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古書店「怪奇庫」の奇怪な日常  作者: 暇崎ルア
第2章 ウイジャボードの狂宴
28/67

袖振り合うも他生の縁

第28話更新です。

「彼」がやってきます。

「もうこういう会には参加しない方がいいわね」

 三条邸の広間、二階の応接室に向かう階段を見つめる佳代が疲れた声で言った。

「僕が言った通りだろ。怪しいから駄目だって」

 佳代がしょんぼりとした顔でうなずく。今回の騒動で随分と懲りたようだ。

「あの三人、大丈夫かな?」

 三角関係がばれた三人組——薫子と有馬、すみれ——は、二人が一階に降りる前に逃げるように退散した。

 応接室などで少女同士の激しい喧嘩になることはなかったものの、降霊会前は親しそうだった薫子とすみれには絶妙な距離感ができていたのを、西宮は記憶している。

「どうかしるあね。でもあの二人って似た者同士だし、仮に有馬さんの恋人がすみれさんだったとしても同じようなことになっていたんじゃないかしら」

 きついことをしゃあしゃあと言ってのける佳代。

「佳代って時々、すごい毒を吐くよな」

「事実を言っただけよ」

「事実か?」

 舌をぺろりと出しそうな顔で、肩をすくめてみせる。やはり、侮れない妹だ。

「そういえば、兄さま」

「ん?」

「自分の番が来たら、やはりお父さまたちとのことをお聞きになるつもりだったの?」

 佳代には悪気などないのだろう。あるかもしれないが、配慮を差し置いてでも聞いてしまうほど気になっているのかもしれない。

 どちらにせよ、西宮は何も答えられなかった。

「ミスタア・アミュレット」もしくは「何か」に、己が抱えていることを当てられたことが蘇る。

 西宮自身は父を憎んでいるとは思っていない。ただ「自分と同じ道を歩め」と迫ってくる高圧的な態度が恐ろしく、ひたすら逃げたいだけだ。そのせいで、家族たちと暮らすこともままならないのだから。

 曖昧に返そうとしたとき、バタバタ、と慌ただしい足音を立てながら、階段から一人の人物が降りてくる。

「——ああ、お二人とも。今日はありがとうございました」

 未だ顔が青白い森青年であった。

「房江さんと一緒ではないんですか」

「そのう。僕一人で帰ろうと思いまして」

 お待ちなさいな、康久さん!

 話題に上がっていた房江が階段を駆け下りてきて、森は複雑そうな顔をした。

「酷いじゃあないの、置いていくだなんて。——西宮さん、お兄様、あなたたちが足止めしてくださっていたのね。ありがとう」

「そういうわけではないのですけど……」

 佳代が苦笑する。

「ねえ康久さん、単刀直入に言うわ」

 房江は逃がすまいとするように、森の片腕を掴んだ。

「お兄さんのことを気にしていらっしゃるのね? 今日一日様子がおかしかったのもそうなのでしょう?」

 森は何も言わず俯いている。

「黙ってないで何か言って頂戴」

「……そうだよ」

 気まずそうに房江から顔をそらす森。

「こういうことにとやかく言う人も多いからさ。それに」

 森は話しづらそうに一瞬の間を空けてから、再び口を開いた。

「事実を知られたら、もう君とは会えないんじゃないかと思ったんだ。そうなったらどうしよう、と一度考え始めたら何だか怖くて」

 ようやく房江を見た森の目は寂し気だった。

 森の兄が関わっているらしい一件以外にも、華族の子息子女が共産主義活動に参加して検挙される事件は近々増えているという。

 天皇を始めとする皇族の妃は華族の娘であることがほとんどであるように、皇族と華族は密接につながっている。その天皇の存在を否定する共産主義に華族が賛同するのは許されないことであり、親族までも批判されるのは言うまでもない。

