三一話 鳥羽伏見~終結~
鳥羽伏見戦争終結!
龍久は戦場から離れた男山の麓で、一人立っていた。
戦場はすぐそこだと言うのに、刀を鞘に納め手も垂れさがっていた。
「……雪」
龍久は戦場に行かない訳ではない、行けなかったのだ。
『錦旗』、幕府、朝廷、狂ってしまった雪――もはや龍久一人で受け止めきれる問題ではなかった。今までして来た事が全て無駄だった様に感じられた。
幕府が正しいと信じて仕え、不逞浪士達を追いまわし、親友の平助とも袂を分ち、それでもなお信じ続けて来たのに――間違っていた。
雪の言った通りだったのかも知れない、何時だって自分よりも先に進んでいて、先に正解へとたどり着いていた。
「…………俺、全部間違ってたのかなぁ雪」
眼頭が熱くなってきて、涙がこぼれおちそうだった。今まで自分が生きて来た意味を、全て失ってしまいそうだった。
「龍久何やってるんだよ」
葛葉が何時の間にやって来ていた。当たり前の様に隣にやって来て傍にいてくれた。
「俺、どうしたらいいんだよ、ずっと『天子様』と『幕府』の為に戦って来たのに、それなのに、『天子様』は俺の事いらねぇなんて……そんなぁ」
「…………龍久、もう戦えないなら一緒に――――」
葛葉が何か言いかけた時、また別の声が龍久を呼んだ。
「南雲! こんな所にいたのか」
それは山崎だった。真っ黒な装束を身につけていて、昼間では酷く目立った。
「お前の恋人が、今副長と戦っているぞ! 早く行くんだ」
雪と土方が戦っている。
龍久の眼に一瞬表情が戻ったのだが、すぐにまた悲しみに押し潰される。
「俺が行っても何も出来ないですよ……、雪があんな風になった今、何が出来るんですか」
完全に心を折られてしまった。
もはや雪を止める手立てなど龍久には思いつかなかった。あんな風に壊れてしまった雪にどう接すればいいのか、全く分からなかった。
何も出来ずにただ俯く龍久、そんな彼の両肩を掴んだのは山崎だった。
「しっかりするんだ南雲! お前は良いのか副長と恋人が戦っていて」
山崎が両手に力を入れているので、肩が痛い。だが同時に伝わってくるのは彼の思いだ。
「確かに何も出来ないかもしれない、どちらに加勢してもお前にとっては苦しいだろう、でもだからと言ってここでただ突っ立っているだけでいいのか!」
声を荒らげ、必死に訴えてくる。
その言葉は折れた龍久の心に、徐々に染み渡って行った――。
「何も出来なくたっていい、男ならしっかりと最後まで見届けるんだ!」
大きな槌で頭をぶん殴られた気分だった。眼が覚めた、というよりは気合いを入れ直されたと言う方が正しいのかもしれないが、力を失った龍久の体に再び力がみなぎって来た。
「何も出来なくてもいい、どっちが勝ってもいい、二人の元へ行って見届けるんだ」
「はい山崎さん……、有難うございます」
「礼は良い、行くぞ」
龍久と山崎はそのまま土方達の元へと走り出した。その少し後を葛葉が続いた。
左右の視界が草や背の低い木の茂みで非常に悪かったが、それでも獣道があるお陰でどうにか山を進んで行く事が出来る。
すぐ横では銃声が鳴り響いている、そこが最前線なのだ。
(雪、土方さん、頼むから早まらないでくれ!)
