二一話 夢の終わり
三月。
冬の寒さも徐々に無くなり、春の暖かさがやってこようという頃、龍久は浮かない顔をしていた。
二月前に雪に逃げられてからというもの、龍久は目に見えて落ち込んでいた。
(あの時結局謝れなかったし、俺の気持ちも伝えられなかった……)
ただ名前を呼んで終ってしまった。それに新選組としての活躍もろくに出来なかった。
まだ今年は始まったばかりなのだが、龍久は何もかもが終わった様な顔をしていた。
(雪、なんで攘夷派になんているんだよ……、あいつらは国賊なんだぞ、どうして自分から犯罪者になるんだよ)
お時の辻斬りの時だってそうだ、雪は何時も自分から辛い道を歩んで行ってしまう。
龍久と雪が進む道はいつの間にか全く別の物になってしまった。
「……雪、なんで分かってくれないんだよぉ」
白い襟巻を握り締めながら、龍久はそう呟いた。
「ふ~~ん、龍久君は分かってほしいんだ」
突然襖があいたかと思ったら、相も変わらず笑顔を張り付けている沖田がやって来た。
「なっ沖田さん、今日は巡察じゃないんですか」
「土方さんが、病人は寝てろってさ……酷いよねぇちょっと咽てるだけでさ、げほっ」
少し苦しそうに咽る沖田の背中を擦っていると、山崎が縁側からやって来た。
「沖田君大丈夫か? 先ほど副長からこれを呑ませるようにと言われたんだ」
それは土方の実家で造っている、石田散薬という薬だった。何にでも効くと土方が豪語して怪我や病気になった隊士達に良く飲ませている。
「でもこれ苦いんだよなぁ、龍久君代わりに呑む?」
「何言ってるんですか沖田さんは、良いから早く呑んで下さい」
龍久に促されると、しぶしぶ薬を口に押し込んだ。だがよほど嫌なのかすぐに水を浴びる様に注ぎ込んで無理矢理腹に収めた。
「さあ、早く寝床に戻って安静にするんだ」
「あ~あ、新選組のお医者さんに言われたらしょうがないか」
山崎さんは有名な蘭方医に弟子入りして、この新撰組で最も医学に長けている人だ。だから怪我をしたり病気になったりすると彼がやってくるのだ。
「そう言えば龍久君、平助君見てない? なんか最近彼元気ないみたいなんだけど」
「平助が?」
何時も通りだと思っていたのだが、このごろ龍久は雪の事で頭がいっぱいであまり話をしていなかった気がする。
(平助どうしたんだろう……)
龍久は平助をさがしてみる事にした。
平助は庭で剣の稽古をしていた。
「へーすけ、どうしたんだよ」
「うわあっ、びっくりさせるなよ」
ずっと傍に居たのにどうやら気がついていなかった様だ。やはり何処か様子が可笑しい。
「平助どうしたんだよお前らしくなぁ、なんだよ悩み事か?」
そう尋ねてみても平助はやはり何処か落ち込んでいる様に見えた。龍久は話を聞こうとより陽気に尋ねてみる。
「なんだよ、女についてでも悩んでるのか? 俺でよかったら相談に乗るぜ」
「お前に女の相談だけは絶対にしねぇよ、人の心配より自分の心配をしろよ」
ぐさりとくる一言だった。確かにそれはそうなのだが平助の元気がないのは明らかで、何か悩みがあるのなら本当に力になるつもりでいた。
「龍久、お前やっぱり良い男だよ……」
平助が突然そう言ったのだが、なぜそんな事を言うのかは分からなかった。理由を問おうとしたのだが、
「藤堂君、ちょっと来たまえ」
伊東と斎藤が平助を呼んだ。この二人が一緒に居るなんて意外だった、何の接点も無い様に思えるのだが、平助は少しばかし苦い顔をして二人の元に向かう。
「またな……龍久」
平助はそう言うと何処かへ行ってしまった。
そんな彼の背中は酷く寂しそうで、なんだかこちらまで切ない気持になった。
(なんで、あんな事言うんだよ……平助)
それからしばらくの事だった、平助が新選組を離隊したのは――。
三月二〇日。
伊東甲子太郎は、平助や斎藤、その他おもだった尊王攘夷派の隊士を引き抜いて、新選組を離隊した。
元々尊王攘夷を掲げていた伊東達とは度々衝突があった。そもそも伊東の性格からして新選組に合っていなかったのは実にそうなのだが、平助まで出て行くなど龍久には信じられなかった。
「土方さん、良いんですか隊を割るなんて!」
