第12話 SIDE:ルチア
「行かないで」
その言葉を言ってしまわないよう、わたしは口を必死で押さえることしかできなかった。
魔王の城、最奥の玉座の間。
セドリックが闇に呑まれていくのを、ただ見ているしかできなかった。
いや――違う。
わたしは、見ていることを「選んだ」のだ。
‡ ‡ ‡
勇者セドリックと出会ったのは、■年前だった。
まだあどけなさが残る少年に、当初は頼りなさを覚えた。
セドリックと旅をはじめて、最初は彼がとても善人なのだと思っていた。
頼まれ事を、笑顔ですべて引き受ける。
彼のことを思い出す時、それは笑顔であることが多い。
今思い出すと、それは異常だった。
怒りや不満、悲しみがない――そんなこと、ある訳がないのに。
でも、彼はいつも穏やかに笑っていたのだ。
いつも。
彼の異常性に気づいたのは、ある村で彼が倒れた時だった。
いくら休息を勧めても、笑顔で次の街へ行こうと微笑む彼に戸惑った。
少し苛立ちさえ感じた時、イグニスが言った。
「今日は十分役立った、倒れると迷惑だ」と。
なんて酷い事を言うのかと注意しようとした時、イグニスが休息を受け入れた。
安心したように意識を手放すその姿に、気づいてしまった。
彼は、役に立たない自分に価値を見出さない。
それまで、勇者が依頼を引き受ける光景を、当たり前のように受け入れていた.
「セドリックがいてくれて、助かる」と、心から思っていた。
その瞬間、胃の奥から酸っぱいものがせり上がった。
わたしは口元を押さえ、必死で飲み下す。
――わたしも、彼を「使って」いたのだ。
‡ ‡ ‡
それから、わたしはセドリックを観察するようになった。
彼は笑顔で依頼を引き受ける。
それが勇者庁を通していないものでも。
まだ被害が発生する前でも。
そのうちに、「セドリックに頼らないで」と思うようにすらなってしまった。
それは、人々の安寧を祈る聖女として、おかしいことだった。
だから、何も言えないまま。
セドリックが依頼を受けることに、どんどん馴染んでいく。
それが、とても怖かった。
彼の太陽のような髪に、一筋の黒が混じったとき、嫌な予感がした。
セドリックは変わらない笑顔で、まったく気にしていない。
彼は自分に頓着しない。
不安を裏付けるように、聖痕が黒くなり始めた。
黒が広がるたび、とても恐ろしいことが起こっている予感は強くなる。
何も言えないまま到着した魔王城で、それの意味が分かった。
魔王は悪意を引き受ける存在。
そして、セドリックは悪意を引き受けるための存在だった。
「いかないで」と言ったら、彼はどうしただろうか。
きっと困った顔をして、しかしそれが求められているという理由で、やっぱり引き受けただろう。
あの時、すぐに分かっていた。
セドリックが魔王となることを。
それを止めることは世界の平和を失うことで、私の中の天秤はセドリックを選ばない。
だから、せめてできることは、黙っていることだった。
それが伝わったのかは分からない。
けれど、セドリックは、微笑んで引き受けた。
そうして魔王討伐の旅は終わった。
私たちは、「魔王は討伐された」と報告した。
これは嘘ではない。
前魔王は、もういないのだから。
国中が訪れた平和に喜び、人々は笑顔になった。
わたしは、人々を癒しながら心穏やかに生きていく。
そうでなければ、罪悪感すら、彼を苦しめるだろうから。
‡ ‡ ‡
治療院の窓から、青い空が見える。
子どもたちの笑い声が、風に乗って聞こえてくる。
平和な世界。
セドリックが、たった一人で背負っている世界。
わたしは微笑み、次の患者を呼ぶ。
——ごめんなさい、セドリック。
——ありがとう、セドリック。
その言葉を、二度と口にすることはない。




