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古書店「怪奇庫」の奇怪な日常  作者: 暇崎ルア
第1章 『異物』の怪
3/67

「良い」と思った一冊は買い時を逃すなかれ

第3話です。

不思議な本の詳細がわかってきます。

 後頭部に何者かの強い視線が刺さるような感覚を覚えた西宮は、振り返る。

 振り向いたところで棚にぎっしり詰め込まれた本の背があるばかり。視線の主など、どこにもいるはずがない。

 店奥に目を戻せば、店主の青年は相変わらず座って本を読んでいる。特殊な装丁の本を棚に戻し、もう一度店内を巡るも、客は西宮以外誰一人いない。

 ――気のせいだったのだろうか。

 首をかしげながら、西宮は頭をかいた。

 

「すみません、お勘定お願いします」

「はいよ」と軽い声で本の奥付についた値段を確認し始めた店主は、二冊目を開いて手を止めた。

「おいこれ、どこにあった」

「あれ? その本、どうして」

 不機嫌そうな顔で店主が見せたのは、ほかでもない『異物』だった。

 何よりも不思議だったのは、西宮はその本を戻したはずだったからだ。

「他の本と並べられてたのか?」

「ええ、あっちの方に」

「そうかよ。で、『その本どうして』って言ったのはどういうわけだ? まるで買うつもりはなかったみたいな言いぐさじゃねえか?」

 店主の地獄耳は、西宮の言葉をしっかり聞いていた。

「あー、いや、戻したつもりになってただけで、後からやっぱり買おうと手に取ってたんですよ」

「無理して下手な嘘つくんじゃねえ」

「……すみませんでした」

 良くも悪くも、西宮は嘘がつけない性格である。

「その本に何か問題でもあるんですか?」

 強引に話題をそらすと、店主は「大問題だ」と頷いた。

「せっかく買おうと思ってもらってるところ悪いが、これは売れない」

「どういうことです?」

「だから、売り物じゃないってことだよ」

「ま、待ってください」

「これは俺が預かる」と奥の棚にしまおうとする店主の手を掴む。

 途端、店主は悪童のいたずらを見つけた大人の如く目を剥いた。

「気安くこっちに手を出すんじゃねえ。強盗とみなすぞ!」

 気迫のある声ですごまれ、さすがに西宮の手がひっこむ。

「わかりましたよ……。だけど、いくら何でもおかしいでしょう? 売り物じゃないなら、どうしてあの本棚に置いてあったっていうんですか?」

 さっきの威圧はどこへやら、店長はむすっとした顔で黙り込んだ。

 ——何か隠している。

「それ、他の本と装丁だとか何もかも違いますよね? 何らかの事情で複製が作れないとか、値段もつけられないような価値のあるものだということですか?」

 西宮の勢いのある問いかけが効いたのか、店主は諦めたようにため息をつくと「どれも違う」と否定した。

「この本自体にそこまでの価値はない。複写だってやろうと思えばできるだろうな」

「じゃあ、僕に売ってくれたって構わないでしょう?」

 勢いづいた西宮の手は、店主との間を隔てる勘定台をばんっと、叩く。

「……はあ、しょうがねえな」

 音を上げたのは、店主の方だった。

「それでお客さん、いくらなら出せる?」

 ようやく口を開いた店主が発した言葉は、競売での呼びかけを思わせた。

「何ですか、急に」

「だから、この本にいくらまでなら出せるかと聞いてるんだ」

 かなりの高額を言わなければ売ってもらえないということだろうか?

 困惑しながらも、革の財布の中を覗く。

 合計で一円ほど入っている。その日暮らしのような生活に充てるものなので、無駄に使うことはできない。

 ——けど、欲しい。

 立ち読みで読んだ一頁は、どこかで読んだようなありふれた始まりだった。

 だというのに何故、自分がここまであの本を欲しがるのかわからない。しかし、その先をじっくりと読んでみたいという欲に駆られる魅力が『異物』にはある。

 何としてでも最後まで物語を読みたい、どうすれば。

「五厘だ」

 その一言は、熟考していた西宮の心に鋭く突き刺さった。

「え?」

「これの値段だよ」

 空いた左手で、『異物』の表紙を軽く叩いて見せる店主。

「でも、それじゃああまりにも……」

 安すぎる。ありふれた雑誌だってそんな値段では買えまい。

「何だ? もっと値段を吊り上げてほしいのか?」

「そ、そういうわけではないですけど……」

「本来なら売り物じゃねえのを格安で売るって言ってんだ。不満なら、倍の金額を……」

「わっ、わかりました! 買いますよ! 五厘で買わせていただきます!」

「毎度あり。古書三冊で四銭と五厘だ」

 あれだけ渋ったことが嘘に感じられそうなほど、「買う」と言ってからの店主の対応は速かった。

 ――もしかして、上手く口車に乗せられた?

「売り物じゃない」だの散々口上を並べたのは西宮の気を引くための嘘で、この本は何ということもないありふれた古書なのではないか?

 小銭を出しながら、そう思わざるを得なかった。


「そういや、あんたはどこに住んでるんだ?」

 どっぷりと日も暮れ、店じまいを始めながら店主は西宮に尋ねた。

「そんなこと聞いてどうするんです?」

「売り物じゃない本を売ってやったんだ。それぐらい答えてくれたっていいだろ?」

 ――とことんまで根に持つ人だな……。

 心で毒づく西宮だった。

「本郷ですけど」

「するってえと、菊坂の方か。あそこらへん、アパートも借家も多いもんな」

 さすがは古書店務め、博識というべきか。本郷・菊坂は、早逝した女流作家・樋口一葉が家族とともに住んでいた安い借家があることで有名だ。

「しかし俺はてっきり、青山あたりにでも住んでるのかと思ってたぜ」

「はあ」

 何故そう思ったのだろうか。

「本革の財布なんざ、貧乏人には使えねえだろ」

 店主が西宮の疑問を見透かしたかのように答えた。

 彼がどんな財布を使っているのか、会計の時にでも目ざとく見ていたのだろう。

「はは、確かにそうですね……」

 懐の中の牛革の財布の重みを感じながら、苦笑する。

 ——どうせ使うなら、良い物を使わねばならない。

 彼らはいつもそう言っていた。見栄を張るような主張を聞くたびに、西宮はいつもうんざりしていた。

 記憶というのは、嫌なものだ。一つ思い出すと、次々と蘇ってくる。

 

『お前をそんな恩知らずに育てた覚えはない!』

『あんまりじゃないの。この家でお父様の後を継げるのは貴方しかいないのに』

 

 ——駄目だ、駄目だ。もう過ぎたことなんだから。

「なんだ、気にでも障ったか?」

 こちらをのぞき込む気まずそうな店主の顔と、左手に感じる自分の硬い髪の感触で現実に引き戻される。嫌なことを思い出す度に、頭を抱えて横に振ってしまうのは西宮の癖だ。

「——いえ、なんでもありません」

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