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妹と王太子に公開断罪された悪役令嬢、真実の環で毒家族まとめて大逆転ざまぁしたら氷の騎士団長に辺境溺愛求婚されました

作者: 夢見叶

 床一面に刻まれた魔法陣が、じりじりと赤く光を帯びていく。


「ノクシア・フローレント」


 王城大広間に、澄ました男の声が響いた。

 私の婚約者――いえ、元、とつけるべきなのだろう王太子レオナルト・アルミエル殿下が、玉座の一段下から私を見下ろしている。


「今ここで、お前のすべての罪を暴き立てる」


 ああ、始まった。

 思わず溜め息が出そうになるのを、私は喉の奥に押し込んだ。


 魔法陣――《真実の環》の中心に立つ私は、まるで処刑台にでも縛り付けられた囚人のようだ。

 この環に囚われている間、私は嘘がつけない。もしつこうとすれば、足元の紋様が真紅に燃え上がり、魂の奥まで焼くような痛みが走るのだという。


 ……そう、殿下がご丁寧に説明していた。

 「ノクシアの嘘を、すべて暴くために」わざわざ王城の大広間を審問の場に仕立て上げて。


(ほんとうに、演出がお好きなのね、殿下)


 見上げた先で、レオナルトは満足げに口角を上げた。


「諸卿、よく聞いてくれ。ノクシアは、婚約者たる私に仕えながらも、妹ピウラに陰湿な嫌がらせを続けていた。ドレスを裂き、毒入りのお茶まで用意した、卑劣な悪女だ」


 ざわめきが広がる。

 観覧席を埋め尽くす貴族たちの視線が、一斉に私へと突き刺さった。


「さすが悪役令嬢だわ」「フローレントの長女って、前から噂はあったものね」


 聞こえよがしのささやき。

 ……ええ、ええ、知っていますとも。私は社交界でそういう役を受け持ってきた。


 家のため。

 王太子殿下のため。

 妹ピウラのため。


 ――そして今、彼らは揃って、私を燃やして暖を取ろうとしている。


「ピウラ」


 レオナルトが隣に立つ少女へと優しく声をかける。

 金糸の髪に透きとおるような碧眼。薄桃色の唇を震わせ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべるのは、私の妹、ピウラ・フローレントだ。


「怖かっただろう。だが、もう大丈夫だ。今日は、君を苦しめた悪女を断罪するための日なのだから」


「れ、レオナルト様……っ」


 ピウラは両手を胸の前で組み、涙をにじませて殿下を見上げる。


「お姉様は……いつも、私のものを奪おうとして……。レオナルト様とお話ししただけでも、後で叱られて……こわかった……」


 ああ、よく通る声。よく通る涙。

 稽古のときより、だいぶ感情が乗っているじゃない。


(努力家なのは、認めてあげるべきかしら)


 私は口元だけをわずかにゆがめてみせた。

 その表情を、周囲は「開き直り」と解釈するのだろう。

 ――ええ、それでいい。今のところは。


「お父様、お母様も、何か言うことは?」


 レオナルトに促され、観覧席の前列から二人の男女が立ち上がる。

 フローレント侯爵夫妻――私の両親だ。


「……陛下。ならびに諸卿」


 父は眉間に深い皺を刻み、いかにも「心を痛めている」という顔を作って見せる。


「親としては信じたくはございません。しかし、これほどの証言と噂が重なっては、庇い立てすることもできません。家の名誉のためにも、ノクシアには罪を償ってもらわねば」


 母は、わざとらしくハンカチで目元をぬぐいながらも、きっちりと声量だけは落とさずに言い放つ。


「あの子は、昔から冷たい子でした……妹に優しくするよう、何度も言いましたのに……。親として、育て方を誤ったのかもしれません」


(あら、そこは初耳だわ)


