三二話 内親王殿下
まさかの急展開……!?
一月一〇日 大阪。
新選組を含めた、幕軍の兵達は大阪を出港する幕府の軍艦富士山丸に乗船した。
それには屯所で別れたきりになっていた、近藤と沖田の姿があった。
「久しぶりだな南雲、無事で何よりだ」
「へぇ生きてたんだね龍久君、げほっ」
肩に包帯を巻いている近藤と、苦しそうに咳をする沖田がいた。どちらも病人故、船内の適当に設けられた病室にいた。
二人の他にも、傷ついた兵士達が苦しそうにうめきながら治療を待っていた。
「近藤さんすまねぇ、俺のせいであんたの新選組が……」
土方は死なせてしまった隊士達について詫びていた。彼にとって新選組はあくまでも近藤の物なのだ、だからこうして頭を深々と下げているのだろう。
「トシ、お前が頭を下げるな、こうして負傷してしまった俺にも積はある……」
「近藤さんのせいじゃありませんよ、げほっ、全部土方さんのせい……げほっけほっ」
沖田は咳き込んでしまった。彼の労咳は間違えなく進行している。
「余計な口叩いてねぇで、お前は寝てろ、総司」
沖田に向けて毛布を投げつけると、土方は近藤に改まって向き合った。
「総大将が逃げ出した今、俺はしぶしぶ江戸に向かってるが……俺は大阪で決着を付けるべきだったと思う……」
「そういうなトシ、きっとお考えがあっての事なのだろうさ」
龍久もそう信じていた。総大将が兵を置いて逃げるなどあってはならない事だろう、そうでなければ総大将がその様な事をするなど考えられない。
「……そう言えば龍久君、あの子居るんでしょ」
沖田は毛布に頭からくるまってそう言った。龍久は答えに迷ったが正直に頷いた。
「ふうん、なんで連れて来たんですか土方さん、もしかして僕に斬らせてくれるとか?」
「そんな訳ねぇだろう、捕虜だ捕虜、くだらねぇ事言ってるとぶっ飛ばすぞ」
それを聞いて楽しそうに笑う沖田だが、またすぐに咳き込んでしまった。
そんな彼を見て近藤も土方も何処か寂そうな顔をしていた。長い付き合いだと聞いていいたので、心配しているのだろう。
「龍久お前はもう休め、体を壊せば元も子も無いぞ」
そう土方に促されて、龍久は頭を深々と下げて病室を後にした。
思い返せば、船に乗ると言う経験は元服前に屋形船に乗った以来の事で、一三年は昔の事である。
今江戸に向かっている、生まれ育った江戸。
既に四年を過ごした京は遥か彼方、半ば家出同然に江戸を後にして四年、龍久は二二歳になっていた。
(江戸、懐かしいなぁ)
思い出すのは、まだ雪が雪光と名乗っていて、お時が生きていた頃の楽しい思い出ばかりだった。
「なんでこんな風になっちまったんだろう……」
「なんだよ、無神経な龍久君には珍しくアンニュイじゃないのぉ」
葛葉がそう言って後ろから現われた。童水干に高下駄という組み合わせの彼はこの船でも目立っていて、会津藩や桑名藩なども驚き戸惑っていた。
「うるせぇ……、あっ山崎さん!」
病室から手に桶を持った山崎が出て来た。龍久は彼に駆け寄った。
「南雲、それに葛葉、どうした部屋に戻らないのか?」
しかし近づくと鼻を突く様な異臭が彼からした、龍久も思わず顔をしかめてしまった。
「やっ山崎さん、その匂い……」
「すまない、此処にいるのはかなり重病の患者ばかりでな、傷が膿んで腐りかけている奴らもいるんだ、どうやらその匂いが移ってしまった様だな」
「いっいえ大丈夫です……、でも山崎さん傷口大丈夫ですか、銃で撃たれたし」
「俺は大丈夫だ、医者が病人よりも先に倒れてどうするんだ」
