第16話 約束。(最終話)
「あらあ、あなたの探し人は見つかったの?」
店に入って、いきなり客用のソファーに寝ころんだ俺に、マニキュアを塗っていたフリーデが指を広げて乾かしたまま、俺を見もしないで言った。
「…ああ」
「あら。執念ね?よくもまあ、売れっ子弁護士が仕事しながら2年も探したわね?ご苦労さん。じゃあ、こんなとこにいないで、お迎えに行ったら?」
「もう…行ってると思う」
ここは自由になったフリーデが新しく始めた化粧品店。こっそり夜のアドバイスもするらしい。どうもそっちのコンサルタント料の方が収入があるらしいな。幅広い年代の女性に人気な店になった。…こいつは商売上手だな。
俺は這うように、座っているフリーデのところに行って、フリーデの腰に手を回して、腿に顔を埋める。
「あら?ロルフ、ようやくあきらめがついたのかしら?横恋慕はだめよって、言ったでしょ?」
と楽しそうに笑っている。
「俺さあ…」
フリーデにしがみつきながら、ロルフは自分の昔話を始めた。
「苦学生だったから、学校終わると居酒屋で働きながら、そこの物置みたいなとこに住んでたんだ。そこの店の出戻りの娘が同情してくれて、頑張れって…ご飯を食べさせてくれたり、ノート買ってくれたり、世話焼いてくれて…14で初めての女もその女だった。俺、そいつに惚れてて…10歳も上の女だったけど、早く一人前の弁護士になって、そいつと所帯持とうと思って…」
「それで?捨てられちゃったわけね?」
「死に物狂いで勉強して…そしたらそいつ、10歳も下の男に本気になるはずないでしょって、金持ちの年上の男んところにさっさと嫁に行った」
「まあ…ありがちな話ね。遊ばれたのね?あんた。」
「だからさ…あの子もきっとそうだと思ったんだ。金目当てで…女なんて信用できねえなって。いや、どっかであの子は違ったらいいなって思ってたかもな」
「あんたって…歪んでるわよね?あの子のこと、好きだったんでしょ?」
「……」
爪が乾いたフリーデは、わしわしっと俺の頭を撫でると、
「さて。じゃああんた、店に閉店の看板出してきてよ。あんたの失恋とあの子の幸せのために乾杯しましょう?」
そう言って、フリーデは俺の頬を両手で持ち上げて、笑いながらおでこに一つ、キスを落としてくれた。こいつはいつ見ても、教会のマリア様みたいに…綺麗だ。
***
ずいぶん遠くまで来た。陸路では時間がかかりすぎるので、船に乗った。
その男は近くの港から馬車に乗り、メモを片手に人に聞きながら歩き、そこに書かれている宿屋の看板を見つける。海の見える高台に建つ古い宿だった。そっと玄関を開けると、思ったより大きな音でドアに付けられた鈴が鳴った。
カウンターで帳簿を付けている年配の女性に
「はい。こんにちは。お泊りですか?」
と声を掛けられる。
「ええ。はい。…あの、こちらにマルガレーテ、という女性が滞在していませんか?」
男は持ってきた旅行カバンと春用のコートを床に置くと、その女性にそう聞いた。
「え?」
帳面から顔をあげたその人が、男を見る。真ん丸な目で驚いた後、柔らかに微笑んだ。
「ああ…マールですね?オーナーならこの宿の裏にある大きな樹の下で…この時間ならお昼寝をしていますよ。おむかえに来てくれたんですね?」
「…ええ」
初めて会った人だし、知らせを出していたわけでもないのに、自分の顔を嬉しそうに眺めるその女性を不思議に思いながら、男は差し出された宿帳にサインを入れる。
【リーンハルト・モーリッツ】
「荷物は運んでおくから、早く行ってあげな。眠っているかもしれないから、そっとね?」
そう言ってその女性がウィンクして笑った。
***
僕の16歳の誕生日に、おじい様が倒れた。
坊ちゃんが御成人されて、ほっとなさったんでしょう、と主治医が言ったが、心臓が弱っているらしかった。
灯りを落とした部屋。おじい様の枕元に行くと、謝られた。
「わしが、間違っていたかもしれない。リーン」
あのおじい様が…僕に何か謝ることなど?いつもおじい様は正しかったでしょう?
「わしはな、リーン、お前の幸せを祈って…でも、最初から、間違えたのかもしれない…最後まで」
おじい様は枕元から、丁寧に折りたたまれた書類を一枚取り出して、僕に差し出す。
「これは…わしが10年前にあいつに書かせたものだ。まだ有効だ。どうするかはお前が決めていい…すまなかった。いい子だった。いい嫁だった。お前のことを愛してくれていた。でもわしは、お前には自分で選んだ年相応な娘と幸せになってほしかった…。それがお前の幸せだろうと信じていた…。」
薬が効いたのか、おじい様が寝息を立てた…。
僕は廊下に出て、灯りの中で渡された書類を開いて見た。
離縁届。
そこにはマルガレーテの署名があった。
***
女性に礼を言って、宿の裏のなだらかな斜面を登る。夏草を踏みながら急ぐ。
ここに来るまで、2年もかかってしまった。
寝込んでしまったおじい様の代わりに社交に出たり王城に参内したり、マルのいなくなった領地を見たりする必要があったので、マルのことは人を頼んで国内中をくまなく探してもらった。マルの実家にも初めて伺って、挨拶して、連絡があったら知らせてくれるよう頼んだ。ルーカス君が頷いてくれた。
弁護士のロルフも同じ人を探しているらしいという噂は聞いた。
ついこの前…久しぶりに僕の執務室に現れたロルフに、住所の書かれたメモを貰った。
探していた人は、お隣の国、フールにいた。
「あらあ、レオンハルト?笑うとあなたお父様にそっくりだわ。うふふっ」
宿屋の裏にある大きな樹はすぐにわかった。穏やかな海と空が見渡せる。
木の根元にブランケットを敷いて、小さな子供を抱っこして寝かしつけている小麦色の髪を三つ編みにした女性の後姿が見えた。
「レオンの瞳はお父様と一緒で、お空の青ねえ…お母様のネックレスとおんなじ色ねぇ、うふふっ。」
そう言いながら、黒髪の子供の頭を撫でている。
「…お前の瞳は、海の色だな。マル。」
探していた僕の初恋の人…僕の妻のマルガレーテが、ゆっくりと振り返る。




