08.剥がれる
「はあ」
街外れの丘に座って深いため息を吐いた。
ここは以前アルと一緒に来たことがある、街が一望できる丘だ。私には遠すぎて街は見えないけれど。
ここの空気が好きだ。静かで、深呼吸すると冷たい空気が森の匂いを運んでくれる。
初めて来た時は春で花が咲いていて、すこしだけ賑わっていた。
でも今は春じゃなくて、冬の手前。
少しだけ肌寒いし、花は咲いていない。なんだか寂しくて、景色の寂しさがまるで自分みたいで思わず膝を抱えてしまった。この場所はシーズン以外は誰も来ないと言っていた。事実周りに人の気配はなかった。一人になれる場所だ。
あの時の女性が言っていた場所に行くと、周りの建物よりも新しい大きな屋敷があった。杖をついている私は目立つから、遠くから見た。
魔力視は使う魔力量を増やすほど、より遠くを見ることができる。
だから私は屋敷の人に気づかれないように、肉眼だったら見えないだろう離れた位置から魔力を放って様子を伺った。
屋敷の前には一台の馬車が止まっていた。
そしてその中からアルが出てきたのだ。一週間家を空けると言っていたアルがいた。まだ家に帰ってくるまでに二日もあるのに。
そしてアルのあとから一人の女性が出てきた。アルは彼女の手を取り、それから自然に腕を組んで二人で屋敷へ入っていった。
いつもよりも綺麗な格好をしているアルと、ドレスを身に纏った彼女がすごくお似合いに見えて、私はすぐに引き返した。
家に帰る気にはなれず、家とは逆方向の丘へと逃げてきた。逃げてどうするんだろう。
でも家に帰ったところで泣くだけだ。
外にいればまだ涙に耐えられるから。
アルが女性と一緒にいる姿を見るのは実は初めてだ。王宮にいた時ですら見たことがない。
抱いた感情は嫉妬かと言われると、多分少し違う。
どちらかといえば惨めさだ。
すごく絵になる二人だなと思った。思ってしまった。
やっぱり私は孤児出身の聖女だから。アルが私をこの一年間、対等な存在として扱ってくれたから勘違いしていたけれど、やっぱり彼は貴族で、侯爵令息で、私は平民で、孤児なのだと思った。
どんなにアルが買ってくれた服を着て着飾っても、私は彼女のようにはなれない。
仲睦まじい男女ではなく、目の見えない私を支えてくれる健気なアルがいるだけだ。
こんなに卑屈になるのはよくない。よくないけど今だけは許して欲しい。
あの人がアルの妻になる人なんだろうか。だとしたら私は本当に愛人として今の家に住むことになるんだろうか。アルとの思い出が詰まった家で、アルを想って暮らすのだろうか。……耐えられるかな。
筋を通すなら、一度アルと話をして家を出るべきなんだろう。
アロン先生のおかげである程度生活ができるようになった。ハンナのおかげで市井での買い物の仕方も覚えた。領主様が隣国では聖女は新色ではなく職業としてあり、そこそこ稼げると教えてくれた。
ああ、全部元を辿ればアルがくれたものだ。
恋人と言っていたけれど、自立できるよう手を貸してくれていただけなのかもしれない。王都で私が可哀想だったから。本当はそっちだったのかも。
恋人になったけど抱きしめ合う以上のことはしていない。口付けすらも。それがまた私を落ち込ませた。
ぐるぐると同じ考えを何度も何度も巡って、丘の上から動けなかった。
空気がだんだんと冷たくなってきたから、きっと夜が近づいている。もしかしたらもう夜かもしれない。でも家にはハンナもアルもいない。
まだ帰りたくないな。もう少しここにいたい。
あと二日もすればアルが家に帰ってくる。どう出迎えればいいんだろう。今まで通りに過ごすことができるかしら。演技なんてできないから、きっとすぐに様子がおかしいことに気づかれる。
そしたらなんて言えばいいの?
私は愛人って本当ですか? あのお屋敷はなんですか、結婚するんですか、…出ていったほうがよいですか?
いつもみたいに腕に抱えられながらそんなことを聞くの?
私はアルのことが好きなのに、あなたはそうではないんですかって。
じわりとまた涙が滲んできた。胸の奥が苦しくなって。息もしづらい。
単純に、弱くなった。
下級聖女だったころはどんなに蔑ろにされても、どんなにいじめられても、淡々と目の前のことをこなして、こうやって泣くことなど無かったのに。
今やアルに裏切られた「かも」というだけで一生分泣いている。
一年間優しくされたらそれだけ柔らかくなってしまった。
「はあ」
改めてため息をついた。冷たい空気が体を冷やして、身震いをする。寒い。
流石に帰ったほうがいいかもしれない。
まだアルは帰ってこないのだから、とりあえず家に帰ってまた泣こう。そう思った時だった。
「シーラ……ッ!!」
慣れ親しんだ声、慣れ親しんだ香り、高い体温、大きな体に包まれる。
「アル……?」
聞いたけど、答えを聞かなくても、抱きしめてくれるこれがアルだとわかった。ハッハッと息を乱している。珍しい。騎士団の人たちと模擬戦をしてもこんなに息を乱すことはないのに。
何も言わず、苦しくないけれど逃れられないくらい強い力で抱きしめられた。
ああ、私はこれが好きなのに。この匂いと体温が好きなのにな。
先ほどまで考えていた、ウジウジとした思考が戻ってきて、返事もないアルに抱きしめられながら静かに涙を流した。
「……んく、」
嗚咽を漏らしたら流石に泣いていることに気づかれたらしい。
体を勢いよく引き剥がされる。涙が夜風に晒されて冷たい。
「なぜ、なぜ泣いているんですか。何があったんですか、誰かに何かされましたか」
聞かれたけれど、うまく答えられる気がしなくて俯いた。言葉が何も出てこない。
そんな私を見て困惑しながらも、いつも通り優しく抱え上げ「とりあえず帰りましょう」と歩き出した。




