第三幕:反逆の計略
やあ、君。
誰かに言葉が届かないと嘆いてるのかい。
こればっかりは、どうにもならない。
言葉を届けるためには、
声を出し続けなきゃならないのさ。
枯れても、枯れなくても、
ずっと歌い続けるんだ。
詩人のように。
または嘆きの乙女のようにね。
ガリレオも例外じゃなかった。
さて――物語を開くとしよう。
1585年の頃にガリレオはピサ大学を自主退学した。
あと一年ガマンさえすれば、
学費を滞納せずに支払えていたなら、
彼の未来は素晴らしいものになったかもしれない。
でもね――そう単純じゃない。
その一年すら考えられないぐらい彼は数字に取り憑かれていた。
あらゆるところに影があり、
幾何学や物理学など形を変えて解析されたがっていた。
「家賃と生活費だよ!」と母の金切り声がフィレンツェの実家で響き渡った。
朝の食卓を家族で囲んでいる最中だった。
ガリレオは顔だけを彼女の方へ向けた。
「そんなに怒鳴らないでください。母さん。ボクの耳は正常なのですからーー」
そう彼は言いながら、耳の穴を小指でほじくった。
「家庭教師の仕事もありますし、当面は問題ないですよ。やめたのは大学だけですし――ほんと、問題なんかじゃない。」と彼は続けてた。
母と息子の間には、もはや言葉を繋ぐための『敬意』という名の橋は落ちていた。
「高額な入学費と授業料!誰が払ったと思うんだい!こんなに家族に迷惑をかけて、問題ないなんて?」
彼女の苦しみは感情だけじゃない。
母も家賃を支払わなきゃいけないし、
持参金を用意しなきゃいけない。
娘たちをサッサと結婚させなきゃ、外聞も悪いからだ。
本来なら、父ヴィンチェンツォが貯めなきゃならないものなのだが、彼は我関せずを貫いていた。
「よく言えるよ、この役立たず!アンタからも言ってやってくださいよ!アンタなんかに似たからですよ!」と母は父に矛先を向けた。
父ヴィンチェンツォは肩をすくめて見せただけだった。何も言い返せないから。
「ムダではないですよ。母さん。ボクには数学があるんだ――」とガリレオは言い返した。
母がゆっくりとガリレオの方へ向いた。
母の瞳にあったのは、腐った林檎を見るような純粋な失望だった。
「なんてバカなんだろうね?
銭勘定なんてできるのは、自慢にゃならないよ!」
こんな調子で毎日が始まるんだ。
ボクなら、きっと耐えきれなくて外に居場所を作っただろうさ。
だからガリレオも、街へとぶらついた。
彼は数学に、物理学に、揺るぎない公式に将来をかけていた。
絶望は一切してなかった。
『女には言わせておけばいい。法則は叫ばないが、嘘もつかないからね』彼は虚空に向かって、そう冷たく笑った。
ガリレオは、まず今の現状を見直してみた。医学部を卒業できず、数学にのめり込んだ自分。
母の実家の商売を手伝うにしても、今まで学んだことが
……銭勘定で終わってしまうのでは、あまりに、そう、あまりに退屈すぎるからね。
次にやる行動は単純だった。
目立ち、実力を示すことだ。
「ボクにはパトロンが必要なんだ。他の裕福な貴族――ボクとは違って没落なんかじゃない貴族からの――」
退学したガリレオには、顔となるものがなかった。
「目立つには形が必要だ。他の連中とは違うところを見せつけなきゃな。」
彼は身の回りを観察した。モノだけでなく、人もね。
ガリレオの目はあらゆるモノが数字に置き換えられたし、疑問もたくさん発生した。誰も不思議に目を向けてない。
彼の周りには未知で溢れていた。
その時、急に脳裏にまだ情熱的な父の思い出がよぎった。
貴族の屋敷のダンスホールで、リュートの弦を鳴らす実験をした時のことだ。
父の誇らしそうな笑顔をガリレオは眩く感じていた。
思い出の中の父。
今の疲れきった父とは別人だった。
もっと数学のことを聞きたかった。
そうさ。彼は願っていた。
そして1586年の頃だ。ガリレオは『小天秤(La Bilancetta)』という論文を書いた。これはアルキメデスの伝説をもとにしたものだ。
それを書き上げた時、彼は雄叫びをあげそうになった。
「エウレカ!」とね。
彼は自分の顔となる名刺を手に入れた。
これを有力なパトロンたちに送りつけたい。彼は知り合いから印刷機を借りて、何冊も論文を刷り上げた。
彼にとっては、唯一の希望だった。
だけど、不安になった。
「成果を横取りされたら、どうしよう?そんな卑劣なヤツに送って――いいモノだろうか?」
不安になったガリレオは賭けに出ることにした。父のヴィンチェンツォに論文を見せて、誰に送るべきかを聞くことだった。
だけど父が許してくれるだろうか。
もしかしたら、読まずに破り捨てるかもしれなかった。
父は母に頭があがらず、もはや言いなりになっていたからだ。
そして母と同じように、ガリレオを恩知らずの負け犬と憎んでいるかもしれない。
それでもガリレオが頼れるのは父しかいなかった。リュートを抱きしめながら、いろんな貴族たちに近づいた彼のコネがね。
その日、ガリレオは父に論文を渡した。家の北側の窓際に座っている父は、ガリレオから渡された書類に何度も顔を近づけた。長い沈黙が二人の空気を冷やした。父は読み終わると、ポツリと呟いた。
「これを――お前が書いたのかい?」
やつれた父ヴィンチェンツォの目が、ガリレオを見つめた。そこには賞賛があった。そして、誇らしさだった。
ガリレオはその瞳を受け止めて、ゆっくりとうなずいた。
こうして第三幕は、父の優しい瞳で幕を閉じる。