 そんな注意を受けた覚えはない。

 私が父の帳簿と領地の視察で手一杯な頃、母とピウラは、社交界の真ん中で笑っていた。


 ――思えば、私は物心ついた頃から「家のため」の役回りだった。


 *


 幼い頃。

 ピウラがまだ、よちよちと廊下を歩いていた頃。


「ノクシア。こっちにおいで」


 父にそう呼びつけられた私は、まだ字を覚えたばかりの手で分厚い帳簿をめくらされていた。


「こことここの数字が合わん。何か抜けておるはずだ、探せ」


「……はい、お父様」


 背伸びをして椅子に座り、必死に数字を追う私の耳に届くのは、隣の部屋から響く、母とピウラの笑い声。


「ピウラ、かわいいわねえ。社交界に出るまでに、もっともっとかわいくなりましょうね」


 母の声に、幼いピウラがキャッと笑う。

 私がペンだこを増やしている間、妹は可愛いドレスとリボンで盛大に飾り立てられていた。


「長女は損な役回りを引き受けてこそ一人前よ。ノクシア、あなたは頭がいいんだから、家のために働きなさいな」


 それが、母の口癖だった。


 家のために。

 フローレント侯爵家の看板のために。

 ――その言葉だけを抱いて、私は数字と交渉と段取りを覚えた。


 領地の税収が落ちれば、原因を調べ、商人と交渉をし、時に村長たちを説得して新しい施策を提案した。

 王都に上れば、社交界の裏で動く噂と人脈を拾い集め、家の不利になりそうな情報を事前に潰した。


 その成果を、父はこうまとめた。


「よくやったな。――お前がやるのは当然だが」


 褒め言葉とも言えない一言。

 それでも私は、それを胸にしまって、また次の仕事へと手を伸ばした。


 ピウラが嫁入り道具の相談で母とキャッキャと笑い合っていた頃、私はまだ、父と領地改革案の数字を詰めていた。


 そして、王太子レオナルトとの婚約が決まったとき。


「これでフローレント家も安泰よ。ノクシア、あなたの役目は大きいわ」


 母は、そう言った。

 ――けれど、その目は私ではなく、ピウラの方を見ていた。


 王太子殿下の婚約者として、私は殿下の公務を支え、発言のフォローをし、時に不評をかぶって彼の評判を守ってきた。


 公式発表の草案を練り直し、各国使節への贈り物を選定し、殿下の不用意な一言でこじれかけた案件を裏で修復した。

 殿下に知られることもなく、感謝されることもなく。


 それでも私は、「これは国のためだから」と自分に言い聞かせてきた。


 ……そんなある日。

 私の部屋から、王国財務に関する重要書類が消えた。


 数日後。

 レオナルトとピウラが、その内容をもとに、慈善事業を大々的に発表した。


「まあピウラ、素晴らしいわ! こんな案を考えるなんて!」


 社交界はピウラを称え、王太子と「心優しい聖女のような令嬢」の組み合わせを持ち上げた。


 私の机の上に残っていたのは、空になった書類箱と、乱れた鍵穴だけだった。


 その夜、父と母は私を呼び出し、こう告げた。


「ノクシア。ピウラこそが、王太子殿下の隣にふさわしい。お前は――悪役になりなさい」


 そのときのことは、今でも鮮明に覚えている。


 私を真っ直ぐ見もせず、ワインを飲みながら、父は続けた。


「お前は元々、愛嬌もないし、噂も多い。王太子殿下とピウラの恋路を邪魔する悪女として振る舞えば、世間は納得する。捨て駒としては、悪くない立ち位置だ」


 母も笑顔のままで、刃を刺す。


「長女は損な役回りを引き受けてこそ一人前。ピウラが王妃になれば、家は安泰よ。――わかるでしょう?」


 ……わかるわけがない。


 けれど私は、その場ではただ、深く頭を下げた。


「――承知いたしました。フローレント家と王国のために、最善を尽くします」


 それが、私が「悪役令嬢」としての役を受け入れた夜だった。


 *


「――ノクシア!」


 現に引き戻される。

 レオナルトの声に顔を上げると、彼は私を指差していた。


「お前は、嫉妬に駆られてピウラのドレスを裂き、毒入りのお茶を用意した。それを自分の口で認めろ!」


 ……あれは、ピウラが自分で転んで引き裂いた裾を、私のせいにしただけでしょうに。

 毒入りのお茶も、ただの睡眠薬だった。――ピウラが夜な夜な殿下の部屋に忍び込むから、せめて眠ってもらおうとしただけで。


(まあ、そんな事情を説明するつもりはないけれど)


