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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第二部 京都編 新選組
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一〇話 池田屋事件

 六月五日。

 この日、龍久達平隊士達も広間へと集められた。

幹部達と平隊士達が、こうも一斉に揃う所を初めて目にした。

「皆に集まって貰ったのは他でもない、実は先日捕えていた不逞浪士がトシの拷問によって情報を吐いた、今宵会合が開かれるそうだ、皆にはこの不逞浪士どもを一掃して貰いたい」

 龍久が新選組に入って四月、初めてこのような大きな任務が動き出した。

 みな楽しそうにざわついているのを肌で感じていると、近藤の言葉がそれらを遮った。

「ただし、その会合がどこで行われるかは分かっていない、その為動ける者を三つの班に別ける事にする」

 そう言えば、最近屯所内で病人と脱走者が増えている気がする。いまいち名が売れていない新選組に嫌悪感を抱く者も多い、無駄に厳しい規則もそうさせる要因となっているのだろう。

「藤堂平助、南雲龍久以上一〇名は、局長と共に会合場所を探せ」

 土方がそう言うと、幹部席の方に座っていた平助が目で合図をする。嬉しそうに笑っている彼を見ていると、なんだか拍子抜けしてしまう。

「いいか、奴らは一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)様と松平容保(まつだいらかたもり)公の暗殺を企て、有ろう事か天子様を長州へ連れ去ろうとしているらしい、必ず不逞浪士共を捕まえろ」

 土方のドスの聞いた言葉で、身が引き締まる思いだった。

 こうして、龍久の初めての新選組としての任務が始まったのであった。


 近藤隊には平助の他にも、新八と沖田も一緒だった。全部で一〇人と他の隊より少なかった故に、少々腕の立つ人間が多かった。

 土方隊と井上隊と、屯所待機の山南隊と別れ、近藤隊は宿場をひたすらに聞き込んだ。


「本当に会合なんて見つかるのか?」

「なに言ってたんだよ龍久、見つけるんだよ」

「そうだよ龍久君、近藤さんがいるんだから、必ず見つかるはずだよ」

 平助も沖田も一寸も疑っていなかった。特に沖田の近藤に対する信頼は少々行きすぎている様にさえ思える。今は新八と共に池田屋(いけだや)へと向かった近藤をしっかりと見つめて、視線を外す事はなかった。

(沖田さんって、近藤さんの事慕ってるよなぁ……土方さんの悪口は良く言ってるけど)

 そんな事を考えていると、二人が戻って来た。何やら深刻そうな顔をしている。

「どうやら様子が可笑しい、池田屋の主人俺達を見て誰かと人違いしたみてぇだ」

「あの主人の狼狽ぶりから察するに、どうやら池田屋で間違えないと思う、急いで土方隊と井上隊に連絡を入れてくれ」

 一番地位が下である自分が動こうと思ったのだが、路地から黒い影が現れて頷くと立ち去って行ってしまった。何が何だか分からずに吃驚していると、平助が口を開いた。

「今のは、監察の山崎さんだ、多分その内顔を合わせられると思うぜ、まあ良い人なんだけとちょっと口数が少ないって言うかなんいうか……」

 そう言えば監察の人間とはあまり面識がなかった。そもそも自分の様な平隊員を監視するのが仕事なのだから、面識が無くて当たり前と言えば当たり前だった。

「近藤さん、どうするんですか? 土方さんなんて待ってないで、とっとと斬っちゃいましょうよ、僕が全員斬り殺して来ても良いですよ」

 沖田があの愛嬌のある笑顔でそう言った。そんな顔で平然と恐ろしい事を言うのだから、背中に悪寒が走った。

「局長、総司のはちょっと言い過ぎだが、俺も乗り込んだ方が良いと思うぜ、後手に回るのはよくねぇ」

 新八がそう言うと、近藤もその様に考えが動いた様で、池田屋を見つめると頷いた。

「恐らく数ではこちらが不利だろう、その為他の隊が合流するまでは敵の『斬り捨て』を許可する、だがあくまでも合流までだからな、総司」

 そう楽しそうに笑っている沖田に釘を刺していた。肝心の当人は、聞こえていないのか笑っているだけだった。

(大丈夫かよこの人……)

