少女と聖夜の来訪者
年の瀬も迫った、十二月の夜。
繁華街から離れたそのごみごみとした住宅街は、近頃いっそう冷え込んできた空気に包まれ、しんと静まり返っている。
古びた木造アパートの二階の一室。
少女は、真っ暗な部屋の中、人の気配に目を覚ました。
布団から身を起こし、手探りで天井から垂れている紐を掴み、引く。かちりとスイッチが入り、数回瞬いた後、蛍光灯が灯った。
その灯りに、大柄な男のシルエットが浮かび上がる。
この家には、男の家族はいない。
振り向いた男と少女の目が合う。驚きに目を丸くする少女。歳のほどは、一〇歳になるかならないかくらいだろうか。男はそんな少女の様子を見て、髭面にいたずらっぽい笑顔を浮かべ、左手の人差し指を口に当て、静かに、というジェスチャーをしてみせた。
そして、ゆったりと両手を広げると、満面の笑みを浮かべつつ、お決まりの挨拶を口にする。
「メリー」
すぅ、と息を吸い込んでいた少女は、その言葉を最期まで待つことなく、力いっぱい
「き」
とまで叫んだところで、男の大きな手で口を塞がれ、残りの「ゃーっ!」を言わせてはもらえなかった。
「むーっ! むーっ!」
「しぃーっ! 静かにしなさい!」
手の中でもがく少女。男はそれを必死でなだめる。
「大声を出すんじゃないぞ!? 静かにしているなら放してやる」
少女はなおもしばらく抵抗していたが、力ではかなわないと悟ると、やがて男に目で承諾の意を伝える。
男がゆっくりとその腕から解放すると、少女はすかさず壁際まであとずさり、毛布にくるまって身を守った。と言っても、四畳半のこの部屋では、男までの距離は数歩もないのであるが。
少女は精一杯の虚勢を張り、男を睨みつける。
男は手負いの野良猫のようなその姿に苦笑しつつ、仕切り直す。もう一度、顔に満面の笑みを呼び戻し、両手を広げ、少女に遮られた挨拶を繰り返す。
「メリークリ」
「残念でした! うちにはお金ないから!」
*
「いや、泥棒じゃないからね」
「じゃあママを狙った痴漢ね! あいにくママは仕事だから!」
「痴漢でもないわっ」
思わず、大人気なく声を荒げてしまう。男は苛立ちをおさえつけ、両手を広げて自分の姿を少女に示す。豊かな白髭が顔を覆う。真っ赤な帽子に真っ赤な洋服。いずれも白い縁取りがついている。右手には、中身の詰まった大きな白い袋。
「ほれ、よく見なさい。誰だか分かったじゃろ?」
「人さらいね! その袋にわたしを押し込める気なんでしょ!」
「ちがう! この服を見ても分からんか!」
「派手なパジャマ」
「寝間着じゃないっ! 確かにわしにもそう見えるが!」
「その袋も寝袋でしょ」
「だから寝に来たわけじゃないと言っておる!」
「あーっ! 畳の上なのに長靴はいてる!」
「いやこれブーツだから! わしの国じゃ部屋で靴は脱がないのじゃスマンなっ!」
一向に話が進まないまま、次第に少女の声が大きくなってくる。これでは埒があかない。男はさっさと要件だけすませてしまうことにした。
「この際、わしのことはよい。お前はこの一年良い子にしていたから、プレゼントをやろう!」
「いらない」
「えっ」
「知らない人から物をもらっちゃいけないんだもん」
言下にプレゼントを拒否されたばかりか、知らないと断言されてしまった。軽くへこむ男。しかし長年鍛えた押しの強さには自信がある。
「褒めてやっとるんだから、素直に好意は受け取っておきなさい!」
「やだ。別にご褒美が欲しくて良い子にしてたわけじゃないし。犬じゃないんだし」
「む、それはもっともじゃが……」
「だいたい、良い子とか悪い子とか、夜中に勝手に上がりこんでくる人に言われたくないし」
「う、そ、それは昔からの決まりで仕方なくだな」
「そんな人に褒められても説得力ゼロだし!」
「いやいやいや! わしの方は、ちゃーんとお前を見守っておったんだぞ? 信用しなさい!」
男の言葉に、少女の仏頂面がいよいよ険しくなる。
「ストーカーね!」
「はあ?」
「ロリコン! 子どもの敵!」
「なんでそうなるんじゃ!」
一方的にののしられ、ボロアパートの畳の上で、地団駄を踏む男。
「なんなんじゃお前さんは! ああして靴下を吊るしてあったから、来てやったと言うのに!」
男が指をさす先には、確かに少女の靴下が下がっていた。
カーテンレールにかけられた、プラスチック製の丸型の洗濯ハンガー。少女は、はあ? という顔をする。
「洗濯物を干してあるだけだし」
「なんじゃと!?」
少女の言葉にうろたえる男。そして、あることを思い出す。
「確かに、お礼にしては妙なものが吊るしてあるとは思ったのじゃが」
男が上衣のポケットから取り出したのは、少女が洗濯し、外からは見えないようにと部屋の中に干しておいた、母親の洗濯物であった。
見る見るうちに、少女の顔の険しさが増していく。
「やっぱりヘンタイだ!」
「ご、誤解じゃ!」
