三八話 遷移の者達
甲州勝沼の戦い。
後の世でそう呼ばれるこの戦いは、幕府側の惨敗であった。
三月一日に江戸を経った『甲州鎮撫隊』は、悪天候で進行を大幅に遅らせた。残雪がある中大砲二門をひいて、目的地であった甲府城へ到着したのだが、城は既に、新政府軍によって占拠されていたのだ。
土佐藩板垣退助率いる新政府軍三〇〇〇。一方で『甲州鎮撫隊』は三〇〇と言う、あまりにも大きすぎる兵力差であった。
その兵力差に怖じ気づき、夜の内に隊士達の過半数が逃亡して、新選組の戦力は一二一にまで減少した。
土方が援軍を呼びに奔走し、それまでなんとか戦闘は避ける様に言うが、そんな思いとは裏腹に、援軍も無いまま三月六日に開戦となってしまった。
圧倒的すぎる戦力差、元より難しいとされている城攻め、士気の低さにより、兵は更に脱走し、もはやこれ以上の戦闘は不可能となり、八王子へと退却したのであった。
その報告を受けた龍久は、開いた口が塞がらなかった。
敵を前にして逃げるなど武士にあるまじき行為だ、そんなこと真の武士の行いではない。
「……龍久、お前の言いたい事は分かるが、これが現実だ」
斎藤がそう龍久に言い聞かせるが、受け入れられるはずがなかった。
苦汁を味わった鳥羽伏見より酷い戦い、怒りを通り越して呆れてしまった。
「何なんですかこの有様は、天下の幕府の軍勢が……こんな」
「……話によると、勝海舟殿は俺達を江戸から遠ざける事が目的だったと言う事らしい」
「遠ざけるって、それじゃまるで俺達が邪魔者みたいな言い方……」
斎藤の眼を見て龍久は理解出来た、みたいな言い方ではないのだ、そう言っているのだ。
この頃江戸城では、『抗戦派』という新政府軍に反発する派閥と、『恭順派』という新政府軍に服従しようという、二つの勢力が揉めていた。
江戸城を開城し、新政府軍を受け入れようとする『恭順派』の動きに、江戸城に籠城して徹底抗戦を望む『抗戦派』に分かれているのだ。
新政府軍に従おうとする『恭順派』にとって、新政府軍に酷く反発している新選組は邪魔なのだ、だから『恭順派』の勝海舟は、新選組を甲州にやったのだ。
「ろくに戦えない兵で……こんなの酷過ぎる!」
龍久は悔しさから、下唇をかみしめた。そんな龍久を気遣ってか斎藤は話題を変える。
「総司はあれから誰とも会っていないのか?」
「はい、何度か見舞いには行ったんですけど……どんどんやせ衰えて、暴言も酷くなる一方で……」
話を変えようと沖田の事を引き合いに出したのだが、逆効果となってしまった。
斎藤が、他に何かよい話題は無いだろうかと考えていると、新八と原田が縁側を歩いて来た。
「新八さん、原田さん、お二人ともどうしたんですか?」
先ほどまで近藤と土方と何やら話をしていた様だったのだが、どうやら終った様だ。
甲州から帰って来て何時もの騒がしさが無くなっていた二人、今夜あたり近くの飲み屋でも紹介しようと思っていた所だった。
「龍久……頑張れよ」
新八が何時になくしおらしい顔で、そう言うとすたすたと歩いて行ってしまった。
「どうしたんですか新八さん、なんか食あたりでもしたんですか?」
「……そうじゃねぇよ、そうじゃねぇけど……」
原田がそう哀しそうに新八の方を見ていた。
そして視線を龍久へと移して無理矢理微笑んだ。
「色々あんだよ、近藤さんにもあいつにも……」
それから数日経った、三月一二日。
龍久は、ご飯の小魚を床に落とした。だがそれを拾う事さえもできないほど驚いていた。
眼を見開いて、酷く驚いていた。
「新八さんと原田さんが……除隊する?」
この日、永倉新八と原田左之助は、結成以来からの同志であった近藤と袖を分かつ事と相成った。
龍久がその話を聞いたのは、正に二人が出て行くその時だった。
「ちょっちょっと待って下さい、なんで二人が除隊するんですか!」
「落ち着け龍久、あいつらがそれを望んだんだ」
