第11話 リーン 13歳。
初夏になるとリーンと馬で遠乗りして、お隣の境界線に植えているアジサイの花を見にいく。
リーンの馬は、10歳の時におじい様が買ってくださった真っ黒な綺麗な馬だ。
馬具飾りは綺麗な青が使われている。おじい様の特注品だ。
おじい様はリーンが7歳ぐらいから馬を買ってやる買ってやる、と言い続けて…ようやくあきらめがついたのが10歳の時だった。それからは二人で馬でアジサイを見に来ていた。
昨年、リーンは学院に入ってしまったので、一人で見にいくことになるかと思っていたら、思ったより早く夏休みでリーンが帰省した。
正直嬉しい。アジサイを二人で見にいけることも、二人で馬を駆けることも。もちろん、無事にリーンが帰ってきてくれたことも。
いつも当たり前のように一緒だったから。生活環境が変わったことに慣れなかったのは自分だったと反省もする。こういうのを…子離れできない、というのだそうだ。アルマ様がおっしゃっていた。
今年も早々と帰ってきたリーンと馬で遠乗りに出かける。
境界線のある森は屋敷の二階からも見えるが、馬を休ませながら2時間ほどかかる。
森の小道の近くの木陰に馬をつなぐ。
緩やかに登る森の小道を歩く。日差しを遮る木陰の道が続いている。
「旦那様、ちょっと待って」
ほんの少し遅くなった私に、振り返ったリーンが笑いながら手を伸ばす。
その手をいつものように取って…あれ?と違和感…。リーンの手が大きくなっている?そう思って、手をつないだリーンを見る。
…そうか、背も伸びたんだ…。
なんだかほんのちょっと会わないうちに、リーンがこっそり大人になっていたような気がして、つないだ手にドキドキする。
…いやいや…13歳の男の子にドキドキなんてな…うちの弟も私が実家を出るとき、このぐらいだった。うん。
マルガレーテは弟を思い浮かべて、息を整える。
森は静かだ。
時折、鳥が鳴いていたり、枝が揺れたり。小道の先を木漏れ日が照らしている。
手をつないで並んで歩くと、リーンの背丈が私とおんなじくらいになっている。
「マルは背が縮んだ?」
からかうようにリーンが聞いてくる。
「まあ!そんなことありません。旦那様、急に背が伸びましたね?」
「うん。もうすぐマルを追い越すね」
そう言って嬉しそうに旦那様が笑った。
森が急に開ける。稜線に出ると、アジサイの青が目に飛び込んでくる。
切り倒した大木の脇に植えられたアジサイは稜線沿いに一列に青や白の花を咲かせ、奥まで続いている。植え始めて今年で6年目。奥に行けば行くほど若木になる。
今は地元の領民が苗木用に挿し木を続けてくれている。
境界線沿いに森の終点まで木を切って、植え終わって、アジサイの木が育って、森の端から端まで完成するにはまだあと5年ぐらいかかる予定だ。
…あと、5年か…。
もちろん私がいなくなっても事業が継続できるように、体制は整えてある。
散歩道も整備して観光化も目指している。アジサイの鉢植えも売れるかもしれない。
ほんの少しでも、領民の生活の足しになれば嬉しい。
アジサイの小道をリーンと手をつないで歩きながら…マルガレーテは完成したアジサイの小道を想像する。
そこに自分はいないけれど。
***
「あら、お久しぶりですね?ロルフさん」
ふらりとモーリッツ侯爵家の王都の屋敷に立ち寄った俺に、執務室で帳面を見ていたマルちゃんが顔をあげた。すっかり落ち着いた女性の顔になっている。ふむ。もう23歳か。相変わらず飾りっ気のない女だ。着ているワンピースも地味だし。
「ああ。このところ何かと忙しくてね。」
応対用のソファーに勝手に腰かけて、侍女にお茶を頼む。領地の小麦の収穫がひと段落したころだから、こっちに来ている頃だろうとは思った。執務室の窓から入るのはもう初秋の風だ。
出してもらったお茶を飲んでいると、一段落してここの事務長にいくつか指示を出したマルちゃんが、ソファーに座った。自分もかつては伯爵家の当主だった事務長は、不平不満を言うことなく、よく勤めてくれているようだ。
「今日はどういったご用件で?」
「いやね。リーンハルト様ももう13歳になられたでしょう?そろそろかと思って」
「なにが、ですか?」
お茶を飲んでいたマルちゃんが、訝しげな表情で俺を見る。
「閨教育、ってやつですよ。貴族の男子は間違いがあると後々面倒なので、14歳あたりで教育が入ります。まあ、遅くても15歳ですね。ご存じないだろうな、と思いましてね。奥様に進言して差し上げようと思いましてね?」
俺がそこまで言うと、マルちゃんは事務長を見た。書類を片づけながら聞いていた事務長が、ゆっくりとマルちゃんに頷く。
「…俺のことは信用できないけど、事務長のことは信用してんのね?傷つくなあ…」
「それで?どうしたらよろしいんですか?」
俺と視線を合わせないように、マルちゃんが聞いてきた。うふふっ。びっくりしてるでしょ?13、14歳ごろの男の子ってデリケートだからね。自分でも面倒な時期なんだよ?
「普通なら、なじみの高級娼婦に頼んで、手取り足取り教えてもらうんですがね?リーンハルト様は既婚者でいらっしゃいますので、それも不自然でしょう?夫婦仲を疑われちゃいますからね?」
「……」
組んだ足に頬杖をついて、自分の小指を咥えながら、下から見上げるようにマルちゃんを眺める。
「奥様が教えて差し上げるのがベストだと思いますね。…あれ?奥様も経験がないんでしたっけ?」
「……」
「じゃあ、まず、俺が奥様にご教授して差し上げましょうか?」
もちろん半分は…冗談のつもりで笑いながらそう言った俺の頬は、立ち上がったマルちゃんに思い切りひっぱたかれた。俺を見下ろすマルちゃんの目が、ドブネズミでも見るような…嫌悪感を隠さない顔だ。ごめん…ゾクゾクする。
「…冗談…ですよ?」
自分の頬を撫でながら、俺が笑いながらそう言うと、
「まあ、ロルフさん、面白くない冗談ですね。誰かいない?ロルフさんがお帰りだそうよ!」
部屋の外に控えていた侍女がドアを開ける。
マルちゃんは俺を振り向きもせずに、机に向かった。ペンを握りしめた手が震えている。思い切り叩いたから手が痛いのかな?それとも、本当のことを言われた怒り?
…貴婦人ならそんな下ネタにだって上手にかわすすべを身に付けなくちゃね。社交界なんかそんなんばっかりだぞ?
しかし。当然と言えば当然か。
16歳の頃はその辺の少女、って感じだったが、胸も大きくなって、体つきも丸く柔らかそうだ。可哀そうに23歳にもなって…いやこの先26歳までひょっとするとマルちゃんはそのまま何も知らない乙女かもしれない。もうすでに、乙女、って年でもないが。
そんなことを考えながら、ロルフは鼻歌を歌いながら屋敷を後にした。




