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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第三部 維新編 
38/74

三六話 追憶の故郷

 新章突入です!

 江戸にもどってきた龍久、しかし戦局は徐々に悪化していく。

 旧友との再会に、新たな出会い――。

 『神』争奪戦の行方と、龍久と雪の『運命』は?

 激動の幕末の物語、開幕に候――。

 こうして男と女は再びすれ違ってしまった。

 女はどんどん先へ進んで、もはやどこへ進んでいるかもわからない。

 男は更に置いて行かれて、進む事も出来ずに悩み続けている。

 ほんと馬鹿な奴らだ、君もそう思うだろう?

 でも問題はこれからだ、運命の名の元に物語は動き始めてしまったのだ。

 さあ、最後の物語を始めようか。

 『夜叉』へと変じる神の子、彼女を『皇』にしようとする陰陽師、それを阻止しようとしている陰陽師、『鬼』と呼ばれた一人の誠の武士。

 そして彼女をずっと想い続けている男。

 彼らが生きたこの時代の終焉の物語を、始めるとしよう。

 さあ、続きを読んでくれ。この数奇な運命の物語を、な?



***



 慶応四年(一八六八年) 三月 江戸。

 龍久は四年ぶりの江戸の地を歩いていた。町並みや喧騒は相変わらずだった。

 何一つ変わっていない故郷の上野はとても懐かしかった。

「……皆、大丈夫かな」

 そう空を仰ぐ彼には、周囲からの視線が向けられていた。

 それもそうだろう。今龍久は髪を短く切り揃え、洋服を着ているのだから――。



 今から数日前の事。

「えっ……、ひっ土方さんその格好!」

 臨時の屯所で呼び出しを受けた龍久は、酷く驚いた。

 そこには西洋の服を身に纏い、長い髪を切って、まるで西洋人の様になってしまった土方がいるのだから――。

「龍久か、ほらお前の分だ」

 土方がそう言って龍久に洋服を渡すのだが、当の本人は理解できなかった。

「なっなんでそんな恰好してるんですか、ていうか髪は!」

 その様な短い髪では髷など結えない。髷は武士にとって大切な物のはずなのに――。

「先の戦いで分かった……刀や槍の時代は終わったし、ただ突撃して敵を斬ればいいっていう戦法が出来る時代も終わった……これから銃の時代で、戦術を用される時代だ」

 鳥羽伏見の戦いでは、新政府軍は西洋の装束に身を包み、戦闘も銃を主体としていた。それを考えると、対等に戦うには同じ装備をするべきなのかもしれない。

「土方さん、嫌じゃないんですか……こんな恰好」

 旗本生まれの龍久には、この様な格好は受け入れられなかった。

 まるで異国に屈する様で、武士としての誇りがそれを許せなかった。

「俺は良いとこの武士じゃねぇ、片田舎の薬売りだったんだ、良い物は取り入れる、例えそれが敵と同じものでもな、くだらねぇ自尊心で負ける訳にはいかねぇんだ」

 土方は、江戸の外れ日野という所で生まれた。武家ではなく農家である。

 それが武士になる事だけを望んで、こうして一軍を率いるまでになったのだ。龍久とは考え方が違って当たり前なのだろう、始めから何もかも恵まれていた自分が酷く幼稚で愚かに見えてしまった。