 龍久は内心そう思いながら、池田屋へ突入する皆に続いた。



「御用改めである、手向かいいたすと容赦なく斬り捨てる!」

 近藤のこの言葉によって、池田屋での戦闘が開始された。

 まず、近藤、平助、沖田、新八の四人が乗り込んで行き、それに幾人か続いたが、残りの数人は、三条通り沿いの入り口と裏口を固める事になり、龍久は入り口を固めていた。

 二階に乗り込んで行った近藤と沖田。一階で待機する新八と平助。

 近藤の甲高い叫び声が聞こえたかと思うと、不逞浪士達がまるで蜘蛛の子を散らす様に一階へと逃げ出して来た。

 それと同時に池田屋の明かりが騒乱の中で消え、暗闇の中の乱闘となった。

 怒号と悲鳴が交錯して聞こえる、到底龍久の様な凡人に戦う事が出来るとは思えない。平助や沖田の様な剣の才能がある訳はないのだから――。

「……雪、俺はお前みたいには戦えないよ」

 あの少女は、一体どういう気持ちで辻斬りを斬ったのか分からない。でも今自分はこの入り口をしっかりと固めなければいけない。

 自分の任務に集中し様とした時だった。

「おいおいおい、男が何弱気な事言ってんだよ、女々しすぎるだろぉ」

 全く聞き覚えのない声に驚き、思わず身構えるが周囲に人影はない。

「お~~いっこっちだよこっち、もうちょっと上を見てみろよ」

 どうやら声は上からしている様で、ふと向かいの店へと視線を移してみると――。


「こんばんわに!」


 店の門の上に座っていたのは、年が近い少年だった。

 しかしその少年は、童水干と呼ばれる平安時代辺りに着られていた着物を身に纏い、高下駄で随分背丈を誤魔化していた。

 髪は少々茶が目立ち、眼の色も随分薄い色で、何と言うか奇妙な少年だった。

「だっ、誰だ! 不逞浪士の仲間か!」

「おいおい、それは超酷くない! 俺みたいな美少年があんな奴らの仲間な訳がない!」

 言葉も言動も可笑しな奴だった。龍久は刀を抜くと少年は驚いた。

「おいっちょっと待ってくれよ! 俺はお前の敵じゃねぇ、俺はお前に伝えたい事が合ってここまで来たんだ!」

 伝えたい事、と十分警戒しながらその少年の話を聞く事にした。

「いいか、来月に長州が大きな戦を仕掛けてくる、その時土方が何者かに銃撃される……それを止めたかったらお前は額当てを二重にしておけ」

 全く意味が分からなかった。戦だって笑わせてくれる、そんな馬鹿な事起こるはずがないと内心この少年の事を嘲笑っていた。

「まあ、信じるも信じないもお前次第だ……、それともう一つ」

 少年は門の上で仁王立ちすると、少し悪っぽい笑みを浮かべながら、池田屋を指差した。それが気になって、少し視線を後ろにやると、少年が口を開いた。


「今行かないと、みんな死んじまうぞ」


 一体どういう事なのか一瞬分からなかった。

 それは池田屋で戦っている幹部の事なのだろうか、だがなぜそれがこいつに分かるのだろうか、しかし適当に言っている様にも思えなかった。

「中庭に行け、そこに藤堂がいる……今度はちゃんと助けてやれよ」

 一体それがどういう意味なのか、理解する時も与えず少年は消えていた。ただ不穏な言葉だけを残して――。

「なんなんだよあいつ……」

 考えている暇などなかった。龍久は内心迷いつつも、兎に角池田屋の中へと入った。

 すると血の匂いが充満している、どれも不逞浪士の亡骸によるもので有ると分かった。

 どうやら敵は裏口へと向かっているらしい、裏口から出てすぐに長州藩邸があるので、そこへみな逃げようと必死になっているらしい。 

 龍久は中庭へと急いだ。どうかあの少年の言っている事がただの世迷言で合って欲しいと、この自分の不安がただの取り越し苦労であれば良いと思いながら――。


 けれども中庭に居たのは、血だらけの顔を抑える平助だった。


「平助!」

 龍久は軒から中庭へと入ると、平助のすぐ隣に今にも彼を斬り殺そうとしている不逞浪士の姿を見つけた。このままでは彼が死ぬと、直感でそう思った。

「やめろおおおおおおっ」

 龍久は平助と男の間に入ると、振り下ろされた剣を己の剣で迎え撃った。

 強い剣撃だったが、龍久は必死に耐えた。このままでは平助が殺されてしまうから、ギチギチと鈍い音を立てて噛みあう刃。

「もう、もう死なせたくないんだ! もう俺は友を死なせたくないだああああっ!」

 怒号と共に龍久は渾身の力を込めて、その男を押した。

 突然押されて体制を崩した所を龍久は逃しはしなかった、すぐ様踏み込みながら左肩から右わき腹に掛けて斬り捨てた。

(浅い!)

