19 お義母様からの手紙
4月の半ば、最初の頃に蒔いた種も温室ですくすくと育っていた。
「もうそろそろ植えられそうね」
「そうですな。裏庭の開墾も順調だし、土に肥料を入れて支柱の準備もしといた方がいいな」
「フッフッフッ、コンポストの出番ね」
厨房から出た生ゴミは、毎日コンポストに入れられている。時々かき混ぜたり水を掛けたりしたおかげで分解も進んでおり、すぐにも使えそう。
そしてもうひとつコンポストが増えていた。そちらは生ゴミに加えて鶏ふんも入れられている。鶏ふんを片付ければ鶏小屋はきれいになるし、肥料は増えるし一石二鳥! うん、順調順調。
その日は最初のコンポストでできた肥料を土に混ぜた。あんなに固かった土がふかふかになってる! きれいに畝が立てられ、誰がどう見ても立派な畑だ。まさか侯爵家の裏庭に畑があろうとは、誰も思うまい。
「きゅうり用とトマト用の支柱はこの辺に立てていいですか?」
「ええ、カイル。お願いね」
カイルが畝に丈夫な支柱を立ててくれた。これなら葉が繁っても、強い風が吹いても倒れないわね!
「カイル、ありがとう。鶏のお世話もだいぶ慣れたかしら?」
「はい! 若奥様に教えてもらった通りにやっています。最近は餌を持って小屋に入ると、うしろを付いてくるんですよ。卵を採っても突かれなくなりました」
「ふふっ、お世話をしてくれるのが誰なのか鶏もわかっているのかもね」
「ハリー達も時々手伝ってくれるんです。あの三人は、産卵スペース以外のところで産み落とされた卵を見つけるのが上手いんだ」
「まあ、宝探しみたいね。おかげで毎日美味しい卵が食べられているわ」
「僕も、産みたての卵があんなに美味しいとは思わなかったです。野菜も楽しみだなぁ」
「じゃあ、苦手なピーマンも食べられるかもね?」
「うぅ、頑張ります」
カイルはピーマンの味を思い出したのか、苦そうな顔をした。
王都育ちのカイル達も、畑仕事や鶏の世話を楽しんでくれているみたい。生ゴミ分の回収料と卵代が浮いたと、スコットからも報告を受けている。少しずつだけれど、節約の成果が出ているのが嬉しい。そのうち野菜代も浮くはずだ。本当に、侯爵家の敷地が広くてよかった〜!
◇◇◇◇
「若奥様、領地から手紙が届いております」
「ローガン、ありがとう。まあ、お義母様からだわ」
一仕事終えて邸の中に入ると、執事のローガンがトレーに載せた手紙を届けてくれた。
お茶を飲みながら開封すると、女性らしい柔らかな文字が目に飛び込んできた。
『ノーラちゃん
元気にしているかしら? あなたが王都へ戻ってしまって、領地の邸は静かすぎる気がします。
あなたが開発したレモンピールやオレンジのマーマレードは、工場で量産体制に入りました。
従業員達も、仕事が増えた分収入も増えるのでやりがいがある、と喜んでいるそうよ。
まもなく王都でも売り出せると思うわ。
それと、フィップス侯爵家からお茶会のお誘いをいただいたの。
久しぶりに私とも会いたいと言ってくれているから、ノーラちゃんも一緒に行きましょう。
大きなお茶会ではなく仲良しの夫人達の会だそうだから、そんなに気負わなくても大丈夫よ。
一週間後にジャムやピールを持ってそちらへ行きますから、あなたも準備をしておいてね。
ジュリア・ラングフォード』
「エイダ、お義母様が一週間後にこちらへ来られるそうよ! しかもフィップス侯爵家のお茶会が思ったより早く開かれることになりそうだわ」
「若奥様、ご心配なく。ご実家から持ってこられた御衣装はすべて把握しておりますわ」
「おぅ、さすがはできる侍女ね」
「恐れ入ります。それより、お召し物を替えられませんか?」
「あ、まだもんぺのままだったわ。てへ」
「くっ、かわいい」
「えっ?」
「なんでもございませんわ。ほほ」
エイダは謎の反応を見せたけれど、そのまま追い立てられるように私室へと戻った。
◇◇◇◇
「母上が王都に? こんな時期に珍しいな」
城での仕事を終えて帰宅したオスカーに、家令のスコットは今日一日の報告をしている。
「若奥様とお茶会へ行かれるそうですよ」
「なんだと? 俺ですらまだ一緒に出掛けたことがないというのに、母上はあいつと仲が良すぎないか?」
「婚約期間中に、いくらでも出掛ける機会はあったんですけれどねぇ」
「うぅ……」
スコットからの容赦ない攻撃に、オスカーは胸を押さえた。
「あの頃はこの結婚に納得していなかったし、街に出れば贅沢なものをねだられると思っていたから……」
「そんなの、行ってみなくちゃわからないでしょう」
「たしかにそうだ。最近特に己の未熟さを実感している。思い込みで行動しては駄目だった」
「おや、反省ができるとはひとつ成長しましたね」
「褒めても何も出な――」
「褒めてないです」
「お、おう」
できる家令スコットは、にっこり笑いながらもイヤミが言えるのだ。そのあたり、オスカーはまだまだ純粋なようだ。
「見た目や噂に惑わされてはいけません。若奥様のことも、ちゃんと中身を見てください」
「わ、わかってるよ」
「ひとまず、デートでもなさっては?」