「変質者! 下着泥棒! おまわりさ」
再び大声を上げ騒ぎ出す少女。男も再びその口をふさぎ、振り回される両手を必死で抑えつける。
「お、大声はやめなさいっ! こんな時間に、近所迷惑じゃぞ!?」
「もがもがっ! へんはいっ! ひほははいっ!」
口をふさがれ両手を押さえつけられながらも、少女はいっそう激しく暴れ出す。じたばたともがくその膝が、偶然に男のみぞおちに入った。
「ぐぇっ」
思わず呻き声を漏らし、男の腕の力が緩む。その隙を逃さず、少女は男の腕の下から抜けだした。
二部屋しかない安アパートのこと、ふすまを開ければ、そこはもうダイニングキッチンである。少女は玄関脇にあった電話の受話器をとる。男には制止する間もなかった。
「もしもし警察ですか! 部屋にヘンタイが! 早く来て!」
事ここにいたり、男はついに目的を諦めた。
「ええい、覚えておれ!」
捨て台詞を残し、ほうほうの体で逃げ出した。
*
冬の夜空、赤い服の男は寒風に吹かれながらソリを走らせる。ポケットには、ついそのまま持ちだしてしまった、洗濯物が入ったままだ。よくよく考えれば、そんなものがお礼に用意されているわけはなかったのだが、年甲斐もなく喜んでしまった自分が恨めしい。
「まったく、あのじゃじゃ馬め……」
ソリを引くトナカイが頭だけで振り返り、目で「ドンマイ」を伝えてくる。
少女に蹴られた腹に、かすかに痛みが残る。
男は日頃から、世界中の子供たちの行いを、分け隔てなく見守っている。
あの少女は、しつけに厳しいことを自認している男の目から見ても、とても良い子だった。やや頑固者なのが、玉に瑕であったが。
プレゼントを受け取って喜ぶ、その笑顔が見たかった。
ふと地上を見下ろす。年若い女が暗い路地を歩いているのが目に入った。コートの肩からぶら下げたバッグ。片手には、コンビニエンスストアの白いビニール袋。人気のない寂しい場所でやや急ぎ足になり、ハイヒールの音をひびかせている。
そしてその数メートル後ろ。毛糸の目出し帽で顔を隠した男が、足音をひそめ、女をつけているのが見えた。その右手に握る物が、月明かりを受けて冷たく光る。
ソリの男は、軽く鼻を鳴らすと
「ふん。変質者というのは、ああいう奴を言うのじゃ!」
言うやいなや、手綱でトナカイを軽く叩き、ソリの速度を上げ、急降下させた。目出し帽の男が、まさに女に追いつこうと足を早めた瞬間、その間に割って入る。驚き立ち止まった男の襟にソリの足を引っ掛けると、一転して急上昇。もろともに上空に舞い上がった。
「うわーっ! なんだなんだ!」
「天知る地知る人ぞ知る。良い子にはプレゼントを。悪い子にはお仕置きを!」
「ええっ? まさかあんた!?」
「そのまさかじゃ。知っておるとは感心感心。お仕置きにちょっとだけ手心を加えてやろうぞ」
赤い服の男はニヤリと笑うと、手綱をさばき、ソリの速度と高度を上げる。
「ひいいいっ! 高いよ怖いよ! もう悪いことはしません助けておかあさーん!」
「くっくっく。やはりこうでないと調子が出んな! さあ、夜のお散歩じゃ!」
地上では、背後の騒がしい気配に振り返った女が、空遠く、既に小さくなりつつあるソリを目にして
「何かしらあれ?」
と首をかしげていた。
*
少女は、真っ暗な部屋の中、目覚まし時計の音に目を覚ました。
布団から身を起こし、手探りで天井から垂れている紐を掴み、引く。かちりとスイッチが入り、数回瞬いた後、蛍光灯が灯った。
眠い目をこすって起きだすと、布団を畳んで、石油ストーブに火を点ける。部屋着のスウェットに着替えると、夜の間に冷めてしまった風呂を追い焚きにセットする。テレビをつけて、ダイニングキッチンのこたつに入った。
早朝の再放送アニメの音声をうつらうつらしながら聞いていると、やがてアパートの外廊下にハイヒールの足音が響く。
少女は飛び起きるように炬燵を出ると、玄関を開け、夜の仕事から返って来た母親を迎えた。
「おかえりママ!」
「ただいまー」
「お仕事お疲れさま。お風呂沸かしてある」
「ありがと。ケーキ買ってきたから、一緒に食べようね」
「うん」
肩からバッグを下ろし、ケーキの入ったコンビニのビニール袋をこたつの上に置く。いつになく弾んだ少女の声に、母親はコートを脱ぎながらたずねた。
「何かうれしそうね。楽しいことでもあった?」
「とっても変な夢を見たの」
「ふうん。後で聞かせてね」
「うんっ!」
大好きな、若くてきれいな母親の言葉に、少女はにっこりと笑って大きくうなずいた。
鍵の掛かった部屋から洗濯物が消えていた不思議は、その夜のいくつかのエピソードとともに、しばらくの間、二人の会話に上った。
その後それらの逸話は、ささやかではあるが幸せに満ちた生活の中で、いつの間にか忘れられていった。
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