第八幕:沈黙の勝利
第八幕:沈黙の勝利
【第八幕】
やあ、君。愛について考えた事はあるかい?
ボクらの間には、邪魔なモノが横たわっている。必ずね。
宇宙から衣一枚まで、互いの魂が触れ合い、重なりあうには隔たりがある。
でもーーその垣根を取っ払ったとして、燃え上がることができるのかい?
報われた時、そこに快感があるのか。
永遠という言葉に相応しいーー愛ってヤツがさ。
1591年頃の10月だった。ボクらはイタリアのトスカーナ州、ティレニア海に面したリボルノ港にいた。ガリレオとジョヴァンニは、そこで小芝居を始めることになっていた。
これは二人だけの秘密のものだ。二人が生きている時には、決して知られてはならない、もう一つの真相みたいなものだ。ボクらは、今から見ることになる。
10月は少し肌寒い風が吹き始めていた。その季節が、まだマシだった。
もし夏の盛りにこの港を訪れたなら、君は立ち込める腐臭に吐きそうになっていただろうね。それぐらい特別な場所なんだ。
この時代のリボルノ港は、”多人種のるつぼ”と言ってもいい。あらゆる国の匂いがぐちゃぐちゃに絡み合って、抱き合って、熱を帯びていた。港には生活排水が流されて、海面にはヘドロが漂っていた。少しくらい涼しい季節を選ぶのは当然だ。
トスカーナ大公の庶子ジョヴァンニ・デ・メディチは、今日のために船の製造途中を見せようとしていた。
ピサ大学の関係者をわざわざ招いてね。
その中には若きガリレオ・ガリレイと、彼を憎むジローラモ・ボルロという哲学教授がいた。彼はガリレオよりも二十歳も年上でアリストテレスを愛していた。
もしも夜中に彼の枕元にアリストテレスが化けてでたら、熱烈な抱擁とキスが待っていたことだろう。夜中なら尚更さ。恥じらいなんてない。
さて、彼らはジョヴァンニの船の製造現場にきて、お祝いの言葉をかけた。
ボルロは恭しく頭を下げて、こう言った。
「ジョヴァンニ様。あらゆる万物は、ふさわしい場所へと導かれるものです。
このような福祉活動を、あなた様がなさろうとするのは、高貴な血と魂が共にあるからに他なりません。」と歯が浮くようなセリフをバンバン言った。
ジョヴァンニは微笑んだ。
「実際に動いたらいいのですが。ガリレオ先生。数学の得意なあなたに見てもらいたかった。こちらの船の設計図です。ご覧ください。」とガリレオに設計図を渡した。ボルロの顔が怪訝な表情になった。ガリレオに設計図を見せる意味なんてないからだ。
ガリレオはサッと設計図に目を通すと、ジョヴァンニの方を見つめていた。彼はイジワルそうな笑みを浮かべた。
「スプーンを上へと持ち上げる駆動域の部分に、歯車の形にミスがありますな。この長さだとーー歯車が噛み合わさることがなくーーぶっ壊れてゴミになるだけ。」
港の空気が更に冷えた。
「聞き捨てなりませんな。ガリレオ先生。1590年にこの船の製作が始まったんですよ。大学の優秀であるはずの教授たちは誰も指摘はしなかったし、オレ自らも計算を繰り返したんだ。
この船に失敗なんてあるものか!」
「では、その全てが間違えていたのでしょう。この歯車の形では、とてもじゃないがーー動かないでしょうよ。」
ジョヴァンニは周囲を見回した。
ボルロは助けを求められていると感じ、ガリレオの腕を無遠慮に掴んだ。
「貴公は、我々だけでなくジョヴァンニ様ーーメディチ家すら間違いというのか? もし、満足のいかない動きがあったとしたらーー。船職人の腕のせいだろう!」
この言葉に、ガリレオとジョヴァンニは吹き出しそうになった。思わずね。でも、ここで笑ったら何もかもおしまいさ。
さて、そろそろネタバラシといこうか。この小芝居は二人がピサ大学、そしてピサから脱出するために必要な儀式だった。
時はジョヴァンニがガリレオに駆け落ちしようと言った後へと変わる。
ほんの少し後だ。場所はガリレオの部屋だった。二人は囁くようにして話していた。
「正確には、駆け落ちのようなモノですよ。ガリレオ先生。」とジョヴァンニは微笑んでいた。
「オレは大公の血をひいているが、この血に見合った生き方をしなきゃいけない。でなきゃ、オレの生まれがーーオレを卑しく見せるんです。」
そういうと彼は寂しそうに床を眺めていた。
「ジョヴァンニ。君はキレイだよ。卑しくなんかない。その指は白くて細く、繊細な君の性質を表している。
卑しいのは、ボクの方だ。この指を見ろよ。太くて、短くてーーとても高貴な血を自慢できやしない。」
ガリレオはジョヴァンニに手を見せた。節くれだった職人のような手をーー。恥ずかしそうにね。
するとジョヴァンニはガリレオの手を握った。始めはーーためらいながら、指先を重ねた。
「互いにないモノねだりはやめましょう。問題は普通に生きてては、オレは誰からも認められないんです。ピサ大学なんかじゃ、成長なんてーー。古臭いんです。あなたの知性とは違って。」
「ピサ大学以外に、どこか良い場所を知っているのかい?」
「ーーヴェネツィア共和国にあるパドヴァ大学です。ここから遠く離れた地が、オレたちの居場所になる。」
「他国にかい? トスカーナ大公がお許しにならないだろう。」
「ーーその通りです。ガリレオ先生が他国に行くぐらいなら始末させるでしょう。
たとえば、大公閣下はオレにナイフを渡してーーでも、そんな事はしたくありません。」
ジョヴァンニは、ガリレオの手を強く握った。
「古代ギリシャのソクラテスにはプラトンという弟子がいました。彼は師匠の死の時に彼を神のように崇めた。ですが、オレにはできません。」
ジョヴァンニは、犬のようにうなだれた。
「血の定めなんです。ならば、せめてーーあなたを檻から出す手助けをしたいんです。」
彼は再び沈黙した。
それから、年相応の顔をガリレオに向けた。まだ世界がキレイだと信じている若者の笑顔だった。
「オレを信じてください。」
その言葉は虚空へと消えた。
そして時と場所は、リボルノ港へと戻った。
アリストテレスの本に毒されたボルロ教授は、死刑宣告のようにガリレオに向かって言った。
「ピサ大学に、貴公の居場所などないわ!契約更新もされず、名誉数学教師というふざけたポストも消えてなくなる!」
ガリレオは、その呪いの言葉を聞いて不安になった。
ジョヴァンニの方を見た。
彼は笑わずに、この芝居を見ていた。
白い指が合図するように揺れ動いていた。
こうして第八幕は、沈黙により幕を閉じる。




