五一話 激戦の会津
最終章突入!!
慶応四年(一八六八年) 八月。
七月に白河口の戦いで敗れ、二本松が陥落。
新政府軍は会津を殲滅した後、奥羽越列藩同盟の崩壊を狙った。
会津藩は街道の幾つかの守りを強化して、新政府軍を迎え撃とうとしていた。
そんな中、一つの戦場が激戦を繰り広げていた。
「くそがぁ! 散らばるんじゃねぇ戦列を維持しろぉ!」
『鬼の副長』の怒号が、夕暮れの空に響き渡った。
その眼前に居るのは、巨大で真っ黒な体躯の『鬼』。それが徒党を組んで、何匹も襲い掛かって来る。その数は富士山丸よりも多く五〇ほど居た。
「土方局長、負傷者多数です……これから日が暮れれば奴らはより強くなります!」
斎藤が泥と仲間の血で顔を汚しながら、そう報告して来た。
この『鬼』達は毎日の様に夕暮れになると襲って来て、ひたすらに殺戮を繰り返すのだ。いくら刀で斬りつけても、全く倒れる事ない『鬼』共は恐怖以外の何物でもない。
「朝日が出れば、奴らは消えるのですが……」
「無茶苦茶言うんじゃねぇ! 今沈んだばかりだぞ!」
斎藤に向かって怒鳴ると、目の前の『鬼』共を睨みつける。
「くそ、足と腕を斬れ! 動きを止めるんだ!」
水際でどうにか持ち応えているが、いつ前線が総崩れになるか分からない。
指揮する土方と斎藤にも焦りの色が見え始めた。
「あっあれは何だ!」
隊士の一人がそう叫んだ。土方と斎藤も彼が見ている空に視線をやった。空には一羽の鳥の影があった、もう夜も近いので巣に帰るのだろう。
「いっいや……あれは鳥ではない!」
その鳥には翼ではなく、腕と足が生えている。それもそれは四本ずつ生えていて、ものすごい速さでこちらに向かって飛んで来てた。
「あいつは、まさか!」
皆が唐突に現れたそれに驚き戸惑う中、土方だけが小さく微笑んでいた。
それは葛葉と龍久だった。
葛葉に腕を回してしがみ付いている龍久。その恰好はあまり良い物ではないが、無事で戻って来た事を確認して、土方の表情が少しだけ柔らかくなった。
「くっくずはぁ、おっおちるううっ!」
「しっかり捕まってろ、落ちたら熟れた柿よりもぐしょぐしょに飛び散るからな!」
そんな事言われても、小さくなった葛葉にしがみ付くのはかなりつらい、しかも空を飛ぶと言う体験は初めての事で、落ち着いてなどいられない。
「玉藻の奴陰陽の術を使って、旧幕府軍を追い詰めているのか……、陰陽と関係ない者に術を使うなど……」
葛葉が歯を擦り合わせて怒りを露わにする。龍久は何とか落ちまいと必死にしがみ付くが、やはり小さい彼にはしがみ付き様がなかった。
「龍久、少し荒っぽくなるからな! しっかり捕まってろよぉ!」
「えええっちょっと待ってくれてっうあああああああっ!」
突然急降下を初めて、土方と斎藤の頭上をかすめる様に飛び去っていく。そして『呪』を唱え始めた。
《属性は水、方角は東、星は水星、色は黒 我が問いかけに応え、汝の力を示せ――玄武》
言葉に反応する様に足元に光る星形の方陣が現れる。更に水が何かを形作る様に集まり始めた。
《黒点無双》
叫び終わると、上空に一匹の水の亀が現れ、『鬼』共に向けて吠えていた。
「この世ならざる者共め! 陰陽の理に消えるが良い!」
葛葉が腕を振り上げると、水がまるで針や槍の様に鋭く尖る。
それが幾本も成形され、『鬼』共に向けられている。
「破ぁ!」
気合の掛け声と同時に、水の槍が凍てつき巨大な氷塊となった。
「葛葉君の新技を喰らいやがれぇ!」
怒号と共に、葛葉は手を振り降ろした――。
氷塊は『鬼』を貫いた。
鋭い氷は、正に槍となって、『鬼』共の黒い肉を貫き、突き刺さる。
