10 お見送り
「では皆さん、一週間ほど留守にするからお願いね」
「「「はい、若奥様」」」
朝も早い時間、馬車に荷物を積み込み、見送りに出てくれた使用人達に出発前の挨拶をしているところ。
双子達もよそ行きの格好をして、エイダと一緒に私の横に並んでいた。ワクワクとしているのが表情にも現れていてかわいい〜。
「裏庭の畑は、わし達で進めておきますからな」
「ダン、ありがとう。帰ったら私も続きをするわ」
重機でもあればすぐに掘り返せるのに、まだ自動車さえないので仕方がない。また帰ったら頑張ろう!
「若奥様、道中お気を付けて」
「メイド長、家の事は頼みますね。あ、昨日おやつのパウンドケーキを焼いてあるから、休憩時間にみんなで食べてちょうだい」
「お気遣いありがとうございます!」
若いメイド達もケーキと聞きキャッキャと喜んでいる。
エイダと双子達を家令のスコットが名残惜しそうに抱きしめているところで、使用人達の人垣の後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。
「ノ、ノーラ」
「え?」
まだ他に見送りに来てくれた人がいるのかしら? 使用人達がうしろを振り向くと、そこにはなんとオスカー様の姿があった。
「「「若旦那様!」」」
使用人達は驚き、頭を下げて道を開けた。
昨日もお仕事で遅くなったようだから、てっきり寝ていらっしゃるとばかり……というか、本当はちょっと忘れてた。ごめん。
「その、君が領地へ視察に行くと聞いた」
「はい。急だったもので、ご報告が遅れて申し訳ありません。一週間ほど留守にいたします」
「そうか……」
そう言ったきり、オスカー様は黙りこくってしまった。
えっと、もう話すことはないかな? 出発してもいい?
「あっ、」「では、」
「遮って申し訳ありません、旦那様。どうぞ?」
「ああ、気を付けて。帰りを待っている」
「へっ?」
今この人、『待っている』って言った? 私のことが気に食わなくてずっと避けていたのに、『待っている』と? 急にどうしちゃったのかしら。きっと仕事が忙しすぎて、お疲れなのね。
「旦那様も、お仕事で無理をされませんよう」
「ああ、ありがとう」
まあ、『ありがとう』ですって! 普通の会話が成り立っているわ! この前の朝食みたいに、不機嫌でもないし質問責めでもない。なんか新鮮!
私がひとりで感動していると、エイダから声を掛けられた。
「若奥様、そろそろ出発しませんと、宿に到着するのが遅くなります」
「そうね、では行って参ります」
みんなに声を掛け、エイダ達と馬車に乗り込む。不埒な輩に狙われないよう、家紋なしの地味な馬車を選んだわ。御者の隣には、私服の護衛もひとり座っている。御者に合図をすると、ゆっくりと馬車が動き出した。
「「お父さん、いってきまーす」」
双子達が窓から手を振ると、スコットも寂しそうな顔でブンブンと手を振り返した。
その隣を見ると、オスカー様も小さく右手を挙げられたので、私も小さく手を振って応えた。えっと、私で合っているよね? 双子達に手を挙げたんだったら、勘違いみたいでちょっと恥ずかしいわね。
馬車が王都を出たところで、エイダに話し掛けた。双子は朝早くからはしゃぎ過ぎたのか、少し眠そうにしている。
「まさか、旦那様が見送りに来てくれるとは思わなかったわ」
「そうですね。なんだか挙動不審ではありましたけれど」
エイダ達侍女やメイド達は、私とオスカー様が上手くいっていないことは察している。だって、初夜から寝室が別々なんだもの。毎日掃除に入っていれば、まだ関係がないことは嫌でもわかる。
それなのに、妻の務めを果たせていない私を若奥様と受け入れてくれているのは、ありがたいことだわ。
「若旦那様も、若奥様が邸にいないと寂しいんじゃないですかね」
「え〜まっさかぁ! こんな地味な嫁、いてもいなくても変わらないでしょ」
「若奥様は地味ではありませんよ」
なにかを思い出したのか、一瞬ムッとした表情をしたエイダが言った。ありゃ、エイダに気を遣わせちゃったかしら。
「お、おやつでも食べる?」
「「食べる!」」
私は誤魔化すように、昨日焼いたパウンドケーキの包みを開けた。それと同時に、先程まで眠そうにしていた双子達が飛び起き、馬車の空気は明るくなった。
◇◇◇◇
「はあ? 奥さんが領地へ逃げちゃったの?」
「逃げたなんて言っていないだろう! 視察に行ってしまったんだ」
オスカーが王城の仕事に出ると、同僚のジェレミー・ハワードが調子外れの声を上げた。
ロデリック殿下も首を傾げる。
「だけど、なんで急に視察に行っちゃったの? しかも君を置いて」
「ぐぅ、家令が言うには、なにか思い付いたらしいと。使用人も誰も止めなかったらしい」
「なんというか、使用人達も奥さんの味方っぽいな」
「……その通りだ。今朝も、俺のことはそっちのけで使用人総出で見送っていたよ」
「うわ、せつないな」
ジェレミーは、少し同情するような顔をした。
「オスカー、君も挨拶くらいはできたの?」
「えっと、一応……」
「その調子じゃ、まだ謝ってないんだろうなぁ」
「いやだって、昨夜は俺が帰る前に彼女が寝てしまっていたから。今朝も時間がなかったし……」
ロデリック殿下からの言葉に、ゴニョゴニョと言い訳じみた返事をしたオスカー。しかし、気まずかったのか、視線は下を向いていた。
「領地の方が居心地がいいからって、そのまま帰ってこなかったらどうするの?」
「えっ、そんなことある?」
「貴族なら、なくはないよ。夫が王都で要職に就いているから、妻は領地経営を任されているとか。まあ、新婚さんでは聞いたことがないけどね」
「じゃあ大丈夫だ。うちは新婚だから」
「いや、その新婚さんなのに、いきなり別居になる心配をしているんだけど」
「殿下っ! 一週間休みをください! すぐに妻を追いかけます!」
サーッと血の気が引いたかと思ったら、今度は顔を真っ赤にしてオスカーは上司に迫る。しかし、そう簡単にはいかなかった。
「先週も一週間休んだだろ。さすがに今週も休まれると仕事がきついな」
同僚のジェレミーから現実を突きつけられる。オスカーは先週、結婚休暇を取ったばかりなのだ。
「そうだった……」
「まあちょっと落ち着いて。とりあえず手紙でも書いてみたら? ほったらかしじゃなく、ちゃんと気にかけているって伝わるだろうし」
「なるほど……手紙か」
この国では電話はまだ一般的に普及していなかった。国の機関同士を繋いだものや軍用通信のようなものしかないのだ。
手紙は今から出せば、領地滞在中に届くはずである。オスカーは急に元気を取り戻し、机の引き出しからレターセットを取り出した。
「ちゃんと奥さんが帰りたくなるような手紙を書くんだぞ」
「ああ、わかっている」
オスカーはウンウンと悩みながらも、なんとか手紙を書き上げたのだった。