「おっ、龍久おめぇは着ないのか?」

 新八と原田、そして斎藤もやって来た。三人とも龍久よりも先に洋服を着て、髪も切っていた。

「着てみると案外楽だぜ、でもこのボタンって奴は苦手だけどな」

 原田はそう言ってボタンを指差す。確かにボタンは扱いにくかった。

「副長、局長が戻られました」

 斎藤がそう報告すると、何時も通りの和装の近藤がやって来た。局長がやって来たので新選組隊士は皆大部屋へと集まった。

「皆長い間すまなかったな、次の戦いからは俺が指揮を取る」

 肩の怪我も癒え、大将の復帰に皆歓喜した。負け戦続きで、すっかり消沈していた隊士達にも希望の色が見え始めた。

「先ほど江戸城に行って来た、そこで勝海舟殿から直々に命を受けて来た」

 勝海舟と言えば、海軍奉行並の役職についている幕府の重役だ。そんな人物からの直々の命令となると、皆畏まってそれを聞いた。

「本日より俺達は『甲陽(こうよう)鎮撫隊(ちんぶたい)』と名を変え、甲府の守護に着く事になった」

「俺達はこれから東海道を北上してくる薩長の軍を甲州で迎え撃つ、その為の小銃五〇〇挺、大砲二門、そして金五〇〇〇両を賜った」

 近藤の言葉に、土方が補足を入れた。

 鳥羽伏見での敗走より二月あまり、今度こそと思っている者も少なくは無い、もちろん龍久だってその一人のつもりだ。

 だが、そうは思っていない者も少なからずいた。

「近藤さん、本当に甲州に行くべきなのか? 俺は江戸で決戦の時を待つべきだと思う」

 口を開いたのは意外にも新八だった。

 一番に賛同すると思っていただけに、近藤も酷く驚いた様子だった。

「近藤さんは先の戦いに参加してねぇからわからねぇだろうが、薩長の武器や統率は進んでいる……、そんな相手にたったこれだけの人数で挑むのは無謀すぎる」

「兵なら心配ない、新しく隊士を募った所二〇〇名も入隊した、彼らと共に薩長を倒す」

 二〇〇名。この江戸でも『新政府軍』に対抗しようと、自ら入隊を希望する者達がいた。元々新選組の出身は江戸だ、それだけ受け入れられていると言う事なのだろう。

「正気か、ろくに戦った事もねぇ奴らをいきなり戦線にブチ込むのか! 俺は反対だ!」

 新八が声を荒らげてそう反論する。

 そんな彼の言葉に、普段は温厚な近藤が眉をひそめた。

「彼らは立派な武士だ、その様に言う物ではない」

 静かに言っているが怒っているのは痛いほどわかる。そんな彼を見て新八もこれ以上の追及は止めて大人しく口を閉じた。

「勝てば甲府を頂けるそうだ、これで一国一城の主だ」

 そう言って笑う近藤だが、龍久はなぜか素直に喜ぶ事は出来なかった。

 なぜかとても嫌な予感がした。



 その夜、龍久は小刀を置き、その前で正座していた。

 深呼吸をしてから、小刀を握った。

「…………」

 そして結い上げた髪に、その刃を入れる。頭皮が引っ張れて痛むが、それでも龍久は髪を切り続けた。

 元服の時に、父から良き武士になれと言われた事を思い出した。

 それからずっとそうなろうと努力して来たつもりだったが、そうはなれなかった様だ。

「…………、変な頭」

 柄鏡を覗くと、まるで童の様な髪の自分がいた。

「なんだ龍久、おめぇ自分で切ったのか、言えば髪結いでも呼んでやったのに」

 偶然通り掛った土方が、そう言って足をとめた。

「どうしても自分で切りたかったです、なんとなくですけど……」

 そう言って笑うと土方は櫛と鋏を手に取ると、龍久の髪を整え始めた。

「あっ、大丈夫ですよ土方さん、俺一人でできますって」

「おめぇこんな頭で外出歩けると思ってんのか? ひでぇぞ」

 確かに自分は器用ではないが、土方にこの様な事をしてもらうのは気が引ける。しかし断るのも気が引けて、どうしようも出来なくなってしまった。

「お前、これからどうするつもりなんだ」

「えっ」

「あの女の事だ、『神』云々じゃねぇ、お前はこれからどうしたいんだ?」