刃さえようやく入るその固い外皮を、氷の槍だけは簡単に貫いて行く。
「だが、奴らは不死身では……」
「いやよく見ろ斎藤!」
そう何度斬り付けても死ななかった『鬼』が、断末魔の様な悲鳴を上げて倒れた。そして灰の様な砂の様な、そんな白い粒となって絶命した。
初めて『鬼』が倒れたのだ。
あれほどの強敵だった『鬼』が、たった一人の陰陽師の、たった一発の技で死んだのを見て、戦場は歓喜に震えた。勝てる、誰もがそう確信できた。
「葛葉、お前氷も操れたのか!」
「へへん、能ある鷹は爪を隠すんだよ」
富士山丸で玉藻が雷を操っていたのを見て、水から熱を奪い冷却して氷にする術式を思いついたのだが、そんな事葛葉は絶対に口にはしない。
「ついでにもう一丁!」
残り十数匹の『鬼』、葛葉が握りつぶす様に拳を握ると、その『鬼』一匹ずつに向かって水の粒が集まり、巨大な水の球体が『鬼』を閉じ込めた。
元が水であるので溺れもする、『鬼』は苦しそうにもがいていた。
「凍てつけぇ!」
水が冷却されて、『鬼』ごと凍り付いた。そこに葛葉が細い針を打ち込むと、氷は『鬼』ごと砕け散った。
あれほど居た『鬼』は、あっという間に一掃されたのだった。
「すごいぞ葛葉! やっぱりお前は最強だ!」
「いやあ、ほめるんじゃねぇよぉ、そんな当たり前のことぉ」
勝利を喜び龍久と葛葉が笑い合っている時だった。
西の空に、星の様に瞬く光が見えたと思うと、あっという間に何かが飛んで来た。
「あっあれは!」
龍久に見えたのは、一瞬煌めいた光だけだった――。
次の瞬間、一本の刀が襲い掛って来た。
「っ!」
葛葉は持ち主のいない、その刀を急いで水で包み込んだ。
この攻撃に龍久は覚えがあった、宇都宮城で玉藻が使って来た術だ。
「……刀?」
「葛葉この近くに玉藻が居るぞ!」
刀を見て不思議そうにしている葛葉と、玉藻を探す為に辺りを見渡す龍久。
「なんで……」
「葛葉、早く玉藻を探さないと次の攻撃が来るぞ!」
なぜか驚いている葛葉に龍久は必死に呼びかける。どこに居るのか分からない敵以上に恐ろしいものはない、それが玉藻ならより一層だ。
「…………」
葛葉は無言のまま、その刀ごと水を凍らせると、先ほどよりも一回り大きな氷塊が出来上がった。葛葉は祖に向けて『呪』を唱えると、飛んで来た方向へ向かって投げた。
「主人の所へもどれぇ!」
戦場から西に一理離れた原。
そこに二つの人影があった、一人は紫の水干に、長い髪を垂らした男。もう一人は初老の恰幅の良いどこにでも居る様な男――玉藻と陽元である。
「陰陽師殿、菊水を奪われもうずいぶん経ちましたが、探しに行かなくて良いのですか」
「良いのだ、菊水が全てを知ればおのずとこの会津に戻って来る」
雪は土方を殺す為に北上しているはずだ。彼女の今の現状を知れば、菊水は必ず『呪』を解こうとするはず、ならば特に事を起こさずに土方の周りに居ればよいだけの事。
「今はこうして暇つぶしがてらに、虫をひねりつぶすだけだ」
玉藻は気持ち悪い笑みを浮かべていた。しかし随分暗くなった東の空で何かが光った。
「はて……あれは」
陽元がその正体を見極めようと目を細めた、正にその時の事だった――。
氷塊がこちらに向かって飛んで来た。
「なにぃ!」
飛来する物体を確認して、玉藻は急いで避け様とするが間に合わないだろう。
玉藻が水干の袖を広げると、にぶい銀色に光る延べ棒の様な物がいくつか出て来た。
「オン!」
玉藻がそう唱えると、その延べ棒が溶けて壁の様な盾の様なものとして成形された――。
そしてそれとほとんど同時に、氷塊が激突した。
速さと威力があった氷塊は、金属の盾をもろともせずに突き破り、玉藻の顔面ギリギリで止まった。