 森にもそういった引け目があったのだろう、と西宮は案じた。

「黙っていてすまなかった」

「わかったわ。そのことはもういいから、とにかく話を……」

「それはまた今度にしよう。それじゃあ」

 房江の腕をようやく振り払い、踵を向けた森が一歩を踏み出したときだった。

「森康久!」

 外松房江の一喝が、広間の高い天井に反響する。

「本当にすまないと思うなら、私の話ぐらい聞きなさいよ。あなたの言う『また今度』は、ひょっとしたらこのまま一生来ないんじゃないかしら?」

「そ、そんなことはないよ」

「なら、今話を聞けない理由は何?」

 答えに窮したのか、森は再び俯いてしまう。

 それを見た房江が、あきれたようにため息をついた。

「別にあなたを責めようだなんてこれっぽっちも思っていないわ」

「……本当かい?」

「そうよ」

 厳しい顔をしていた房江が少しだけ顔を緩め、目を瞬かせている森に近づく。

「罪を犯したのはお兄さんで、あなたは何も関係がないでしょう?」

「そうだけど……」

「なら何をそんなに引け目を感じる必要があるのよ。むしろそんなことでうじうじしている人とつきあう方がよっぽど嫌だわ」

 森は一瞬だけ傷ついた表情を見せたが、すぐに柔らかく微笑んだ。どこかほっとしているように。

「……わかったよ。まったく、房江さんにはかなわないな」

「堂々としていればいいのよ」

 房江は今度こそにっこりと笑った。

「——あの二人、いいわね」

 西宮と同じく端で見ていた佳代が、嬉しそうに呟くのが聞こえた。


「僕たちもそろそろ帰ろうか」

 肩を並べて帰った房江と森を見送り、今度こそ玄関に向かおうとしたときだった。

「おや、龍之介くんに佳代さんではないですか」

 背後から呼び止めたのは、手提げかばんに加え、大きな風呂敷包みを抱えている細川であった。

「細川さん! その本は……」

「三条家から買い取らせてもらった本です。いやあ、良品ばかりでした。これからもご贔屓にさせてもらいたいものです。……おっとと」

 風呂敷包みが重かったのか、細川がよろめく。同時に、風呂敷の中に入りきらなかったらしい本が、細川の手元からぱさりと落ちた。

「……これは、さっきの」

 西宮が拾い上げた本には『霊符書』とあった。すみれの憑き物を祓った霊符の図案が載っていたという、件の一冊だ。

「電話で隆さんの許可が下りましたのでね、その本も買い取らせてもらったんですよ。保存状態も良いし。しかし、そんな本を私は早速落としてしまったわけですね……」

「とんだ大失態だ」と細川が苦笑する。

「そういえば細川さん、お店はどこにあるんですか? おせっかいかもしれませんが、お店までお荷物を運びますよ」

 本を渡しながら、西宮は声をかけた。

 本を全て風呂敷に入れようと思ったのか、荷物まとめに試行錯誤しながら細川は痛快そうに笑って答えた。

「お気遣いありがとうございます。お店は神保町までなんですが、大丈夫ですよ。もうすぐしたら荷物運びの手伝いに、店主の若い男の子が来るので」

「なら安心ですわね」

「——店主? 細川さんが店主ではないんですか?」

 てっきり細川が店主だと決めつけていた。

「はい、少し前に私から彼に譲ったんです。私も年ですからねえ」

「そうだったんですか」

 そういえば、先ほど「何か」に因縁をつけられていた際に「細川は店の若い者からこき使われている」と言われていた。

「ですから、本当は今日の買取りも彼に任せたかったんですが、『そんなでかい屋敷なんざ、俺は行きたかねえ』と断られてしまいまして……。最後の運搬だけは来てくれるから良いのですが、困ったものです」

 しょんぼりと肩を落とす細川を尻目に、西宮の脳は回転し始めていた。

「あの、その若いご店主って目つきの悪い人じゃないですか?」

 唐突な問いに、佳代と細川が「え?」という顔で同時に西宮を見つめる。

「ふむ。確かに目つきが悪いと言ったら、悪いかもしれません」

 先に口を開いたのは細川だった。

「何よ兄さま、急に。もしかしてお知り合い?」

「いや、僕が言ってる人とは違うかもしれないんだけど……」

 ——まさか、な。

「噂をすれば来ましたよ。……やあ、よく来てくれた。いさぎくん」

 細川が玄関先に向かって手を振った。

 屋敷の入口からゆっくり向かってきた人物は、にこりと笑うでもなく、やはり不機嫌そうな顔で細川に手を上げる。

 そして、手前にいた西宮に目を向けると、あんぐりと口を開けた。

「……お前」

「村田さん!」

 服もうなじまで伸びた髪も黒い、黒ずくめの青年。

 目つきの悪い若い店主とは、何を隠そう「怪奇庫」の村田だった。

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