土方がそう言うが、龍久には納得できない。
平助の時と言い、つくづくこういう事を知るのが遅すぎる。
「近藤さん良いんですか、あの二人はずっと新選組を支えて来たんでしょう、それなのにこんな所で別れるなんて……」
そう近藤に聞くが、彼は先の敗戦がよほど響いたのか、何時ものお人よしの笑顔は何処かへ行ってしまい、とても落ち込んでおり表情が暗かった。
「……彼らとは、十分に話し合いをした結果だ……いたしかたない事だ……」
こんな弱気の近藤の言葉、龍久に響くはずも無く二人の元へと駆けだした。
「新八さん、原田さん!」
さんざん屯所の中を捜し回って、自室で槍の手入れをしている原田と、すっかり身支度を済ませた新八を見つけた。
「おう龍久、どうしたんだ?」
「どうしたじゃないですよ! 除隊するって本当なんですか!」
興奮していていきなり本題を口にしてしまったが、それを聞いた新八からは笑顔が薄れて少し気まずい表情になる。
「ああ……本当だ」
新八の顔は至って真面目で、一欠けらの偽りも無かった。
そんな彼の顔を見せられては、反対しようにも上手く口が動かなくなってしまう。
「正直に言うと……俺もう近藤さんに着いていけなくなっちまったんだ……近藤さんは片田舎の貧乏道場の主だった頃からの仲間だ、一緒に苦楽を共にして、京都へ行って新選組として行動したのは、あの人の傍が心地よかったからだ、あの人馬鹿みたいにお人よしだろう? でも、幕府に少し褒められて良い気になって、甲州で大名になるとか、俺達は家来だとか……なんか、そう言うの嫌なんだ」
それは龍久が知らない事だった。
あの近藤が、大名と名乗り隊士達を家来と呼ぶなど、考えられなかった。
何時も仲間を気遣ってくれて、立派な大将だったのだ。それがなぜそんな事をいったのか、全く意図している事が分からない。
「……まぁ、元々土方さんと上へ駆けのぼる事だけを目標としてたからなぁ……眼先の欲に眼がくらんじまったのかもしれねえな……それにあの人のしたい戦いが出来る時代はもう終わっちまったのかもしれねぇなぁ」
ただ突撃して敵の首を撥ねればよいと言う時代はもう終わってしまった、これからは戦法を練り、銃で戦う時代なのだ。
もう己の武術だけで成り上がれる時代は終わってしまったのだ。
これからは適応できる人間だけが生き延びられる時代なのだ。
「龍久……お前来るか?」
「えっ!」
新八の突然の誘いに、一瞬戸惑った。
この二人にはずいぶん世話になったし、親しい間柄だ。別れるのは惜しい。だが近藤や土方とも別れるのも惜しい、故にどちらとも言えなくなってしまった。
「何言ってんだよ新八、龍久には愛しのお姫様がいるんだぞ、此処から離れちまったら意味ねぇだろう?」
「ちげぇねぇ、愛しのお姫様がな」
「ちょっとぉ、茶化さないで下さいよぉ!」
顔を真っ赤にして照れている龍久に、原田は真剣な表情で切り出した。
「お前には話しておこうと思うんだが、甲州の戦いの時に彼女は見なかったが、あの山崎の皮を被った糞野郎を見かけだぞ」
「玉藻をですか!」
あの富士山丸での出来事が、頭の中を一瞬で駆け廻った。怒りがふつふつと湧き上がって来た。
「別に攻撃はされてなかったし、なんせ遠くだったんでなぁ、確証もねぇがあれは間違えなく誰かを探してたぜ」
誰かを探す、真っ先に浮かびあがったのは雪の顔だった。
あれから雪の足跡が分かっていなのは、どうやら自分だけではなく玉藻もなのだ。
それを聞いて、少しだけ安心できた。
「本当にあいつだったのか? 俺は正直そう思えなかったぜ」
原田の言葉に新八が口を挟んだ。だが自信がないのかうんうんと悩みながら話した。
「なんつーか、その雰囲気って言うか、表情っていうかぁ……あっ服が違った!」