 私は、真実の環の中心で静かに息を吸う。


「……認めません」


 真実の環は、微動だにしない。

 赤くも、熱くもならない。


「なっ……!」


 レオナルトの顔色が変わる。


「ノ、ノクシア。真実の環の上で嘘はつけないはずだ。なのに、なぜ……」


「それは、殿下の仰ることが、事実と異なるからです」


 私は淡々と答える。


「殿下のご説明は、ところどころ、脚色が過ぎます」


 ざわ、と周囲が揺れる。


「ノクシア、お前――」


「殿下」


 私は、彼の言葉を穏やかに遮った。


「どうせ私はこの後、処刑なり、追放なりされるのでしょう?ですから、その前に、最後のお願いをしてもよろしいでしょうか」


「……最後の、お願い?」


 レオナルトの眉がひく、と動く。

 勝ち誇りと困惑が混ざった表情。

 彼はまだ、自分が優位に立っていると信じて疑っていない。


「いいだろう。何だ」


「――仕事の後始末だけは、きちんとさせてください」


 その場に、奇妙な沈黙が落ちた。


「しご、と……?」


 レオナルトが間抜けな声を上げる。

 私は小さく微笑んだ。


「はい。これまで、王太子殿下の婚約者として、それなりの仕事をしてきたつもりです。その結果、隠されてきた不正や虚偽もございます。それらを片付けずに死ぬのは――性分に合いませんので」


 観客席のどこかで、誰かが息を呑んだ気配がした。


「陛下」


 私は玉座に座る王へと向き直り、深く一礼する。


「最後の弁明の機会をいただけますか」


 王は、厳しい眼差しで私を見下ろしていた。

 数瞬の沈黙の後、ひとつ、重々しい溜め息が漏れる。


「……よかろう。真実の環は、公平な裁きを求めるためのものだ。ノクシア・フローレント。お前の弁明、聞くとしよう」


「ありがとうございます、陛下」


 私は一礼し、ゆっくりと身を起こす。


 さて――ここからが、本番だ。


 内心でそう呟きながら、私はドレスのポケットに指を滑り込ませた。


 指先に触れる、ひやりとした感触。

 小さな宝石のような、透明な石。


 ――王家紋章入りの《記録石》だ。


「まずは、一つの記録をご覧いただきたいと思います」


 私はそれを高く掲げ、魔法陣の中心にそっと置いた。


 石が、淡い光を灯す。

 次の瞬間、空中に映像が現れた。


 王城の、人気のない廊下。

 深夜。

 ろうそくの火だけが、揺らめく影を作っている。


『ねえレオナルト様、本当に大丈夫かしら……?こんなことして、お姉様に知られたら――』


 画面の中で、ピウラが囁く。

 私の部屋の前で、そわそわと足踏みをしている。


『心配いらないよ、ピウラ』


 耳慣れた、甘ったるい男の声。

 レオナルトだ。


『ノクシアは、どうせ今もどこかで帳簿とにらめっこさ。あいつの部屋の鍵は、フローレント侯爵から預かってある』


『まあ、お父様が?』


『うん。ノクシアの書類を少し拝借して、君の慈善活動ということにして発表すれば、民は君を称え、あいつは嫉妬に狂うだろう。それでいて、表向きノクシアは、一切文句を言えない』