「ひっひいいいいいいっ」
驚いて腰を抜かす陽元。あとほんの少し壁が薄ければおそらく玉藻の首は吹き飛んでいただろう。
氷塊の中には、玉藻がしばらく前に暇つぶしに放った日本刀がある。ご丁寧に切っ先を向けて――。
「…………氷、玄武か」
玉藻はそう呟くと、怒りを露わにする。一体何に起こっているのか陽元は分からないが、奥歯をがたがたと鳴らして怒る彼は珍しい。
「糞法師めぇ……結界を突破して会津まで来やがったのか、しかも『あのアマ』と同じ様に…………」
「おっ陰陽師殿」
何かぶつぶつと呟いているが、陽元には全く理解できない。ただものすごく怒っている事だけは分かる。
「……ふん面白くない、とっとと行くぞ陽元」
そう吐き捨てる様に言うと、玉藻は宵闇の中へと消えていった。
「……去ったか」
葛葉は氷塊が飛んで行った方向を見つめていた。反撃が来ないという事はどうやら諦めたらしい。
術を解くと空中に浮かんでいた
「くっ葛葉ぁ、もういい加減下に降りようぜ……」
「五行の理を超越するには……ならばあれこそ『六天無双』なのか、いやしかし……」
とりあえず下降を始めたが、何かを考えている様でぶつぶつとぶつぶつと呟いていた。
地面に足が着いて、龍久はようやく安心できた。
「龍久、お前無事だったのだな!」
斎藤と土方がわざわざ側までやって来た。久しぶりに見た二人は少しやつれたようにも見えるが元気そうだった。
「たく、騒がしい登場だなぁお前はいつも……」
「良かった、土方さん足の怪我良くなったんですね!」
「馬鹿野郎、三月もたちゃあ治るってんだ……、それより龍久お前の後ろに居るのは」
土方が龍久の後ろにいる葛葉を指差した。随分小さくなった葛葉を見て二人は驚いた。
「随分ちんちくりんになったなぁ、もう高下駄で誤魔化せねぇのか?」
「これは先どりですぅ! あと数一〇〇年も経てば、これがモテるんですぅ!」
土方の皮肉に葛葉は頬を膨らませてそっぽを向く。龍久はその光景を見て笑っていた。
「お~~い、龍久く~ん、葛葉く~ん」
戦場に全く似合わない、緊張感のない声が響いた。
栗毛の馬を駆り、こちらに向かってくるのは、菊水である。大きく手を振って微笑みを浮かべながらやって来る様は、この戦場には全く合わないのだった。
「酷いよぉ二人して飛んで行っちゃうなんてぇ」
「おいおい龍久、なんでまだこいつが居るんだ!」
「いやまぁなんというか、事情がちょっと変わりまして……」
「あああっ陛下! この様な不浄な土地に御御足を着けてはなりませぬ!」
葛葉は馬から降りるのを必死に止めていた。戦場が綺麗かどうかはおいて置いて、ここで戦っていた者達を前にして不浄と言うのは止めてもらいたい。
「やあ、目つきの悪い君、僕の薬は飲んでくれたかい?」
「ふん俺の実家の薬の方がよく利くがな」
それでも土方の足は全快している様に見えた。
龍久は改めて辺りを見渡してみた。龍久が知っている顔ぶれは、もうずいぶん減った。激戦だったのは、皆の顔を見れば手に取る様に分かった。
「……すいません、皆が命がけで戦っていたのに、俺……」
自分が情けなく思えた。雪の事ばかり心配して皆の事を、新選組の為にしなかった自分が、とても卑しく思える。
「気にするんじゃねぇ、送り出したのは俺だ、それにお前は此処に戻って来たじゃねぇか……それだけで十分だ、まぁお前程度の実力じゃ大して変わらなかっただろうからな」
「そっそんなぁ、俺だって強くなってるんですよ……多分」
嘘でも言い切れないのが龍久の悪い所であるが、良い所でもある。
宵の闇が、少しずつ東の空から迫っている。
