5 おやつのクッキー
お昼休憩を挟んで、午後からダン達は庭師の本来の仕事に戻っていった。
子ども達はお昼寝タイムだそうで『今日はすぐに寝てくれそうですわ』と、サマンサから感謝された。いつもは遊びたくてうずうずしたり、眠いのにグズったりしてなかなか寝付けないらしい。あれだけはしゃいでいたから、お腹いっぱいになったらすぐに寝ちゃいそうね。
私とエイダも服を着替え、午後からは厨房を借りてお菓子を作ることにした。
「若奥様、お菓子を作ってどうされるのですか? 言っていただければ、私どもが……」
「実家でもよくしていたから大丈夫よ。料理長達は休憩時間をちゃんと取ってね。それで小麦粉、砂糖、卵とバターをもらいたいの」
「はい、それなら常備しておりますので、他の食材もお好きな物をお使いください」
「ありがとう!」
料理人達が休憩に行ってる間に、私は持参した料理用のエプロンを着け腕まくりをした。
「若奥様、何を作られるのですか?」
「アイスボックスクッキーよ」
「あいすぼっくす? 聞いたことがないクッキーですね」
「とても簡単なのよ」
私は材料を計量し、プレーンなクッキー生地を大量に作った。もうひとつ、ココアパウダーを混ぜ込んだ黒っぽい生地も作る。
「ずいぶんたくさん作るのですね。これを絞り出し袋に入れるのですか?」
「ううん、もっと簡単で色んな種類を楽しめるようにするわ」
まずは、プレーンの生地とココア生地を取り、それを重ねて綿棒で伸ばし、畳んだり捻ったりしてマーブル模様を作った。それを丸い棒状にまとめて出来上がり。ツルッとしたオーブンペーパーに包んでキャンディのように両端を捻った。
他にもナッツとドライフルーツを刻んでプレーン生地に混ぜたもの、スライスアーモンドをココア生地に混ぜたもの、棒状にして周りにグラニュー糖をまぶしたもの、市松模様にしたもの、プレーン生地に紅茶の茶葉を混ぜたもの、チョコチップを混ぜたもの、黒ごまを混ぜたものなど、たくさんの種類が出来上がった。
「若奥様、こんなに太いクッキーで火が通るのですか?」
「このまま一旦冷凍庫に入れておくわ」
「ハァ。冷凍庫でこざいますか」
この世界にも電気は通っているのが助かる。おかげで、冷蔵庫や照明、ミシンなど前世にもあった道具が使えるのだ。そのうち電気自動車なんて発明されないかしら?
生地を休ませている間、しばしお茶を飲んで休憩だ。エイダがお茶を淹れながら話しかけてきた。
「あの、若奥様はどうしてそんなに色々と御自分で作られるのですか?」
「自分でやればお金が掛からないでしょ?」
「こう言ってはなんですが、若奥様のご実家は裕福でいらっしゃいますよね」
「最初から裕福だったわけじゃないわ。それにいつお金がなくなるかわからないのよ。無駄な贅沢は必要ないわ」
前世で、突然両親を亡くして学んだことだ。人生何が起こるかわからない。
実家の子爵家もお金の使い方がわかっているので、普段は倹しく暮らしているが、設備投資や領民を助けるなどここぞという時は惜しまずお金を使った。そこだけを切り取られて、成金だと噂になってしまったけれど。
「お菓子もよく作ったわ。工場に差し入れすると、従業員に喜ばれるの」
「雇い主のお嬢様が自らですか!」
エイダがびっくりした顔をした。そんなに変かしら? 前世だって、上司が時々差し入れをくれていたわよ。疲れたときに甘いものは嬉しかったなぁ。
「ええ、おやつがあると働いた後の楽しみができるでしょう? 街で買った物もいいけれど、自分で作れば安くて大量に作れるし」
「じゃあ、このクッキーも……」
「あなた達のおやつよ。節約はしても、たまの楽しみはあってもいいんじゃないかしら」
「若奥様っ!」
エイダが目をキラキラとさせた。ふふっ、エイダも甘いものが好きそうね。
「焼けたら、メイドや侍女達とお茶を飲みましょう。早くみんなの名前を覚えたいの」
「はい、メイド長にも聞いてみますわ」
そんな話をしていると、料理人達が厨房に戻ってきた。
「そろそろかしら。料理長、オーブンを借りるわね」
「すぐに焼けるよう、温めておきましょうか?」
「ありがとう、お願いするわ」
私は温度を料理長に伝え、冷凍庫から先程入れておいた棒状の生地を取り出す。
「それは、なんのお菓子ですか? 初めて見ます」
料理人達も興味津々で集まってきた。
「これはクッキーよ」
「クッキー? そんな棒状で焼けるのですか?」
「いいえ、見ててちょうだい」
私は紙の中から生地を取り出し、固くなった生地を一センチほどの厚みに切っていった。すると金太郎飴のように同じ模様のクッキーが切り出される。
「おぉ! 型で抜いたり絞り出さなくていいのですね!」
「そうなの。これなら、同じ大きさの物が大量に作れるわ。冷凍庫で保存もできるから、生地の状態でストックしておけば、いつでも焼き立てのクッキーが作れるわよ」
まあ、前世の人が考えてくれたんだけどね。だからそんなに尊敬の眼差しで見られると気まずい。
切ったものを天板に並べオーブンに入れると、ほどなく甘くていい香りが漂ってきた。
「焼けたようね」
オーブンから出したものを、お皿に並べて冷ます。それを何度か繰り返し、クッキーはすべて焼き上がった。