 この二月あまり、雪に関する情報は何一つ龍久の耳には入ってこなかった。

「俺は……雪が『天皇』とか『神』とか正直受け入れられなくて……、今はただ昔みたいに笑って欲しいだけなんです」

 まだ江戸にいた頃、出会った頃の様に戻りたかった。

 どんどん狂って行ってしまう雪を止める事も出来ない、弱くてみじめな自分に苛立った。

「難しいだろうな……ありゃ人間の目じゃなかった」

「……土方さん、雪がまた襲ってきたら……雪を殺すんですか」

 その言葉に土方は手を一時止めた、そしてしばしの間を開けた後静かに口を開いた。

「ああ、殺す」

 迷いのない言葉だった。きっと彼なら本当に雪を斬るだろう、躊躇いも無く――。

「……強いんですね土方さん、俺そんな風にきっぱりと決断できません」

 またどうすればいいのか分からなくなった。

 あの富士山丸での一件で、雪は『神』で『天皇』と聞かされて、少なからず動揺はあった。それに少し考えてしまった、雪が『天皇』となったこの国の未来を。

「早く決断すればいいもんじゃねぇ、じっくり時間を掛けて決めた事の方がいい事もある……お前はお前なりに考えて決断しろ、間違うんじゃねぇぞ」

 土方の言葉は重みがあった、龍久はその言葉をしっかりと胸に刻み込んだ。

「はい、土方さん」



***



 それから数日後、『甲陽鎮撫隊』は甲州に向けて出発した。

「龍久、おめぇ本当に行かないのか?」

 原田がそう申し訳なさそうに立っている龍久に言った。龍久は原田に向けて酷く残念そうに頭を下げた。

「すいません原田さん、俺ここで葛葉を待ちたいんです、あいつもう二月も経つのに何の連絡も無くて……心配なんです」

 あの富士山丸での爆発以来、葛葉は現れなかった。京にいた時は一晩でやって来たのに、なぜか葛葉は現れなかった。

 江戸で待っていろという葛葉の言葉が、どうしても頭から離れなかった。

「……分かった、龍久総司を頼むぜ、あいつどうしても着いて行きたいって言うのを無理矢理止めたんだが……、今は何するか分からねぇんだ、しっかり見ててくれ」

 労咳の沖田は、自分も甲州に行くと言って聞かないのを、なんとか説き伏せて床に寝かしつけたのだ。日に日に弱って行く彼が心配でたまらなかった。

「分かりました……原田さんも、気を付けて下さいね」

「縁起でもねぇよ、帰ってきたらお前の故郷の上野を案内してくれよ」

 そう言い残して、皆は甲州へと向かって行った。

 龍久はただ黙ってその背中を見送った。

「故郷の上野か……」



 龍久は千駄ヶ谷の植木屋に匿われている沖田の元へと向かった。

 病状は、龍久が思っているよりもずっと重かった。

 頬がこけ、手足もすっかりやせ衰えて、顔色も青白くなって、時折あの乾いた咳を何度もする。正直見ていられなかった。

「げほっ、ごほっ……龍久君、その服似合わないごほっ、げほっげほっ」

「沖田さん、無理しないで下さい」

 無理矢理起きようとする沖田をどうにか布団に戻して、龍久は手拭いで彼の汗を拭く。いつもの皮肉が言えないほど、沖田は衰弱していたのだ。

 到底放っておける状況ではなかった。

「君、なんで行かないの……げほっ甲州に」

「えっ、それは葛葉を待ってるんですよ、あいつどこで道草食ってんのか全然連絡も寄越さないで、どうせあいつの事だから、団子でも食ってるんでしょうけどね、あははっ」

 無理矢理笑顔を作って沖田を安心させようとしたのだが、彼は顔を曇らせた。

「嘘だろう! 本当は僕が邪魔だから見張ってろって、土方さん辺りに言われたんだろう」

 そんな事無い、確かに心配だから見ていてくれと言われたが、邪魔だとは誰も思ってなどいない。

「違いますよ、俺はそんなつもりじゃ――」

「五月蠅い!」

 沖田は体を拭く龍久の手を振り払うと、枕元にある水の入った桶を龍久に向けて投げつけた。

「うわあっ」

