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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第一部 江戸編
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三話 螢のように…

 それから二人は友達になった。

 雪光の女としての悩みを聞いてくれるし、とてもいい友達だった。

「お時っ、道場の帰りに菓子を貰ったんだ! 一緒に食べよう」

 道場の道具を下げたまま、洗濯物を取り込んでいたお時にそう言った。

「雪光さん、もう道場からお帰りになったんですね」

「うん、お時と一緒に菓子を食べようと思って走って帰って来たんだ!」

 まるで幼子の様に楽しそうに微笑む雪光を見て、お時は正直笑ってしまった。だが足元にある洗濯物を見ると、まだ休めそうにない。

「でもウチはまだ仕事がありますので、雪光さんお一人で食べとってください」

「嫌だよ、お時と一緒が良いんだ、この洗濯物片付けてしまえば良いんだろう、僕も手伝うよ」

 そう言うと、奉公人の仕事を何の躊躇いもなくしはじめる。

 お時が止めるが聞く耳を持とうとはしなかった、しぶしぶこの仕事を終わらせる為に手を動かし始めたのだが――。

「雪光! お前何をやっているんだ」

 振り返ると、酷く怒っている龍久がいた。

 なぜ怒っているか分からないが、こちらに近づいて来てお時の方を睨んだ。

「お前、使用人の癖に雪光に手伝いをさせているのか!」

「違うよ、僕が勝手に手伝っているんだ、お時は何も悪くない」

 彼女を庇う雪光を見て、龍久は驚いた。

「雪光お前はこの家の客人なんだぞ、そんなお前が奉公人の手伝いなんてするな」

「なんでだい? 僕はただお時と菓子が食べたいから仕事を手伝っているんだ、それの何がいけないんだい?」

 こういう理屈が伝わらないのが彼の特徴だった。藤田の時もそうだったが、こういう常識が抜けている所がちらほらある。

「あっあのなぁ……雪光、普通に考えてお前が今やっている事は変なんだよ……」

「普通ってなんだい? お時の手伝いをする事は普通じゃないっていうのかい?」

 龍久はただ、彼の強情さに頭を抱えるばかりだった。

「何やっているんだ龍久に雪光」

 遊びに来た藤田が、声を掛けて来た。お時を雪光が庇っている所を見て不思議そうな顔をする。

「ああ藤田、雪光がまた訳のわからない事を言っているんだ」

「そんな事何時もの事だろう、こいつはな何時だって可笑しな事を言うんだ」

「可笑しくないよ、僕はお時と一緒に菓子が食べたかったから仕事を手伝っているんだ!」

 十二分に可笑しな事を言っているのだが、藤田は言葉には出さず大きなため息をつくと、二人の後ろを指差した。

「もうその仕事とやらは終わっているから、こんな馬鹿げた言い合いは終わりにしろ」

 振り返ると、全ての洗濯物を取り込み終えたお時がいる。

「ウチの仕事は終わりましたし、龍久さんも雪光さんもケンカは止めたって下さい」

 そう言うと洗濯物を手に持って、お勝手場の方へと向かって行った。

「ああ、ついでに俺達に茶を頼む」

「あいわかりました」

 すたすたと向かうお時を見て、雪光は声を掛けたくても口から出なかった。

 そんな彼を見て、龍久はなんだか苛々した。

(一体何時こいつらは仲良くなったんだ)

