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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第二部 京都編 新選組
20/74

一九話 少女の思ひ


 翌二三日。

 雪には世界がまるで生まれ変わった様に別の物に感じられた。今なら何もかもが光り輝いて見える。

 龍馬は寺田屋という店に泊っている、何でもそこには龍馬の恋人のお龍という女性も一緒にいるそうなので、何時か是非会ってみたいと思っていた。

 龍馬の話ではとてもすごい人だと言う。

「それにしても雪殿も無茶をする、坂本殿を探して男共をなぎはろうてくるんじゃから」

「倒したのはほとんど龍馬です、私はただ龍馬を殺させたくなくて必死だったんです」

 雪は男共の命までは奪わなかった。アルの言いつけ通り殺しはしなかった。

 ただその判断が合っていたのかは分からない、あいつらがまた龍馬を襲ってくるかも知れないと思うと、今更ながら後悔していた。

「龍馬殿も安心じゃ、わしも守ってもらいたいもんじゃ」

 そう桂が冗談半分に笑っていた。だがこの人の腕前で自分など必要ないだろう。

 雪も桂と共に笑っていた、そんな時、夜分遅くだと言うのに薩摩藩邸に何者かがやって来た。

 男女の声が聞こえる、ただ事ではないと察知した二人は声がする方に行ってみる。

「三吉さん!」

 それは龍馬と一緒に京へやって来た、長府藩の三吉慎蔵だった。たしか龍馬と一緒に寺田屋に泊っていたはずだ。

 怪我をしていて明らかに刀傷だった。薩摩の藩士達が状況を把握できていない中、一人の女が啖呵を切った。


「ウチらやなくて、龍馬さん助けに行けゆーとるやろ! 何回ゆったら分かるんや!」


 屈強な薩摩藩士を相手に、女はそう言う。

 一体この女が何者なのか考える前に、龍馬という言葉に雪は反応した。

「龍馬、龍馬がどうしたんだ」

 藩士達を押しのけて、その女に向かい合う。

「あん人、捕り方に斬られて動けんようになってしもうたんや、はよう行っておくれーな」

「桂さん、私行ってきます!」


 薩摩藩士と共に雪は船着き場へと急いだ。視界も悪く龍馬を見つけられるか心配だったが、三吉さんと女が言った通りの場所に龍馬はいた。

 雪は提灯で照らしながら龍馬を船へと乗せた。

「龍馬、大丈夫……」

 守り抜くと決めて置きながら、龍馬にこんな傷を負わせてしまうとは護衛失格としか言いようがなかった。

 雪は随分しょぼくれながら怪我をした龍馬の手に包帯を巻いて行く。

「なあに寺田屋につれて行かんかったわしも悪かったんじゃ、雪が気にする事じゃなか」

 そう言う龍馬だったが、雪は申し訳なくて頭が上がらなかった。

 


 後に寺田屋事件と呼ばれるこの騒動は、京に宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行所の役人が捕縛あるいは暗殺を企てたのだった。

