3 種まき
昼食のために一旦邸の中に戻ると、食堂にオスカー様の姿はなかった。
「旦那様は、もう食事をとられたのかしら?」
「執務室で仕事をしながらとられるとのことです」
「そうなの」
執事の言葉に少しホッとした。昨夜の寝室以来、オスカー様には会っていない。あんなことを言われては、顔を合わせるのも少し気まずいのよね。
「若奥様、昼食はこちらをお出しするよう料理長から言われたのですが」
「ええ、私がお願いしたのよ。これで合っているわ」
午後からも庭仕事をしたかったから、手早く食べられるようサンドイッチとオレンジジュースをお願いしておいたのだ。『適当に余り物でも挟んどいて』と言ったのだけれど、お茶会にでも出てきそうな上品な一口サイズのサンドイッチが出てきた。
あらまあ、耳も付いたままの食パンにハムとかチーズを挟んで、半分にざっくり切ったような物で良かったのに。だって、パンって耳も美味しいじゃない? 次は耳も付けたままにしてってお願いしよう。美味しいところを捨ててはもったいないもの。
私はお昼も美味しくいただき、まだ三十歳ほどの若い執事に話しかけた。
「あのね、お願いがあるのだけれど」
「なんでございましょう、若奥様」
「裏庭に鶏小屋を作ることにしたの。それで、どこか雌鶏を分けてくれるところを知らないかしら?」
「め、雌鶏ですか?」
「ええ、私の予算で買うから他に影響はないわ」
執事は驚いたように目を見開いた。
私には、侯爵家の夫人として見苦しくないよう保つための予算が付いている。社交も貴族の仕事、夜会やお茶会に招かれた時のドレスや宝飾品なども最低限必要だからだ。
だけど、今なら実家から嫁入り道具として持ってきた物がある。なのですぐには必要ないし、鶏くらいなら買っても余裕があるはずだ。私の予算も他に回せるならその方がいい。ドレスなんかよりよっぽど有意義に使えるというものだ。
「若奥様の予算からとなりますと、家令にも相談してみましょう」
「ありがとう、お願いね。私は庭でダン達と一緒にいるわ」
「かしこまりました」
◇◇◇◇
「ダン、カイル、お昼は済ませたかしら?」
「若奥様、賄いをいただきましたよ」
「それならよかった。午後からは野菜の苗を作りたいの」
私は実家から持ってきた野菜の種袋をポケットから出して見せた。
「畑はまだできていないけれど、種を蒔いてから畑に植えられる大きさの苗になるまで二か月近くかかるのよ。だから畑より先に種を蒔きたいの」
「お手伝いしますよ、若奥様」
「ありがとう! 土と種まき用のポットを少し分けてくれる?」
ダン達は庭師の作業小屋へ案内してくれた。そこにはクワやスコップにハサミなどの器具を置く倉庫と、トイレと手洗い、ちょっとしたテーブルセットがある休憩室、それに苗を育てるための温室があった。
「わしらも、ここで花の苗を作っとるんですよ」
「私の野菜の苗も、そこにお邪魔してもいいかしら?」
「もちろんですよ」
ダンはにっこりと笑い快諾してくれた。私は持参した土いじり用のエプロンを着ける。手袋や園芸ハサミなどを入れるポケットが付いていて、服も汚れずとても使いやすいのだ。
「なんの野菜を作るんですかい?」
「今は三月だから、夏野菜の種を蒔きたいの。トマト、ナス、ピーマン、パプリカ、きゅうり、とうもろこし、バジル、シソ、レタス、それにかぼちゃとスイカね!」
「ずいぶんたくさん作るんですな」
「ええ、みんなの賄いの分も作るつもりだから。色々あったほうがいいでしょ?」
「僕、ピーマン苦手……」
「あらカイル、自分で育てた野菜なら食べられるかもしれないわよ。まずは苦味のないパプリカから挑戦してみるといいわ」
「う〜ん」
カイルは渋い顔をしながらも、手際よくポットに土を詰めてくれた。花の苗を作る時と同じ作業だから慣れているんですって。そのポットにジョウロで水を撒き、ひとつひとつ種を蒔いていった。
「それとね、マリーゴールドの苗をたくさん作ってほしいの」
「わかりました。野菜の苗は、他の花の苗と一緒に水やりをしておきますね」
「ありがとうカイル。私も毎日様子を見に来るわね」
明日からの畑作りと鶏小屋作りを相談して、ダン達とは別れた。
「ずいぶんと面白い若奥様が嫁いで来られたな、親父」
「ああ、あの方となら上手くやっていけそうだ」
◇◇◇◇
「オスカー坊ちゃん」
「坊ちゃんはやめろ」
「失礼しました。若旦那様、執事のローガンから報告が上がっておりまして」
「なんだスコット、言ってみろ」
執務室では、結婚休暇中にもかかわらずオスカーと家令のスコットが仕事をしていた。
「若奥様から予算の使い道について、相談があったそうです」
「ハッ、さっそくか。見ろ、やっぱり成金の娘は金遣いが荒いんだ。ドレスか? 宝石か? いくら持参金が多くとも、成金令嬢ではラングフォード家のためにならんと、あれほど言ったじゃ――」
「雌鶏がほしいそうです」
「ん? 今なんて言った?」
「だから、雌鶏です。コケコッコーの鶏ですよ」
「なんのために?」
「裏庭で飼うそうです。毎朝新鮮な卵が食べられますね」
オスカーは困惑した。新鮮な……たまご?