龍久は心の中でそう願っていた。必死に願いながら走っていた。
だから、その音が何なのか一瞬分からなかった――。
男山に、乾いた銃声がこだました。
それが銃声だと気がついた時、龍久の耳に木々の揺れる音が聞こえた。
振り返ると、葛葉が見える。可笑しい自分の後ろを走っていたのは山崎だ、なぜ彼の姿がどこにもないのか、龍久はその理由を少しずつ理解して、全てを悟った。
――――山崎が、撃たれた。
弾丸を受けて、茂みの中に転がり落ちてしまったのだ。
「やっ山崎さん!」
龍久が音のした茂みの方に駆け寄ろうとするが、足元に更に銃弾が飛んでくる。狙撃されているらしい、思えばここは最前線のすぐ横なのだ、敵がいたって不思議ではない。
「山崎さん、どこですか山崎さん!」
龍久はなるべく体を低くしながら山崎の姿を探す。銃で撃たれたのだ、すぐに手当てをしなければ、そう思いながら、茂みをかき分けていると――。
「南雲……大丈夫だ」
生きている、龍久は一安心すると彼を探して更に茂みを掻きわける。
「弾が肩に当たって動けそうにない……、先に副長の所へ行ってくれ」
「そんな、怪我してるのに置いて行ける訳ないじゃないですか!」
なおさら担いででも連れて行かなければならない、龍久は必死に茂みをかき分けるが、先ほどよりも大きな声を山崎が放った。
「俺を誰だと思っている、新選組の医者だぞ! これぐらい自分でどうにか出来る!」
龍久は強い口調に負けてしまった。
確かに自分よりも山崎の方が医学の知識がある、その彼が大丈夫だと言っているのならば、自分に出来る事は何もないだろう。
「山崎さん、俺先に行ってますからね! 絶対追いついて下さいね」
「ああ、もちろんだ」
彼の声を聞いて、龍久は再び走り出した。
葛葉はちらりと山崎の声がした方を見ると、酷く哀しそうな表情をして頭を軽く下げた。
「すまん」
短く謝ると葛葉は龍久の後を追って駆けだして行った。
二人が去った後、その場は誰もいない様な静寂包まれた――。
男山の麓では、『鬼』と『夜叉』の戦いが繰り広げられていた。
兼定の切っ先が喉をかすめ、村正の切っ先が腹をかすめる。
ほんの一瞬、どちらかが気を緩めれば、どちらかの刀が相手を切り裂く事だろう。
そこでは生命の限界のやりとりが行われた――。
「ああああああああっ」
「はあああああああっ」
雪と土方の怒号が、男山に響いて行く。
もうどれほど刃を交えたか分からない、どれ程の時間が過ぎたかさえも分からなかった。
ただ分かるのは、互いにどちらかが死ぬまでこの戦いを止める事は出来ないと言う事だ。
「やあっ!」
土方の顔面目がけて雪が村正突き立てる。
「うりゃあ」
右から左へと兼定で振り払うと、土方の顔面に向けて短銃を突き出して来た。
土方は雪の腹に向けてひざ蹴りを放った。同時にその衝撃で雪は大きくくの字に折れ曲がり、あまりの激痛で雪は短銃を手放してしまった。
これで大人しくなるかと思ったのだが、突然視界を遮るものがあった――。
「ああっ」
雪が土方の両の眼に目潰しをして来たのだ――土方は尽かさず頭を後ろへと引いてそれを避けたのだが、雪の爪がまるで猫の様に鼻の頭を引っ掻いた。
「あはっ、おしいなぁ」
苦しそうに腹を押さえながら、雪は土方から距離を取った。
引っ掻かれた鼻の頭からは血がかすかに滲んでいた。
(人の戦い方じゃねえな……)
兼定を構えながら土方はそう思っていた。
もはや雪は狂気に身を落していた、殺す事が快楽となり、今もこうして土方を抹殺する事以外何も考えていない。
土方はそんな彼女を見て、複雑だった。
前に戦った時よりも彼女はずっと強くなっている、戦う事以外何も考えていないからだ。
ここまで人を捨てる事が出来ればこんなに強くなれるのかと――。
正直、羨ましかった。
これほど強ければ、近藤から預かった隊士達を死なせる事は無かっただろう、人は、人である事を止めてしまえば、こんなに強くなれるのか――。
剣を交えながら、そんな事を考えていた。
「うふっあははっ」
雪は楽しそうに笑いながら村正を振るう。まるで子供が棒きれでも振り回して遊ぶ様に、楽しそうに、嬉しそうに、妖刀を振るった。
だが土方はそれを力任せに振り払った。土方の力に雪が耐えられるはずもなく、村正を持った左手が大きく後ろへと追いやられた。
短銃も村正も無い、雪の胴は今がら空きだった。細い胴に向けて、兼定で突きを入れる。
だがその時、ふと龍久の顔が浮かんだ。
雪をかなり心配していたのは土方も知っていた、だがそれでも、此処で討ち逃せばまた沢山の隊士達が死んでしまう。
土方は兼定に力を込め、より一層強く、速く、突きを放った。
(すまんな、龍久)
心の中でそう謝った――。
「雪ぃ! 土方さん!」
突然耳に入って来た声で、兼定に一瞬の躊躇いが生まれた。
その一瞬の隙を、雪が見逃すはずもなく。尽かさず距離を取った。
「龍久、お前」
眼の前に居るのは、哀しそうな表情を浮かべる龍久だった。どうしてここまで来たのかは土方には分からなかった。
だが、ちょうどその時。
龍久の声よりもずっと大きな音がした。風の音にも聞こえるが違う、空を切る様な音でそれがどんどん大きくなってゆく。