それがどことなく、これから起こる希望よりも、絶望や災いを現している様で、少し、ほんの少しだけ、怖かった――。
***
龍久達は、本営の側にある屋敷の部屋を使わせてもらった。
ここ数日菊水と葛葉と共に、そこで過ごしていた。
「はぁ、まさか帰って来るのに三月もかかるなんて……お前のせいだからな葛葉」
「何を言う、俺は陛下に不自由な思いをさせない為にだなぁ」
行きは八日で済んだのだが、帰りが三月もかかってしまった大きな要因は、葛葉が菊水に無理をさせない為に、山道ではなくあくまでも街道を進んだからだ。
「でも、行きはご飯に困ったけど、帰りはおなかいっぱい食べられたし、お風呂も入れたから、嬉しかったよ」
「陛下に喜んで頂き、この葛葉この上なき幸せで御座います」
葛葉が恭しく頭を下げると、部屋に土方と斎藤がやって来た。
「悪いがこの部屋しか用意できねぇ、その代り好きに使ってくれて構わない」
「ありがとうございます土方さん、次の戦からは俺も戦います」
二人は腰を下ろすと、菊水へと目をやった。やはりなぜ戻って来たのか気になるらしい。
「実はですね……」
龍久は掻い摘んで、菊水と雪の説明を始めた。
二人が親子で玉藻が二人の子供を『天皇』として即位させようとしている事、そして雪を『夜叉』から元に戻すには、菊水の『手当て』が必要な事を話した。
「……この方が『天皇』、確かに言われてみればお前の恋人に似てるな、龍久」
「えっ、龍久君はあの子とそういう仲だったのかい!」
「ちっ違いますって! 俺と雪は別にそういう仲じゃ……」
「そんな事どうでもいい、龍久お前はこれからどうするつもりなんだ」
土方がそう聞いて来た。その言葉を聞いて葛葉が眉間に皺を寄せた事に、龍久は気が付かなかった。
「俺は、あの女がまた現れたら殺すつもりだ」
それは分かっていたが、辛い言葉だった。土方ははっきりと言いきっているのだ。
理解はしているがその言葉を聞くのは嫌だった、雪を死なせたくないがだからと言って土方に戦わないでくれと言うのも筋違いだ。
「龍久君……」
「……土方さんが雪を殺す前に、俺と菊水さんで雪を元に戻します、その為に俺は菊水さんとここに戻って来たんです!」
「…………それでどうするんだ? あいつを『夜叉』から戻して、お前はどうする?」
「それは……薩長と戦います」
「ふざけた事抜かすんじゃねぇ!」
突然土方が怒鳴った。なぜ怒られたのか龍久には全く分からない、当然の事を言ったつもりだった。
「……おい葛野郎、会津に戻ってくるのに三月もかかったのは、お前の策略じゃねぇのか」
そう寝転がってかりんとうを食べる葛葉に向かって言った。答えたくないのか、葛葉は背中を向けていた。
「どう考えても会津に帰って来るだけで三月はかかりすぎだ、あの女を止めるって目的があるなら、それこそもっと急ぐべきなんじゃねぇのか?」
「どっ、どういう事ですか土方さん……」
「忘れたのか、こいつは未来を視るんだ、当然先の白河口の戦いの事も知っていたはずだ、そこで会津の情勢が大きく狂う事も……」
葛葉は反論しようとはしなかった、ただかりんとうを食べているだけだった。
土方はそんな彼に向かって、言い放った――。
「お前は、二本松の戦いを避ける為に、三月もかけて帰って来たんじゃねぇのか」
確かにたらたらと街道を進んできたが、葛葉ならばもっと早く会津へ戻ってくる事が出来ただろう。空だって飛べるし、やろうと思えば八日より早く帰れたはずだ。
「たく、お前は本当に察しが良いと言うかなんというか……、そういう男はモテねぇぞ」
「生憎だが色恋には困ってねぇんだ、その反応からするに図星か」
