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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第一部 江戸編
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四話 決断

 文久三年(一八六三年)、一二月

 師が走るほど忙しいから師走。そんな言葉が身にしみるほど忙しかった。

「めーん!」

 道場では強豪道場との試合が開催されていた。かなり強いと評判の道場だったが、藤田、龍久、雪光の三人の活躍により相手方が驚くほどの成績をおさめた。

「流石だな雪光、全戦全勝じゃないか!」

「何言ってるだよ、藤田君だって全部勝ってるだろう」

 共に笑い合っていると、そのすぐ横で試合が始まった。

防具を付け竹刀を構えている、白と黒の剣士。黒い方が味方である。

「はああっ」

 真っ先に動いたのは白の剣士、鋭く速い面を放つが、黒の剣士も負けておらずそれを剣先で払って鍔迫り合い(つばぜりあい)に持ち込んだ。

 両者一歩も譲らず、力の勝負となった。白の剣士は下がりながら面を打つが、これは頭を傾けられて避けられた。

 すぐさま黒の剣士が動いた、間合いを詰める為に踏み込む。

 白の剣士は黙っているはずもなく面を繰り出した、だが、その太刀筋は竹刀を払うという単純な動作で変えられた。

「はいやあああああっ」

 黒の剣士はそのまま籠手と面に向けての一撃が入った。

「よっしゃっ、良くやったぞ~~っ、強いねぇこの色男!」

 そう藤田が大喜びした、実際雪光も嬉しかった。黒い剣士は面を外しながらこちらに向かってやって来た。

「あのな藤田、『天才』に強いって言われても、全然嬉しくないんだが……」 

 そう言って黒い剣士こと龍久は、手拭いで汗を拭いながらそう言った。

 藤田を『常人の天才』と言うならば、雪光は間違えなく『飛び抜けた天才』だろう。しかし龍久はというと、『天才』という名を欲しいままにするほどの強さではなかった。

「そんなことないよ龍久、すごくカッコ良かったよ」

 そう雪光が微笑む、それがどうも可愛らしくて堪らない。龍久は赤い頬がばれない用に顔を逸らした。

「あ~~こうも連戦連勝なら一発吉原に言って飲み明かしたいぐらいだなぁ」

「止めてくれよ、この間のツケまだ払い終わってないんだぞ」

「二人してなんでそんなに飲むのかなぁ? 僕は全然酔えなかったのに」

 結局あの後、藤田と龍久でかなりの酒を飲み散財した為、しばらくそのツケの支払いに追われる事になってしまったのである。

「おいっ、南雲お前に人が来てるぞ」

 門下生の人にそう言われて、入口の方を見るとお時が大きな風呂敷鼓を持って立っているのが見えた。どうやら忘れていた代えの着物を持って来てくれた様だ。

「ねぇねぇお時、僕全部勝ったんだよ!」

「ほんに雪光さんはお強いんですね」

 飛び跳ねて喜ぶ雪光に、お時は代えの衣を渡す。そして龍久にも渡すのだが、

「…………ふんっ」

 睨みつけて捥ぎ取る様にそれを受け取った。

相変わらず、龍久はお時を目の敵にしていた。

「もう終わったし帰るとするか、早く帰って一っ風呂浴びたいもんだ」

 藤田の提案で皆帰り支度をする事になり、それぞれ道具を手に持つ。

「お時待ってて、すぐに着替えてくるからね」

「おっおい雪光」

 龍久が止めようとしたのが、雪光は嬉しそうに掛けて行ってしまった。

 取り残された龍久は、ふと彼女の方を見ると眼が合ってしまった。

 どうすればいいのかわからない彼に、ふとお時はにっこりほほ笑んだ。それを見て龍久は機嫌を悪くすると、頬を目いっぱい膨らませて、どしどしと足音を立てながら、その後を追うのであった。




