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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第三部 維新編 
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五〇話 美しき音色


 その日は結局、南雲家に泊まる事になった。

 外はいまだ新政府軍が、『彰義隊』の残党を探しているので、藤田もここに泊まった。

 日付が変わったのに、龍久は眠れなかった。目がすっかり冴えて閉じていられなかった。

「……雪」

「龍久、まだ寝ないのか?」

 縁側に座っていた龍久に声をかけたのは、藤田だった。彼もまた眠れないのだろう。

「ああ……なんだか色々思い出しちまって……」

「そうだろうなぁ……」

 龍久の隣に座った、何を話す訳でもない、しばらく無言の時が流れた。

「……俺な、雪光が女だって知ってたんだ」

 突然藤田がそう切り出した。それは龍久にとって驚き以外の何物でもない。

「なっ…………なんで」

「まぁ方法はなんでも良いだろう……、今更だが後悔しているよ、お前にその事を言って居ればもっと別の未来があったんじゃないかと……今のお前達を見て、そう思った」

 確かにあの時、雪が女だと知っていれば暴言だって言わなかったし、こんな遠回りな事はなかったと思う、だがそれは藤田が後悔する様な事ではない。

「だがなぁ自分から死のうとするんじゃねぇぞ……あの時は肝を冷やしたぞ」

「……あの時、俺は本当に死んでもいいと思った、殺されればそれで雪が幸せになれると、本気でそう思ったんだ……どうしてかは分からないけど」

「それが『夜叉』と言う物だからさ」

 屋根の上から返事が来たかと思うと、ぴょこんと葛葉が顔を出した。どうやら屋根の上に居たらしい。葛葉は飛び降りると、龍久の隣に縁側に腰を掛けた。

「この世に厄災を振りまくって言うのはそういう事なのだ龍久、お前が『死』を受け入れてしまったのは、『闇』に当てられたからだ……それにお前は殿下の事になると少しとんでもない事をしでかす、悪い癖があるぞ……」

「そっそうかぁ?」

 葛葉と藤田は深く頷いた。親友二人がそういうのだから、きっとそうなのだろう。

「なぁ葛葉、『夜叉』って『鬼』なんだよな?」

「ああ、正確には『鬼神』だけどな」

 龍久は『鬼』と聞いて真っ先に浮かんだのは、宇都宮城から逃げる時に見た、あの夢での事である。

「俺、夢で雪に会ったんだ、あの時はただの夢だと思ったけど……闇の中で雪は『鬼』になったんだ、もしかして関係あるのか?」

「……それは、『生成り』だな」

「なっなまなり? 能面とかのあれか?」

 藤田に深く頷いた。そしてどこか悲しそうに語り始めた。

「……まぁそうも言われてるんだよ、人はなどうしようもない怒りや憎しみ、そして哀しみなんかを溜め込むと『鬼』になるんだ。この世には人一人の力ではどうしようもない流れがある、そういう物で人は怒り、憎しみ、そして哀しんで、心に闇を持つ」

「流れって……なんだ?」

「色々だ……でも殿下の場合は、『男女差別』だな」

 その単語に、龍久は言葉を失った。その多くは自分に責任があるからだ。

「龍久お前が気に病む事ではない……『男女差別』などお前ひとりでどうにかなる問題でもない、例えそれが殿下であっても、どうにもできないんだよ」

「『神』でも駄目なのか?」

「これは人の意識の問題だ、そういう物を変えるのは難しいんだ、例え『神』でもな」

 正直あまり男女の差別について考えた事がなかった。それは龍久も藤田も男だから女の視点で物事が考えられないのだ。

「人の意識と言うのは、長い時間を掛けないと変えられないんだよ……女は社会的に弱い、学問を学べるのも政に関われるのも男だ、更に酷いのは子が出来なければ女のせい……あんまりな社会だ、でもそれが今の今まで何百何千と言う時間行われてきてしまった、それを変える為にはやっぱり時間が掛るんだよ」

「じゃあ、男女平等の社会って言うのは、無理なのか?」

「無理ではないだろうな……でも時間が掛るだろう、殿下は生まれてくるのが早すぎたんだ……もっと一〇〇年とか二〇〇年、あるいは一〇〇〇年後に生まれてくれば満足できる社会だっただろう……」