「デート……ってなにをすればいいんだ?」
「そこからかい! とりあえず街歩きでもなんでもいいですよ。若奥様は、普段も買い物すら行かれませんから」
「そうだな。彼女は王都に慣れていないだろうし、観劇などより街を案内の方がいいかもしれん」
オスカーは次の休みを、ノーラとのお出掛けに使うと決めた。
◇◇◇◇
「お義母様! おかえりなさいませ。馬車旅でお疲れではありませんか?」
「ノーラちゃん、会えて嬉しいわ〜。あなたと会うためなら喜んで出てくるわよ」
数日後、お義母様が約束通りに王都へ出てこられた。ふたりでキャッキャと盛り上がっていると、うしろから不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「んん、俺もいるんだが」
「旦那様!」
「あら、オスカーもいたの?」
オスカー様はお義母様の到着時間に合わせて、早めに仕事から帰って来られたらしい。
「いちゃ駄目なのか」
「どちらでもいいわよ〜。それより、ノーラちゃんが作った新商品を見る? 領地から持ってきたの」
「見る!」
どちらでもいいと言われたことはスルーして、食い気味に新商品に興味を示された。やっぱり、領地の経営にかかわることは気になるわよね。
「じゃあお茶にしましょうか。ローガン、お願いね」
「かしこまりました、奥様」
家族用の居間に入ると、またもオスカー様は私の隣に座られた。他にもソファは空いているのになぁ。なんで拳ひとつ分の距離なんだろう。
扇子で隠してはいるけれど、若干お義母様がニヤニヤしている気がするわ。
「ノーラちゃん、これがジャムのラベルよ。二種類作ったの、見てちょうだい」
「わあ、ありがとうございます。えっ、これって……」
「ノーラ……か?」
ひとつは貴族向けのラベル。こちらは青い紙に金色の文字で『ラングフォード領 オレンジマーマレード』と印刷されていた。レモンのマーマレードも同じデザインで、高級感がある。
問題はもうひとつの方だ。庶民用のラベルは、白い紙にオレンジの絵と三つ編みの女の子の絵が描かれ『ノーラのオレンジマーマレード』と書かれていた。
「かわいいでしょう? 孤児院で一番絵が得意な子に描いてもらったのよ」
「えっ、やっぱり私なんですか?」
「もちろん! 旦那様にも工場の従業員たちにも評判がいいの」
「その……子どもが似顔絵を描いてくれたのは嬉しいですけれど、私の名前で売れますかね?」
「売れるわよ。孤児院のクッキーのラベルにも、この絵が入っているのよ。ほら」
お義母様は、クッキーの紙袋も取り出した。たしかに、紙袋に貼られたラベルにも三つ編みの女の子の絵と、『ノーラのマーマレードクッキー』と書かれている。
「まさかこの三つ編みの子が、侯爵家の夫人だとは思わないでしょうね。ふふっ、面白いでしょ?」
「あぅ……」
お義母様は、いたずらが成功したかのような顔をして笑った。なんと答えていいやら……
その間に、ローガン達がお茶の準備をしてくれた。お皿には孤児院にレシピを教えたアイスボックスクッキーと、半分チョコレートでコーティングされたスティック状のオレンジピールとレモンピールがきれいに並んでいる。
「わあ! もうここまでできるようになったんですね!」
「ええ、工場にピールを作る設備も増設して、従業員もおかみさん達の伝手で増員したそうよ」
「この短期間で凄いです! 皮が無駄にならなくてよかったぁ」
「皮? これはレモンやオレンジの皮なのか? 皮を見に行ったとは聞いていたが……まさかこんな物になっていたなんて」
オスカー様は驚愕の表情を浮かべた。あれ、そういやまだ言ってなかったっけ?
「オスカー、まあ騙されたと思って食べてみなさいよ」
オスカー様はお義母様に促され、恐る恐るピールに手を伸ばした。目をギュッとつぶると、覚悟を決めたかのように口に放り込んだ。
「あれ、思ったより苦くない。それどころか、美味い」
「「でしょう〜?」」
私とお義母様の声がハモった。うん、だってここはドヤる場面でしょう。
「このクッキーも食べたことがある気が……あっ、ローガン。お茶の時間に出てきたクッキーと同じだな?」
「そうですか?」
「このサクサクした感じは同じだ! なぜ孤児院で……まさか」
ローガンはすっとぼけてくれたのに、オスカー様は私をガン見した。うっ、見ないでください。
「あら、オスカーもノーラちゃんのクッキーを食べたの? おいしいわよねぇ」
せっかく内緒にしていたのに、お義母様からあっさりバレてしまった。うぅ、怒られるかしら。あんな物を出しやがってーとか。
「拙いものをお出しして、申し訳ありません……」
「いや、とても美味しかった。また作ってほしい」
「えっ?」
オスカー様から思いもよらない言葉が飛び出した。私が作ったものなんて、食べないと思っていたのに。
「あんな物でよろしければ」
「ああ、ありがとう」
オスカー様はふわりと笑った。こんな顔は初めて見たかもしれない。やっぱりイケメンなんだなぁと、どうでもいいことが頭に浮かんだ。