「そうだぜ土方さん、こんなの隊規違反だろう!」
龍久と新八が抗議するが、土方と近藤はあくまでもそれを受けようとはしなかった。
「これは、俺達が伊東さん等と長い論議を交わした末の結論なんだ、分かってくれ」
近藤がそう頭を下げるが、納得など出来なかった。
伊東はまだ良しとしても、平助がいなくなってしまうのは哀しい。いてもたってもいられなくなって龍久が立ちあがると、土方が鋭い眼光で睨んだ。
「龍久、おめぇ平助の所にいくんじゃねぇだろうな」
「……当たり前だろう、説得して止めさせる!」
「馬鹿言うんじゃねぇ、あいつにはあいつなりの考えがあって決めた事だ、部外者が口出しする事じゃない」
「部外者なんかじゃない、俺と平助は親友だ!」
土方に反抗するのはこれが初めてだった。龍久は土方の制止など聞かずに会議を抜け出して、平助の元へと走った。
今行かねばもう二度と平助を止める機会などない。龍久は西本願寺の庭を走り抜けた。
そして今にも門をくぐろうとしている平助を見つけた。
「待ってくれ平助!」
「龍久……」
こちらに気がつくと、少し気まずい表情をしていた。やはり何も言わずに出て行くつもりだったのだろう。
「平助、なんでお前まで出て行くだよ!」
「……しょうがないだろう、伊東さんに新選組を紹介したのは俺なんだ、伊東さんが此処を出て行くのに俺だけ残るなんてそれは自分勝手すぎるだろ……」
「でも……あの人は此処には合ってないけど、お前は違うだろう……」
平助は永倉や原田達と仲良くやっていたし、他の隊士達からも信頼されていた。
だから此処に残ったってなんら問題ない、むしろそれを望んでいる。
しかし平助は首を振った。
「やっぱり俺は佐幕派にはなれないし、近藤さんは広い視野で活動したいって伊東さんを誘っておいて、結局新選組の考えは変わらなかった……俺やっぱり幕府の為に戦うって言うのは嫌なんだ」
雪だけではなく平助まで『尊王攘夷』側に着くなんて、龍久は身が引き裂かれるほど痛く苦しい事だった。
「……藤堂、そろそろ行くぞ」
斎藤が平助にそう言うと先に門をくぐった。この門を超えてしまえば平助も新選組の一員ではなくなってしまうのだろう。
「俺は別にお前が嫌いになったとか、新選組が嫌いになったから此処を出て行くんじゃない、伊東さんが出て行くからとかでもない……」
「なら……なんで」
そう問うと平助は何処か寂しそうだが、真っ直ぐな瞳で返してくれた。
「この門の向こうは、どんどん変わってる……、『尊王攘夷』だけじゃない人の思想も生活も、もしかしたら海の向こうも変化し続けてるのかもしれない……でもここは違う、ずっと変わらないままだ、まるで覚めない夢みたいだ」
「……夢をみちゃいけないのか?」
平助は首を振った。その表情はやはり何処か寂しそうだったが決意は見てとれた。
「なんだか俺一人だけ覚めちまったんだ、ずっと夢を見ていれれば良かったんだけど、一回覚めた夢を、もう一回見るのは難しいんだ……だから俺は新しい夢を見る為にこの門をくぐるよ……龍久」
その決意は本物で土方の言うとおり、自分が引き止めるのはあまりにも無粋な事だった。なんと自分は浅はかなのだろう、平助はこんなにも前を見ているのに――。
「お前もあの子の事どうするんだ? ずっとこのままって訳にはいかねぇだろう?」
「……分かってる、でもどうすればいいのかわかんねぇんだ、このまま雪に罪を重ねさせる様な事だけは避けたいんだ」
坂本龍馬と共に行動しつづければ、雪は何時か罪人として処罰されてしまう。
彼女が死んでしまう様な事だけは絶対に避けたがったが、どうすればいいのか全く見当もつかなかった。
ただ時間ばかり過ぎて行ってしまいそうだった。
「龍久俺は此処を離れるけど、お前とはずっとずっと親友だ、それだけは一生変わらない」
そうだ、例え傍にいなくとも思想が違くとも平助とはずっと親友だ。
この友情の前ではそんな事些細な事なのだ、だから龍久は笑顔で彼を見送る事にした。
「またな平助」
「またな龍久」
そして平助は門をくぐって向こう側へ行ってしまった。
龍久はただ門の内側で、彼の姿が見えなくなるまで見送り続ける事しか出来なかった。




