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古書店「怪奇庫」の奇怪な日常  作者: 暇崎ルア
第3章 忘却の凶夢(まがゆめ)
34/67

良かれと思ってやったことは、大概おせっかいである

第34話更新です。

謎の少年は一体何者なのでしょうか。

「……よっぽど空腹だったんだね」

 そばをものすごい勢いですする少年を眼前にしていると、そう言わずにいられなかった。

 咀嚼したものを飲み込んだ少年が大きくうなずく。

「昨日から何も食べてなかったから」

「ええっ、どうして……」

「忙しかったんです」

 そっけなく答えると、少年はまた変わらぬ勢いでそばをすすり始めた。

 昼時のそば屋は、西宮たちの他に数人の客がそばをすする音しか聞こえない。西宮とはほぼ顔見知りのようなものである禿頭の店主も店奥にいるため、店内は静かだった。

 自分の昼飯も兼ねて西宮行きつけのそば屋に連れていったが、正解だったらしい。

 少し前までざるにこんもりと盛られていた少年の分のそばは、あれよあれよと減っていく。食欲があることは、健康なことで何よりだ。

「ごちそうさまでした」

 美味しかったです。

 五分もかからず一人前を食べ終えた少年は、天使のような笑みを浮かべて手を合わせた。

 今気づいたことだが、眼前の少年は整った顔立ちで、少女のようにも見えた。日焼けをしていない白い肌であることも、中性的に見えることに拍車をかけているのかもしれない。

「元気になったみたいで良かった。……ところでさ、君」

「しんた」

「しんた?」

「ぼくの名前です。『清い』の『清』に『太郎』の『太』」

「なるほど、良い名前だな。……えーと、その、清太くんは働いていたの?」

「いいえ」

 首を横に振った少年がふふっと微笑む。

「ぼくはただ、探し物に夢中になっていただけなんです」

「探し物?」

「うん。本を探してるんです」

 ビー玉のような瞳をきらきらさせながら、少年がうなずく。

 その一冊を見つけるために、東京の古書店街をかたっぱしから訪ねまわっているのだという。

「昨日は早稲田の方まで遠出したんです」

 地下鉄に乗りたかったが、所持金が乏しく行きも帰りも歩いたのだという。

「それで今日は本郷まで歩こうと思ったんですけど、なんだかふらふらし始めちゃって」

「途中で力尽きちゃったんだ」

「そうなんです」

「昨日の疲れが出たのかも」と小さく付け加える清太。

「毎日歩き回ってるみたいだけど、ちゃんと寝ているの?」

「はい。昨日も二時間は寝ました」

 ——それはあまりにも短すぎるのではないだろうか?

「うーん、もう少し寝た方がいいんじゃないかな。何をするにも健康が資本だからね。よく食べてよく寝た方がいいよ。まだ若いんだし」

 今の西宮がとても言えた義理ではないのだが。

「そうします。お兄さん、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げる清太。

「あはは、どういたしまして。……ところで、清太くんが探してる本はすごく珍しい本なんだね」

「珍しいなんてものじゃない。日本に一冊しかないと言われてるみたいです」

「それは……」

 ——そんな本、見つかるのか?

 清太には口が裂けても言えないが、そう思えてしまう。いくら書店に恵まれた神保町とはいえ、それを見つけ出すのは途方もない話ではないだろうか?

 ——そうだ、あそこなら。

 本は本でも「奇書」を扱う古書店のことを西宮はよく知っている。

「清太くん、『怪奇庫』には行ったかい? この近くにある古本屋さんで……」

「知ってます」

「君の探してる本が見つかるかもしれないよ」と続けたかったのだが、清太に遮られた。

「あの店にぼくが求めてる本はありません」

「そ、それもそうだよね。この街の古書店は行きつくしてるんだろうし」

「そうじゃない。あの店は、嫌いだ」

 吐き捨てた清太の両眼から、光がふっと失せた。

「あそこはぼくが求めてるものを全部否定するから」

「……そうなの?」

「ぼくが求めてるものは全部悪いものなんだって。そんなことないのに」

 右横の何もない壁を見つめながら、清太は抑揚のない声でそう言い切った。

 天使のような柔らかい表情はもうどこにもなくなっていた。

 西宮の身体を冷や汗と動悸が襲う。

「……ごめん。あのお店のことはしない方がよかったんだね」

「いえ、ぼくこそごめんなさい。まだ用があるので、これで帰ります」

 清太が立ち上がり、入口の暖簾へと背を向ける。

 彼の懐から薄っぺらいものが落ちたのはそのときだ。

 慌てて西宮が拾い上げたそれは、赤い封筒だった。

「ねえ、これ、落ちたけど……」

 振り返った清太が、落とした封筒を見て息を呑む。

「ああ、それ。……ありがとうございます!」

 大事なものです!

 西宮から封筒を受け取った清太は、心からほっとしたような顔になった。

「それは一体……。あっ」

 返事の代わりにたったったっ、と軽い足音が遠ざかっていく。

 西宮の話を聞くこともせず、清太は店を飛び出して行った。

「あんれまあ……」

 いつの間にか店奥から顔を出していたそば屋の禿頭の店主も、あっけに取られたように清太が出ていった出口を見ていた。

「ははは、身軽な子だなあ。てことはあの子の分、お客さんが払うんですよね?」

「あ、はい、そうです……」

 元よりそのつもりではいた。


 ——何なんだろうな、あの子。

 地下鉄を降り、自宅がある菊坂に向かう西宮の思考は清太という少年に向かっていた。

 関係性などまるっきりわからないが、清太にとって「怪奇庫」は許せない存在らしい。

 「自分の求めているものを否定された」と言っていた。あの店の関係者——潔や細川に、人格を否定されたかのような口ぶりだった。

 あまり考えたくはないが、彼らが深く関わっているのだろうか? 決して悪い者たちではないと思うのだが。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、やがてはアパートについた。

 ——眠い。

 部屋に入った途端、急激な眠気が襲う。

 自宅に着いた安堵のためか、そばで満腹になったおかげか。おそらく両方だろう。

 着替えることもせず万年床に身を横たえると、医者からもらった睡眠薬を飲まずともすぐに意識が遠のいた。

 夢のない眠りから西宮を起こしたのは、耳をつんざくような甲高い音であった。

 リリリーン。無機質な高音が何度も鳴り続けている。

 靴箱の上の滅多に鳴らない黒電話が、呼び鈴とともにぶるぶる震えている。

「……はぁい、もしもし。西宮です」

 寝起き特有の回らない呂律で電話に出ると、受話器からくすりと笑う声が耳に響く。

『龍くん、久しぶりね。……ふふふ、寝ていたの?』

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