「伏せろぉぉぉ!」
葛葉の声が響いた。
一体どういう意味なのか分からない土方と龍久の眼に映ったのは、真っ黒い丸――。
衝撃。
突然、立っていられないほどの振動が龍久達を襲った。
眼を開けている事も出来ない、ただ木が軋む音や枝が折れる音、何かに何かが当たった音、砂利が落ちる音が聞こえた。
そして何の音も無い、静寂の中。龍久はゆっくりと眼を開けた。
土埃で、周囲を良く見る事が出来なかった。
「大丈夫か龍久」
葛葉の声がした。声の方向からして彼は自分の前にいる。徐々に土埃が晴れて来た。
「葛葉一体何があったんだよ……」
そう尋ねる頃には土埃は消えて、状況が全て見るほどになった。
砂利の原に大きな穴が開いていた。
深さもかなりあり、大きさは五尺もある。その中心に黒い玉の様な物があった。
「一体なんで……」
「大砲だ龍久」
葛葉がそう言って教えてくれた。だがなぜ砲弾がここに飛んで来たのか分からないが、着弾した位置に問題があった――そこは丁度雪と土方が居た場所。
「ゆっ雪!」
急いで当たりを見渡すが雪の姿は無い、良く見ると辺りの木々に穴が開いていた。
砲弾の衝撃で砂利が物凄い勢いで飛んで固い木に穴が開けたのだ、もしもそれが雪だったら――。
「雪、雪どこだ!」
龍久は必死に雪を探した、もしかしたら怪我をしているかも知れない、最悪の場合も想定しながら必死に呼びかける。
眼に入ったのは、自棄に木々が折れている一角だった。
龍久は其処に吸い込まれる様に駆けよる。木には砂利で空いた穴がある、木の後ろには背の低い木の茂み。
「…………」
固唾をのみ込んで、龍久はその茂みの一つを掻きわけた。
そこには力無く倒れる雪が居た。
「ゆっ雪ぃ!」
茂みに埋もれる様に、雪は倒れていた。ぐったりとしていて返事もない。
龍久は急いで雪を抱えた。幾ら肩を揺らしても返事も無く、揺らす度に手足が動く。
「雪、しっかりしてくれ、雪、雪」
振動で仮面がとれて、力なく地面に落ちる。雪の眼は固く閉じられ開く気配はない。
「雪っ、雪! 雪ぃ!」
恐怖した、このまま雪が死んでしまうのではと、まだ自分は雪にちゃんと伝えられてない、自分の思いもあの時の謝罪も全て――。
龍久の眼から、一滴の涙が零れ落ち様とした。
「揺らすんじゃない、南雲」
力強い声が、龍久の耳に響いた。
振り返ると、頼りになる人が立っていた。
「やっ……山崎さあん」
顔を少し土で汚していたが、山崎がそこに立っていた。
龍久は山崎が無事だった事と雪が目覚めない事で、感情がひっちゃかめっちゃかになって、酷く情けない顔をしていた。
「大丈夫だ南雲、軽い脳しんとうを起こしているんだ、すぐに手当てすれば助かる」
「本当ですか、本当なんですね山崎さん!」
嬉しそうに涙を流す龍久と、雪を手当てする山崎、二人を見る葛葉の表情は暗かった。
「…………どういう事だ」
誰にも聞こえない様に、そう葛葉が呟いた。
「おい山崎、何やってんだ」
手当てをしている山崎を呼んだのは、怖い表情をしている土方だった。
当然と言えば当然なのだろう、雪は敵なのだ、敵を助ける義理など無い。
「お言葉ですが副長、今ここでこの方を殺すのは得策では有りません」
「なにぃ? どういう事だ」
山崎は雪の頭に包帯を巻きながら、その問いに答える。
「津藩が裏切りました」
その言葉に土方は怒りに震えた。淀藩の次は津藩が幕府を裏切ったのだから無理も無い。
「副長達を襲ったのは津藩の砲弾です、今も前線に向かって放たれています……副長、津藩が裏切った今この橋本でこれ以上の戦闘は不可能です」
津藩が裏切った。それが今幕軍に攻撃をしてきている、あまりにも不利な戦いだった。 元々この戦いは、側面からの攻撃を想定していない。前方の守りを固めはしたが、側面では手の出し様がない、それが川向うであればより一層手の出し様がなかった。
「…………おい龍久、そいつをどうするんだ」
土方が龍久に強い口調で言った。すっかり忘れていたが雪は敵なのだ、今こうやって手当てしているのは普通ではない事なのだ。
答えに詰まった。雪は確かに敵だが死んで欲しくなど無い、だが新選組や幕府が無くなるのは嫌だ。
龍久はその問いに答える事が出来なかった。しばらく黙っていると、土方が口を開いた。
「……そいつは捕虜として連れて行く」
「土方さん、良いんですか!」
「勘違いするんじゃねぇ、そいつには洗いざらい吐いて貰いてぇ事があるからだ」
土方はそう言うと背を向けて遠い空を見上げた。
何処か澱んだ空は、皮肉にも今の新選組に良くあっていた。
「……大阪に撤退だ」
三日間に渡って行われた、鳥羽、伏見の戦いは幕府側の完敗だった。
後に鳥羽伏見の戦いといわれるこの戦争は、これから続く長い戦いの始まりだった。
幕軍の敗因は様々あれど、そのほとんどは指揮系統の欠落と武器の性能といえるだろう。そして何より、世論が彼らを選ばなかったのだ。
『天皇』は彼らではなく、新政府軍を選んだ事が衝撃だった。
だが大阪にやって来た彼らを待ち受けていたのは、信じられない事だった。
総大将徳川慶喜の逃亡であった――。