 この数日ずっと一緒にいたが、本当にいつの間にか仲が良くなっていた。きっかけなどどこにもなかったはずなのに。



 三人は客間で茶の到着を待っていた。

 龍久は、お時の到着をまるで子供の様に楽しそうに待つ雪光を見て、なんだか苛々して来た。なぜこんな気持ちになるのか、わからないまま――。

「……龍久お前酷い顔だぞ、腹でも痛いのか?」

「ちがう……、ただあの奉公人がやたらと図々しいのが気になるだけだ」

 そう言いながらも視線は雪光の一挙手一投足に釘付けで、藤田には手に取る様にわかる。

「雪光何時からあの娘と仲良くなったんだろうな」

「知るか、こっちが聞きたい! 知らない間にそうなっていたんだ」

 龍久の苛々は治まる事はなく、お時が茶を持って現れると、その怒りより膨らむ。

「おまたせしました、どうぞ」

 お時を思い切り睨みつけると、茶を奪い去る様に受け取った。そんな彼に呆れながらも藤田は茶を啜る。

 縁側に腰を掛けて共に菓子を食べる雪光とお時。そんなほほえましそうな二人を見てより一層爆発しそうになっている龍久。

 そんな彼を見て、藤田はある提案をする事にした――。

「龍久、これから予定はないよな?」

「なんだ、『無い物買い』なら父上に止められているぞ……」

「いや、そうじゃなくてだな……」

 耳打ちをすると龍久の顔は次第に綻んで、にやりと笑った。それを見て藤田も笑った。

「江戸かりんは初めてたべましたけど、こんなにおいしいもんやったんですね」

「えへへっ、また貰ってきてあげるよ」

 楽しそうに笑う二人の間を裂く様に、龍久は雪光の手を掴んで引っ張った。

「雪光! 今から出かけるからお前も来い!」

「えっええっ、じゃっじゃあお時も一緒に――」

「ダメだ! 女は来るな」

 お時を睨みながらそう言うと、雪光の手を藤田と共に引っ張って無理矢理連れて行く。そんな彼を彼女は寂しそうに、小さく手を振って見送った。




 日が暮れ宵闇がやって来たというのに、眼が眩むような明るさがそこにはあった。

 吉原。

 まるでそこだけ世界が違う様に、沢山の人々と明かりが有った。女人禁制のこの地は、当たり前だが雪光にとって、これが初めての登楼(とうろう)だった。

「うわ~~、すごい此処が噂の吉原か」

 話では聞いていたが、こんな所だとは思わなかった。絶対に自分はこの中には入れないと思っていたので、こんな場所では在ったもののそれなりに興奮を覚えた。

 案内されるがままに引手茶屋(ひきでぢゃや)に入り、そこから店へと向かった。部屋で待っていると、次々に女子が入って来て雪光は面喰ってしまった。

(すごい化粧した女の人がいっぱいだ……)

 年は雪光と同じぐらいかそれ以上の女子共で、振袖や留袖(とめそで)と呼ばれる新造(しんぞう)であり、一般的にこのくらいの年でなる遊女である。

 床に就く事はなく、このように酌の相手をしたり芸を披露したりするのが主な仕事だ。

「どうだ雪光驚いただろう、コレが男の金の使い方だ」

 そう浴びる様に酒を飲んでいる藤田が言った。果たしてこの調子で飲んでお金の方は足りるのだろうか。

「あらあら、可愛い殿方がおりますなぁ」

「あらほんに、お名前は何というんでありんすか?」

 良く分からない内に、年上の新造達に囲まれてしまった。同性で有るはずなのになんだか恥ずかしくなってしまった。

「えっと……雪光って言います」

「なんだなんだ、雪光お前恥ずかしがってるのか! 道場一の(つわもの)も、ここに来たらただの青臭い坊主だな、あははははっ」

 そう龍久が皮肉を言う。そんな彼ももう徳利を何本も開けていて、すっかり出来あがってしまっているのが分かる。

 自分も先ほどから飲んでいるのに、全く酔いという物が感じられない。自分のだけ実は水なのではないだろうかと疑っているのだが、酒の香りは漂ってくる。

「雪光さん本当におつよいんですなぁ、もうあちき惚れそうでありんす」

「ずるいでありんす、あちきもお酌をしたいです」

 そう言って両脇で雪光の腕をがっしりと掴む新造達。他にも幾人かの女子がやって来て皆雪光の頬やら首筋やら髪やらを触って喜んでいる。

「雪光さんの頬やわくてほんと、わらしみたいでありんす」

御髪(おぐし)も本当に綺麗で、絹糸みたいでうらやましいでありんす」

「姉さん達ばっかりずるいです、あちきにも触らせて下さい」

「あん、ずるいずるい、あちきも――」

 すっかり遊女達の遊び道具になってしまった雪光。これだけの女子に囲まれているのだが、勝手に色々な所を触られるのは嫌だった。

(一体何が楽しいんだ!)