「雌鶏くらいなら大した金額でもないですよね。若奥様のお望み通り、手配しておきますね」
「あぁ、うん」
「それと、若奥様は裏庭で野菜も育てるそうです」
「野菜、だと?」
「ご実家から野菜の種を持参されていたそうですよ。新鮮な野菜も食べられますね」
「うん……いや、なんのために!?」
「侯爵家の経費を節約したいらしいですよ。厨房で出た野菜くずで肥料まで作り出したらしいです」
オスカーはポカーンと口を開けていた。予想外すぎる話にイマイチ理解ができていなかった。
「え? 誰が?」
「若奥様、ノーラ様ですよ」
「あの成金子爵家の娘が? 贅沢をしたいんじゃなくて?」
「だからそう言っているでしょう! あーあ、ちゃんと確かめないから」
急にスコットの口調が砕けたものになった。スコットの父もラングフォード家の家令をしている。今は侯爵夫妻とともに領地へ付いて行ったので、王都のタウンハウスの家令を息子のスコットが任されていた。ちなみに母も侯爵夫人の侍女をしているので、侯爵家で生まれ育ったスコットはオスカーの三歳年上の幼馴染でもあるのだ。家族で紛らわしいので、父は家名のハンクス、息子は名前でスコットと呼ばれている。
「妻のエイダが、せっかくエロかわいい寝間着を若奥様に着せたのにぃ」
「ぐっ、あれを選んだのはお前の嫁か。たしかノーラの専属侍女だったな」
「そうですよ。初夜で若旦那様にも喜んでもらおうと思って、侍女やメイド達で厳選したらしいですよ。若奥様の小ぶりだけど形のいいお胸にピッタ――」
「お前は人の嫁の裸を見たのかーー!」
オスカーはスコットの胸ぐらを掴み、ガクガクと揺さぶった。
「ぐぇっ、私が見たんじゃありませんよ。湯浴みを手伝った侍女達が言っていたんです。とても可憐でよくお似合いだったと。それなのに、どこかの坊っちゃんが馬鹿なことを言うから……」
「俺はただ、最初に調子に乗るなと釘を刺そうとしただけで――」
「『俺からの愛など期待するな』だっけ? 普通そんなことを初夜に言う? そりゃ白い結婚と思われても仕方ないな」
「うぅ……」
スコットはジトリとした目でオスカーを見た。
「で、どうすんの。このままずっと清い体を守るわけ? それとも外に愛人でも作って後継ぎを産んでもらうの?」
「ハァ? なんで愛人なんか! 俺はちゃんと妻と子作りをするつもりでいたんだ……」
「でも若奥様は白い結婚だと思っているんだろ? もう土下座で謝るしかないな」
「だれが土下座なんてするか!」
「じゃあ一生童て――」
「それも嫌だ!」
「こんなにイケメンのくせに、変なところで真面目なんだよな……」
若い令嬢から年上の未亡人まで言い寄ってくる女はごまんといるのに、絶対に遊ばない真面目な幼馴染を見て少し誇らしくもあるスコットであった。