一四話 邂逅
突然の乱入者に二人は驚いていた。龍久だって驚いていた。
ただ葛葉だけは、この場で一人不敵に笑いながら堂々と腰を下ろした。
「随分楽しそうな話をしてるじゃないの、俺達も混ぜてくれないかねぇ」
「こりゃあたまげた、客が来るとは思わんかった」
日本人の男がそう言った。話し方を見るにこの男は土佐の人間らしい、なぜ異人と此処にいるのか、三条大橋の一件の何か関係があるのか、様々な憶測が飛び交っていた。
「龍久、こいつは亀山社中の坂本龍馬、お前も名前ぐらいは聞いた事あるだろう?」
「坂本龍馬って! あの脱藩浪士か!」
流石にその男の名前は、龍久も知っていた。
何度か新選組の中でも聞いた事があった、詳しく知っている訳ではないが裏で何か色々とやっているらしいと言う話を聞いた事があった。
「そんで、そこの米国の人はアルバート・ハルトマン、長州に銃を売る武器商人だ」
長州という言葉を聞いて、龍久は身構えた。去年の六月にあった第二次長州征伐が失敗したのは、まさかこの男のせいなのでは、と考え刀を抜こうとしたがここでは帯刀禁止で、預けたのを思い出して、焦った。
「焦るな龍久、良いから座れよ」
葛葉に促されてしぶしぶ座ると、坂本が笑った。
「まるで犬の様じゃ、うんと面白い男ぜよ」
「なんだと!」
憤慨するが、相変わらず彼は笑ったままだった。刀が無いのでしぶしぶ怒りを納めた。
「さてと坂本さん、俺はあんたに話があって此処に来た、そしてこいつはあんたの護衛に話があって此処に来た、どこに居るんだ?」
「わしゃあ此処でアルバートと一杯やっていただけぜよなあアル」
「ハイ、一度此処ニ来テミタカッタノデ」
そうアルバートが日本語で話しだした。まさか話せるとは思ってもみなかったのでまた驚いた。
「じゃあしばらく待ってろ龍久、その内お前の探している奴が現れるさ、それまで俺はこの坂本龍馬に聞いておきたい事がある」
「なんじゃ、わしに何の用じゃ?」
葛葉は坂本の酒を悪びれる様子もなく飲むと、口を開いた。
「あんたはこの国をどうしたい? どうやって変えるつもりか、こいつに話してくれ」
「えっ俺!」
自分は幕府側の人間だ。別に尊王攘夷派になったつもりはない。だから話など聞きたくはなかったのだが、坂本はお猪口を置いた。
「わしゃあこの国を洗濯するだけぜよ」
「洗濯ぅ、お前ふざけてるのか!」
声を荒げると、葛葉がそれを制した。しぶしぶ言葉を噤むがこの坂本という男は好きになれそうに無かった。
「わしゃもっと、この国を良くしたい、その為に動いちょる」
彼は尊王攘夷なのだろう、幾ら言われようと幕府派である龍久はあまり関心を持つ事が出来なかった。だが、あの少年と一緒に居たこの異人の方が気になって仕方が無い。
「おまんは考えた事無いか? この国が今外国に比べてどれ程劣っているか」
「それは……」
龍久がまだ幼かった頃にやって来た黒船に、幕府は何も出来なかったし、薩摩は英国と戦争して手も足も出なかった。
今日本はあまりにも海の向こうの国に劣っているのだ。
「でも、それも将軍様がなんとかしてくれるはずだ」
その言葉を聞いて坂本は下品にも大笑いした。つくづく勘に触る男だったが、葛葉も似た様な勘に触る笑みを浮かべていた。
「まあ、この国が弱くなったきっかけを作った徳川が尻拭いをするのはある意味道理だと俺も思うな……でもそろそろ舞台から降りた方が良いとも思う」
「葛葉、お前も尊王攘夷を掲げてるのか!」
彼の口から思想に関して聞くのは初めてだった故驚いたし、少しイラついた。
「まあ近い所は無くもない、でも俺はどちらかといえば中立だぜ、龍久」
「…………俺は旗本の人間だったんだ、幕府につくのは当たり前だろう」
もうなんだか深く考えるのが馬鹿みたいになって来て、龍久も酒に口を付けた。随分良い酒で、坂本の事が余計に憎たらしくて堪らない。
