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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第一部 江戸編
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序章 未来への手紙

 この時伊邪那伎命、大く歓喜て詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終にはしらの貴き子を得つ。」とのりたまひて、すなはち御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大神に賜ひて詔りたまひしく、「汝命は、高天の原を知らせ。」と事代さして賜ひき。                                         

                        ――古事記より抜粋

 神の国を治める、最も尊き神は女であった。

 ならばこの国を治めるべきものも、本来は女なのかも知れない。

 今から此処に記せし事は、我が子孫に宛てる過去の記録であり手紙でもある。

 絶対に歴史の表舞台では語られる事の無かった、一つの時代の終焉の物語を、我が子孫に知ってもらう為に、記す。


***


 文久三年(一八六三年)、三月一五日 江戸。

 一本の山道を、多数の人が歩いていた。

 籠を囲む様に歩くその一団は、輿入れであった。

 この日武家天原家嫡女である天原雪は、大身旗本、南雲(なぐも)家へと嫁ぐ事となった。

 大変豪華な嫁入り行列は、天原家側の気合いの入れ様を感じるというものだ。

 天原雪、齢一五。

 今だ幼さの残るこの女子、初めての婚礼で緊張していた。

(…………落ち着け、大丈夫だ)

 気持ちを落ち着かせる為に、何度も深呼吸をした。だがそれでもこの心臓の鼓動は一向に元に戻る事はなく、小刻みに脈打っている。

 気分を変えようと、少しだけ外を見ようとすだれを上げる。

 杉の木の合間から見える空には、ずいぶん高い所を飛ぶ鷹の姿があった。あんな風に自由に空を飛べれば良いのにと思っていた。

 そんな時であった、一人の男が、馬を駆ってこちらに向かって走って来た。

 気になった雪は、外の様子を覗いていた。

「一体どうしたと言うのだ!」

 誰かがそう尋ねると、男は答えた。

「天原家の者だな」

 男の馬には南雲家の家紋があった。男はどうやら南雲家の人間らしい。

「この婚礼は無効だ! 即刻引き返されよ!」

 あまりに突然の事で驚く行列。だが何の理由なしに帰れぬと、その理由を問う。

「天原雪には、別の男との不貞行為があった! その様な汚れた女誰が貰うものか!」

 


 全く身に覚えのない事だった。何かの間違えだと言おうとしたのだが、声が出なかった。

「そちらの不貞を見逃す訳にはいかぬ、この婚礼はなかった事にしてもらうと、当主陽元に伝えておくのだな!」

 そう言い残し、男は去って行く。

 この行列は、あまりの驚きに、何も言えずに呆然と立ち尽くしている事しか出来なかった。



***



三月一九日。

とある谷沿いの道を、一人の旅人が歩いていた。

白を基調とした着物を来て、藍色の袴にそれなりの品の打刀と脇差を差し、日よけの笠をかぶり、簡素な旅の支度をしたどこにでもいる旅人であった。

 旅人は、ふと立ち止まり空を見た。

 日がずいぶん高いところまで顔を出していて、眼が眩みそうになるその陽には日輪が出来ていた。

「……もうかなり来たかな」

 男にしては、ずいぶん高い声だった。

 それもそのはず、この旅人男の格好をしてはいるものの、実は女子である。

 旅人はかの天原家嫡女、天原雪であるのだから――。




 天原家ではあまりに唐突な婚約解消に混乱していた。

 当然雪には全く覚えのない罪に、どうしていいのかわからず何も言えずにいた。

 だが、それを見た当主陽元が苛立ったのは無理もない事だった。

「雪、貴様はこの天原家始まって以来の面汚しだ!」

「しっ、しかし父上、私は他の男性とその様な事は――」

「女の分際で、口答えをするか!」

 陽元はそう言って彼女に手を上げた。

 雪は驚いた、自分の娘の言い分を何一つ聞いてくれない父。今まで自分に男性を近づけなかったのは、彼自身だと言うのに――。

「女は黙って男の言う事だけを聞いていればいいんだ! お前は儂の言う事だけを聞いていればよかったのだ!」

 そう言って父は、一度たりともまともに雪の言う事を聞いてはくれなかった。

 これに彼女は悲しみよりも怒りを抱いた。

 女だからという理由で、此処まで非人道的な扱いを受けるなど、自分は何も悪い事などしていないのに――。



「こんな家、こっちから願い下げだぁぁ!」

 こうして、雪はわずかばかりの金子と家にあった適当な刀を持って、家を後にしたのだ。

 行くあてなどなかったが、少なくともあのまま家にいるよりはずっと良い。そう思って家を出て早二日、とりあえずもっと人が集まる所、上野辺りにでも行こうとひたすら歩いていた。

(……思ったよりも遠いんだな、これなら馬を拝借してくるんだった)