 笑い声。

 ピウラの、少し鼻にかかった声が続く。


『ふふ。でも、もしお姉様が逆らったら?』


『そのときは――悪女として断罪すればいい。フローレント家も、お前を王妃にしたがっている。全部、うまくいくさ』


『レオナルト様ったら……』


 映像はそこで切れた。


 大広間は、静まり返っている。

 誰も、息をする音さえ立てようとしない。


 沈黙を破ったのは、王の低い声だった。


「……これは、どういうことだ。レオナルト」


「ち、違う、父上。こ、これは何かの――」


 レオナルトは真っ青になり、しどろもどろに言葉を探す。


「ノクシアが魔法で捏造したに違いません! こんなもの――」


「捏造かどうかは、簡単に確かめられますよ、殿下」


 私は静かに言い、足元の真実の環から一歩、外に出た。


 真実の環は、私の足元を失い、光を淡くする。


「殿下。どうぞ、そちらの輪の中へ」


「な、に……?」


「《真実の環》は、嘘をつけば足元が赤く燃え上がる。殿下も先ほど、そうご説明なさっていましたね」


 私は、空いている中心部に軽く手を差し向ける。


「どうか、輪の中で仰ってください。――『私はノクシア嬢を、悪女として断罪するつもりなどなかった』と」


 レオナルトの顔が、ひきつった。


「ば、馬鹿なことを……!」


「できないのであれば、ピウラ。あなたでも構いません。『私はお姉様を、道具として使い捨てにするつもりなどなかった』と、言ってごらんなさいな」


 ピウラの唇がわなわなと震える。


「ノ、ノクシアお姉様、どうしてそんなひどいことを……」


「フローレント侯爵、および奥方でも構いません」


 私は、父と母へと視線を向ける。


「『長女は生まれた時点で、家を守るための犠牲と決めていた』――と、あの夜、お二人がおっしゃった言葉も、記録石には残っています。それが嘘だと言えるのなら、どうぞ真実の環の中で、何度でも否定なさってください」


 父の喉が、ごくりと鳴る。

 母の顔から血の気が引いていく。


 誰も、輪の中に足を踏み入れようとしない。

 その場に、重たい沈黙が落ちた。


「……いいでしょう」


 私は、ひとつ息を吐き出した。


「では、私がもう一度、輪の中に入りましょう」


 自分の足を、真実の環の中心に戻す。


 土の冷たさが、靴底越しに伝わってくる。

 私は、ゆっくりと顔を上げた。


「私は、王太子レオナルト殿下と、妹ピウラと、フローレント侯爵夫妻が、私を悪女に仕立て上げ、使い捨てにしようと相談していたことを知っています」


 足元の紋様は、澄んだ青色に淡く光るだけで、赤くはならない。


 ざわっ、と大広間にどよめきが走った。


「私は、殿下の婚約者として、これまでの数年間、公務の補佐に尽くしてきました。殿下の不用意な発言のフォローに、いくつの夜を潰したか――自分自身でも数えきれません。……請求書を出しましょうか?」


「ノ、ノクシア!」


 レオナルトが叫ぶが、もはやその声に威厳はない。


「ですが、その働きは、殿下にも、家族にも、評価されることはありませんでした。私に求められていたのは、ただ一つ。――捨て駒として、妹と殿下の『恋物語』の悪役を演じることだけ」


 私は父と母を見やる。


「お父様、お母様。あの夜、おっしゃいましたね。『長女は生まれた時点で、家を守るための犠牲と決まっていた』と」


 母の肩がびくりと震えた。

 父の手から、握っていたグラスが落ちて床に砕け散る。


「親として、その口の利き方は――!」


「親なら」


 私は、母の言葉を静かに遮る。


「せめて一度くらい、娘の味方であってほしかったですね」


 胸の奥から、じわりと熱いものがこみ上げてくる。

 けれど、私は泣かない。

 ここで涙を流しては、それこそ彼らの望む「惨めな悪役」になってしまうから。


「陛下」


 私はふたたび玉座に向き直り、深く礼をした。


「これが、私の弁明のすべてです。――そしてもう一つ、お願いがございます」


 王の鋭い視線が、私に注がれる。


「申してみよ」


「レオナルト殿下との婚約を、この場をもって――私の方からお返しさせていただきたいのです」


 場が、凍りついた。


「ノクシア、お前、何を――!」


 レオナルトが叫ぶ。


「殿下は先ほど、『この場をもって婚約を破棄する』と仰いました。ですが、そのようなお言葉をいただくまでもございません。能力も人格も評価してくださらない方の隣で、一生便利な悪役を演じる自信は、もうありませんので」