 龍久には想像できない話だった。これからの日本がどうなるか分からないのに、一〇〇年や二〇〇年、ましてや一〇〇〇年後の未来など想像できるはずがなかった。

「でも今は無理だ、どんなに頑張っても報われないんだよ、だから『夜叉』になるんだ」

「……哀しいんだな、『夜叉』も『鬼』も……みんな」

 雪が思い悩んでいる事は、決して私利私欲の物ではない。社会全体の事を考えればそれはきっと大切な事で、今から数一〇〇年後には当たり前になっている事なのかもしれない、間違っていない事をしているのに、あんな風に苦しんでいるなど、哀しすぎる。

「でも龍久、よく殿下を止めてくれた……これ以上人を殺めさせてはいけない、より『夜叉』化が進んでしまう」

「でも三人殺させちまった……藤田が無事で良かったけど雪を傷つけちまった、藤田が」

「うっ五月蠅い、大体あれはお前が死のうとしたからやむなくだなぁ……」

「でも殿下の心の闇は広がっちまった、もうお前の事も殺そうとしただろう?」

 藤田の一撃を受けて、雪は彼まで殺そうと短銃を抜いた。あれはより『夜叉』になってしまったという事だったのだ。

「でもな龍久、お前を殺していたら殿下は既に『夜叉』になっていただろう……」

「えっ?」

 雪は土方を殺す為に『夜叉』になろうとしているのだ、それなのにどうして自分を殺しても『夜叉』になってしまうのか、全く理由が分からない。

「殿下は、お前に何か訴えてたんじゃないのか?」

「あっああ同じ方向を向いていないとか、俺の声を聴くと頭が軋むとか、胸が苦しいとか」

「……同じ方向を向いて欲しいのは、同じ立場にたって欲しいからだ、同じ志を持ち同じ夢を追いかけて欲しいからだ……、頭が軋むのは昔の事を懐かしむからだ、胸が苦しいのは、お前の事を思っているからだ……そういう乙女心と言う物がお心をむしばまれる要因でもあるのだろうさ」

 葛葉の言葉を聞いて藤田は深く頷いた。龍久は黙ってそれを聞いているだけだった。

「夢の中で殿下はお前を喰ったんじゃないか? それはお前に自分と同じ存在なって欲しいからだ……この世界には彼女と同じ存在は、陛下ただ一人だからな……」

 悲恋の末に『生成り』となった者は、真っ先に思い人を殺し喰らうのは、一緒で居たいと言う執念の表れでもある、そして思い人を喰らった後『鬼』となるのだ。

「そうだったのか……それじゃ俺が――」

 全てを理解した。そんな彼を見てと葛葉は小さく微笑んだ。

 龍久は言い切った、これから自分が成すべき事を宣言する様に――。


「俺が、雪に菊水さんを会わせてやらないといけないんだな!」


 しばらくの間が空いた。藤田も葛葉も何も言えない時間が流れた。

「……んっんん?」

「ちょっと待ちたまえ龍久君……、葛葉君のお話、ちゃんと聞いてたぁ?」

「もちろんだ、菊水さんは雪と同じ『神』なんだろう? 同じ立場に立てるはずだ! 頭や胸が痛んでも撫でて治してもらえばいい! 今の雪に必要なのは、本当の父親である菊水さんなんだ!」