そう明るく振る舞っているが、彼の顔色は悪いし龍久は心配だった。
「山崎さんも早く休んで下さいよ、あっ俺に手伝える事があるなら何でも言って下さい」
「ああ、でも俺は隣の病室に行かなければならないんだ」
隣と聞いて龍久は緊張した。この病室の隣は雪が監禁されている部屋だ。
「雪の具合が悪いんですか!」
「いっいや、ただもう四日も体を拭いていないから、拭おうと思って――」
「かっ体を拭くぅ!」
それすなわち山崎が雪の裸を見ると言う事だ。医者なのだから当然ではあるが龍久的には男として物すごく嫉妬してしまう。
して欲しくはないが、止めろと言う訳にも行かず悩んでしまった。
「おいおい龍久君、手伝いをするんだろっだったら今がその時だぜぇ」
先ほどまで黙っていた葛葉がいきなり介入して来て、山崎の手に合った桶をもぎ取ると、それを龍久に無理矢理持たせた。
「ほらっ龍久、たまには主人公らしいイベント一つや二つや三つくらい、発生させて来い!」
「おいこら貴様!」
山崎が怒っていたが、葛葉は気にせずに龍久を無理矢理雪の病室に押し込んだ。
「くっ……おい南雲、その方は右胸の骨も骨折されているんだ、触るんじゃないぞ!」
山崎は扉を叩いてそう言う。だがやはり心配なのか、山崎は扉越しに中を見る様にずっと見つめていた。
「………………」
葛葉はそんな彼と壁の向こうの龍久を、ただ黙って見つめるだけだった。
簀の上に茣蓙を敷いた、単純な寝具の上に雪は寝かされていた。
ただし腕を後ろ手に縛られ、両足首を縛られ、目隠しをされ、猿轡をされた状態でだ。捕虜である為仕方がないのだが、眼にあまる物があった。
雪はこの四日、ずっと意識を失ったままだった。頭を強く打ったせいだと山崎は言っていたが、龍久は心配でたまらなかった。このまま眼を覚まさないのではないだろうかと。
「……雪」
ぼそりと呟くと龍久は雪の髪に触れる、細く柔らかい絹糸の様な髪だった。
龍久はしばらく雪の感触を味わうと、何回も深呼吸してようやく雪の服に手を伸ばした。
黒い西洋の服、造りがどうなっているのか全然わからないでいると――。
「龍久、ボタンを外すんだからな! ボ・タ・ン!」
葛葉がそう扉越しで教えてくれた。どうやらこの丸い物がボタンという物らしい。龍久は拙い(つたない)手つきで、ボタンを一つ外してみた。
(この穴に引っ掛けて身に纏ってるのか……)
帯ではない洋服の造りにおっかなびっくりで、どうにかシャツを脱がす事が出来た。後ろ手に縛られているので完全には脱がせていないのだが、それでも拭くには十分だった。
「……あっ」
眼のやり場に困った。
まるで綿雪の様に白い肌、細身の体は余計な肉が付いておらず、必要なだけの肉が必要な所にだけある様だ。艶のあるくびれから尻にかけての曲線、そして気持ち盛り付けただけの様な乳房は、小ぶりながらも年相応の艶と張りがあった。
(…………綺麗だ)
龍久は正直にそう思った。今までずっと雪への償いだと思って他の女性と関係を築いた事は無かった。だから今こうして雪が無防備で居る事が、強い刺激だった。
今両手足を縛られ更に意識を失っている雪、今なら、今なら龍久の自由に出来る。体が、体が強く雪を欲していた。
「……んあっ」
息を飲んだ。龍久という男の器の中でどうにかか細い糸の様な理性だけが、己を律しているのだが、目の前の雪を見ているとそれもいつ弾けるか分からない。