 登楼してくる客のほとんどは、彼女達より年上で、こうやって同い年かそれ以下の客が来て嬉しかったのだ。特に雪光など可愛らしい容姿をしているものだから、みな人形で遊ぶ様にして彼に群がったのだ。

「たっ龍久、助けてくれよぉ!」

 そう友人に助けを求めるのだが、龍久はすっかり出来上がっていて、相手をしている女子と楽しそうに談笑している。

 その見せつけ具合と言うのは、ずいぶんな物で自分より年上の女性の肩を抱いて、楽しそうに笑っている。相手の女性もまんざらではない顔をしているのが、より感に触る。

「あああっもう、僕は玩具じゃないんだぞぉ!」

 群がっていた新造どもを蹴散らすと、一人外へと向かう。

「あっおい雪光、どこ行くんだ」

「厠!」

 そう言い残して思い切り障子を閉めてやった。

 外に出ると、同じ様に何組もの男達が、遊女に鼻の下を伸ばしている。そんな光景を見て雪光は腹立たしくなった。

 だがこんなにも楽しそうにしている『男』達を見ていたら、ふと、自分が『男』ではない事を思い出してしまった。

(私は、違うんだったっけ……)

 自分は男の格好はしているけれど、女を好きになる様な事はない。かといってこの格好のままでは男を好きになる事も出来ない、今のこの『雪光』のままでは――。

 だが『雪』に戻るも嫌だった。『雪光』はこんなにも自由で楽しいのに、ただ一つ年頃の女子が思う様な、恋だけは出来なかった。

 そう考えると寂しくなって、厠ではなく店の外へと出て来てしまっていた。

 自分は違う、そう思うともう吉原が何だか楽しい物にも思えなくなった。たださびしい気持ちでいっぱいになっている時――。

「あれ、雪光さんやないですか」

 出口のすぐ横で、お時が待っていた。どうして女人禁制の吉原の前で待っていたのか、でもお時の顔を見ていたらそんな疑問よりも、今自分の胸にある寂しさが募って来てどうしようも無くなって来た。