 だが動きは鈍く、早くもなんともないそれを軽々と龍久は避ける。桶は襖に当たり、水を畳一面に撒き散らしながら大きな音をたてて落っこちた。

「君なんかに何が分かるんだ! 君も僕を哀れだと思ってるんだろう、こんなみじめな姿を見て、心の底では自分じゃなくて良かったって思ってるんだろう!」

「違いますよ、そんな事誰も思ってなんか……」

 沖田は今にも倒れそうになりながら立ちあがると、龍久を睨み殺す様な眼付き見る。

「君はいいよなぁ、病気なんかしていないんだから……、近藤さんの所へ行けるんだから、刀を振るって敵を殺せるんだから!」

 そして龍久に反論の隙など与えずに、その胸倉を掴み上げた。


「死にたくない……こんな死に方したくないんだぁ」


 弱弱しい両手が、龍久の胸倉を締め上げていた。

 天才剣豪と言われた彼が、今こうやって病の死を怖がっている。剣士としての才能が、彼の病死を認められないのだろう。

「近藤さんの為に戦って死にたいんだ、こんな所でこんな死に方したくない!」

 泣きながら訴える沖田。

 戦えぬ苦しみは、きっと龍久が思っている以上に悔しくて辛い物なのだろう。そんな彼をはげます為に何か気のきいた言葉を投げかける事は出来なかった。

「出て行け! 君も甲州にでもどこにでも行けぇ!」

 沖田は無理龍久を外へ出すと、襖を閉めて侵入を拒み誰も入れなかった。

 その後も咳き込む声と一緒にすすり泣く声が聞こえた。

「沖田さん……すいません」

 襖の前で長い礼と共に謝罪すると、龍久はとぼとぼとその場を後にした。




 沖田の看護を人に任せると、龍久はなんとなく歩き回っていた。

 甲州に行く訳にも行かずに、ただぷらぷらと歩きまわっていると、見慣れた場所まで来てしまった。

「上野か……」

 実に四年ぶりとなろうか、懐かしき上野の浅草寺の前までやって来ていた。あの頃と何一つ変わっておらず、とても懐かしい気持ちになれた。

 他に行くあてなど無いので、龍久はある場所に向かう事を決心した。

 そして空を仰いで、仲間の身を案じた。

「皆……大丈夫かな」


 とある寺の霊園。

 それほど大きくないが小さくも無い墓地に、立派な墓から粗末な墓まで沢山の墓があった。子供の頃は此処がとても怖くて、盆の季節になると嫌だと言って迎え盆に行かなかった事を思い出した。

 近くでひと束の花と線香を買って、一つの墓の前で立ち止まった。

「……久しぶりだな、お時」

 あの頃と何も変わっていない、簡素な墓石に戒名を書いただけの墓。

 柄杓で水をやりしおれた花を取り換えて、線香に火を付けて地面に突き刺した。

「……ごめんなお時、あの時はお前に嫉妬してたんだ、雪と仲良くやってるお前が妬ましくて、酷い事言って……本当にすまなかった」 

 もう五年近く昔の事、今更謝った所で果たして死人が許してくれるか等分からないが、それでもずっと後悔していたのだ、あの日の事を――。

「俺が馬鹿だったんだよなぁ、雪の事何一つ考えないで……自分の事ばっかりで」

 墓石は肯定も否定もしてくれない、ただそこにあるだけだった。

 お経の一つでも唱えるべきなのだろうが、龍久はあの長い文章を暗記するのが苦手で一切覚えていなかった。だから手だけ合わせて帰る事にした。

(ん……この花、ちょっと新しいな)

 取り換えたしおれた花を見ると、ほんの数日前の花に思えた。

 一体誰がこの花を取り換えたのだろうかと考えていると、桶が落ちて水が大量に零れた音がした。

「…………龍久か?」

 名前を呼ばれて振りかえると、桶を盛大にひっくり返した男と少年が立っていた。

 長い髪を結い、袴と羽織をしっかりと着こなした身分の高そうな男で歳は龍久に近い。

 そして気の弱そうな少年が、手にお供え用の花を持って、酷く吃驚している。

 ただ男の顔に龍久は見覚えがあった――。

「お前……藤田か?」



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