 静まり返る大広間に、私の声だけがよく響く。


「ですから、こちらから、殿下をお返しいたします」


「ふ、ふざけるな! 誰のおかげで――」


「レオナルト」


 王の声が、雷鳴のように響いた。


「黙れ」


 レオナルトが、ばちりと打たれたように口を閉じる。


「真実の環は、公平だ。ノクシア嬢の証言は、すべて真実と出ている」


 王は重くそう告げると、宰相に目を向けた。


「フローレント侯爵家の収支と、これまでの報告書をすべて調べよ。ノクシア嬢の働きを偽って、自らの功とした形跡があれば、厳罰に処す」


「はっ」


 宰相が恭しく頭を垂れる。


「ノクシア・フローレント」


 王は、今度は私に視線を戻した。


「お前が望むなら、レオナルトとの婚約は、今この場をもって解消とする」


 私は、静かに頷いた。


「……ありがたく、お受けいたします」


 胸の奥で、ひとつ、何かが切れて落ちる音がした。


 家のため。

 王太子のため。

 妹のため。


 そう言い聞かせて、私が縋り続けてきたものが、音を立てて崩れ去っていく。


 解放か、喪失か。

 まだ自分でもうまく言葉にできない感情が、胸の内を渦巻いていた。


「そして、もう一つ」


 私は視線を父と母へと戻す。


「この場をもって、フローレント侯爵家の籍を抜かせてください」


 父の顔から、残っていた血の気が完全に消えた。


「ノクシア、お前、何を――!」


「お父様」


 私は、静かに首を振る。


「私は今日まで、家のためにと、どれだけ自分を削れば認めてもらえるのか、試してきました。答えは――『いくら削っても、足りない』だったようですね」


 母が何か言おうとして、言葉を詰まらせる。


「ですからここで、取引を終わりにしましょう。私はフローレント家に与え続けた労力と時間を、本日をもって、すべて回収します」


「貴様、親に向かって――!」


「先ほどから、親らしい言葉を、ひとつも聞いていないもので」


 淡々とそう言うと、父の肩が怒りに震えた。


 そこへ、王の低い声が割り込む。


「ノクシア嬢の願い、しかと聞き届けた。フローレント侯爵家との縁は、この場をもって断つものとする」


「陛下――!」


「黙れ、侯爵。娘を捨て駒と呼ぶ者を、親と認めるわけにはいかぬ」


 父と母は、言葉を失って立ち尽くした。


 ――これで、本当に終わったのだ。


 胸の奥が、少しだけ軽くなる。

 代わりに、じわりと空虚な風が吹き込んでくるような感覚があった。


 これから、私はどこへ行けばいいのだろう。


 家も、婚約者も、肩書きも、すべて手放して。

 私に残るのは、「数字を見る目」と「段取りを組む能力」くらいだ。


 それを何に使えばいいのか、まだわからない。


 そんな私の思考を、低くよく通る声が断ち切った。


「――では、その行き先について」


 大広間の入り口近く。

 人垣の間を抜けるように、一人の男が進み出る。


「私から、一つ、申し出がある」


 ざわめきが、波のように広がる。


 長身に、よく鍛えられた体躯。

 夜のような黒髪に、淡い灰色の瞳。


 王国騎士団長にして、王弟。

 ジークフェルド・ランスヴェル殿下。


 氷の剣と呼ばれ、冷徹と噂される男が、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。


(……どうして、あなたが)


