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古書店「怪奇庫」の奇怪な日常  作者: 暇崎ルア
第2章 ウイジャボードの狂宴
27/67

邪気は外界へ通じる窓から出ていく

第27話更新です。

悪霊退散、といくでしょうか?

 細川が殴られることを予想して誰もが目をつぶった。

 人が殴られる破裂音の代わりに、ぎゃあああ! と叫ぶ声が聞こえた。

『熱い! なんだよ、これはあ!』

 目を開けると、「何か」が苦痛を訴えるようにのたうち回っていた。

「良かった、ちゃんと効き目はあるようですね」

 魔の手から逃れ「やれやれ」と涼しい顔で立ち上がった細川の手には、一筆箋のような紙が握られていた。

 よく見るとその紙には、赤い鉛筆で文字のようでもある絵のようにも見える不思議な模様が描き込まれている。

「細川様、それは一体……」

「霊符です、これを彼女の手につきつけました。効いたのはすみれさんに憑りついている悪霊に対してですので、彼女の身体には何も残らないと思います」

「そうでなければ申し訳ないですが」としれっと付け加える細川。

「す、すごいですわね……。さすがは細川様だわ」

「違いますよ、ここの書斎から借りてきた本のおかげで作れたんです」

「え?」

 これです、と細川がテーブルに載せていた本を掲げる。和綴じをされた本の題字には『霊符虎の巻』とあった。

「江戸時代に伊庭善之定という研究者が書いた、魔除けや悪霊払いに効果がある札——霊符の作り方が書かれた本です。古い本ですが、表紙も中の頁も非常に保存状態が良かったから、大いに役立ちました。お二人のおじい様が、物持ちの良い蒐集家であったおかげですね」

 細川がにっこりと笑う。

「細川様はその本で霊符の図柄をずっと前に調べて、すでに作っていたということですか」

「ええ、二枚ほど。赤鉛筆を持っていたのが幸いしました」

 細川のジャケットのポケットからもう一枚、朱色で同じ図柄が書かれた霊符が取り出された。

「先ほど宮子さんの帳面から紙をいただいて書いたんです。これほど効くとは思いもしませんでしたが」

 そう言った細川が目をやった先には、痛みをこらえるような顔で右手を抑える「何か」の姿があった。

 細川の視線に気づいた「何か」が、ひいっとひるんだ声をあげる。

『な、なあ、爺さんよ。おれが悪かったよ。今すぐにでも、ここを出ていくからさあ……』

「そうですか、わかりました。では森くん、西宮くん、お願いがあります」

 突如呼ばれ、顔を見合わせる二人。

「ああ、そんなに身構えないでください。力を入れすぎないようにそっと、でも絶対に逃げられないよう、すみれさんの肩を抑えていてほしいだけです」

「へ? ……わ、わかりました」

「いいですけど……」

 不安のこもった視線を互いに交わしてから、すみれの両肩を抑える西宮と森。

『な、何をする気だ?』

「何か」が不安げに細川を見やる。

「貴方を彼女の身体から確実に出すんですよ」

 何でもないことのように告げた細川は、俊敏な動きで二枚目の霊符をすみれの背中に抑えつけた。

『ぐあああああああ!』

 背中に霊符を当てられた「何か」の叫び声は、断末魔に近かった。ばたばたと身体をよじるが、若者二人に抑えつけられるとさすがに動けないようだ。

「ミスタア・アミュレット、一度嘘をついた貴方の言葉を私が信じると思いますか?」

『だ、だからってよ……』

「貴方は越えてはならない一線を踏み越えた。多少の罰は必要でしょう」

 霊符をすみれの背中にあてた細川は、目を閉じて件の呪文を唱え始めた。

 ——大丈夫なのか、これ?

 涙を流しながら暴れる「何か」を抑えながら、西宮は心配になり始めた。隣を見れば、森も不安で押しつぶされそうな顔をしている。

『やめろおっ、もう、やめてくれえ……』

 げほげほ、と直後にその口から出た咳は、少女の高い声に由来するものだった。

 細川は目を開け、呪文をぴたりと止めた。

「どなたか向こうの窓をもう少し開けていただけますか? 全開でお願いします」

「は、はい」

 宮子が急いで細川の指示に従う。開け放たれた窓から、夕方の涼しい風が応接室に吹き込んできた。

 全ては一瞬のことであった。


 「さあ、出ていきなさい」

 

 硬い声でぴしゃりと告げた細川は、ぴしゃりとすみれの背中を掌で打った。

 西宮は確かにその目で見た。

 背中を打たれたすみれの口から空えずきが出た後、白い煙のようなものが飛び出すのを。

 それは応接室の窓から茜色の空に向かって出ていき、やがては消えていった。

「げほっ、げほっ。……ちょっと、なあにこれ? お二人とも、どうして私の肩を抑えていらっしゃるの?」

「……ああ、すみません」

「その、頼まれていたので……」

 言い訳するようにそう言った森が、西宮にすがるような視線を投げかける。その目に宿っているのは「そうですよね?」という激しい同意である。

 西宮はただこくこくと頷いた。

「何なんだかよくわからないけど、背中が痛いわ」

「すみれさん、ご無事なようで何よりです。先ほどは淑女の貴方に対して大変失礼致しました。ですが、応急処置だと思っていただけると幸いです」

 背中を叩いたことに対してなのか、細川が頭を下げて詫びた。

 わけのわからない顔で細川を見ながら「はあ」と返事をしたすみれが立ち上がったとき、「すみれさん!」と呼びかける声があった。

「すみれさん!? あなた本当にすみれさんよね!?」

 西宮を押しのけた佳代がとんで行った。

「はあ? そうだけど、急に何を」

「良かったあ!」

 目に涙を浮かべた佳代がすみれに抱き着く。佳代の心配は様子だけで伝わってきたが、さすがに予想外の行動だった。

「ちょ、ちょっと、西宮さん? 何よ、急に」

「心配したのよ! だって、あなたが……」

 佳代が言い終わる前に、二人のそばでちゃりんと金属が落ちる音がした。

 すみれの背後、じっとりとした目つきで睨みつける薫子の姿があった。

「……全部ばれているわよ」

 すみれの足元には、見るも無惨になったアメジストのネックレスが転がっている。

 次いで、持ち主の絶望に満ちた絶叫が応接室にこだました。


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