四五話 それぞれの戦いへ
上野。
藤田は、『彰義隊』の集まりに参加していた。
旗本の次男三男が集まって構成されている『彰義隊』に、大身旗本の嫡男である藤田が居るのは、珍しい光景だった。
(……こいつらで本当に戦えるのだろうか)
「藤田君、藤田君」
「あっはい、何ですかおじさん」
考えこんでいたので、隣に居た龍久の父の呼びかけに気が付かなかった。
旗本嫡男の藤田が珍しければ、彼の様に当主が居るのはもっと珍しい事だった。
「これからどうする、もうすぐ戦が始まるだろう、一度家に帰った方がいいのではないか?」
「…………はあ」
「この戦、一筋縄ではいかんだろう……一度顔を見せて来るんだ」
頭では分かっていたのだが、体は動いてはくれなかった。
ただぽけーっと立って居たので、前から歩いてきた人に肩がぶつかってしまった。
「おっと」
懐にしまっていた龍久からの手紙が落ちてしまった。
大切な物なので急いで拾おうとすると、別の方向から手が伸びてそれを拾い上げてくれた。
「ほら、大丈夫か?」
「かたじけない……」
「いや、ぶつかったのは俺だしな、なんだ女からの手紙か?」
見た事のない男で歳は藤田より上で、着ている物は龍久の様な西洋の服、何よりも特徴的だったのが、こんな場所にまだ一〇ほどの小坊主を連れて、身の丈ほどの槍を持っている事だろう。
「いや、大切な親友からのものだ……、あんた見ない顔だが、誰なんだ?」
「俺か、俺はしんせ……」
男は何か言いかけてそれを止めた。一体なんと言おうとしたのかは分からないが。男は再び自己紹介をし直した。
「……俺の名前は原田佐之助、みねぇ顔なのは今日ここに入ったからだろうな」
「そうなのか……」
「田舎もんだけどよろしくな! ……さあ行くぜ安陳」
原田と名乗った男は、小坊主を連れてどこかへと行ってしまった。まさか子連れという訳ではないだろう。
(龍久……お前、今どこにいるんだ?)
夕焼け色に染まった空を見上げながら、藤田は別れた親友の事を考えるのだった――。
江戸 某所。
部屋に明かりもつけずに、宵闇の中に身を投じる一つの影があった。
白髪白皙の剣士、雪である。
「……雪はん、もうすぐ戦じゃ」
襖の向こうからそう声をかけたのは、新政府軍を率いる将、大村益次郎である。
その言葉を聞いて、雪はゆっくりと目を開けた。
「……あはっ」
雪は嬉しそうに微笑むと、至極楽しそうにその続きを発した――。
「武士は、皆殺しだ」
朝もやに覆われた道を駆ける、一頭の馬の姿があった。
馬にまたがっているのは、龍久と菊水である。
「どうにか日光まで戻って来たか……くそう、遅すぎる」
あと七日で上野まで行くのは無理だ、このままでは藤田と雪が戦ってしまう。龍久よりは焦ってしまう。
「くそっ、行きますよ菊水さん」
「駄目だよ龍久君」
手綱を引こうとした龍久の手を、菊水が抑えた。なぜ邪魔をするのか龍久には理解できなかった。
「龍久君、もうこの子は無理だ、昨日からろくに休まないで来たじゃないか、この子はもう疲れ果ててるんだ」
それは二人がまたがっている馬の事である。確かに速度も大分遅くなっているし、何より手綱を引いても動こうとしなかった。
ようやく気が付いた、頭の中が他の事でいっぱいで目の前の状況が分からなくなっていたのだ。自分がどれだけ冷静ではなかったかようやく分かった。
「……菊水さんもすいません、ほとんど休んでないですよね、俺焦ってて」
「良いんだ、それよりこの子から降りてあげよう」
馬は二人が下りると、その場を動かなくなってしまった。
ずいぶん無理をさせてしまったのだと、ようやく理解した。焦りすぎて馬を失っては残り七日でたどりつくなど、夢のまた夢になってしまう。
「龍久君、しばらく眠ろう昨日からろくに寝てないだろう」
「でも……」
「この子はまだ動けない、山道を行くには体力もいる、これは必要な睡眠だよ」
菊水はそういうと、龍久の頭を撫でた。
まるで母親に撫でられている様な、心地よい気持ちになれた。
「……わかりました、ちゃんと寝ます」
龍久が言われるがまま草の上に横になると、眠気はすぐに襲って来て、あっという間に吐息を立てて寝てしまった。
「…………さて、『みんな』が来るまで僕も寝よう」
菊水も大きな欠伸をすると、たちまち寝てしまった。
龍久が目を覚ますと、朝もやが晴れて太陽が顔を出していた。
(あれ……なんで俺草の上で寝てるんだ?)