 しかし、龍馬は三吉と共に生き延び薩摩藩邸に逃れた。

 薩摩と事を構えるのは幕府の本意ではなく、今回は手を引いた。

 だが龍馬は手に斬り傷を負い、有ろう事か高杉から贈られた短銃を紛失してしまった。

 長崎とは違い、この京とは随分と危険な所だと、雪は改めて思い知らされた。

 そして絶対にこの華の都では龍馬の傍を離れないと誓った。

「そいやぁ雪、お前さんにはまだ紹介してなかったのぉ、これがわしの連れのお龍じゃ」

 そう言って紹介されたのは、あの大そうな啖呵を切っていた女だった。

 お龍は雪を見るとくすりと笑った。やはりこの格好が面白いのだろうかと、自分の体を見てみるが、やはり面白い所は浮かばない。

「綺麗な髪やね、歳は幾つ? 名前は?」

 お龍は楽しそうに雪の髪をいじり、頬をつつく。

「ゆっ雪と言います、歳は一七です」

 それを聞くとお龍はますます嬉しそうに笑って、抱きついて来た。

「かわええなぁ、お人形さんみたいや」

「そっそうですか……」

 京都弁のせいなのか、それともこうやって人懐っこい人だからなのだろうか、どことなく彼女を彷彿とさせた。

 だから振り払う事などせずにそのまま雪も甘えた。

「雪殿、長崎より急飛脚が来たぞ」

 薩摩藩士の人が、雪に文をもって来てくれた。

 読むとそれはアルからの手紙であった。もうずいぶん帰っておらず、手紙も送っていなかったので、心配して文を出した様だった。

 確かにもうそろそろ長崎へ帰った方がいいのかも知れない、しかし龍馬の事も心配でどうしようか悩んでいると――。

「ほいなら、一緒に行けばええんよ、ウチら薩摩へ湯治しにいくんよ、一緒に行こう」

 お龍はそう言って雪に頬刷りして来た。

 そんな二人に龍馬は嫉妬して、ただ下唇をかみしめるばかりだった。



 長崎に帰ったのは三月の事だった。

 龍馬とお龍も共にやって来て、それぞれ亀山社中で過ごしていた。

 その間二人の武勇伝を聞けて雪はとても面白かった。それからしばらくして龍馬の治療の為に薩摩へと向かった。

『ユキ、新婚の二人が行く旅行を西洋では「ハネムーン」というのですよ』

 そうアルが羨ましそうに言って教えてくれたけれど、雪は何の興味も無くただ別れを惜しんで見送るばかりだった。

 その後雪はすぐに高杉に手紙を出した。

 銃を送ってくれた礼と、龍馬とお龍についての事を書いた。

 残念な事があるとしたら、龍馬が短銃を失くしたのでおそろいでは無くなってしまった旨も記載した。

「高杉さん、元気にしてるかな……」

 血を吐いた事もあり気になっていたのだが、きっと手紙に書いても高杉は教えてはくれないだろう。だからあえて何も書かずにいた。

「約束したもんね……絶対に新しいこの国を見るって……」

 外を見ると、すっかり散ってしまった桜の木が身に止まった。江戸とは違い長崎は桜の開花が早い。

 葉を茂らせ様としている桜を、雪はただ見上げていた――。



***


 それからは随分めまぐるしい日々が続いた。

 その中でも最も重大な物が、六月に行われた第二次長州征伐だ。

 幕府側は徳川家茂引きいる一〇万二〇〇〇の天下の軍勢、長州側は高杉が作った奇兵隊という組織と有るだけの兵一万を使ってそれを迎え撃った。

 しかしこの時幕府側の大きな誤算は、薩摩が今回の征伐に参加しなかった事だろう。秘密裏に長州と密約を交わした薩摩藩は兵を動かさず、幕府の力を大きく欠損した。

 そして亀山社中が薩摩経由で運んだイギリスの死蔵の銃、高杉やその部下の大村益次郎の高い指揮能力が合いまって、数では圧倒的に不利だったはずの長州軍は幕府軍に対抗していたのだった。

 そしてそんな長州の元に、軍艦ユニオン号と共に坂本龍馬が援軍に駆け付けた。

 高杉や龍馬、長州藩士達は必死に抵抗し決着はなかなかつかなかった。

 そうして有ろう事か、幕府側は将軍徳川家茂を失った。

 将軍の死もあり幕府側の勢いはどんどん落ちて、とうとう九月に正式に調停より休戦の許しを得て、この第二次長州征伐は終わった。

 幕府を継いだのは一橋慶喜公で、正式に徳川慶喜となった。

 何でも徳川家康の再来と呼ばれているらしいが、誰であろうと関係なかった。

 

 長月に差し掛かった頃、アルがふと京へ行こうと言い出した。もちろん異人が京へ向かうのはかなり難しいので、二人は薩摩藩に御厄介になって、アルには外套(がいとう)と笠で外見を隠して京都までやって来た。

 薩摩藩邸でしばらくを過ごした後、ふとアルが三条大橋の近くの店に行こうと言い出したので、人通りが少なくなる夜を待ってから出かけた。

 洋食ではなく和食だったのだが、アルはなれないながらも箸を使って、雪の酌で日本酒も楽しんだ。

 こうやってアルと二人きりになるのは久しぶりの事だった。

『ユキ、京都は綺麗な街ですね、私の故郷とは大違いだよ』

 鴨川を見ながらアルはそう言った。アルは今アメリカに住んでいるが、元はイギリスの名家の次男だったらしい。

 だが雪はイギリスやアメリカがどういう所か知らなかった。だが日本よりはずっと良い所だと思っていた。

『無理を言って、京まで連れて来て貰ってすまなかったね』

『そんな事無いよ、アルには何時もお世話になってるんだもん、これぐらいさせて』

 そう言って微笑む雪。だがアルはまだ酒が残っているのに御猪口をおいた。

『ユキ、実は話さなきゃならない事があるんだ』

『どうしたのアル?』

 改まって何を言うのだろうか、雪がアルにきちんと向かい合うと、慎重な面持ちではなしはじめてくれた。

『僕はアメリカに帰らなければならなくなったんだ』

 それはあまりに突然の事だった。この二年半以上何かと面倒を見てくれていたアルが、遠い国へ帰ってしまう。長崎での生活もようやく安定して新しい目標も出来たのに、雪は驚きと悲しみで何も言えなくなってしまった。