「幕府にゃ、もう長州を倒しきる力さえないときちょる、この国の舵取りをするのはもう限界になった証拠ぜよ」
第二次長州征伐は失敗に終わった。その理由は、将軍徳川家茂公が亡くなった事もあるが、まず幕府事態にたった一藩を倒す力が無くなってきている証拠であった。
「じゃあ、幕府は倒すしかないって言うのかよ! この三〇〇年将軍家のおかげで平和にやって来られたんだ、それなのに要らなくなった途端に捨てるのかよ!」
武士たるもの、使えると決めたのに最後まで尽くす者だろう。だからどうしても将軍家や幕府を捨てる事は龍久には出来なかった。
「わしゃ別に捨てるつもりはない」
坂本がそう口を開いた。龍久は面を上げて彼をしかと見つめる。
「この日本という国は、嵐の中を航海しちょる、幕府一人ではその舵を取る事はもう無理じゃか、だからそこ皆でその舵を取る時が来たぜよ」
その言葉は力強く、説得力が合って、その気にさせられる不思議な魅力がある様な気がした。
「わしゃ、幕府を倒すつもりも無いぜよ、ただ皆が仲良く暮らせるようしたいだけじゃ」
そう笑顔で言うこの男は本当に訳の分からない男だった。
敵なのだろうか味方なのかだろうか、本当に雲の様に掴めない奴だった。
「よかったなあ龍久、これでお前はまた一つ利口になった訳だ」
「うっうるせぇ! 頭をなでるんじゃねぇ」
葛葉の腕を振り払うと、龍久は改めて目の前の異人に視線を移す。
「おい、お前あの時の仮面の奴はどこに居るんだ」
「I do not know」
「異国の言葉でしゃべるんじゃねぇ! 日本語分かるんだろう」
今にも異人の胸倉を掴みそうな龍久を葛葉が引き止めた。
「アルさんよぉ、話してくれないか? あんたのボディガードについて」
「アノ子ニ何ノ用デスカ!」
思わず言ってしまったのか、アルと呼ばれた男は口を塞いだ。やはりあの少年も何処かに居るらしい。
「今日も傍に居るんだろう? どこに居るんだ」
「……知リマセン」
「こいつ、正直に言え!」
龍久が拳を握ったその時、一階から騒々しい音がした。
遠すぎて何と叫んでいるかは分からないが、何か争っている様な声に聞こえた。
「なっなんだぁ?」
「龍久君、龍久君、もう一歩こっちに寄りなさい」
葛葉が酒を飲みながらそう言った。一体何を言っているのかさっぱり分からないが、とりあえず一歩葛葉の方に寄った。
その時、突然襖が吹っ飛んで来た。
正確には男が襖と一緒に飛んで来たのだが、そんな事どうでも良かった。
なぜ突然男が飛んで来たのかが分からない。ただ茫然としていると聞き慣れた声がする。
「新選組だ、大人しくお縄に付けぇ!」
それは抜き身の刀を振り回す平助と沖田だった。
なぜこんな所に一目で遊びではないと分かる格好でいるのかが分からない。
「へっ平助に沖田さん! なんでこんな所に居るんだよ!」
「たっ龍久! お前が遊びに来ていたのはこの店だったのかよ」
驚いたのは平助も同じ様で、事情を説明してくれた。
「いや、不逞浪士が屯所を襲うっていう会合をこの店でしているって話を聞きつけて来たんだ、突然の事だったからお前に連絡出来なくて……」
「でも、龍久君の出番なんて無いけどね」
そう言いながら、沖田は平然と襲って来た男を斬り殺した。
「あれぇ、なんでこんな所に異人がいるのぉ? それにそこの人は……」
沖田がそう言うと、坂本はアルバートと共に逃げた。
「逃げるが勝ちぜよ!」
不敵に笑いながら坂本に、苛立ちを感じながらも龍久はその後を追うと、平助と沖田が付いて来た。
「龍久君追い掛けるのは良いけどさ、君丸腰で何しようって言うの?」
「俺の脇差貸してやるから、無理するんじゃねぇぞ」
