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古書店「怪奇庫」の奇怪な日常  作者: 暇崎ルア
第3章 忘却の凶夢(まがゆめ)

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悲しい現実に直面したとき、人は

第39話更新です。

忘れていた過去が蘇ります。

「まだ片付けてなかったんだ、ここ」

 変わらない光景に、懐かしさがこみ上げる。

 かつて毎日のように使っていた文机。そのそばの引き出しを開けると、鉛筆や消しゴムが置かれている。

「どこも手をつけていないわ。あなたがまた使うかもしれないでしょう?」

 その問いかけには返事ができなかった。

 鷹子が連れてきたのは二階、かつて西宮が使っていた自室であった。

「それに、いつか見せないといけないものも私がしまっておいたから」

 鷹子はそういうと、窓際の書架から封をしていない大きめの茶封筒を取り出した。

「本当は見せるべきじゃあないのかもしれないけど」

 鷹子は悲しそうな目つきで、両手の中の封筒を見下ろした。

「姉さま、何の話を……」

「酒井くんのことよ。あなたはもう思い出して、乗り越えるべきなのかもしれない」

 そこに座って頂戴。

 有無を言わさず、姉は部屋の中央を示した。

「——あの日も今日みたいに寒い日だった」

 西宮が正座するのを確認するや否や、姉は語り始めた。

「学校に行くとき、通りにある街路樹の銀杏の葉がたくさん落ちていたわ」

「学校って、どこの」

「立東中学よ。あなたはまだ十四だったわね」

 鷹子は西宮の方を振り返って、言った。真剣なまなざしで西宮のことを見据えながら。

 ——僕が中学生の頃の話?

 毎日のように勉強に追われながらも、酒井たちと下らない話をしていた頃だ。

「午後の時間に学校から電話があったの。ちょうどその日は父さまも母さまもお出かけしていて、私もまだうちにいたから出たのよね」

 かけてきたのは、立東中学の若い男の教師だったという。

「随分と慌てた声で、つっかえつっかえしながら話をしていたわ。何度か聞き返しながらわかった話が、学校の校庭で男子学生が一人亡くなったということ」

「え?」

 ——亡くなった?

 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

「死んでいた、ってこと?」

「そうよ。先生はね、その亡くなった生徒のそばにあなたがいたっていうこともたどたどしくだけど教えてくださったわ」

 西宮の手足がじんじんとしびれたような感覚になってくる。嫌なことを聞くと西宮の身体はいつもこうなる。

「校庭で最初に発見したのがあなただったんですって。別の教室で休ませているから、ご家族が迎えに来てもらえないか、と言われたのよ」

「……それで」

「当然、すぐに学校に向かったわ。——あのときのことは、一生忘れない」

 忘れたくたって、忘れられないわ。

 鷹子が長いまつげの被さった目を伏せる。

「教室の真ん中の席に座っていたあなたはね、感情がないように見えた。ぼんやりと宙を見つめていて、泣きも怒りもしないの」

 鷹子は哀れむように言った。

「私がそばに寄ってくるまで、あなたは私のことに気づきもしなかった。『大丈夫?』って声をかけたとき、ようやくこっちの方を見た。そのとき、自分が何を言ったか覚えてる?」

「ごめん。覚えてない」

「いいのよ、無理もないわ。……龍くん!」

 自分の上体がぐらりと横に傾くのを感じた。畳の上に倒れ込む直前、鷹子の手に支えられる。

「ごめんなさい、本当に辛い話を」

「……そんなことない」

 何とか身を起こす。自分はこの話を最後まで聞かなくてはならない。西宮はそう確信した。

 ——オレを置いていかないでくれ。

 ——頼むよ、オレを一人にしないでくれよ。

 夢で聞いた声とともに、あの姿が浮かび上がってくる。

 喉元から血をだらだらと流した酒井の姿が。

「龍くん、顔色が悪いわ。少し横に……」

「大丈夫。あのさ」

「ええ、何?」

 口の中が乾ききり、全て言い切るのに時間がかかった。

「校庭で亡くなっていた男子学生っていうのは……」

 誰なんだ? いや、そんなことはもうわかりきっている。

 口を閉ざした姉は、明らかに言うのをためらっていた。

「酒井なんだろ? そうなんだろ?」

「……そうよ」

 西宮にはそれだけでもう十分だった。

「それで僕は、僕は、なんと言ったんだ?」

「あなたはあの懐中時計を見せながら、こう言った」


『これ、酒井にもらったんだ』

 