 手ごたえからそれが浅かった事を知る。不逞浪士は傷を負いながらも必死に剣を振り下ろした。

「しまった――――」

 龍久は死を覚悟して目を瞑った。


「かっこ良かったぜ、龍久」


 そう暗闇の中から聞き覚えのある声と、男の悲鳴が聞こえた。

 恐る恐る目を開けてみると、そこには頼もしい新八の姿があった。

「なっ永倉さん!」

 その姿に安堵しながらも、彼の足もとに倒れている不逞浪士を見下ろした。人を斬ったのはコレが初めてだった――少しだけ手が震えていた。

「たっ龍久……大丈夫なのか?」 

 血まみれの顔を抑える平助がそう聞いて来た、どうやら額を斬られ、あまりにも酷い流血のせいで眼が開けられなくなっている様だ。

「ああ、永倉さんが来てくれた……有難うございます永倉さん……あっ」

 龍久はそんな彼さえも左手の甲を斬られていた事に気が付いた。こんな傷で剣を振るうなど、何と言う男なのだろうかと度肝を抜かれた。

 手負いの二人を引かせようと思ったのが、いつの間にか不逞浪士達に囲まれていた。数的には圧倒的に不利だったのだ、このような状況になるのは当たり前といえよう。

「くそう、他のみんなも危ないって言うのに……」

 近藤と沖田がどうなっているか知りたかったが、今は目の前の敵に向かい合うしか出来なかった。こちらは手負いの新八と戦闘不能の平助を抱えている、あまりにも不利だった。

 緊張の睨み合いが続いたその時、龍久の視界に身覚えのある人影が写った。

「土方隊到着! 命が惜しくねぇ奴は掛って来い、この俺が相手になる!」

 その姿が頼もしくて堪らなかった、遅れてやって来た土方隊は、すぐに不逞浪士達を斬り伏せて行く。

「新八どうしたよ、随分やられてるじゃねぇか」

「うるせぇやい、美味しい所は全部この俺が頂いたからな左之助」

 そんな二人の会話でどうにか龍久は肩の力抜く事が出来た。そしてもう一度平助の傷を見るていると、土方が話しかけて来た。

「藤堂は大丈夫か、随分酷い怪我だが……」

「一応当て布だけでも俺がして置きます」

 手拭いを裂いて平助の頭をきつく締める、これで血の流れが止まれば良いのだが。

「龍久、お前怪我はねぇか?」

 頷いて見せると、土方は普段は見せない穏やかな表情になった。

 どうやら彼なりに心配をしてくれていた様だ。

「後は俺たちに任せておけ」


 こうして新選組は、九名打ち取り、四名の不逞浪士を捕縛した。

 事件が収束を見せ始めた頃に、先に連絡を入れていた会津藩と桑名藩がやって来たが、新選組の情報を信用せずになかなか動かなかった彼らに、この手柄を取られたくないと、この両藩に土方は立ち塞がり、池田屋には一歩も踏み入れさせなかった。

 近藤と沖田も無事だったのだが、沖田はこの暑さで体調を悪くして倒れていた。

 一部の逃げた浪士達を追いかけて、自体が完全に終息したのは朝方になってからだった。

 新選組の裏口を守っていた奥沢が死亡、安藤と新田は酷い深手を負った。

 他にも会津藩は五名が、彦根藩では四名が、桑名藩は二名の死亡者を出した。どれも逃亡した不逞浪士を追っていた際に戦闘になった為である。

 しかし、御所焼き討ちの計画を未然に阻止できた新選組の評価は高かった。

 尊攘派の主要人物達は打ち取られ、尊攘派に大きな打撃を与える事に成功した。

 だが龍久はどうしても明るい気持ちにはなれなかった、あの少年が言っていた言葉。

「……戦なんて、起きないよな?」

 そう自分自身に言い聞かせながら、龍久は屯所へと帰った。

 しかしこの一ヶ月後、長州が京都へと兵を向けたのである――。


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