 龍久の言葉に、二人はあきれ返ってしまった。全く持って真意を理解していなかった。

「おっお前、今のは葛葉がほとんど答えを言ってただろう! なんで分からねぇんだよ、このうすらとんかち!」

「うわああん藤田くぅん、龍久君がお馬鹿だよぉ葛葉君の話を何一つ分かってないよぉ」「えっえええっ、なんでだよぉ、だってそういう事なんだろう!」

 なぜ自分が今罵倒されているのか全く理解できなかった。正しい事を言ったつもりだったのだが、どうやら違うようだ。

「皆で一体何を騒いでるんだい?」

 よたよたと菊水が歩いてきた。どうやら起こしてしまったらしい。

「これは申し訳ありません陛下、御身の眠りを妨げる様な事を……」

「ううん、初めから眠ってなかったんだ……、なんとなく寝付けなくてねぇ」

 やはり菊水も眠れなかった様だ。菊水は縁側に腰掛けようとすると、葛葉が場所を開けて、龍久の隣に腰かけた。

「良い夜だけど、今日は眠れそうにないなぁ……」

「菊水さん……」

 どこか嬉しそうだが哀しそうな表情で、夜の庭を眺める。宵闇で何一つ見えないが、どことなく木々の輪郭だけは見える。

「菊水さんの足、もしかして玉藻に斬られたんですか?」

「……うん、一〇かそこらの時にね、それ以来僕はずっと走ったことがないんだ」

「陰陽師の恥さらしだ……『神』を傷つけるなど」

 葛葉が悔しそうにそう言った、彼らにとって『神の血族』はとても大事な物なのだろう、それをこうやって当たり前の様に傷つけて、まるで人扱いをしていない。

「玉藻は僕を手の内において置きたかったんだと思うよ……難しい事は分からないけど、僕を宇都宮へ連れて行ったのは、今考えるとあの子の所へ連れて行こうとしたんだと思う」