 正直に言って、よく知らない人だ。

 宮廷の会議や式典で何度か見かけた程度。

 誰に対しても淡々とした態度で、私に話しかけてくることなど、ほとんどなかった。


 そんな人物が今、真実の環のすぐそばで足を止める。


「ジークフェルド殿下」


 王が、少しだけ目を細めた。


「何用か」


「ノクシア嬢の処遇について、だ」


 ジークフェルドは短く答えると、私へと視線を向けた。


 氷のように静かな瞳。

 けれど、その底には、意外なほど熱いものが揺れている。


「ノクシア・フローレント。

 ――いや、もうその名で呼ぶべきではないのかもしれんな」


 彼は、わずかに口元をほころばせた。


「君の働きも、君の孤独も、私はずっと見てきた」


(……いつ、どこで)


 私が思わず眉をひそめると、彼は淡々と過去を拾い上げていく。


「王城の帳簿が一度だけ、破綻しかけた夜があった。覚えているか?」


 私は、胸の奥にしまい込んでいた記憶を引き出す。


 ——ある夜。

 複数の部署から上がってきた報告書が齟齬をきたし、国庫の数字が合わなくなったことがあった。


 他の者たちが匙を投げた後、私は一人、灯りもつけずに山積みの書類と格闘していた。


 そのとき、扉の向こうから、低い声が聞こえたのだ。


『目を悪くするぞ』


 顔を上げると、扉の隙間から差し込む廊下の光に、長身の影が浮かび上がっていた。


『ランスヴェル殿下……?』


『騎士団の予算が、急に減らされた理由が気になってな。犯人は、どうやらそこにいそうだと聞いた』


 冗談めかした言い方だったが、その声はどこか柔らかかった。

 彼は黙って室内に入り、私の手元の書類をざっと流し見た。


『……この行を見ろ。ここで桁の誤記がある』


『あっ……』


『あとは、お前の方が早いだろう。

 ――灯りくらい、つけておけ』


 そう言って、彼は軽く指を鳴らした。

 室内のランプに、ぽっと火が灯る。


『王太子殿下の婚約者が、倒れられては困る。王城が回らなくなる』


『……それは誉め言葉と、受け取ってよろしいのでしょうか』


『事実の指摘だ』


 あのとき、私は一瞬、彼の瞳が笑ったように見えた。

 けれど、忙しさに紛れて、その記憶もすぐに棚の奥へ押し込んでしまったのだ。


「断罪の場が開かれると聞いたときも、私は知っていた」


 現在のジークフェルドの声が、耳を打つ。


「フローレント家が、お前を捨て駒にするつもりだということも。王太子と妹が、お前の働きを盗んで自分の功としたことも」


 そして彼は、私が手にしていた記録石を一瞥する。


「記録石を渡したのは、私だ」


 ――やはり。


 あの日。

 断罪の場が設けられると聞かされ、私は一人、廊下で立ち尽くしていた。


『フローレント嬢』


 背後から声をかけられ、振り向くと、ジークフェルドがそこにいた。


『嫌な顔をしているな』


『……まさか。私はいつも通りです』


『そうか。なら、そのいつも通りを、ひとつ、持って行くといい』


 そう言って、彼は小さな石を差し出したのだ。


『王族の権限を使っている以上、私の立場はあまり褒められたものではないが――真実を守るために使うなら、納得できる』


 私はその意味を深く考えないまま、「ありがとうございます」とだけ答えて石を受け取った。

 今思えば、あれがすべての始まりだったのだ。


 ジークフェルドは、真実の環のすぐ外側に立ち、私を見つめる。


「ノクシア。君は、今日、すべてを手放した。家も、婚約も、肩書きも」


 私は、無意識に拳を握りしめていた。


「……そうですね」


「ならば」


 彼は、ひざまずいた。


 大広間に、どよめきが走る。


 王国騎士団長にして王弟が、ひとりの悪役令嬢に膝を折ったのだ。


「その空いた手で、何を掴むのか。――その選択肢のひとつを、私にくれないか」


 彼の声は、穏やかで、よく通る。


「ランスヴェル領は、今日から君の城になれる。数字も、段取りも、君の得意とするものを、好きなだけ振るえる場所だ。そして、その隣にいるのは、君を道具ではなく、ひとりの人間として見る者でありたい」