『僕の養父の具合が悪くなってしまってね、正式に会社を継ぐ事にしたんだ。来年にはもう僕はこの国を去るよ』

 来年、まだ先の様にも聞こえるが、きっとすぐに来てしまうだろう。行かないで、とは言えなかった。ただ黙って頷いた、だがそんな雪の頭を撫でるとアルは微笑んだ。

『それでねユキ、僕は君に言わなくてはならない事があるんだ』

 雪がアルの眼をひたと見つめると、その続きを口にした――。


『ユキ、僕と結婚してくれないか?』


 それはあまりに突然すぎる言葉だった。雪の人生にとって初めての求婚で、何をどうすればいいのか分からなくなった。

『僕は君を女性としてずっと見て来た、君がどんどん攘夷に関わって危険な目に合ったり、人を傷つけたりする様な事をするのはとても嫌だったんだ』

 でもそれは雪が望んでやって来た事だ。でもアルはそれがずっと嫌だったなんて、全然気がついていなかった。いかに自分がアルを男性として見ていなかったか思い知らされた。

『ユキ、君は女の子なんだ、だから男の様に振る舞ったり国を変えようとしなくて良いんだよ、君はもう女性としての幸せを手に掴むべきなんだ!』

 そう言うと、アルは雪の手を掴んだ。その手は雪よりずっと大きくて男の物だった。

『アメリカに行って、女性として幸せになろう、ユキ!』

 あまりにも突然の事と、アルの必死な訴えで雪はどうすればいいのか分からず、不安になった。女として生きる、それは自分にとっては遠い過去に置いて来たはずの物だった。

 だからどうしてもすぐには答えが出なかった。


「おらぁ不心得者共、新選組十番隊だぁ! 神妙にお縄につけぇ!」

 突然三条大橋の方から怒号が響いた。

 どうやら捕り物が始まった様だ。急いで外を覗く雪。幾人かの男達が刀を交えているのが見えた。

『……どうやら逃げた方がいいと思う、アルは裏口から逃げて馬を連れて来て』

 アルは了承すると、二人はいったん別れた。

 雪は屋根に上がって周囲を見る、何人か顔見知りの土佐藩の人間と羽織の男達が見えた。新選組と名乗っていた、あの桂が気を付けた方がいいと言っていた奴らだ。

(……逃げるべきか、てっアル!)

 アルがそいつらに捕まっていた。慌てて助けるが、今度は雪が囲まれてしまった。

 持ち前の眼を使って奴らの攻撃を避けて、ついでに土佐藩の連中も逃がしてやったが、

「何をしているんだ、土佐藩を追え!」 

 新選組の奴らが土佐藩士を追う、距離が距離で走っても間に合わない、威嚇してやれば時間ぐらい稼げるだろうと銃を抜いた。

「止めろ龍久!」

 誰かがそう言っていた。その瞬間男が飛びかかって来て右手を押した。

 その時、初めてその男の顔を認識出来た――。


(龍久!)


 江戸に居るはずの龍久がなぜか、京都に居る。しかも新選組と一緒に居る。

 なぜと考える前に、弾丸は新選組隊士の肩を貫いていた。威嚇のつもりが、初めて人に向けて撃ってしまった。

(なんで……なんで龍久が此処に居るんだよ、しかも、新選組なんて)

 今すぐにでも声を掛けたい気持ちと、自分の正体を知られたくない思いが交錯して、喉の辺りで言葉がつっかえた。

 何も言えずにいると、アルが馬を駆けてやって来た。

 龍久に何も言う事無く雪は駆け出した。槍が途中で飛んで来たがそんな事関係ない、ただ今はこの場から逃げたくてしようがなかった。

「なんで……いるんだよ、なんでこんなところに居るんだよ……龍久」

 雪はアルの背中にしがみ付きながらそう小さな声で呟いた。

 また、選ばなければならなかった。

 アルと一緒にアメリカへ行くか、

 龍馬とこの日本を造り変えるか、


 雪は選ばなければならなかった―――。



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