 宇都宮を経由して、雪が居るであろう江戸へ連れて行って、そこで『手当て』を施そうとしたのだろう。そしてそのまま捕らえる算段だったに違いない。

「……玉藻は雪の居場所がわかってるって事か?」

「いいや分からないさ、俺達陰陽師の力を使っても神仙の者の居所と言うのは分からないんだ」

「未来が分かってもか?」

「ああ、分ってたら五〇〇年もかからないだろう」

 『運命を視る力』は確かに万能なのだが、実際は様々な制約がある。

「この力は個人の資質と力量が大きくかかわって来る……、七見える者も言えれば、一〇見える者もいるし、あるいはもっと先を見ている者もいるし、全く見えない者もいる」

「……じゃあ玉藻はもっと先を見て、こんなふざけた事をしようとしてるのか?」

「さあな……俺には何とも言えないよ」

 そういう葛葉の表情はどこか寂しそうだった。一体彼がどんな未来を見ているのか龍久には分からない。考えもつかない凡人の自分が口惜しくてたまらなかった。

「菊水さん、貴方は『天皇』になりたいとお考えか?」

「えっ……僕には無理だよぉ、正直『神』って呼ばれるのも実感が湧かないよ」

 藤田の問いに、戸惑いながら答えた。

「『神』とか『天皇』とか、そういうのは正直どうでもいいんだ……、ただ桜子さんの娘があんな風になっちゃいけないんだ」

「……桜子さんのって、貴方の娘でしょう菊水さん」

 そう龍久が訂正すると、菊水はどこか恥ずかしそうに小さく微笑んだ。しかしその笑みも直ぐに薄れて、小さくため息をついた。

「僕の事分ってくれるかなぁ……、いきなり父親だって言われても、困るよねぇ」

 菊水は昨日初めて雪に会ったのだ。もちろん雪だって父親は陽元だと思っているし、いきなり本当の父親と言われても戸惑ってしまうだろう。

「もしかしたら、拒絶されちゃうかもしれない……」

「菊水さんしっかりして下さい! 大丈夫ですって、きっと雪は分かってくれますよ!」

 何の根拠もなかったが、菊水は小さいながらも微笑んでくれた。

「また雪に会えたらどうしますか?」

「えっ、う~ん、とりあえず話がしたいなぁ、どんな事でもいいから色々聞かせて欲しい」

「ははっ、雪光は我が強いからなぁ、話すのは苦労しますよ」

「そうなのかい? じゃあ桜子さんそっくりだ、あの人もどこか芯が強い人だったよ」

「へぇ、じゃあ雪は外見や言葉遣いは菊水さん似で、性格は母親似なんですね」

 他愛ない話だが、菊水はとても嬉しそうだった。

 もしも龍久に出会う事無く宇都宮城から逃げていたら、きっと雪には会えなかっただろう。こうやって他愛ない娘の話をするのは、楽しくて仕方がないのだ。

「だからこそ……僕はあの子に『手当て』をしないといけないんだ」

 自分の事を父だと分かってもらう前に、色々な話をする前に、雪の『呪』を解かなければならない、そうしなければ何も始まらないのだ。

「俺が絶対に、菊水さんを雪の所へ連れて行きます! だから菊水さんは、雪に父親として認めて貰う事だけ考えていて下さい!」

「ふええ、自信ないなぁ」

 菊水は戸惑いながらも、嬉しそうに笑っていた。

「陛下、もうお休み下さい……明日は早くにここを発たねばなりません」

「雪光を探すのか? だったら俺も――」

「いや違う、これから会津へ戻る」

 雪は江戸に居るのだから、江戸を探せばおのずと見つかるだろう、それなのにわざわざ会津へ行く理由が分からない。

「殿下の目的は土方を殺す事だ、いずれ土方の元へ現れる……それに玉藻もそうするだろう、両方の動向を見極めるにはやはり会津へ行くべきだ」

「なら俺も連れて行ってくれ! 俺だって雪光が心配だ!」

「駄目だ、これから会津は激戦地になる……それに加えて玉藻も襲ってくるんだ、そんな状況では龍久と陛下を守るので精いっぱいになる」

「俺が足手まといになると言うのか!」

 藤田はそう憤慨した、ここまで知って引き下がる事は彼には出来ないだろう。それほど彼も雪の事を思っているのだ。

「……藤田、やっぱりお前は此処に残ってくれよ」

「なっ……お前まで何を言うんだ龍久!」

「俺はさぁ、五年も家ほったらかしにして、長男としての責任も全部投げ捨てた……。俺、お前がお時の墓参りしてるの見て、俺は何にもしてやれなかったんだって思い知った、親孝行も兄としての責任も……俺は虎道を苦しめてばっかりなのに、お前は慕われてる……」

「いや……それは別に……」

「いいんだよ藤田、お前は本当に頼りになる俺の親友だ……だから、ここに残って俺と雪が帰って来る場所を守ってくれ……頼むよ」

「龍久……」

 そんな風に言われては、男として断る事は出来ない。藤田はしばらく心を落ち着かせる間を取ってから、龍久に向かい合った。

「分かった……俺がお前と雪光が帰って来る場所を守っておく、だからちゃんと雪光を元に戻して、二人そろってここに帰って来い!」

「……藤田ありがとう、でも……雪光じゃなくて雪な! お前さっきから間違えすぎだ!」

「おっお前、人がかっこいい事を言ったのに、ぶち壊すんじゃねぇよ!」

 そう言って小突きあう二人。こうしているとなんだか昔に戻った様だ。

「まぁ龍久君の事は、この完璧超美少年陰陽師の葛葉君に任せておくんだなぁ、藤田君!」

「なんだよぉ人を子供みたいに……大体葛葉お前そんなに小さくなって、戦えるのか?」

「ふっふふん、この葛葉今までやられっぱなしで居た訳ではにゃ~い、しっかり新たな力を得て、更なるパワーアップをしてきたのだぁ~~!」

 そう言って不思議な決めの構えをする葛葉なのだが、その袖口から大きな針やら小さな針、その他にも布やら何やらが出て来た。

「おいおい、何やってるんだよ葛葉ぁ」

「う~ん、まだこの体に慣れて無くてなぁ……道具は全部適当に詰め込んだだけだし……」

 葛葉はいそいそとそれを拾って、また袖口に詰め込んでいく。一体どこに詰めているのか皆目見当もつかない。

「あれ……それもしかして笛かい?」

 闇の中菊水は、葛葉の足元に転がったそれを指差した。それはかなり高価な龍笛だった。素人目にも、それが良い物だというのが分かるほどだった。

「葛葉、お前笛なんか持ってたのか?」

「持ってたよ、まぁ儀式やらなんやらで使うからな、陰陽師の手習いって奴だ」

 確かに玉藻も琵琶を弾いていた。良い音色だったのを覚えている。

「何か一曲聞きたいなぁ……聞かせてくれないかい?」

「いえ、しかし私の様なものの音色など……陛下にお聞かせ出来る様なものでは」

「良いだろう、けちけちするな、『神』が聞きたいって言うのだ」

「一曲聞けば、眠れそうな気がするんだぁ、ねっお願いだよ」

 葛葉はしばらく悩んだが、菊水にせかされてはどうしようもないと言った具合で、彼の前で一礼した後、その歌口を唇へとあてがえた。

 厚みがあるがどこか高い音、高いのだがどこか体の奥の方に響く低い振動を感じる。まるで龍の息吹を思わせる様な、重くて響く旋律が空を舞っている様だった。

「良い音だぁ……」

 菊水が小さく呟くと、すぐにその調べに耳を傾けた。

 龍久も藤田もそれに続く様に耳を傾け、体中でその美しい音色を楽しんだ。

 美しい音色が、夜の中に静かに溶けていった。



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