第7話:断らない正義
朝霧の残る村は、静かだった。
昨夜の魔物討伐の跡が、まだ道端に残っている。
焼け焦げた柵。
崩れた納屋。
泣き疲れて眠る子ども。
セドリックは、それらを一つひとつ目でなぞりながら歩いていた。
「勇者様……」
声をかけてきたのは、村の若い男だった。
顔色が悪い。
くたびれた服の端に、返り血がついていた。
「実は、その……隣の森にも、まだ魔物がいるらしくて……」
その瞬間、ガウェインが一歩前に出る。
「待て。昨日の討伐で、君たちの村の依頼は完了している。それ以上は正式な要請が——」
「大丈夫、行くよ」
被せるように、セドリックが言った。
全員が、彼を見る。
「でも——」とガウェインが言いかけるのを、
セドリックはいつもの笑顔で制した。
「困ってるんでしょ? だったら、行かない理由なんてないよ」
男の顔が、ぱっと明るくなる。
「ありがとうございます! 勇者様!」
その背中を見送りながら、ルチアが表情を曇らせ、小さく呟いた。
「……セドリック。今日は休む予定だったよね」
「うん。でも、少しだけだから」
“少しだけ”。
その言葉は、セドリックが何度も使ってきたものだった。
少しだけ我慢すればいい。
少しだけ無理をすればいい。
そうすれば、全部うまくいった。
森に向かう途中、イグニスが隣を歩く。
杖を肩に担ぎ、口角が少し下がっている。
「なあ、セドリック」
「なに?」
「断る選択肢を、なぜ取らない」
セドリックは少し考えてから、言葉を選んだ。
「僕が行って"良くなる"なら、断る理由はないでしょ?」
イグニスは、それ以上言わなかった。
ただ、ほんの一瞬だけ顔を歪めた。
魔物討伐は問題なく終わり、村人たちは何度も頭を下げた。
「勇者様がいてくれて、本当に助かりました。その、また何かあったら……」
「うん。いつでも呼んで」
そう言って、セドリックは笑った。
夜。
焚き火のそばで、ルチアが炎を見つめながら言った。
「……ねえ、セドリック」
「ん?」
「もし、誰もあなたを呼ばない時は……どうするの?」
少し不思議なその質問を、セドリックは考えた。
呼ばれなかったら――必要とされなかったら。
セドリックは目を閉じた。
「……呼ばれないなら、それがきっと"平和"なんだね」
「……そうね」
質問と答えが、ずれている。
ルチアは、形を変える炎を見つめ続けた。
ルチアがテントへ去った後、セドリックは一人、夜空を見ていた。
首元に、かすかな痛みが走る。
「……僕が断らなければ、誰も困らない」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「つまり、断らないのが正しい」
その瞬間、強い風が吹いた。
そう遠くないどこかで、重く、鈍い、怒りのような気配が、微かに応えた。
イグニスは、少し離れた場所で、その背中を見ていた。
「お前は役割を引き受けるたび、自分を空っぽにしていく」
イグニスの瞳の先で、セドリックは首の聖痕を押さえている。
「最後に残る搾りかすを、掬い上げてやる。その時は――」
焚き火が、ぱちりと音を立てた。
‡ ‡ ‡
勇者として。
誰にも頼まれなくても、応える者として。
断らない理由を手に、勇者は旅の終盤へと進んでいく。




