第12話 マルガレーテ 24歳。
「まあ…私事ですが…」
事務長が言いにくそうに話し出したところによると…。
貴族の場合、息子が14歳、15歳ごろに男親がなじみの娼館に連れて行って、ベテランの娼婦にそういったことを学ばせる機会を持つらしい。下手に下女などを孕ませると厄介なので。ちょうどその頃、異性に対して興味を持つ年齢なのだそうだ。
避妊の仕方や、女の喜ばせ方を学ぶらしい。ただ、どうしても娼婦が抱けない男の子も一定数はいるらしい。
「旦那様はお父様がご不在ですので…しかも既婚者です。ロルフさんのいうことももっともなところもございます。奥様が…お勉強なさいませ」
汗を拭きながら、事務長が申し訳なさそうに言う。
「ロルフさんとですか?」
ぎょっとして、事務長を睨みつけてしまった。
「あ、いえ、そう言うことではございません。奥様がご商売の方に学ばれればどうかと…」
***
翌年の春、事務長が連れてきてくれた女性は、きっちりと化粧をした、髪もつやつやの物凄い美人だった。ブラウスのボタンが随分と開いていて、大きい豊かな胸の谷間が見える。マルガレーテは同性ながら目のやり場に困ってしまった。事務長がこんな美人さんと懇意にしているのかと思うと…複雑な心境ではある。
客間に通されたその女性は綺麗に足を組んで…スリットの入ったスカートからすらりとした足がよく見える。ヒールもものすごく高い。
(リーンに、見せたくないな…刺激的過ぎる)
「初めまして。マルガレーテと申します。今日からよろしくお願いいたします」
気を取り直して、マルガレーテはその女性に挨拶をする。
「あら。よろしくね。フリーデとお呼びください。お昼間の仕事なんて新鮮だわ。」
侍女がちらちらとその美しい、なんとなく我が家に不似合いのお客様を見ながら赤面して、お茶を出して下がる。
フリーデさんはお茶を飲むしぐさも綺麗だ。御商売で学ばれたのか、もともと貴族なのかもしれない、そんな風に考えながらマルガレーテもお茶を飲んだ。
マルガレーテが、自分と旦那様の年齢差と、フリーデさんを依頼した事情をかいつまんで説明する。
「あらあ、訳アリ、ってわけね?」
「ええ、まあ」
「それで、その若い旦那様とそう言う関係になった場合の想定なわけね?」
「…ええ、まあ。」
「で、奥様はまだ、そういう経験が無いと?」
「ええ。」
フリーデさんの授業を受けるのは、旦那様が学院に行っている間、2時間ほど。午前中は無理だと言われたので、一日目の授業がはじまったのはもう午後1時になる頃。
割と具体的に、ノートに絵まで描いてくれて説明が続く。
…子供のいる人たちって…みんなそんなことをしているのね??
貴族の令嬢は、嫁ぎ先の旦那様にすべてお任せしておけば大丈夫!という感じで、ざっくりとしか説明を受けない。リアルな話を聞くと、逆に、ほうっ、と感心してしまう。
授業二日目。
具体的に、避妊についてフリーデさんに聞く。
「あら?あなたたちご夫婦なんでしょう?旦那がいくら若いとはいえ、子供ができるのは歓迎なんじゃないの?子供を作るための授業なのかと思っていたわ」
逆にフリーデさんに驚かれてしまった。
「たまにこんなふうにご婦人に呼ばれるときは、どうやったら夫を虜にできるか、とか、子供ができやすい体位とかね?そう言うのが多かったから」
意外そうな顔で、私は見つめられる。今日のフリーデさんも妖しいほど美しい。見つめられるとドキドキする。いろいろ、見透かされそうで怖いぐらいだ。
「おじい様と…旦那様の祖父と、旦那様が16歳になるまでは子供を作らない約束をしていまして…」
なんだか苦しい言い訳をする。
「まあ。高位貴族はいろいろしきたりがあるのかしらね?」
授業三日目。
今日はフリーデさんが荷物を持ち込んだ。
「思ったよりいい報酬を頂いてるので、これは私からのサービスよ?」
そう言って広げて見せたのは…スケスケのネグリジェとか…清楚派のナイトドレス?