平助から脇差を受け取る。坂本達の後を追いかけるといつの間にか店の中庭に出た。そこには他の隊士がいた。これで逃げ場を完全に塞いだ。
「もう逃がさねぇぞ坂本龍馬」
「おうおう、こりゃあまずいのぅ」
そう言うと、懐から短銃を取り出した。それに思わず身構えるが、銃程度でひるむ新選組ではない。
「すげぇすげぇ、幹部連中がこんなに集まるなんてなぁ」
葛葉はちゃっかりお銚子を持って一階の屋根に上ってその様子を見ていた。
「お前何時の間に、て言うかあぶねぇぞ!」
「なあに、大丈夫だって、それより龍久お前目ぇかっぽじっとけよ」
一体何の事だか分からない龍久に向かって、彼はその言葉の続きを投げかける。
「来たぜ、お待ちかねの奴がな――」
それはあまりにも唐突の事だった。
瞬きの様な一瞬の間に、そいつは現れた。
白い髪を翻し、仮面を月光で怪しく輝かせながら、そいつは空から舞い降りた。
その姿は本当に美しくて、まるで何か別の次元の存在の様にさえ思えた――。
「龍久! あいつがお前の言ってた奴か」
平助が刀を構えながら聞いて来た。そう、間違えなくあの日見た仮面の少年だった。しかし此処は島原、彼もまた刀を持っていなかった。
「へぇ、確かにその辺の不逞浪士とは違うね」
沖田は嬉しそうにそう言うと刀を構える。今にも斬りかかりそうな彼よりも先に、平助が動いた。
「うおりゃあ!」
力を目いっぱい込めた斬撃を繰り出した。早く鋭い斬撃で、避ける事は不可能に見えたのだが、仮面の少年はそれを後ろにさがる事で平然と避けて見せた。
「なっ」
驚く平助、そんな彼の懐に向かって少年は蹴りを入れた。それを避ける事は出来ず、もろに食らってしまった平助だったが、すぐに体制を立て直し再び剣を構える。
「確かに原田さんの言うとおり、攻撃があたんねぇや」
「…………」
少年は言葉が分からないのか無言を貫いていた。ただ刀を構える様な事はせず、堂々とその場に立っていた。
「これでどうだぁ!」
平助は瞬時に間合いを詰めて、再び斬りかかる。今度はより警戒して一撃ではなく連続して斬りかかる。だが、少年はやはりそれを身をかわすと言う簡単な動作で避けてゆく。
そして一瞬の隙をついて、少年は平助の腕を掴み取りそのまま思い切り投げ飛ばした。
「うわああああっ」
投げ飛ばされた彼は地面に思い切り打ちつけられた。背中を打った様で抑えている。
「大丈夫か平助!」
心配して駆け寄るが、大した怪我ではなさそうだった。
「平助君てっきり蹴られた所の方が酷そうに見えたけど、そうでもないんだね」
沖田が冷静に分析しているが、確かにその通りだった。随分鳩尾に近い所を蹴られた気がしたのだが、平助はそこを痛がるそぶりは見せていない。
「そっちは痛くねぇよ……新八さんの奴に比べればへでもねぇ」
彼の物と比べればその辺の蹴り全てが軽い物になってしまうのだが、それでもあれだけ強そうに見えた蹴りがなぜこんなにも軽い物なのか、疑問は膨らむ一方だった。
「次は僕が相手だよ、異人は一度斬ってみたかったんだぁ」
そう楽しそうに頬笑みながら、沖田はただ立っているだけの少年に向けて構える。
天才剣客と謳われる沖田の実力を見るのは、これが初めての事だった。
「どうしたの? 構えないの君?」
仮面の少年はやはり構えずその場に立ち尽くしている。沖田はしばし待ったがやはり構える様子が無い事を悟ると、動いた。
「きえええいっっ」
まず踏み込みながら右から左へと切り裂く、それを少年は身を翻して避ける。しかしそれは分かっていた様で、すぐ様それを追撃する様に左から右に掛けての下から斜めに切り裂く。
「――――っ」
仮面の少年はそれを寸での所で避けた、そして彼が大勢を立て直す暇も与えずに沖田は追いうちを掛けた。
「いやああああああっ」
怒号と共に放たれたのは突き、だがただの突きではない。
(三段突きだ!)