寝ぼけた頭ではここがどこなのか分からない。しばらく呆けていると茂みの中から一頭の鹿がやって来た。
「うおっ……なんで鹿が」
山であるのでいても可笑しくはないのだが、こんな風に人間の近くへとやって来るのは稀な事であろう。
立派な角を有した雄の鹿は、龍久を恐れる事無くこちらへと歩み寄って来た。
「きっ菊水さん、菊水さん起きてください!」
完璧に目を覚ました龍久は、隣で寝ていた菊水を起こした。大きな声を出してもやはり鹿は逃げ出さず、龍久と菊水を乗せて来た馬の元へとやって来た。
そしてまるで挨拶でも交わす様に、体を摺り寄せあった。
「……う~ん、おはよう龍久君、よくねれたぁ?」
「菊水さん、そんなのんきな事言ってる場合じゃなくてですね、鹿が居るんですよ!」
眠たい目をこすりながら、菊水も鹿の方へと目をやった。すると何を思ったか、鹿が彼の元へとやってきて首を垂れた。
それはまるで、高貴な人に礼をしている様にも思える光景だった。
「よかった、来てくれたんだねぇ! ありがとう、他の『みんな』にも伝えてあるんだね」
「ちょっ、菊水さんこの鹿の事知ってるんですか?」
「ううん、初めて会う鹿君だよ……あの子の代わりにこの子が僕達を送ってくれるって!」
「ええっ鹿が俺達をぉ!」
驚きながらも鹿に目をやる、まるで乗ってくれと言わんばかりに大人しく立って居るが、馬と違い鹿である、そうそう乗りこなせるとは思えない。
「大丈夫だよ、あの子の鞍をこの子に付け替えてくれ、手綱は可哀想だからつけないであげてね」
龍久は半信半疑ながらも、言われた通りに鞍を付け替え始める。
(でかいなぁ……それにしても鹿に乗れるのかぁ?)
馬よりも大きい雄の鹿、嫌がるかと思ったら抵抗する事なく、簡単に鞍を付ける事が出来た。
「それじゃあ日光を超えよう、龍久君手を貸して」
「あっはい……でも本当にこの鹿に乗れるんですか?」
龍久の手を借りて菊水が立ち上がると、今度は鹿へとまたがろうとする。
「だってこの子が乗っていいって、言ってるんだよっ、よっ……いよっいしょっ」
なかなか乗ることが出来ない彼を手助けして、何とか鹿に跨らせる。
「さっ龍久君も乗って、今度は僕が前に乗るから、しっかり捕まっててね」
「……はあ」
不安ながらも、言われるがままに鹿に跨った。菊水は鹿の角をしっかりと掴んだ。
「ここまでありがとう、君はご主人様の処へ帰るんだよぉ!」
ここまで乗せてくれた馬にそう言うと、馬は本当に言葉を理解した様にトコトコとどこかへと歩き出した。
「龍久君、しっかり捕まっててね!」
「えっ? うおおおおおうっ」
すると鹿が突然走り出して、鬱蒼と草木が生い茂る日光へと入った。
馬とは違い、どこか跳ねる様な感じの乗り心地で、何より違うのはその速度だった。木々の間を掛ける時、まるで木が避けている様に感じさせるほど鹿は一切速度を落とさず走り抜けている。
(すごい、この人本当に何者なんだ!)
振り下ろされまいと、必死に菊水にしがみ付いた。あんなに頼りなさそうだった彼が、今は頼もしくて仕方がなかった――。




