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古書店「怪奇庫」の奇怪な日常  作者: 暇崎ルア
第2章 ウイジャボードの狂宴
29/67

買えぬ本を手に取るのも、また楽しいものである

第29話更新です。

「彼」のことが少しわかってきます。

「なんだ、二人とももう友達だったんですか。これも何かの縁ですねえ」

 にこにこと話しかけてくる細川から、ぷいと顔を向ける村田。

「兄さま、お顔が広くなったわね。一人暮らしの効果は馬鹿にならないってことかしら」

 佳代もなぜか兄に感心しはじめる。

「……まあ、多分そういうことなのかな」

 少なくとも実家で暮らしていたら西宮が神保町に行くこともなかったので、村田とのあんな出会いもなかっただろう。

「村田さん、下のお名前はいさぎさんと言うんですね! 『潔い』の字で書くんですか?」

「さあな。……ったく、爺さんよ。余計なこと言いやがって」

 睨む村田を諸ともせず、細川が「こらこら」と小突く。

「龍之介くんの言う通り、『潔い』の字で潔くんですよ。粋な名前でしょう?」

「そうですね! 僕もそういう名前が良かったなあ」

「けっ、良い趣味してるぜ……」

 なぜか潔からは、皮肉そうに舌打ちされた。

 きっぱりとしていそうな印象を受ける良い名前だと思うのだが、本人は気に入っていないのだろうか?

「もう俺の名前はいいだろ! ……で、持って帰る本はそれかよ。随分たんまりと買い取ったな」

「ふふ、良いでしょう? 今日役立った一冊もあるんですよ」

「はあ? 何の話だ」

「ちょっとした憑き物退治です」

「ますますわからねえじゃねえか!」

 そこから細川と潔の漫才のようなやり取りが続く。それが西宮にはなんだかおかしく、噴き出してしまった。

「潔さん、細川さん。今度、またお店に行ってもいいですか?」

 三条邸の門を出て、兄妹とは反対方向を行く細川達に西宮はそう聞いてみた。

 細川たちにも会いたいし、今日彼らが買い取った本がどんなものか気になる。

「冷やかしはお断りだぜ」

 冗談か本気かわからない口調で潔が言う。

「そういうこと言うんじゃないよ、潔くん。——ぜひ来てください、いつでもお待ちしてますよ」

 細川がにっこりと笑った。


 降霊会から一週間。仕事が休みの九月の終わり、西宮は怪奇庫に向かっていた。

 落ち葉や銀杏が路傍を黄色く染める大通りから、裏道に入る。

 相変わらず「古書店」と認識していなければ、見落としてしまいそうな外観だ。

「怪奇庫」の白と黒の看板は、今日もペンキ塗りたてのように艶々としていた。

「……こんにちはー」

 小声で挨拶をしただけなのだが、奥からすぐに「来ましたね~」と返事が返ってきた。

「今日来そうだな、と思っていましたよ。また会えて光栄です」

 勘定台の奥、朗らかな笑みを浮かべた細川が立っていた。スーツを着ていない、シャツとスラックスのみという恰好で、とても新鮮に見えた。

「もしかして、あの本を見に?」

「え、ええ、実は……」

「いいですよ。当然といいますか、まだ売れていないので」

 細川は軽やかな足取りで勘定台から向かって左の本棚に向かうと、一冊の本を取り出してきた。

「状態も良いですし、大変貴重なので潔くんともじっくり話し合って値段を決めたんですよ。書架に並べたのはつい昨日ぐらいですね」

「へえ、そうなんですね。中を見ても?」

 細川は「どうぞ、どうぞ」と頷く。

 破らないよう、慎重に頁を捲る。

「……うわあ」

 それまでに見たことのない一冊であった。

「本」というと、活字の羅列を想像することが多いが、『霊符書』はどの頁も、文字と絵を融合させたような図案がずらりと並んでいる。

「これって全部、霊符なんですか?」

「そうです、大したものでしょう。誰もが知る偉人として知られてはいませんが、これを書いた伊庭善之定は古代中国の呪術を極めたという、この道を行く人間にとっては大変高名な研究者でしてね。彼の集大成的著作がこの『霊符書』なのです」

 とくとくと語る細川の話に頷きながら、西宮は頁をぱらぱらと捲る。

『家中の邪気を取り払ふもの』といった信心深い人が一般生活で使いそうなものから、『敵からかけられた呪詛を返すもの』などと特殊な状況で使うものまで幅広い。

「その本、憎い相手を呪う呪符もあるんですよ」

「そ、そうなんですか」

「確か後ろの方にあったんですが……。そうそう、それだ」

 示されたのは最後に近い頁だった。

 それまで見てきた図案と似てはいるが、「呪」の字のような禍々しい印象を思わせるものが描かれており、西宮の手中に汗がにじむ。

「……この本を使って誰かを呪った人もいたんでしょうか?」

「いたかもしれませんねえ、人類の発展とともに呪いもまた行われ続けてきましたから。今の世では科学が発展して神秘的なものはこの世から一掃されたように思えますが、完全にそういうものが消えたわけではありませんし」

「じゃあ、まだ誰かを呪う人がいると?」

 西宮の問いに、細川はこくりと頷いた。

「いると思いますよ。……但し、おすすめはしません。『人を呪わば穴二つ』と言いますからね」

 ふふふ、と細川は意味ありげに笑った。

「人を呪わば穴二つ」。誰かを呪ったなら、自分にも呪いが返ってくる。

 西宮の背中にぶるりと怖気が走った。

「え、えーっと、ところでこれっておいくらなんですか?」

「おお、ご興味がわきましたか」

 話題をそらしたかっただけなのだが、細川は嬉しそうに奥付にあたる最後の頁を開き、値札と思わしき小さな紙片を見せる。

「じゅ、十円!?」

 三回確認した西宮だったが、何度見ても紙片には漢数字で「十円」と書かれていた。

「大変貴重なものですのでねえ、少々値が張るかとは思いますがこの額にさせていただきました。いかがです?」

「す、すみません、僕にはとても……」

 世間で「エリート」と呼ばれるサラリーマンの月給の十分の一ほどの大金である。値段を聞いておいて悪いが、とても今の西宮に出せる額ではない。

「そうですか……。それは残念です」

 あまり残念ではなさそうに細川が呟いた。

 そして『霊符書』は再び、書架に戻された。


「そういえば西宮くん、今日の朝刊はお読みになりました?」

 細川がそう尋ねてきたのは、手頃な値段の小説を西宮が二冊買い上げた後だった。

「朝刊? すみません、読んでいません」

「今日、偶然見つけたのですがね」

 勘定台から取った新聞の二面を、細川は指し示した。

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