 私は、息を飲んだ。


(……この人、何を言っているのかしら)


 頭のどこかが、冷静に突っ込みを入れる。

 処刑か追放かと思っていた場で、突然の公開プロポーズ。


 いや、それ以前に。


「お待ちください、殿下」


 私は、思わず手を上げていた。


「私の履歴書は、真っ黒ですよ?王太子の婚約者でありながら悪役令嬢と噂され、家を捨て、断罪の場から出てきたばかりの女です。それでも、ですか?」


 ジークフェルドの瞳が、ふっと細められる。


「その履歴書を、誰よりも高く評価しているのが、ここにいる」


 さらりと言ってのけるその口調に、観客席から悲鳴にも似た声が上がった。


「君が嫌でなければ、だが」


 彼は片手を差し出してくる。


「私と一緒に、もう二度と理不尽を押しつけられない人生を、組み立ててくれないか」


 私は、その手を見つめた。


 今まで伸ばしても、誰にも取ってもらえなかった手。

 家族にさえ、握り返されることがなかった手。


 その手を、真っ直ぐ見つめて、差し伸べられている。


(……そんな未来を、望んでいいと、誰かに言ってほしかったのかもしれない)


 胸の奥で、ふっと何かがほどけた。


「……私の面倒は、かなり厄介ですよ」


 気づけば私は、口を開いていた。


「夜遅くまで働きますし、人の帳簿が間違っていると、つい口出ししたくなります。もう二度と、自分を安売りするつもりもありません」


 ジークフェルドの口元が、わずかに上がる。


「いいだろう」


 彼は、私の手を取り、そっと自分の唇を触れさせた。


「それがいいと言ったのは、こちらだ」


 大広間が、一斉にどよめきに包まれる。


 王は、しばし無言で私たちを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……ランスヴェル。お前がそこまで言うのなら、止めはせぬ。ノクシア嬢。いや、ノクシア」