「なんでだよ葛葉、二本松の戦いがあるのを知ってたなら、なんで遅れたんだよ、俺が一緒に戦ってたら、何か変わったかもしれないだろう! それなのになんで……」
「……何も変わらねぇよ」
そう言い放ったのは土方だった。突然の否定に龍久は驚いた。
「己惚れんじゃねぇぞ……お前ひとり居ようが居まいがあの戦いは変わらねぇ、それほど大きな流れなんだ……だからお前は二本松を避け、龍久を甲府へ行かせなかった、いや江戸から出そうとはしなかったんだろう」
「……はぁ、これだから頭が良い奴は嫌いなんだ」
葛葉は観念したのか、起き上がるとこちらをしっかりと向いて話し始めた。
「ああお前の言う通りだ、俺は龍久に『江戸に居ろ』という『呪』を掛けたんだ、まぁこれは玉藻の野郎に見事に解かれちまったが……」
「なんでわざわざそんな事したんだよ、別に俺は頼んでないぞ、そんな事……」
「龍久君を守る為なんだろう?」
そう言ったのは、意外にも先ほどまで黙って聞いていた菊水だった。
「龍久君に危ない所へ行って欲しくなかったから、江戸に居てって言ったんだろう? それに遅れて来たのだって、龍久君を危険な所へ行かせない為だろう? 君は本当に龍久君の事を大切に思っているから、そんな事したんだろう?」
「……葛葉、本当なのか?」
龍久はそう尋ねても、葛葉は答えなかった。答えるどころか背中を向けて目を合わせようとしなかった。
「図星だな、餓鬼かおめぇは」
「うっせぇ、餓鬼に餓鬼っていわれたかねぇやい!」
「問題はてめぇがどうしてそんな事をしたかだ……、あの女を止めたいならもっと早くここに来るはずだ、二本松で俺が死ぬか、あるいは会津自体が陥落していた可能性だってある……それにも拘わらずおめぇは遅れた、つまりお前は『この戦いでは』会津は陥落ないし俺が死なないと言う事は分かっていた……」
「回りくどい事いちいち言わねぇで、直接聞けばいいんじゃねぇの……『鬼の副長』さん」
「なら聞こう……、お前に聞きたい事は一つだけだ」
土方は今までよりずっと真剣な表情で、葛葉に言った。
「俺達は、会津で負けるのか?」
「なっ……何を言ってるんですか土方さん!」
「局長がそのような事をおっしゃられては困ります!」
それは『鬼の副長』土方歳三からは絶対に発せられてはいけない言葉だった。今まで彼が居たから、彼が希望だったから新選組は戦ってこれたのだ。
それなのに、彼がこんな弱気な事を言うのは皆の士気が下がってしまう。
「会津が陥落するのは時間の問題だ、現に二本松が落ちたのは痛手だ……いや、そもそも鳥羽伏見で負けた時から、こうやって追いつめられる事は分かっていた事だ……だがお前はもっと前からこの戦いの結末を知っていたはずだ……答えろ、俺達の戦いはこの会津で終わるのか?」
ずっと前、鳥羽伏見で負けた時から土方は心の隅の方で分かっていた事だった。
いつかこうやって追い詰められていく事も、時代が変わってゆく事も、だからこそ知りたかったのだ、その終わりを――。
「…………はぁ、だから頭の良い奴は嫌いなんだ、お前は戦国時代に生まれてりゃあ、どこぞの大名にでもなれたんじゃねぇの~」
「茶化すな、答えろ」
土方は真剣だった。遊び半分で聞いている訳ではない、本気でこの先の未来の事を葛葉に聞いて居る。葛葉は大きなため息をついて、ふと言葉を発した。
「……会津ではない」
それは会津では負けないが他で負けるという事なのだろうか、龍久には分からない。だが土方には十分それが伝わったのか、納得した様だ。
「……なるほど、分った」
「局長! 今の仰り様では会津を見捨てる様に聞こえますが……」
斎藤は会津と言う藩にも、土地にも、並々ならぬ思いがあった。それ故に、この会話に苛立ちを覚えるのも無理はない事だった。
