一一話 陰陽師葛葉
七月一九日。
長州藩兵が、会津藩松平容保らの排除を目指して挙兵した。
長州の挙兵は『八月一八日の政変』以来の事で、この戦は後に『禁門の変』『蛤御門の変』と呼ばれる様になる。
この長州を迎え撃ったのは、以外にも会津藩と薩摩藩で有った。犬猿の仲のこの両藩が協力した事に驚いたが、そのおかげもあって幕府側が優勢だった。
新選組もこの戦いに参加する為に、直属の上司である会津藩にとりあったのだが、結局はほとんどが後手に回り、結果戦果をあげる事は出来なかったのである。
「……平助大丈夫かな」
池田屋事件の際斬られた平助は、残念ながらこの戦に出来る事は出来なかった。本人はとても悔しがっていたが、やむおえない。
「……コレどうしよう」
龍久の手にあるのは、平助の額当てだった。戦に出ない彼から借りて来たのだが、流石に額当てを二つも付けるのは重い。
(でも、あいつが嘘付いてるようには思えないんだよなぁ)
こんな嘘をついても徳は無いだろうと思い、平助の額当てを自分のそれにあてがえた。
長州の兵が付けた火は三日たった今日、ようやく鎮火して行った。
今は長州の残党を追う為に土方や沖田達と一緒に伏見を目指していた。
「あれ、龍久君何それ、すごく変だよ」
「いやまぁ……平助も来たかっただろうか……なんていうか、あははっ」
笑って誤魔化したが、沖田は相変わらずの笑顔を浮かべていた。
「でも、熱で倒れるなんて、沖田さん意外とおっちょこちょいなんですね」
あの日どうも彼の様子が可笑しいと思ったら、熱さにやられて今にも倒れそうだったらしい。まさか天才剣士が夏の暑さに負けるなど、意外だった。
「近藤さんが行くんだったら僕はどこにでも行くよ、龍久君」
その言葉は愛想笑いで返すしかなかった、この沖田という男はどうも食えない人だ。
「おいおめぇら、無駄口叩いてねぇで行くぞ、俺達は長州の残党を追ってるんだぞ」
土方が鋭い眼光をこちらに向ける。龍久は少々怖かったが沖田はへらへらと笑っていた。
「でも土方さん、肝心の残党なんて全然いないじゃないですか」
「大方民家にでも押し入ってんだろうよ、いいかあいつらを長州に返すんじゃねぇぞ」
そう言って皆に命令を出している土方を見ていると、あの少年の言葉が何度も頭を過る。
(まさか……既に狙われてるんじゃ!)
胸の鼓動が緊張と不安で速くなった。まさかと思いながらも周囲を警戒する。
そんな龍久の眼にチクリと光が突き刺さった。眩しさから目を閉じるが、恐る恐るもう一度眼を開けると、宿屋の二階から光が見える。
ただの光の反射だったのだが、この時龍久は敏感になっていたし、あの少年も言葉がもう一度はっきりと頭を過ぎる――。
――土方は何者かに狙撃される――。
気がついた時には体が動いていた、確証も確信もなかったが、ただ体が動いた。
野性的な勘が、龍久の体を一時的に完全に支配した。
「あぶねぇ土方さん!」
とっさに彼を突き飛ばした。その時、彼が何か怒鳴っていたのだが聞こえなかった。
土方の怒号よりももっと五月蠅い音がここでしたのだから。
龍久の頭から鈍い音がした。
ひっくり返る視界と、頭を貫いた衝撃を感じた。
体が地面に落ちて一度跳ねた。その時ようやく何もかも理解した。
(お れ う たれ た んだ)
あっという間に視界が真っ暗になって、薄れゆく意識のなかで、心配そうに顔を覗きながら何かを叫ぶ土方の顔が見えた。
それが最後に見た物だった――。
「…………ひさ、たつ……ひさ」
暖かな光と誰かの呼ぶ声が聞こえた。しばらくしてようやく意識が戻って来た。
ゆっくりと眼を開けてみると、なぜか平助の顔があった。
「龍久! 良かった気が付いたんだな」
頭に包帯を巻いている平助がそう嬉しそうに言っている。起きようとしたのだが頭に激痛が走って起きる事が出来なかった。
「止めておけ、君は頭に銃弾を食らったんだ」
そう言っているのは、見覚えのない男だった。歳は三〇ほどだろうか、簡素な着物を身につけて、随分顔は無表情だった。
「そう言えば君とは初めて会うな、私は山崎蒸だ」
その名には聞き覚えがあった、池田屋の時に平助が教えてくれた名前だ。つまりあの時の人影はこの人だったと言う事だ。
「山崎さんは薬屋の息子で、医学にも明るいんだ、お前を診てくれたのもこの人だよ」
そう言われて初めて気が付いたのだが、自分の頭には平助と同じ様に包帯が巻かれている。確か土方と沖田と共に残党狩りをしていた所まで覚えているのだが、そこから先が思い出せない。
「無理もない、額当てを二重にしてなければ君は間違えなく死んでいた、衝撃で記憶が飛んだのだろうが、君は副長を庇って残党の銃弾に倒れたんだ」
そう言われればそうだった気がするが、全然実感がわかない。だがその言葉から察するに、土方は無事らしい。
「邪魔をする」
そう言って噂の土方がやって来た。相変わらず眉が吊りあがっていて怖い。だがどこも怪我をしていない様子を見ると、どうやら自分がした事は無駄ではなかった様だ。
「おめえなんで俺を庇った、いやなんでお前は額当てを二重にしてたんだ」
その問いに答えるべきか悩んだ、流石にあの少年に教えるべきかどうか悩んだが、答えずにいると土方はため息をついた。