 王は、私を真っ直ぐに見つめる。


「王太子との婚約を解かれ、フローレント家との縁も絶った今、お前の行き先は、お前自身が決めよ。

 ――どこへ行きたい」


 私は、ジークフェルドと、真実の環と、砕けたグラスと、顔を背けた家族を、一度ずつ見渡す。


 そうして、ゆっくりと答えた。


「……ランスヴェル領へ、行きたいです」


 ジークフェルドの手が、わずかに強く私の手を握り返した。


「わかった」


 王は静かに頷いた。


「ならば、そうせよ」


 その瞬間、真実の環の光がふっと消えた。

 まるで、役目を終えたと言わんばかりに。


 ――悪役令嬢としての私の物語は、ここで幕を閉じたのだ。


 代わりに、生まれたばかりの「私自身の物語」が、ゆっくりと幕を開ける。


 *


「ノクシア様、今日の視察、もう一件増やしてもよろしいでしょうか」


「駄目です」


「即答……!」


 ランスヴェル領。

 王都から遠く離れた辺境の地は、噂に反して、明るい空と豊かな土地に恵まれていた。


 数ヶ月後の今、私はここで、新しい仕事に追われている。


「ノクシア。また机の上が山になっているな」


 低い声が背後から聞こえ、私は手を止めた。


「ジーク。今、いいところなんです。ここをもう少し詰めれば、来年の税収が――」


「知っている」


 ジークフェルドは私の机の前まで来ると、容赦なく書類を束ねた。


「その話は、明日の君とすればいい」


「ちょ、ちょっと待ってください、その試算はまだ――」


 抗議する私を、彼は軽々と抱き上げる。


「きゃっ」


「今日はもう終わりだ。王都からの報告書も、明日に回せ」


「じ、自領の主がそんなことを言っていいんですか」


「自領の主として言っている。ランスヴェル領の最重要戦力を、過労で倒すわけにはいかない」


 最重要戦力。

 それが、誰を指しているのかは、言うまでもない。


 私は、彼の首元に腕を回しながら、小さく息をついた。


「……ずいぶんと、おだて上手になりましたね」


「事実の指摘だ」


 彼の胸の奥で、くぐもった笑い声が響く。


 窓の外には、夕焼けに染まるランスヴェルの街が広がっていた。

 以前は、数字でしか見ていなかった世界。

 今はそこに、笑う人々の顔がある。


 市場の賑わい。

 新しく作った診療所の白い壁。

 子どもたちの笑い声。


 その一つひとつに、私の仕事が、少しだけ関わっている。


「……悪くないですね」


「何がだ」


「こうして働いて、疲れて、誰かにもう終わりだと言ってもらえる日々が、です」


 ジークフェルドの腕に、力がこもる。


「なら、これからもそう言い続けよう」


 彼の声は、静かで、揺るぎない。


「君が仕事を詰めすぎるたびに、何度でも」


「……それは、私が一向に学ばない前提ですよね」


「事実の指摘だ」


 思わず笑いがこぼれた。


 窓の外に目をやると、遠い王都の方角から、一羽の伝書鳥が飛んできているのが見えた。


 後で確認した手紙には、こう記されていた。


『元王太子レオナルト殿下、謹慎中。王城の雑務に従事し、書類整理の難しさに日々悲鳴を上げている模様』


『フローレント家、爵位降格。領地の一部を没収され、ピウラ令嬢は修道院にて奉仕活動中』


 私は手紙を畳み、机の端に置いた。


「どうした」


「いいえ。

 少しだけ、昔の知り合いの今を見ただけです」


「そうか」


 ジークフェルドは、それ以上詮索しない。

 ただ、私をそっと床に下ろし、窓の外を一緒に眺めた。


 夕陽が沈みかける空は、柔らかな赤と金に染まっていた。

 かつて、真実の環が赤く燃え上がる光景を想像していた私には、少し眩しい色だ。


「ジーク」


「なんだ」


「私の物語は、どこまで行くと思います?」


「さあな」


 彼は、肩をすくめる。


「ただ一つ言えるのは――悪役令嬢としての幕は、もう二度と上がらない、ということだ」


 私は、そっと目を閉じる。


 処刑台のような真実の環の上で、すべてを失ったと思っていたあの日。

 実はあのときこそが、私の人生の第一幕の終わりであり、第二幕の始まりだったのだ。


(――まあ、いいでしょう)


 ゆっくりと目を開けると、隣にはジークフェルドがいて、窓の外には私が選んだ領地が広がっている。


 家のためでも、誰かの恋物語のためでもない。

 私自身のために、そして隣にいる人のために働ける日々。


 これを幸せと呼ばずに、何と呼ぶのだろう。


「私の物語は、ここからが本番ですね」


 小さくそう呟くと、ジークフェルドが横目で私を見て、わずかに笑った。


「期待している」


 その一言に背中を押されるように、私はまた明日も仕事を詰め込むのだろう。

 そしてきっと、そのたびに「今日はここまでだ」と、誰かが私を抱き上げて連れ帰ってくれる。


 ――悪役令嬢ノクシアの断罪は、世界から与えられた罰ではなく。

 私が自分の役を終わらせるために選んだ、最後で最大の仕事だったのだ。


 そんなことを思いながら、私はもう一度、夕焼けの空を見上げた。


 新しい幕は、確かに、今ここから上がり続けている。


読了ありがとうございます、ノクシアと最後まで付き合ってくださって嬉しいです。

テーマは「家の犠牲として生きてきた悪役令嬢が、自分の手で役を降りて自分の人生を取り戻す物語」でした。


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― 新着の感想 ―
良く使用許可が下りた(というか取りました)よね 王太子、ヒロインの家族側からしたら事実を公表されたら身の破滅につながるのに 何故あえてヒロインが嘘のつけない状況を作ったんでしょうか
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