「冷めたものを味見してみてちょうだい」
料理人達にも勧める。プロに食べさせるほどの物ではないのだけれど……
「若奥様、大変美味しいです!」
「ありがとう、お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞などではありません! これならお茶会にだって出せますよ」
「こんなに種類もありますし、さっそく若旦那様の午後のお茶にも添えてよろしいですか?」
いつの間にか輪の中にいた執事のローガンから、とんでもない提案がなされた。
「えっと……私が作ったことは内緒にしてくれるなら」
たぶん、私が作ったと知られたら食べてもらえないんじゃないかしら。旦那様からは、あまり好かれていないものね。
料理人達から、なんだか納得していない顔をされてしまったけれど、お茶を運ぶ執事にはきっちり約束してもらった。
「若奥様、メイド長に話は通しました。どこかのお部屋に呼び出しましょうか?」
「エイダ、ありがとう。女性使用人の休憩室にお邪魔しようかしら」
「若奥様がそのようなところでお茶なんて!」
「あら、いいのよ。私の実家も子爵家だって知っているでしょう? だから気にしないで」
高位貴族のお邸には、下位貴族の令嬢が働いていることも珍しくない。私も下から数えた方が早い子爵家の出身だ。むしろ話が合うかもね。
私はクッキーをいくつかのお皿に分けて並べ、カゴと紙袋にも取り分けた。
「こちらのお皿は、旦那様のお茶に。こちらのお皿は女性使用人の休憩室へ。こちらのお皿は使用人の食堂にでも置いてみんなで摘んでちょうだい。このカゴは庭師の休憩室に届けてあげてくれる?」
「かしこまりました、若奥様」
「エイダ、この袋は子ども達とサマンサの分。明日のおやつにでもしてもらって」
「まあ! お気遣いありがとうございます」
クッキーの分配が済んだら、メイド達に会うために女性使用人の休憩室へと向かった。
◇◇◇◇
「メイド長、急にお邪魔してごめんなさいね」
「若奥様それは構いませんが、本当にこのような場所でよろしいのですか?」
「ええ! これからお世話になるのだから、みんなのことを知りたかったの」
女性使用人の休憩室へ入ると、皆がピシリと立って出迎えてくれた。
「あのね、クッキーを焼いたのよ。みんなでお茶にしない?」
「まあ! 若奥様が自ら料理までなさるのですか?」
「実家でもしていたから……みんなそんなに緊張しないで。私など、ただの子爵家の娘なのだから」
そう言うと、みんなの肩の力が少し緩んだ気がした。来たばかりの若奥様が、怖い人だったらどうしようって思うわよね。
休憩室のテーブルにクッキーのお皿を置くと、『わぁ……』と小さな声が漏れた。女性ばかりだもの、甘い物は嬉しいわよね。
「お茶を淹れますわね」
エイダが休憩室のポットと茶葉で、お茶を淹れようとした。メイド長が慌てたように駆け寄る。
「あのっ、若奥様の分は――」
「メイド長、大丈夫ですよ。私達と同じ物をご所望です」
本当に? という目でメイド長がこちらを見たので、ウンウンと頷いておいた。お茶の準備ができたので、みんなで椅子に座った。
「私はここに来て間もないでしょう? みんなの名前を早く覚えたいの。お菓子でも食べながら教えてちょうだい」
最初は遠慮がちだったメイド達も、次第に打ち解け自分のことを話してくれるようになった。
エイダの他にもいる侍女がナタリー。彼女はスコットの妹なので、エイダの義妹に当たるらしい。
メイドはベテラン勢がメイド長の他に、ヘザー、マイリー、アガサ。アガサはハリーのお母さんだ。
十代の若い子達がクラリス、シャロン、ニーナの三人で、男爵家や裕福な商家の娘で行儀見習いも兼ねて働いているいるそうだ。
高位の侯爵家にしてはメイドの数も少ない。経済的な理由もあって、少数で頑張っているんだろうな。
あとは、洗濯メイドがふたり通いで働いてくれているそうだ。洗濯機もあるし、通いでも十分やっていけるものね。
「みんな、これからも時々お茶をしましょう。仕事のグチでも不満でもこぼしてちょうだい。夫婦ゲンカの話や恋バナも大歓迎よ」
私がおどけたように言うと、メイド達からもクスクスと笑いがこぼれた。
お茶が済むと、私はエイダと一緒に部屋を出た。
「みんな、お菓子も食べてくれたわね」
「ええ、喜んでいましたわ。とても美味しゅうございました」
「じゃあいつでも食べられるよう、生地を冷凍しておこうかな」
私はそのまま厨房へ向かい、追加のクッキー生地を作ることにした。
◇◇◇◇
「ローガン、これはなんだ?」
「午後のお茶でございますが」
「そうではない、この菓子だ」
「クッキーでございます。こちらはナッツ、黒ごま、チョコレートなどが入っております」
「いつもと見た目が違うが……うん、美味いな」
「私もひとついただいても?」
「あぁ、スコットも食べてみろ」
「本当だ、サクサクしている。色んな種類があっていいですね」
「ローガン、明日もこれにしてくれ」
「かしこまりました、若旦那様」
執事のローガンが含み笑いをしたことに、オスカーはだけは気付いていなかった。