「それでね、思いっきり面を打ってやったんだ」

「そうなんですか、怖くなかったんどすか?」

 楽しそうに談笑する雪光とお時のしばらく後ろを、酷い仏頂面で歩く龍久と、それをあきれ顔で見つめる藤田。

「なんであいつら仲が良いんだよ」

「さあな、本当にいつの間にかだったからなぁ」

 適当にあしらう藤田だが、龍久は前を歩く二人から目を離せなくなっている。しぶしぶ彼の話を合わせてやる事にした。

「まぁ少なくとも、雪光はあの子によく懐いてるよな」

「ああ、大体雪光の奴あんな京女のどこが良いんだ、あいつならもっと良い良家(りょうけ)の娘とでも婚約出来るだろうに!」

「良家の娘だったらいいのかよ」

「……いっいや、市井(しせい)の女より良いと思うけど……そのええっと」

 言葉に詰まっている龍久、どうやら彼には自覚が無い様だ。藤田はため息をつくともっと探りを入れてみる。

「まあ雪光はなんつうかその、嫁を貰うって感じじゃねぇよな」

「そう! そうなんだよ、なんつうかその……可愛い女を嫁に貰うっていうかむしろ……あいつ自体が可愛いって言うか」

「そうそう、小動物的な可愛さがあるよなぁ、猫とか犬とか」

「そう! あのはにかみ笑顔で笑われると自然と顔が赤くなるっていうか――」

 本当に自覚が無いらしい。藤田は先ほどよりももっと大きなため息をつくと。

「お前さ、本当に自覚ないのか?」

「えっ? 何がだ」

 とぼけている様子もない、本当に気が付いていない事を確認すると、きっぱりと言った。


「それはお前が雪光に惚れてるからだよ」


 真っ白になった龍久の頭の中に、再びその言葉が再生されるのには、かなりの時間を要した。

「えっええええええええええええええっ、ちょっおまええええええっ」

 思わず彼は藤田の胸倉をつかむ。突然大きな声を上げたので、前を歩いていた二人が振り向いた。

「どっどうしたんだよ二人とも」

「いっいやっちょっとこいつが可笑しな事を言ったからよ、気にしないで下さい……」

 不審そうにしばらくこちらを見ていたが、何もないと分かると再び歩き出した。

「おい藤田! それはどういう事だよ!」

「どうもこうも、だってそう言う事だろ? お前のその言動を見てたら馬鹿でも分かるわ」

 自分のそれが藤田にだけ筒抜けだった事を知ると、龍久は道に座り込んで恥ずかしがった。本当にそう言う自覚が無かった分驚いた。

「まぁ恥ずかしいわな、結納の話を酷い蹴り方したのによぉ、まさか『男』に恋しちまうなんてよぉ、なんて名前だったけ? その子も可哀そうだよなぁ」

「ちがっ、別に恋なんてそんなもんじゃない! ただ雪光が……」

 その続きは言えなかった。

 ただ雪光が、どうしようもなく可愛いなんて言えるはずもなかった。

「お前さ、どうするんだよ……」

「……馬鹿野郎、言ったら嫌われるに決まってるだろう……」

 『男』を好きになったなど、雪光に絶対に言えるはずがなかった。そんな事を言えば嫌われるどころか、家から出て行ってしまうかもしれない。

 雪光と離れるのは絶対に嫌だった。

(……雪光)