 ただ無言で、お時に抱き付いた――。

「どっどうしたんですか? 雪光さん」

 何も言えずただお時の胸に顔をうずめた。その辺に歩いていた者はこういう場所という事もあり、面白そうに見物しているが関係ない。

「……辛くなったんどすね、此処はそう言う場所やから、ウチらには嫌な場所や」

 ただ無言で頷くと、お時は雪光の頭を撫でてくれた。

 そんな二人を、遊郭(ゆうかく)の煌びやかながらも妖艶(ようえん)な光だけが照らしていた――。



「えっ、雨が降りそうだから傘を持って来たの?」

「ええ、せやから皆さんが出てくれまで此処で待っていようかと……」

 それは藤田と龍久の事だった。一度遊郭の方を睨むとお時の手を取って歩き出した。

「良いんだあんなバカ久なんて、遊女なんかに鼻の下伸ばしてさ、世帯を持たないで遊びまくるのが武士の姿だっていうんだからね、雨にでも打たれちまえばいいんだ」

 頬を膨らましながらお時の手を引き歩く雪光は、とても子供ぽかった。お時はそんな雪光を弟でも見る様な眼で見ていた。

「でもええの? 龍久はんとはお友達なんでしょうに」

 河原を歩く二人、他に人の姿はなく雪光の持つ提灯(ちょうちん)だけが唯一の明かりだった。

「まぁ……そうだけどさ、でれでれに鼻の下伸ばしてる奴なんて嫌いだ」

 まるで牛蛙の様に頬を膨らませる彼を見て、お時はくすくすと笑った。そんな彼女を見ているとなんだかこちらも吊られて笑ってしまった。

「……雪光さん、もしかして龍久はんの事好きなんですか?」

「えっ」

 その問いはあまりに唐突だった。

 からかっているのかとも思ったが、お時の眼は真剣だった。そんな彼女を見ていると、なんだか笑う事も出来なくなって俯いた。

「……分からないよ、私は今まで人を好きになるって事無かったんだ」

「でも、龍久はんが他の女の人と仲よおしてるのは嫌なんやろう?」

 確かにそうだった。

龍久が、遊女と遊んでいるのを見て、腹を立てた。

 龍久に、恋人がいないと聞いて、喜んだ。

 龍久が、自分の事が嫌だから婚約を解消したのではないと聞いて、安心した。

 龍久の行動一つ一つが、自分の胸を熱くしたり締めつけたりする。

 コレが――――恋? 

(いや、ダメだ! 龍久を好きになるなんて、絶対にダメだ!)

 雪光は頭を振ってそんな煩悩を吹き飛ばした。

「あっ、雪光さん見て!」

 煩悩を吹き飛ばしている雪光の肩を叩き、お時が河原の方を指差した。

 夜の闇の中にぽつぽつと輝く淡い光が見えた。

 アレは夏の夜の風物詩とも言える、

「螢だ! お時、螢がいるよ! もっと近くで見ようよ!」

 話題を変える為螢の光の方に向かう。

 淡く光るその光は、なんとも言えない美しさで、所々でついては消える光が切なさというかわびしさというか、兎に角風流な気持ちにさせてくれた。

「綺麗やわ~~、まさか江戸まで来て螢を見られるなんて思いまへんでした」

「そうだね、僕も上野で蛍を見るなんて考えてなかった……もう夏なんだね」

 南雲家に来て何時の間に五月も経っていた。

 すっかりなじんで上野の風景にもあまり興味を示さなかったが、この日ばかりは違う。

 遠くの方で、吉原の明かりだけがぼんやりと煌めいているのが見える。

 なにもない闇を照らすのは同じはずなのに、なぜだか雪光には、今目の前にある燐光の方が、ずっと良い物に見えた。

「あははっ、ほら雪光さん指に乗って来ましたで」

 そう言って指に止まった螢を見せて来た。

「螢の光はね熱が無いんだ、暖かくない光って思うとなんか切ないね……」

 雪光は指に止まっている螢を見ながら辺りを見渡す、あの暖かい吉原の光とは違ってこちらはなんとなく冷たい。男しか入れないあの吉原はあんなに暖かな光に満ちているのに、此処には螢の冷たい光しかない。

 なんだか今の社会を現わしている様だった。

「なんだか雪光さんみたいやね」

「えっ」

 それは自分が冷たいと言う事なんだろうか、かなり衝撃を受けていると、お時がその続きを口にした。

「雪の光って、冷たいけど綺麗やないですか、ウチ雪の光好きですよ……、別にあんな風に光らなくてもええんですよ、こういう風に光ってええやないですか、雪光さんは無理してあんな風に光らないで、自分の思う通りに光って下さい、ウチはそんな雪光さんの事をずっとみてますさかい」

 お時はそう笑っていうと、まるで待っていたかのように、螢達が一斉に飛んだ。

 光はまるで尾を引く様に美しく飛び回っていた。

「これは火垂(ほた)るやね、ほんま綺麗やわ~~」

 目を輝かせてそれを見るお時。雪光もその光景を見つめる。

 まるで光が垂れている様に尾を引くこの姿は美しすぎて言葉が出なかった。

 あの光と違くとも、美しく輝く事は出来る。確かにその通りだった。

(お時、私は螢の様に光るよ)

 親友の横顔を見ながら、雪光はそう誓った。

 螢の群れはそのまましばらく、輝き続けた。


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