二五話 式神葛葉
土方は龍久が落ち着くまで待っていてくれた。
事情はなんとなく察していた様で、近藤と共に寂しそうな顔をしていた。
「平助と葛葉が……死にました」
「……そうか、あの餓鬼が」
土方は葛葉と親しい仲だと言う事は知っていたので、彼の死に酷く衝撃を受けた様だ。
「……すいません土方さん、俺勝手に屯所を抜け出したあげく、平助を救えなくて」
「いや、藤堂君に関しては龍久君に責任は無いぞ」
近藤がそう慰めてくれるが、勝手な行動をして助けられなかったのだ責任はあるはずだ。
「だがあいつも武士だ、男らしく逃げずに戦ったのだから、おめぇも泣くんじゃねえよ」
土方がそう言ってくれた。確かに武士としては誇り高い事かもしれないが、親友が死んでしまったのはあまりにも悲しい事だった。
七条大橋で死んでしまった平助の事を思うと――。
「あいつも油小路で潔く散ったんだ」
土方の言葉を聞いて、我が耳を疑った。
油小路、そこは伊東が討たれた所だ。今日龍久はそこに平助を連れて行かない為に葛葉と七条大橋まで行ったのだ、それなのに平助が油小路で死んだ。
「えっ……平助は七条大橋で死んだんじゃ」
「七条大橋? 馬鹿言うんじゃねぇよ油小路だ、原田と永倉があいつを逃がそうとしてたんだが、三浦に斬られてな……平隊士には上手く意図が伝わって無かった様だ」
違う、それは葛葉が言っていた事だ。さっきまで平助と一緒だったのだから間違え無く彼は七条大橋で死んだはずなのだ。
(どうなってるんだよ、平助は七条大橋で死んだんだ……なのになんで)
困惑する龍久の事を、近藤と土方は親友の死で気が動転しているのだと勘違いして部屋で休む様に進めた。
部屋に戻り壁に凭れて腰を落ち着けても、何が起こっているのか分からなかった。
ただもしもこんな時葛葉がいてくれれば、きっと説明をしてくれたのだろう。
がらんとした自分の部屋を眺めていると自然と二人の事を思い出してしまった。楽しく馬鹿騒ぎした思い出が甦って来てまた涙がこぼれて来た。
「くそう、くそう……平助ぇ、葛葉ぁ」
何も出来なかった自分を呪いながら、龍久は一人うずくまって泣く事しか出来なかった。
屯所に押し殺す様な龍久のすすり泣きが響いたが、誰一人それを咎めずに共に元同士達の冥福を祈るばかりだった――。
龍久が目を覚ますと、もう朝だった。
布団も敷かずに泣き疲れて寝てしまったのだ。少し肌寒かったが今はそんな事考える余裕などなかった。
泣き過ぎで目が腫れていたいし、涙が乾いて頬ががぴがぴになっている。顔を拭おうと手拭いを探すが、懐に無かった。
「ほらよ龍久」
「ああすまない」
龍久は手渡された手拭いで顔を拭った。気がきく事にそれは程よく濡らしてあって、腫れた眼にはとても気持ちが良かった。
「全く龍久君、今何月だと思ってるのよ、ちゃんと布団にくるまって寝ろって何時もお母さん言ってるでしょう、もうっ貴方一人の体じゃないんだから!」
「悪かったよ、でもしょうがないだろう――葛葉」
何時も通り相手にせずにそう言って龍久は手拭いを返した。
だからだろうか、自分が今なんと言ったか思い出すのに酷く時間がかかった。
龍久はゆっくり自分の隣に立っている人物の顔を見る。
それは死んだはずの葛葉だった。
髪は短いが、何時も通りの童水干を着ていて、当たり前の様にそこに立っていた。
「飴ちゃんいる? はっかとべっこうどっちが良い?」
龍久は眼球がこぼれおちる位目を見開いた。だかそれほど良く見ても目の前に居るのは葛葉にしか見えなくて、何時も通りふざけている。
何がなんだかわからなくなって、龍久はとりあえずそいつの右足を引っ張った。
「うごっ」
軸足を取られてそいつは頭を畳に打ちつけた。そして怒鳴る。
「お前いきなり俺の美脚を引っ張って何すんだよ!」
「あっ……足がある」
幽霊かと思ったのだが、この足には感触が合って間違え無く手で触れられる。どうやら物の怪の類ではないらしい。
「何当たり前な事言ってんだよ、やっぱりお前熱があるんだな、良し寝よう、すぐ寝よう」