「馬鹿野郎、一歩間違えたらお前が死んでたんだ、もっと自分を大事にしねぇか」
そう言って頭に手を置いて二回軽く叩いた。鬼の副長の手は大きいけれど意外と優しい人間の手だった。
「それでだ、正式にお前には特定の隊についてもらう事になった、今まで雑用みたいなもんだったが、お前の士道しかと見せて貰い、それ相応の隊にしたつもりだ受け取れ」
辞令を受け取ると、それに目を通してみたのだが、
南雲龍久 九番隊組長ニ任命スル。
たったそれだけだったが十分に驚いた。まさかつい最近まで雑用ばかりやっていた自分が、九番隊の隊長になるなど、夢にまで思ってもみなかった。
「お前の働きはそれに十分値する、有りがたく拝命しろ」
「やったな龍久、これからは組長同士仲良くやろうぜ」
「おめでとう、監察としてこれからもきっちり君を見張っているよ」
なんだか祝福さえているのかいまいち良く分からないが、とりあえず有りがたく受け取る事にした。
「今は体を治す事に専念しろ、治ったらお前には組長として仕事をしてもらうからな」
そう言って三人は出て行った。
だが実は三人で自分を騙していて、その内戻ってくるんじゃないかと身構えていたが、その様な事はなかった。
龍久は頭の痛みを我慢しながら、ふと自分の荷物を漁ってみた。そうして籠の中から白い襟巻を取り出した。そう、これはあの時の物だった。
「……雪、俺組長になったみたいだよ」
真っ白な襟巻は答えてはくれなかったけれど、ただそれを頬にあてがえてみるととても懐かしい気持ちになれた。
「いやあ、女々しいね龍久君!」
突然そう声を掛けられて心の臓が飛び出るかと思った。だが思っただけで飛び出はしなかった。ふと軒先の方を見てみると、陽光の中にあの少年が立っていた。
「ありがとうさぎってか龍久君、いやめでたいねぇ組長だって、いやほんとおめでとうおめでとう、これつまらない物だけどね、まんじゅうあげる」
そう言って高下駄脱いで、ずかずかと上がり込んで来る彼だった。相変わらず変な格好の変な奴だった。
「おっお前! どこからっていや……そんな事どうでもいい、お前なんで俺の名前知ってるんだよ……違くて、お前はなんで狙撃の事知ってたんだ……そうじゃなくて」
「まあまあ、順を追って話すからとりあえず饅頭でもお食べ」
そう言って無理矢理饅頭を口に突っ込んでくる、それを振り払うとようやく本題を話し始めた。
「まあまず俺の名前は葛葉、年齢不詳の超美少年です宜しく」
そう言って深々と頭を下げて見せる、どうやら全く礼儀を知らないと言う訳では無い様だ。
「俺は見ての通り陰陽師だ」
「ちょっと待て、いきなりそんな事言われて信じられるか! 馬鹿も休み休み言え!」
どうやら常識は知らないようだ。いきなりそんな奇怪な事を言われて信じる人間などいないだろう、逆そんな人間を見てみたいものだ。
「まあまあ龍久君、とりあえず一回それを饅頭と一緒に呑み込もうか」
「だから饅頭は良いっての!」
再び饅頭を口に入れようとするこの葛葉という少年は、どことなく胡散臭かった。
だが嘘をついている様には思えないし、例えそれが嘘だったとしても自分には全く関係ない事だった。
「それで、その陰陽師の葛葉君は、一体俺に何の用なんですか」
「そうなんですよ、陰陽師の葛葉君は人を探していて、その人をみつけたいんですよ」
まさか人探しの為に新選組に近づいて来たのではないだろうな、しかも自分を組長にさせる為に、池田屋の事と禁門の変について教えて来たのなら割には合わないと思う。
「違うって龍久、俺の探している人間はお前の探している人間でもあるんだ」
「はあ?」
今自分は誰も探してなんていない。むしろ江戸では自分が家出人として訪ね人だろう。
「良いか龍久、人には縁という物がある、俺にはその人物との縁が薄いが、お前の縁は濃いんだ、つまりお前と一緒に居れば俺はその人に出会える訳だ」
なんだか急に難しい話になった。縁がなんだと言うのだ、そんな物に大した力があるとは到底思えない。どうやらおかしいのは恰好だけでは無く、頭もらしい。
「信じてないな龍久、まあ今は信じなくても良いけどよ……その内お前は、俺に『運命』を求める様になるだろうさ」
葛葉はそう言うと、顔をぐいと近づけて来た。思わず顔が後退していくがそんな事お構いなしで、彼はその指で龍久を指差す。
「俺は『お前が探している人を探している』、お前は必ずその人に出会う事になる、そうしてお前は『運命』を求める様になるだろう、これは予言でも何でもない、あくまでもそういう予定だ、いいな?」
一体何を言っているのか分からないが、葛葉にはどうも説得力があった。なんというか、陰陽師は皆こういう話術を持っているのだろうか。
「まあ、これから俺はお前の傍にいるからよ、宜しくな」
「はああ! ちょっと待てよお前」
「ちなみにお前に拒否権はないぞ龍久、いやあこれから宜しくなぁ、あはははっ」
そう言って大笑いしている葛葉、だが龍久はちっとも笑えない。
この良く分からない自称陰陽師葛葉は、ただ楽しそうに大笑いしているだけだった。
だが龍久は知らなかった、この時既に物語が大きく動き始めた事を――。