「服が違うのなんて当たり前だろう、それに俺達があいつに会ったのはあの時だけなんだ、口ではあんな事言ってたが、腹の中で何考えてんのかよくわかんねぇ奴かもしれねぇぞ、人間本音と建前ってのがあるもんなんだからよ」
雪を『天皇』にして、よりよい未来に世界を変えようとしていると言っていた、未来が見えないから何とも言えないが、確かに何か裏があっても可笑しくないかもしれない。
「龍久、俺達はここを離れるが、俺たちなりに薩長の奴らと戦うつもりだ、だから近いうちにまた会えるさ」
そう言って暗い顔をしていた龍久に、新八は言葉を掛けてくれた。
そんな彼を見ていると、考え直せと言う訳にも行かずに龍久は二人を見送る事にした。
「……五年間有難うございました、お二人に手ほどきを受けた事、俺絶対忘れませんから」
そう深々と頭を下げた。
外では桃の花がその香りを漂わせているのに、龍久の心持ちはその様に華やかにはなれなかった。
新八と原田は、幾人かの隊士と共に新選組を後にした。
龍久は彼らの姿が見えなくなるまで見送っていた。
「皆、いなくなっちまうのかなぁ」
まだ平助がいて、沖田が病気ではなく、山崎が生きていた頃を思い出す。あの頃は毎日が楽しかった様に感じられる。
「……はぁ、葛葉何やってるんだよ、早く来て状況を説明してくれよ」
もう龍久の頭は破裂してしまいそうだった。
元々あまり勉学という事が得意ではなかった事に加え、全く持って理解に困る『神』だとか陰陽師の事、更には政治についての事を持ちこまれて、もはや龍久の脳ではこれを処理できなくなっていた。
「あんた、此処の人かい?」
見知らぬ男が声を掛けて来た。見ると飛脚の様で手紙を持っていた。
「この手紙なんだが、南雲龍久って人ここにいるかい?」
「あっ、それ俺です」
飛脚から手紙を受け取ると、龍久は差出人の名前を見る。
すると、随分綺麗な字で葛葉と書かれていた。
「葛葉から! あいつ手紙なんて……」
彼から文を貰う事は初めての事だった。一体何があったのか、緊張しながら手紙を読む。
『南雲龍久殿へ
前略、あれから随分待たせてしまったが、貴殿はお元気だろうか。
此方は少々困った事に相成り候、先の戦闘の怪我により、しばしの間合流致さず候。
生命に問題なく心配これなく候。
いずれ貴殿と合流致したく存じ候、今は先へと進まれ己の敵を打ち滅ぼされべく候。
貴殿の無事を願ひ候。 草々』
至ってまともな手紙が、事の深刻さを教えてくれた気がする。
二月も治らない怪我と言うとかなりの怪我で有ろう、もしかしすると玉藻との戦いのせいでとも考えて心配になったのだが、便りがあったのが何より嬉しい。
「先に進んで、自分の敵を倒せか……」
敵というのは、新政府軍の事なのだろう。
奴らは間違えなく江戸へと向かって来ている、時期にこの江戸も戦火に巻き込まれてしまうのかも知れない。
「何時までも、悩んでじゃ駄目なんだ」
龍久はそう心に刻む様に呟くと、空を見上げて歩き出した。
***
それからしばらく後、大身旗本藤田家に一通の手紙が届いた。
差出人は龍久で、藤田はそれを近くの団子屋で虎道と一緒に読んでいた。
「……薩長の奴らは強い、油断するな……か」
手紙には鳥羽伏見での自分の教訓と、命を無駄にしてまで戦うのは可笑しい、むしろ危うくなれば逃げる事も策の内と、龍久らしくない随分冷静な意見が書いてあった。
「兄さんこれからどうなるんですか……藤田さん」
「……手紙には流山に行くと書いてあった、出来るだけ文を出すとは書いてあるが、まあ怪しい所だな」
この五年ろくに連絡を寄越さなかったのだ、龍久は元々文を書くのが好きではない、それを知っている藤田は大して期待はしなかった。
(そんなあいつが文を寄越したんだ、よほど伝えたかったんだろうな……)
藤田はその忠告を胸にしまう事にした。新政府軍と戦った者の意見は尊重しなければなるまい、藤田は空を仰いで親友を思いながら呟いた。
「龍久……死ぬなよ」