そう言って布団を敷き始める葛葉だが、今回ばかりはこのおふざけに付き会えるほど龍久は馬鹿ではなかった。
「葛葉、お前なんで生きてるんだよ! お前は昨日玉藻に首を斬られたはずだろう!」
そういうと布団を敷く手を止めた。そして昨日見た様な真剣な表情でこちらを振り返る。その真剣さに龍久は思わず生唾を飲んだ。
「なんだ、やっぱり見てたのか」
そうまるで何事も無かったかのように、けろっとした顔で言いきった。
何が何だか余計に分からなくなった。否定しないと言う事は、どうやら昨晩の事は見間違え等ではなかった様だ。
「あっああっおっおまっ、おまっおまっ」
「ちょっと龍久落ち着けって、とりあえず座って深呼吸しろって」
葛葉は龍久を無理矢理座らせると、自分も向かって座った。
「どの道、今日になったら全部話すって約束したしな……」
葛葉は短くなった髪を掻きおえると、真剣に龍久に向き直った。
「順を追って話すと、今ここに居る『俺』は正確に言うとここには居ないんだ」
また余計に分からなくなった。此処に居るのにここに居ない、葛葉は間違えなくここにいるし触れるから幽霊などではない。
「今お前の前に居るのは『俺』の『式神』なんだ」
式神というのは、陰陽師が使う術の一つで、言わば陰陽師が使役する小さな神とでも言えるだろう。式神の強さや知力、外見などは術者である陰陽師に比例する。
術を極めれば自分とまったく同じ式神を使う事も可能である。
「お前の前に居るのは『式神の葛葉』で、『本当の俺』は遠くからこの式神を操ってるんだ、昨日玉藻に斬られたのは『俺』では無くて式神だから『俺』は死んでいない訳だ」
「……ちょっ、ちょっと待ってくれいきなり式神とか言われても分かんねぇって、そんな陰陽師みてぇな事言われても」
「いや、俺はずっと陰陽師だって言ってるだろう」
そう言われてみれば会ったばかりの頃そんな事を言われた様な気がするが、本気になどしていなかった。現に全く信じていないのだが、今こうやって葛葉がここに居ると言うのが何よりの証拠だ。
「つまり、今俺の前に居るこの葛葉は、本当の葛葉じゃないって事か?」
「まあそうだな、より正確に言うと『本当の俺』は葛葉って名前ではないし、此処から随分遠い所でこの式神『葛葉』を遠隔操作してる訳だ」
龍久は陰陽師と言うか、そう言う呪術やら妖術というのは全く知らない。
だから葛葉の言っている事は理解出来なかったが、一つだけ分かる事がある。
「じゃあ……お前は生きてるんだよな?」
「ああ、これは式神だからな死んだっていくらでも造り直せる――」
葛葉の言葉を最後まで聞く事は出来なかった。
龍久は葛葉に抱き付いた。驚く葛葉だったが龍久は声を震わせていた。
「良かった、お前が生きてて良かった」
大切な親友を一度に失ってしまったと思って、昨日自分がどれ程絶望しただろうか、だがどんな形でもいい、こうして今葛葉がここに居て、自分と会話をして、時を共にしていると分かっただけで十分だった。
「……馬鹿野郎、俺じゃなくて好きな女でも抱きしめてやれよ」
葛葉そう皮肉めいた事を言っていたが、その声はとても優しい物だった。ひとしきり抱きしめると、葛葉は龍久を離した。
「まあ、式神って言っても意識は共有しているからほとんど『俺』だけどな」
「じゃあ、『葛葉』っていうのは式神の名前でお前の名前じゃないのか? 本当の名前は?」
「わりぃな俺達陰陽師は名前を教える事は出来ないんだ、名前って言うのはその人間を縛る『呪』であり形作っているものでもある、そいつを教えると言う事はそいつの支配を許す事になる、だから俺達陰陽師はそうそう名乗ったりしねぇんだ」
そう言う葛葉の表情は何処か暗かった。名を言えない後ろめたさがあるのだろうか。
「でも『俺』は真の名前と世俗の名前があるんだけど、正直葛葉が一番気に入ってるんだ、この名前はな、安部清明の母親の『葛の葉狐』からとってだな――」
「いいよ、俺からすればここに居る葛葉が本物だから、本当のお前とかどうでもいい、俺はここに居る葛葉と友達なんだ」
葛葉は少し照れながら笑っていた。頭を掻いてはぐらかしているがバレバレだ。
「全くお前は本当に良い男だよ、龍久」