 耳まで真っ赤になってしまった顔を隠しながら、目の前にいる雪光を見る。

 初めて自覚してしまったこの恋心をどうすればいいのかわからず、龍久はただ、冷たい師走の風で頬を冷やすしかなかった――。




 それから数日が経ったある日の南雲家。

 龍久の父に言われて、南雲家と雪光が一堂に居間にそろった。

「父上、大切な話とはなんですか?」

 正座で向かいあう父と向かいあう龍久と雪光、その横に龍久の母が座っている。

「いや、実は雪光君、君に話があるんだ」

 一体どんな話なのか見当もつかず、顔を見合わせる龍久と雪光。とりあえず真剣に話を聞く事にする。

「雪光君、君が此処に来てもうずいぶん経った、君はとても礼儀正しいし勉強だって出来る、でもこの家客人として置いて置くのは、そろそろ限界になって来たんだ」

「そんな! 父上雪光は他に行くあてなんてないんですよ、そんな突然!」

 父の突然の言葉に動揺する龍久。焦りが無いと言われれば嘘になるが、致し方が無い事だと思う。もうかなりの期間この家に置いて貰っていたのだ、十分すぎるぐらいだ。

「龍久、最後までお父様のお話を聞きなさい」

 母に言われてとりあえず黙る龍久だったが、表情には焦りが見える。

「それでだ、来年には次男の(とら)(みち)が療養から帰ってくる事になっている、客間だってそろそろ開けたいしな……だから雪光君」

 追い出される覚悟を決めて、父に向き合う雪光。


「家の養子になる気はないか?」


 それはあまりにも予想していなかった言葉だった。

 それはつまり、南雲家の一員に正式になると言う事だ。

「君は龍久とも仲が良いし、もうこの家の人間の様なものだ、嫡男の龍久がこんなので、次男は体が弱くてなぁ、君の様に勉学にも武術にも長ける子を是非当家に向かい入れたいんだ」

 今まで南雲家に居て不快だと思った事はない。むしろ本当の家よりずっと居心地が良いし、出来ればずっと此処にいたかった。

 だがそれでも、即決は出来なかった。

「雪光、俺の弟になってくれ、お前なら俺は大歓迎だ、もう半分は家族みたいなもンなんだから、なっなっ?」

 龍久がそう言ってくれても、首を縦に振る事はどうしても出来なかった。

 黙っていると、母が口を開いた。

「この様な事、今すぐ決めろと言うのは無理な話です……雪光さん、私たちは貴方の返事を待っています、強制させるつもりもありません、どうか良く考えて答えを出して下さい」

 彼女の冷静な言葉に、雪光はただはいと返事をする事しかできなかった。

(……私が、この家の養子になる……でも、それは)

 この家の人間になると言う事は、全てを話さなければならないと言う事だ。

 自分が『女』で、本当の名前は『天原雪』だと言う事を――。




(ただ自由に生きたいと思って、こんな恰好で家を飛び出したのに……まさかこんな事になるなんて……)

 結局自分は『男』に成りきる事が出来なかったという事になる、何時だって必ず『女』が付きまとって来ていた。

 雪光は一人、夜の縁側で考え込んでいた。

 本当にこんな事になるなんて思っていなかったので、どうすればいいのか分からない。

 ただ茫然と縁側でいる事しか出来なかった。

「雪光さん、こんなところにおると、風邪引いてまいますよ」

 お時がやって来て、半纏を肩に掛けて自分の隣に腰かけた。

「お時……あのね僕ね……」

「聞いとります、養子の話なら」

 流石に奉公人(ほうこうにん)にも伝わっていた様だ。彼女は自分の性別を知っているだから良く分かってくれているらしく、傍に寄り添ってくれた。

「……雪光さんはどうなさりたいんですか?」

「…………どうするもこうするも」

 一言で言うなら、このままが良かった。自分の事を何一つ話さずずっとこのままこの家にいたかった。でもそれはもう出来ない。

「出て行くしか……無いんだと思う」

「……本当にええんですか? 龍久はんの事ええの?」

 此処で龍久の事を引き合いに出させるとは思っていなかった。

 だが、ふと考えてしまう。このまま彼と離れ離れになってしまう事を、未来がどうなるか分からないそんな中で、この先自分がどうやって生きて行けばいいのか分からない恐怖が、雪光の心に突き刺さる。