 小さい頃に、父の眼を盗んでは剣術と馬術をして来た。

 だがどれも独学で磨き上げた物なのでどこまで通ずるかもわからない。勉強だって、父や母の書物を沢山読んだ。

 女ながら文武はきっちりとそろっているつもりだ。

 これからは、道具として使われる女ではなく。自由に生きて行く男になる、そう決めてこのような格好で家を出たのだった。

「……ん、アレは」

 山道のすぐそばを流れる川に、何かが浮かんでいた。

 流木かと思ったのだが、それには手と足が生えていてどうやら人らしい。身なりから察するに男の様で、こんな緩やかな山道の川に死体があるなど珍しいことだ。

 雪はそれを黙って見過ごす訳には行かず、せめて弔ってやろうと川へと入った。

 年は自分に近いが年上と思える。着物も良い物でもしかすると良い所の出自なのかも知れない。

 刀も差しているのでこれは武士の家の子かも知れない。

 可哀想にと思いながら手を合わせ、お経を唱え始めた時だった。

「んっああ……」

「うわっ」

 死体は突然苦しそうに息をした。てっきり死んでいると思っていたのだが、どうやらまだ息があった様だ。

 経を止めて肩を揺らして意識の有無を確かめてみる。

「もし、もし、生きているなら返事をして下さい、もし、もし」

 何度か呼びかけると、男は眼を開けた。

「良かった、まだ生きてる……大丈夫ですか?」

 男は小さく頷いた。見た所酷い怪我をしている様子はない。

「何処か痛い所はありますか? あとは体の不調とか……」

 酷く苦しそうに体を持ち上げると、背中に激痛が走った様で抑えている。

「背中……ちょっとごめんなさい」

 上着を脱がせて、背中を見ると酷く打ちつけた様で赤くなっていた。

 この程度の怪我ならばと、昔読んだ本に書いてあったクチナシを探してみる事にする。

「少し待ってて下さい、すぐに薬草を探して来ますから!」




 薬草で調合した薬を塗り、自分の代えの衣を裂いて巻いた。

 あまり慣れていないので不格好にはなってしまったが、十分な応急処置だった。

「これ、その辺の野草を適当に汁物にしてみたんですけど……食べられますか?」

「ああ……すまない」

 彼が食べ始めたのを見て自分もそれに口を付けた。持って来ていた味噌を全部使ってしまった。だがこの怪我人を放っておく事は、雪には出来なかった。

「美味い……その辺の野草でこんなに美味いものが出来るのか……」

 やはり男は料理をしないからだろうか、何も知らないらしい。

 母は良く山の植物について教えてくれた、何が食べられ食べられないかを。

 野草汁を食べ終えると、男は改まってこちらに向き直った。

「本当に、君には礼を言っても言い足りぬ、この命を救ってもらっただけではなく、このように食べ物を分けて貰って……」

「いやっ良いんですよ、私はただ通りがかっただけですから……」

 改めてそうお礼を言われると、少し気恥ずかしかった。

 こんな事、当たり前の事をしているだけなのに。少し照れくさくなった。

「見た所、旅の者とお見受けするが……、どちらへ?」

「はい、上野に行こうかと思いまして」

「上野に住んでいるのか?」

「いえ……お恥ずかしい話ですが、父に勘当されまして、今はこうして風来坊をしているのです……あははっ」

 話すべきかどうか悩んだが、別に問題はないだろうと思い、出来るだけ明るく振る舞ってみたが、笑ってはくれなかった。

「……では行く宛が無いのだな! なら俺の家に来てくれ、命の恩人に野宿などさせられない、俺の家も上野なんだ」

 困った展開になってしまった。

 そんなつもりで助けた訳ではなかったのだが、まあ使ってしまった分の味噌を返してもらうぐらいならば良いだろうと思い、そのお誘いに乗る事にした。

「そうか、良かったこのまま命の恩人を返してしまえば、我が家始まって以来の面汚しになってしまう所だった」

 そう微笑むと男は、改めて頭を下げて見せた。


「俺の名は南雲龍久(なぐもたつひさ)だ、君の名は?」


 南雲龍久。

 それは、あの婚約を解消した南雲家の嫡男の名前。

 つまり目の前にいるこの男は、自分を路頭に迷わせた張本人であり、もしかしたら夫となっていた人物という事になる。

 このような偶然が本当にあるのだろうか、雪は神仏を呪った。

(そっ、そんな、この男があの南雲龍久……)

 確か自分より二つ年上の一七歳だと聞いていた。到底嘘をついている様にも思えない彼の態度を見ていると、どうやらこれは達の悪い冗談らしい。

「……どうした? 何か変な事でも言ったか?」

 名乗らない雪を不審に思ったのか、そう尋ねて来た。

 確かに此処で名乗らないのは不味いと思う、しかも彼は自分を完璧に男だと思っていて、よもや嫁だった者とは夢にも思っていないだろう。

「ゆっ……雪光」

 思わず口からそうでまかせでそう言ったが、なんて無計画な嘘だろうか。

「そうか雪光か、男らしい名だな」

「そっそうかな、君には負けるよ龍久」

 愛想笑いでそう誤魔化してはみたが、雪はこれからどうすればいいのかわからなかった。

 ただ半ば強制的に、龍久の家に案内されるしかなかった――。





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