「え?あ…ありがとうございます。」
着る機会はなさそうだと思いながら…一応お礼を言う。
「年の差なんてね、思ったより男女の仲では関係ないのよ?やることは一緒だしね」
フリーデさんがスケスケのネグリジェを広げて見せてくれながらそう言って笑う。
…フリーデさん…ひょっとしたら、慰めてくれていますか?
「それにね、男だって性欲って言うのは人それぞれなの。15歳だとか、20歳だとか…年齢もそんなに関係ないのよ。好きな人としかできない男もいるし、誰でもほいほいできる男もいるわ。でもね…男は良いのよ?幾つになってもその気になれば誰かと子供が作れるから。女はそうはいかないわ。子供を産む時期がある程度決まっているからね。初産ならなおよ?」
「……」
「あんたも…あんまり遠慮していい時期を逃さないようにね?これとか着て…」
と、フリーデさんが布の少ない下着を広げて見せる。自分の顔が真っ赤だと確信するほど熱い。一瞬、ほんの一瞬だが…これを着てリーンの前に立つ自分の姿を想像して…頭が沸騰しそうになる。
「あんたから誘うのもありなんだからね?だって、その旦那様のこと好きなんでしょう?見てたらわかるわ」
「……」
…好き、か…その好きは…男として、ってことですかね?フリーデさん。
リーンのことは、家族としては大好きです。家族として、ですよ。
他所で浮名を流すことになると、モーリッツ侯爵家の恥になるかもしれないから、仕方なく、ですよ?ホントに、仕方なく…。侯爵夫人としての、仕事の一環なんです。
授業四日目。
「まあ、こういう行為で大事なのはお互い愛し合っているか、ってことよ?それさえあれば、そんなに心配いらないわ。予備知識でガチガチになる必要もないしね。貴族の結婚はそうとも言っていられない場合もあるけど、あんたは大丈夫そう。ね?」
そう言って、フリーデさんが柔らかな笑顔を浮かべる。
最終日の今日は、お菓子を並べてお茶の時間にした。
「私は元々は子爵家の娘でね。といっても田舎の小さなところなんだけどね」
フリーデさんが…それが本名かどうかも分からないが、話し出した。
「ある年、うちの領地が不作でね、翌年に撒く小麦の種まで食べてしまって…お金を借りたのよ。領民の小麦の種代をね。ちゃんとしたところから借りたはずなのに、いつの間にかとんでもない利息が付いてて、母親と私は娼館に売り飛ばされちゃったわけ。家は破産。何もかも持っていかれちゃったわ。」
「……」
「貴族位の娘や夫人は高く売れるらしいわよ?政治や経済の話をしたり、ピアノ弾けたりするからね。」
「……」
「母親にはこの商売は無理だったみたい。あっけなく自殺してしまったわ。私は…悔しかったから生き延びたの。14歳だったわ…。今はこんなふうに出かけて歩けるくらいになったわ。お供の用心棒はつくけど。まあ…いつ自由になるか見当もつかないけどね」
「……」
「あらやだ…あなた、同情してくれるの?」
泣き出した私を見て、フリーデさんが駆け寄って並んで座ると、まるで妹にするように、背中をさすってくれた。
道が二本あって…一本はフリーデさんの生き方につながっていた。そう思った。
こんなふうに強く生きていられたかどうかも分からない。
でも私は幸いなことにもう一本の道で、リーンに会った。
「貴族の政略結婚なんでしょ?それでも…好きになったんなら離れちゃだめよ?ごまかすのもだめよ?マルガレーテ。その子に会えたことを喜びなさいな」
私の背中をさすりながら、フリーデさんが言ってくれたことが、言い訳ばっかりしていた自分の気持ちに染みていく気がした。
***
「あら、先生?ご指名ありがとう。儲かってるのね?」
「……マルガレーテは?どうだった?」
「あらやだ。いくら上客の頼みでも、他のお客さんのことは言えないなあ。うふふっ。この商売、口が堅くなければやっていけないもの。」
弁護士のロルフは上客だ。だから今回の仕事も頼まれたし、金払いがいいから店の信用もある。女には不自由していないだろうに、こんなふうに時々店に来る。
「あんたさあ…あの子が好きなんでしょ?とんだ横恋慕ね?あんな純粋な子、騙しちゃだめよ?」
「……」
フリーデはロルフの頭を抱えて、癖のある茶色の髪を撫でてやる。あなた、まるで初恋に戸惑う少年みたいね?ロルフ?