「正直に話したらええんとちゃいますか? 許してくれると思いますよ」

「……違うんだよ、僕が偽ってたのは性別だけじゃないんだ!」

 突然声を荒らげてお時を驚かせてしまった。けれど彼女はそのまま聞いてくれた。

「僕の本当の名前は天原雪……、龍久の元婚約者だったんだ」

そうして感情に流されるままにお時に全て話した。

 自分がどうして家を出たか、男として偽って生きて行く事になったのかを全て、お時は黙って聞いていてくれた。

「……僕はこの家を追い出されたら、行く所が無いんだ……」

「…………そう」

 お時は全て聞き終わると、そう言って雪光の手を握り締めた。

「辛かったね『雪』はん」

 久しぶりに名前を呼んでもらった気がする。お時の洗濯でかさかさに荒れてしまった手が暖かく雪光の手を包む。

「雪はん、このまま返事を保留にしとっても、年が明けたら下の坊ちゃんが帰って来て居場所がのーなってしまいます、せやったら、言わなあかんと思います」

 お時は眼を一時も離さずに言う。その表情は真剣で雪光は頷く事しか出来なかった。

「雪はん、自分の気持ちに正直になって下さい、龍久はんの事本当にええんですか?」

 それは、前にも聞かれた事だった。あの時は答えを出さなかった、出してはいけないと思ったからだ。

 今自分が正体を明かすのを怖がっている理由は、龍久に知られる事だ。

 彼にしてみれば、ふったはずの女がまるで自分を騙すかのように男と偽り、友達の様に当たり前に接して来ていたのだ。当然気分を害するはずだ。

 女だと明かす事よりも、『天原雪』であると言う方がずっと怖かった。

 なかなか答えを出さない雪光に、お時は再び言葉を投げかける。

「ウチも今月いっぱいで、里に帰るんどす」

 奉公人であるお時は、今月で京都へと帰ってしまう。そんなの嫌だったけど、どうしようもない事だった。

「せやから、もしも龍久はんが嫌だってゆったら……一緒に京へこうへん?」

 それは願ってもみなかった事だった。この家を出ても居場所がある事が嬉しい。

「ウチ下に三人もいたずら坊主居るけど、今更雪はんが増えてもどうってことない、ただこの家みたいにええ生活をさせてあげる事は出来へんし、畑仕事も手伝ってもらう事になる、それでもええんやったら、ウチと一緒に京いかへん?」

 お時と一緒に京都へ行く、夢にも見なかったことだ。この江戸を出るなんて考えて無かったし、それに彼女と一緒に居られるならどんな苦難でも乗り切れそうな気がした。

「…………いいのお時?」

「ええ、そのかわりみ~~んな龍久はんにゆーて、雪はんの気持ちが楽になってからですけど」

 自分の気持ち。

 龍久とは離れたくない、ずっと友達でいたかった。でもそれはもうダメだ、だから全てを明かさなければならない。

 いや違う、そう言う事ではない。

 もう二度と会えなくなるかも知れない龍久に、自分の何を伝えるか、この七カ月、ずっと龍久に伝えたかった事、それは考えなくとも一つだった。

 最後に伝えたい事、嫌われる事を覚悟で言いたい事、それは――。


「……好きだ、私龍久が好きなんだ」


 離れる事を考えると、胸が軋む様に痛くなる。

 一緒にいると楽しくて仕方が無くて、自分の事を見てくれている時が一番嬉しい。

 龍久が他の女の事を考えていると怒りたくなるし哀しくなる。

 自分の心の中の龍久への思いは、本当に大きくて手がつけられないほどだった。

 だがお時はその言葉を待っていたかのように、にっこりと微笑んだ。

「ウチも精一杯協力するからね、一緒にあの鈍感男に一発かましたろうな」

 そう悪戯な笑顔を浮かべるお時。彼女の笑顔がどれ程今の雪光にとって救いだったか、きっと知らないのだろう。

 雪光は小さく頷くと、ふと目の前に浮かぶ月を見つめる。

もうすぐ満月になる少し欠けた月だった――。


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