「……っ!」
突然葛葉が、縁側に向かって腕を振った。龍久と土方と斎藤が驚き、菊水がひっくりかえって驚いていた。
「なっどうしたんだよ葛葉ぁ!」
縁側には一本の針が突き刺さっていた。だが問題はその先には一匹の真っ黒く模様のない蛇がいて、針は正確にその腹を貫いていた。
「これは……一体」
「玉藻の『式神』だ、それも隠密用のな……京都でも何匹か見かける度に潰してたんだけどな、性懲りもなく放ってきやがった」
葛葉は針が刺さったままの蛇を掴み上げる。蛇は身をよじって苦しんでいる。
「お前らの行動は全部玉藻に筒抜けだったんだ、だから玉藻が『式神』で襲って来た」
「ただの蛇にしか見えないが……これがずっと俺達を見張っていたというのか?」
斎藤が式神を見つめながらそう呟いた。龍久には普通の蛇にしか見えなかった、これでは見落としてしまうかもしれない。
しかし葛葉は、それを見て何か閃いたのか小さく笑った。
「…………使えるかもしれない」
***
会津郊外のとある屋敷。
屋敷が湖の上に建って居て、造りも大変よく、見るからに身分の高い人間が住んでいるだろう。そんな屋敷に、一匹の蛇がするすると入っていった。
長い廊下を這って、床張りの大きな部屋にたどり着いた。
「来たか……」
その部屋の中央に、紫の水干を着て、長い黒髪を垂らした男、玉藻が座っていた。
蛇に向けて手を差し伸べると、蛇は袖口から水干へ入っていく。玉藻は眼を閉じた。
「…………なるほど」
そう呟いて立ち上がると、襟首から蛇が顔を出してそのまま外へと出て行った。
「陽元、陽元はおるか!」
「はっはい、陰陽師殿!」
陽元が慌てて部屋の中へと入って来た。
「新政府軍へと土方達が襲撃を仕掛けるらしい……返り討ちにする様に言って置け」
「はっはい、畏まりました」
陽元はそう頭を下げて、暗い廊下へと去って行った。
「愚か者は所詮愚か者か……、せいぜいこの会津の地で果てるんだなぁ、あはははっ」
そう高らかに笑う玉藻に背を向けて、黒い蛇は闇の中へと消えていった。
***
菊水は縁側で一人庭を眺めていた。
特に綺麗な花がある訳ではないが、夏の青臭い草木の香りがどことなく心地よい。
「菊水さん、夕餉の準備が出来ましたよ」
「ああ龍久君、ありがとう……」
菊水はどことなく寂しそうに庭を見つめていた。
「菊水さん……どうかしましたか?」
「ん……ちょっと昔の事を色々思い出してたんだぁ」
「昔の事って、もしかして桜子さんの事ですか?」
なんとなく言ったのだが、どうやら当たっているらしく、菊水は頬を真っ赤に染めた。
「……桜子さんに会ったのは雪の日だったんだぁ、とっても綺麗で強い心を持った優しい人だった」
龍久も縁側に腰を下ろして、菊水の隣に座った。
「一目惚れ、だったんですか?」
「うん一目惚れだった、一目で好きになったんだぁ……出会った日も雪の日で、互いの気持ちを確かめあったのも雪の日で、別れたのも雪の日だった……」
「……どうして、別れたんですか? 愛してたんでしょう」
「……桜子さんは奉公で働いてたんだぁ、だから時が来たら別れるのは決まってた、それに僕と彼女がまぐわったのは、その日一度きりだったから……僕に子供が居るなんて思いもしなかったよ」
「なんで桜子さんは菊水さんの所に戻らなかったんですか? 貴方の子供だって分かってたのに……」
「それは多分、僕と同じ目に合わせたくなかったからだと思うよ」
龍久の眼に、菊水の足首の傷が映った。玉藻が足の腱を斬ったのは、彼の自由を奪い監禁する為だ。そんな不自由な思いを、桜子は娘にさせたくなかったのだろう。
「でもあの子の名前はきっと桜子さんが考えたんだろうなぁ」