酷い支配欲にかられた、思わず雪の小さな肩に触れた。美しい白い肌はきめ細やかなさわり心地で、龍久の理性が限界を迎えた時だった。
雪の体が小さく震えていた。
ふるふると、触ってみなければわからないほど、小さく震えていた。
「っ!」
これで分かった――雪は、本当は眼を覚ましている。
ただ尋問を恐れてこうして気を失っている振りをしているのだろう、食事もとらずにただひたすらに我慢していたのだろう。
それが視界を奪われている中、突然服を脱がされれば怖いに決まっている。
龍久は自分の頬を思い切り殴りたくなった。こんな事少し考えれば分かる事に決まっているだろう。
「…………ごめんな雪、ごめんなぁ」
龍久はそう謝って、出来るだけ不快にならない様に優しく慎重に体を拭き始めた。
その眼に熱い物を溜めこんで、ただひたすらに謝る事しか出来なかった――。
***
富士山丸は、夜の海を進んでいた。
もうずいぶん夜も更け、あと半刻もすれば日付も変わろうかという時、雪の病室に幾人かの人影があった。
三人ほどであろうか、少なくとも龍久で無い事は雪には分かった。
「よし、つれていけ」
知らない男の声がすると、誰かに俵担ぎにされて何処かへと連れて行かれた。
男達が床を軋ませながら歩き続けていると、甲板に出た。
眼と口を塞がれた雪にも、潮の匂いと海風で外に出た事が分かった。
「そこにやるぞ」
そう誰かが言うと、雪の上半身を舷側から海へと乗り出させてた。
そしてその内の一人が、刀を抜いた。
「同士の仇……覚悟」
なるほど仇打ちか、と雪は納得さえした。こうして生かされているのは恐らくだが、龍久辺りが懇願した為なのだろう、あるいは土方が自分を人質ないし捕虜としてとって置きたかったからなのだろう。しかしそれを許せる者などいないだろう。
殺したいほど憎いに決まっている、仕方がない、雪がそう思った時だった。
「何やってやがるおまえら!」
やって来たのは明かりを持った新八と原田だった。どうやら後を付けていたらしく鋭い眼光を向けていた。
新八の声があまりにも大きな声だったので、騒ぎを聞き付けた新選組や会津兵がやって来てしまった。
「雪っ!」
人込みをかき分けて龍久が雪に向かってそう叫んだ。その後ろには怖い顔をした土方。
「おいてめぇら、一体誰の許可を取ってそんなことしてやがる、そいつは新選組が預かってんだ、勝手に処刑しようなんざどういう了見だ」
雪を殺そうとしていたのは会津兵だった。三人は悔しそうに歯を食いしばっていたが、抜き身の刀を納めようとはしなかった。
「こいつは俺達の仲間を殺した! 生かしておく価値などない、今ここで処刑すべきだ」
「それを決めるのは俺だ、おめぇらが決めるんじゃねぇ!」
土方のその言葉に、正直他の会津兵や新選組の隊士達は渋い顔をしていた。
なぜ敵を生かすのか、なぜ殺さないのか、彼らには理解できないのだろう。
「あんたは臆病者だ、こんな餓鬼一人殺せないなど何が鬼の副長だ! 見ていろ、我々がこの化物を葬りさってやる!」
一人の男がそう言うと、尽かさず刀を抜いた男が思い切り振りあげる。首を切り落とすつもりなのだろう。手足を縛られ、最大の武器である眼を封じられた雪には避けられない。
「やめろおおっ」
龍久はそれを止める為に走り出そうとしたのだが――、影が彼を追い抜いて行った。
そして次の瞬間には、葛葉の蹴りが炸裂していた。
大変痛そうな後ろ回し蹴りを顔面に喰らった男は、甲板の上を滑る様に飛んで行った。
「きっ貴様! 敵か!」
仲間の男も抜刀して葛葉に斬りかかるが、その前に葛葉は男の下顎へと力強い蹴り上げを放った。