それは、沖田が最も得意としているもので、三回連続で相手を突き崩す技なのだが、彼がやるとあまりの早さで一撃の様に見える、必殺技だ。
今までアレを避けた者はいなかった。
少年について知りたい龍久にとって、彼が死ぬのは良い事ではなかった。だが止める暇などなく三段突きは放たれた――。
そして、少年の上半身は消失した。
「えっ?」
そう声を漏らしたのは沖田だった。幾ら最強の技だとしても、上半身が吹き飛ぶ様な事は無い、驚きのあまり漏れた言葉。
そして沖田は見た、仮面の少年は地面に手足を付き、まるで大橋の様に背中が沿っているのを――――。
「あっ―――」
少年はそのまま足を天高く持ち上げた。
沖田の顎に少年の蹴りが当たった。
酷く鈍い音がした。
だが、龍久は沖田を心配する暇など無かった。
(いっ……今のは……)
「龍久君、龍久君、ぼうっとしていないで斬り込みに行ったらどうなんだい? 坂本達逃げちまうぜ」
そうこうしている内に、坂本とアルバートは逃げ出そうとしていた。
だが今の龍久にそんな事気にしている余裕はない、ただ眼の前に居るこの仮面の少年が龍久の全てを虜にしていた。
だがそんな龍久の眼に別の物が写り込んだ――。
「新選組副長土方歳三、此処に推参!」
土方が現われた。
坂本龍馬の退路を塞ぐように布陣すると、土方が抜刀した。
「おい総司、随分派手にやられてるじゃねぇか、面白かったぜ」
「嫌ですね、まだ本気出してないだけですよ」
あれだけの蹴りをくらって居ながら、沖田は立ちあがった。
「坂本龍馬か、大人しく捕まって貰おうじゃねぇか」
今度は鬼の副長のお出ましだった、すぐ様坂本に斬りかかろうとしている彼だったが、その間を塞ぐ様に仮面の少年が立ち塞がった。
「ほうら、お前さんの得物ぜよ!」
坂本が少年に向かって刀を投げた、それを受け取るとすぐ様抜刀した。
刀身が光を反射していて、なぜかそれが禍々しい物に見えた。あんなに美しい刀が月の光のせいなのだろうか、怪しく美しく輝いていた。
「あれはもしや妖刀『村正』」
遅れてやって来た斎藤がそう言った。普段は良く分からない人だが、刀を見る目はまるで少年の様に輝いていた。
「村正って! 徳川殺しの刀!」
刀についてあまり知識の無い龍久でも知っている妖刀だった。斎藤は深く頷いた。
「徳川家康の時代に様々な禍事が降り注いだため、その大半が破棄されたと言うが、あれほど美しい姿を保ったまま残っているとは……素晴らしい」
何を感心しているのかと半ば呆れたが、村正が倒幕派連中に人気だった事は知っている、しかしその大半が偽物で本物などもはや数えるほどしか残っていないと言うのに、まさかこんな所にあるとは驚きだった。
「はっ、村正なんて持ってる時点で幕府に盾突く不心得者って事じゃねぇか、坂本と一緒にひっ捕らえてやるぜ」
土方の覇気と言うのは正に鬼にも似ていたのだが、仮面の少年はそれで竦んだりしやしなかった。
「俺は総司の様にはいかねぇぜっ!」
そう言い放つと思い切り少年の右側に踏み込んだ、それに反応する様に少年はすぐ様左へ避ける、そうしてすぐ様村正の斬撃を放つのだが――。
「Don't kill」
アルバートの怒号でその斬撃は土方を大きくそれて、地面に叩きつけられた。驚いたのは土方だけではない、少年は反論する様にアルバートを見る。
「なんて言ったんだよ今……」
「殺すなって言ったんだよ、アルバートはどうやら人殺しをさせたくねぇみたいだな」
そう葛葉が説明してくれた。しかし戦局はその間に大きく動いていた。土方と仮面の少年は刃を交えて、両者の刃からギチギチと金属の噛みあう音がした。
「副長の和泉守兼定と互角に割りあうとは、流石村正と言うべきか……」
こんな時でも斎藤の眼は煌めいていた。
だが彼だけではない、他の者の眼もこの戦いに釘付けとなってた。鬼の副長と謎の剣士のこの戦いが、一体どうなるのか、一時も眼を離す事は出来なかった。
「なんだかさっきよりあの剣士の動き鈍くねぇか?」
平助がそう言うと確かにそうだった、なぜだか沖田達と戦った時よりも、仮面の少年の動きは遅く、本当に紙一重の所で土方の攻撃を避けていた。
(一体どうしたって言うんだよ)
一抹の不安があった、もしもという言葉が何度も頭をよぎった。
このまま二人を戦わせてはいけない様な、そんな気がしてならない。でも止められるはずもない、あそこで行われている戦いは、次元が全く違っていたのだから。
「うおりゃあああああああっ」
土方は怒号と共に右へと踏み込み、左から右へと速く鋭い一太刀を浴びせかける。
少年はそれをぎりぎりの所でかわすと、顎に向けて蹴りあげる。
しかし、そこに土方はいない。土方は縁を描く様に体を回して少年の右側に居た。
「これで終いだ!」
土方の鋭い突きが放たれた――――。
斬られた白い髪が、はらはらと宙を舞う。
兼定が宙を切り裂いた。
外れた仮面が、地面に落ちた。
そして何もかもが眼に写った。
月の光はまだ黒味の残る白髪を照らしている。
冷たい光を帯びた肌が、まるで燐光の様に夜に輝いていた。
その美しいモノに、龍久の何もかもが吸い込まれた。
――それは、天原雪だった。