「どうして分かるんですか? 雪の事知らなかったのに……」
「僕と桜子さんの名前ね、僕が生まれた時菊の花が綺麗に咲いたから菊水、桜子さんは、桜の花が散華する様が儚くも美しいから桜子、……だからきっとあの子は雪の日に生まれたんだろうね」
きっとそれが桜子なりの、菊水と雪を繋ぐ小さな糸だったのかもしれない。本当の所はもう分からないが、龍久はそう信じたかった。
「ねぇ、龍久君はあの子の恋人なのかい?」
「なっなあああっ!」
唐突すぎる菊水の言葉に、龍久は酷く動揺した。他の人に言われるならまだし、実の父親である彼に言われるなど、恥ずかしいやら申し訳ないやらで、感情が滅茶苦茶だった。
「ちっ違いますよ、あれは斎藤さんが勝手に言ってる事で……」
「そうなのかい……僕はてっきりそうなのかと」
「俺は雪に幸せになって欲しいんです……でも、それを俺が望むのは身勝手だった……」
雪の幸せを奪ったのは龍久だった。そんな自分が幸せになって欲しいと願うのはあまりにも身勝手だ、雪が怒るのも無理はない事だった。
「雪が幸せになってくれるなら、俺はなんだってやります……、でも雪はそんな風に思われるのだって、きっと嫌なんでしょうけど」
「龍久君……」
「今雪に必要なのは菊水さんなんです……、俺には出来ないけど菊水さんには出来る、だからお願いします、雪を絶対に元に戻してやって下さい」
龍久は真剣に頭を下げた。今の雪に必要なのは同じ存在である菊水だ、彼の『手当て』を雪にしてもらうのが、今の龍久のただ一つの目標だった。
「……ありがとう龍久君、僕……君の様な息子が欲しかったなぁ」
「なっ何を言ってるんですか菊水さん!」
顔が火照って恥ずかしくて仕方がない。実の父親にそのような事言われるなんて、嬉しくて仕方がない。
「あはははっ、君は本当にいい子だね…………だから、これからもあの子の事を思っていて欲しい……誰にも思われないで居るのは哀しすぎるから……」
「そんなの当たり前ですよ……、俺はぁ雪にべた惚れですから……」
龍久ははにかみながら笑った。もう何年も雪を、雪だけを思い続けて来たのだ、これから先も、ずっと雪だけを愛し続けていくだろう。
「こんな所に居たのか……」
葛葉が庭から縁側へとやって来た、そして龍久の隣に座った。
「もう夕餉で御座います陛下、早くお召し上がりになりませんと、せっかくの料理が冷めてしまいます」
「うん……葛葉君、君も行こう」
「大変ありがたいのですが、私は今使いを待っておりまして……」
「使い? 買い物でも頼んだのか?」
使いを出せるような小姓など、葛葉にはいなかったはずなのにと、龍久が不思議がっていると、庭の茂みの中から一匹の蛇が顔を出した。
「あっ、あれは……」
「よっしゃ来たあああああ!」
葛葉が飛び上るほど喜ぶと、その蛇の元へと駆ける。よく見るとその柄は黒くて模様がない、確か玉藻の『式神』だったはずだ。
「こいつに『呪』を掛けて、玉藻に偽の情報を伝えて戻って来る様にしたのさ」
「そうなると……どうなるんだ?」
葛葉に何か考えがあったのは知っているが、それとこの式神に何が関係あるのかが分からない。
「こいつは玉藻の処へ行って帰って来たんだぞ龍久、つまりこいつは玉藻の居場所を知っているんだ」
そこまで聞いてようやく龍久の頭でも理解できた。
葛葉がこれからしようとしている事全てを――。
「奴の隠れ家を叩く、こちらから奴を攻めるんだ!」
今まで防戦一方だったこちらにしては、かなりの前進だった。
「奴はまだ、殿下の身柄を押さえていない、更に陛下はこちらに居る……今ならこちらが圧倒的に有利だ、今ならば奴を倒せるかもしれない」
