」