 胸元に入れていた懐中時計がずしりと重みを増した気がした。

「涙を流しながら笑っていたわ」

「友達が死んだのに、僕笑ってたんだ。どうかしてる」

「そういう風に考えるんじゃないの!」

 鷹子の一喝が部屋に響く。

「私は心理学なんか学んでやしないけど、確信したわ。あなたは身近な友達の死を間近で見て混乱してるんだって。無理もないわよ。可哀そうで可哀そうで仕方がなかった」

 鷹子はそのまま西宮を抱きしめたという。そのことさえ、西宮は覚えていなかった。言われれば、そうだったのかもしれないという気はするが。

「あいつは、酒井はどうして」

「亡くなったんだ?」はどうしても出てこなかった。

「……自殺よ」

 鷹子は暗い声で告げた。

「ナイフで喉を突いたそうよ。どうやって亡くなったのかは、新聞にも載ったわ」

 鷹子はようやく茶封筒を西宮に渡した。中には新聞の切り抜きが入っていた。

 五年前の朝刊だ。「名門中学 男子学生が校舎内で自死」の大見出し。

 全てを読むことはできなかった。しかし「在学する名家・酒井家の十四歳の息子」「受験を苦に自死した模様」だけははっきりと見てとれた。

 それでもう十分だった。

「……やるって」

「何ですって?」

「確かに言ってたよ、酒井。これ、お前にやるよって」

 震える手で胸元からそれを取り出す。

 本体全てが金メッキで装飾された、小洒落た懐中時計。

 それはどこで手に入れたのか。

 一つの光景が脳内で、再生され始めた。

 

 姉の言う通り、冷たい秋の風が吹く日だった。

 全ての授業が終わった放課後、西宮は酒井と共に校庭の真ん中に立っていた。

 家に帰る前、校庭でゆっくりしたい。

 そう酒井が言い出したからだと思う。思えば酒井は誰もいない広い場所が好きだった。「勉強しろ」ととやかく言わない大人もいず、自由な気分に浸れる場所だったからだろう。

『西宮』

 風の音に紛れそうだったが、酒井の声が西宮を呼んだ。

『これ、お前にやるよ』

 酒井はカバンの中から、金色に光るものを取り出した。本体と同じ金色の鎖がついた懐中時計だった。

『なんだよ、急に』

『いらなくなったんだよ。だから、やる』

『壊れてるわけじゃないだろうな』

 蓋を開けると、中の針は二本とも時を刻み続けていた。

『いいのか? 僕がもらって』

『いいって言ってるだろ。それに今度、新しいもの買ってもらえるからさ』

『古いの押し付けただけじゃないかよ!』

 西宮が突っ込みを入れると、酒井は「へへへ」といたずらっ子のように笑った。

 しばし二人で笑ったあと、西宮は教室に忘れ物をしたことを思い出した。

 国語の宿題をするのに必要な参考書だ。

『ちょっと教室に行ってくるよ』

 そんな風に声をかけ、その場を離れた。忘れ物を取った帰り、外にいて冷えたのか手洗いにも寄った。そのせいで教室と校庭の行き来に十分近くかかった。

 どこにも行かなければ、未来は良い方に変わっていたかもしれない。

 ようやく戻ってきたとき、酒井はいなかった。

 正確に言うならば西宮に喋りかけ、笑うことのできる酒井はもうどこにも。

 校庭の真ん中。血だまりの中に、酒井はうつ伏せで倒れていた。

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