重要な切り札である雪と菊水、その内の内の一つが手中にある事と、玉藻が今だ雪を手に入れていない事で、葛葉は大きく賭けに出る事にした。
玉藻は間違えなく陰陽の天才、それに勝つ為には多少の危険は伴う物の、賭けに出るしかなかった。
「それで人選だが……」
「俺も行くぞ! 玉藻は平助の仇で、山崎さんを蔑んで、雪と菊水さんに酷い事をしようとしているんだ、そいつを倒せるんだったら、どこへでも行く!」
「まぁ多少の実力不足が指摘されるが……猫の手も馬鹿の手も借りたい状況だ、仕方ない」
どことなく馬鹿にされた気もするが、共に行けるだけで十分だった。
「なら鬼の手も借りるか?」
「ついでに左手もどうだ?」
そう言って土方と斎藤がやって来た。二人とも利き手を上げて、葛葉に向かい合った。
「あの陰険陰陽師に、今までの借りを返さねぇと気が済まねぇんでなぁ」
「新選組の敵は俺の敵だ、敵を倒すのが俺の役目だ」
斎藤も土方も新選組の中で五本の指に入る猛者だ。二人が共に来てくれるのならば非常に心強い、鬼に金棒どころではない。
「断る! と言いたいところだが……残念な事に人手不足だ、お前達の力を借りるしかあるまいよ……」
歴史をあまり変えたくない葛葉にとって、二人と玉藻が接触するのはあまり良い事ではなかったが、それでも頼らなければならない理由がある。
「俺がどう頑張っても、龍久を危険な目に合わせてしまうのは明白だ、悔しいが俺一人では龍久の安全を保障できない……、だからお前達を利用する、俺はあくまでも龍久と陛下と殿下、この三人の命を最優先として守る、だからお前達の命の保証までは出来ない……それでも行くか?」
「くだらねぇ事聞いてんじゃねぇ、てめぇに守って貰うほど俺は餓鬼じゃねぇよ」
「自分の身は自分で守る、武士として当たり前の事だ」
「ちょっと二人とも、それじゃあまるで、俺が餓鬼で、武士として未熟だって言って居る様に聞こえるんですけど……」
龍久はそう文句こそ言うが、二人の存在がどれだけ心強いか十分理解しているつもりだ。これなら上手くいくかもしれない、そう希望さえ持てる。
「あのっあの僕も連れて行ってくれ!」
意外にも菊水が名乗りを上げた。だがその体が小さくだが震えているのを、この四人が見落とすはずがなかった。
「陛下、お気持ちは大変うれしいのですが……、私の力では陛下の安全をお約束する事が出来ないのです、もしも陛下が玉藻に再び監禁される様な事になってはそれこそ奴の思う壺で御座います……どうかここは我々に任せていただけないでしょうか?」
菊水だって、玉藻に少なからず怒りを持っているはずだ。
それを晴らしたいのも痛いほどよく分かるが、正直全く戦えない彼は足手まといになりかねなかった。
「……この屋敷に結界を張ります、ここから出なければ玉藻や『式神』が襲ってきても、御身に危害を加える事は出来ません……どうかここで我らの帰りをお待ち下さい」
「でもぉ……」
菊水は悲しそうに俯いた。だが彼を案ずればここにとどまってもらうのが一番の策なのだろう、龍久も葛葉の考えに賛成だった。
「菊水さん安心して下さい、俺が……俺達が絶対に玉藻を倒します! だから菊水さんは此処で待ってて、俺達が怪我をして帰って来たら『手当て』お願いしますよ」
龍久が笑顔で言うと、菊水も小さく笑って頷いてくれた。
「分かったよ、とっておきの苦い薬を作って待ってるからね」
「うげぇ、そんなぁ!」
龍久が叫ぶと、皆笑った。それにつられて龍久も笑った。
これから戦いに行こうと言うのに、心は穏やかでいられた。
そして、気合の一声を発した――。
「よし行こう、玉藻を倒すんだ!」