「何言ってんだよお前……、てかこの際だから聞きたいんだが、お前はなんで俺を助けてくれるんだ? 俺陰陽師に助けて貰う様な事してないぜ」
「まあ、話せば長くなるんだが……元々はある一族のお抱えの陰陽師だったんだ、でもその一族の所在が分からなくなって、俺の御先祖の陰陽師達は必死に探したんだ、その時により探しやすい様にと西と東の一族に分かれたんだ……それが俺と玉藻だ」
「ちょっと待ってくれ、それじゃあお前と玉藻は元を正せば親戚なのか!」
「親戚って言っても随分昔の話だ、とっくに他人に近くなっちまってるよ、まぁあいつも式神だけどな」
通りで人間味の無い奴だと思った。だがそれを聞いて昨夜玉藻が葛葉の名を聞いて笑った理由も分かる、偽名だと見抜いたから笑ったのだ。
「待てよ、なんで同じ一族なのにお前達は揉めてるんだ? 君主を探してるんだろう、なんであんな風に衝突したんだよ」
「まあ長い間分裂しちまうと、色々考え方も変わっちまうんだ。でもあいつも最終目標は違えど狙っているものは同じだ、その君主を探してるんだ」
葛葉の様な陰陽師が探しているのだから、普通の人間ではないのだろう。一体どんな人物なのか気にはなったが、考えても分かりそうも無いので止める事にする。
「でもその一族ももはや血族が減って、ある男が当主を継いでいるだけらしい、俺はその人を何としてでも見つけ出して、その血族を保護したいと考えている」
「で……それと俺が何の関係があるんだ?」
自分にはそんな雅な知人はいないので、傍に居て助けてくれる言われは無いはずだ。
「人には縁という繋がりがある、俺は残念な事にその血族とは全くと言っていいほど縁がないが、龍久お前には縁がある……お前の傍に居れば俺はその人に会えるんだ……て前にも言ったぞこの話」
そうだったかと首を傾げたが、全く記憶にない。自分がいかに葛葉を陰陽師として見ていなかったか改めて思い知った。
「玉藻の奴はまた別の方法で探してるみてえだが、まあまだ大丈夫だ。しばらくはやっこさんも動かないだろうさ」
玉藻。龍久はあいつの事は絶対に忘れられないだろう。平助を殺した奴、平助の仇。
「……ごめんな龍久藤堂の奴を救えなくて、アレは俺が甘かったんだ、まさか玉藻の奴が邪魔をするなんて思っていなかったんだ」
「……玉藻強いのか?」
「ああ、俺が油小路まで行かせた藤堂の式神を見破りやがったし、あいつの『呪』は間違えなく強い」
「………葛葉より強いのか?」
「紙一重だ! 互角だね! 俺が本気出せば勝てるし!」
強がっているのは一目で分かった。だが、陰陽師の強さという物が一体どのような物なのかは分からない、でも口から刀を出したりと人間離れした技を持っている分厄介な敵かも知れない。
「でもなんであいつは平助を殺したんだ、あと俺の名前を知ったら、俺まで殺そうとした……一体玉藻の目的って何なんだ」
その問いに葛葉は少し苦い顔をした。まだ何かまだ話せない事でもあるのだろうか。
「おい、龍久誰と話してるんだ」
土方と沖田がやって来た。二人とも葛葉がいるのを見ると酷く驚いた様だ。
「お前……死んだんじゃなかったのか」
「いや、それが実は――」
「いやあ、俺みたいな美少年を地獄にやるなんて勿体ないって、閻魔様が戻してくれたんだよ、うんうん日頃の行いの賜物だねぇ」
式神である事を話そうとした龍久の口を葛葉は塞いだ。どうやら本当の事をあかしてはいけないらしい。
「何が美少年だ、憎まれっ子世にはばかるたぁ良く言ったもんだ」
「じゃあ土方さんも地獄に行けませんね」
そうニコニコしながらいう沖田を睨む、彼も良く喧嘩が売れる物だ。
「おめぇはとっとと薬飲んで寝てろ、憎まれ口ばっかり叩いてるから風邪が治らないんだ」「うえぇ、またあの不味い薬ですかぁ、やだなぁ……龍久君代わりに飲む?」
「総司!」
また土方の小言が始まってしまった。そんな二人を見ていると屯所に居る安心感に包まれた。だがまだ完全に心休まった訳ではない。
(平助、玉藻は必ず俺が討つからな……)
そう龍久は物寂しげな冬の空に誓うのだった。