崩れゆく仲間を見て最後の一人はうろたえながらも、刀に手を掛けようとしたのだが、葛葉はその男の腹を蹴り飛ばした。
「ぐああっ」
強い蹴りで男は舷側に大きく体を打った。葛葉は更に追い打ちを掛ける様に、男に向けて何かを投げ放った。
「ひっひいいいっ」
それは長さが五寸はあるであろう金属の杭だった。それが男の袖と船を正確に打ち貫いていた。
葛葉は更に男に向けて、幾つもの杭を投げた。そのどれもが男の体すれすれに突きささり、男を船に張り付けていた。
「動くな、動けば我が針にて貴様の体に穴を空けるぞ」
何時になく低い声でそう脅していた。
その表情に、何時ものおふざけは無く真剣にその物だった。
「くっ葛葉、だよなぁ?」
思わず龍久はそう尋ねた、今目の前にいるのは自分が知っている葛葉なのかを――。
だが葛葉は龍久のそれには答えずに、そっと雪へと手を伸ばした。舷側から雪を下ろすと甲板に慎重に座らせた。
「おっおいお前何をしてやがる!」
土方や他の誰が叫ぼうと葛葉は何も答えずに、雪の眼隠しを解いた。
それには雪も驚いた、目の前には良く龍久と一緒にいた少年がいるが、なぜ彼が自分を助けたのか全くと言っていいほど心当たりがない。
葛葉は少しばかり雪との間を空けると、改まって傅いた。
「よくぞ、御無事でいらっしゃいました」
何時になく丁寧な口調、その光景に龍久はただ茫然と見ている事しか出来なかった。
だがそれは雪も含めた、この場の全ての人間が同じ事だった。
「御身にお目通り出来る事、誠光栄の極みに御座います」
誰も何も言えない静寂の中、葛葉一人だけが恭しくその続きを言い放った――。
「雪内親王殿下」
「くっ、葛葉ぁ? 何言ってんだよお前」
龍久は自分の耳を疑った、なぜなら今葛葉が、雪にあまりにも不適切な呼び方をしたからだ。聞き間違えか、何時ものおふざけなのだろうと、今に明るく振る舞ってくれるはずだと、そう信じていた。
「殿下が知りえない事も無理は御座りません、我が一族は五〇〇年も昔から貴方様の系譜を探して居りました、こうして御身にお目通りする事実に五〇〇年ぶりの事で御座います」
「葛葉! 答えろよ、一体どういう事なんだ!」
強い口調で言うと、葛葉はゆっくりと立ち上がってこちらを向いた。
その眼には一切のおふざけ等ない真剣そのもので、龍久が怯むほどだった。
「言った通りだ、このお方こそ俺の仕えるべき君主……そして」
葛葉はこの船にいる全員に向けて、言葉を放った。
「この国の『神』で在らせられる」
誰も何も言え無かった。富士山丸は不気味な静けさに包まれていた。
「ふざけるんじゃねぇ……、神だと笑わせてくれるなぁ」
口を開いたのは土方だった、葛葉を睨みつけながら反論する。
「『神』や『仏』がどうのこうの言いてぇ訳じゃねぇが、少なくとも俺は納得出来ねぇぞ、何をどうしたらそいつが内親王で、『神』なんだ、ええん?」
土方の言葉で皆口々に否定しあった。しかし葛葉がそれを破る様に語り始めた。
「昔、この国の王朝は二つに分かれた事がある……、それが今より五〇〇余年も昔、後に南北朝時代と呼ばれる時の事である」
葛葉は静かな声で、細々と語りだした。
龍久はそれが怖くて堪らなかった、なんだか葛葉が別の物に変じてしまった様で――。
「北は光明天皇の北朝、そして南は後醍醐天皇の南朝……そしてこの雪殿下こそ後醍醐天皇の子孫にして、二五〇〇年続く『神の系譜』の継承者で在らせられる」




