部屋が汚いときに限って、客人は訪れる
第15話更新です。
新キャラ、そしてメインヒロイン(多分)が登場します。
「うわあああっ!!」
絶叫と共にかけ布団を跳ねのけた西宮の上半身は、がばりと勢いよく起き上がっていた。
——ここは?
はあ、はあ、と肩で息をする西宮がいたのは、見慣れたアパートの部屋。時計の短針は朝の九時半を指していた。
布団から少し先のちゃぶ台まで這って、載せられていた手帳を確認する。今日は土曜日。貴重な休日のため、ゆっくり寝て構わない日だ。
「……夢か」
詰めていた息を吐き出し、胸をなでおろす。
寝間着は汗でびっしょりと濡れている。飛び起きたくなるような恐ろしい夢を見ていた。
という感覚はあるのだが、肝心の夢の内容などは覚えていない。夢など、そんなものかもしれないし、思い出したくない内容だったのは確かだ。
ジリリリリ。
玄関から、騒がしい音が鳴っている。油蝉の鳴き声のようにも聞こえるが、今は夏ではない。呼び鈴だ。
呼び鈴は止まぬことを知らないのか、三秒置きに続けて鳴らされている。訪問者は留守だとは思わないのだろうか?
——呼び鈴壊れたら、どうしてくれるんだよ……。
壊れたら弁償するのは西宮なので、迷惑極まりない。
独り言ちながら、客人と会うのも問題ない格好に慌てて着かえて玄関へと向かう。ドアを開けた瞬間、髪だけ整えていなかったことを恥じたが、後の祭りであった。
「……はい」
「お久しぶりね、龍兄さま」
鈴を鳴らしたかのように澄んだ声が、出迎える。
西宮より頭二つ分小さい、おさげ髪の少女が一人。薄桃色と藤色の和服を着た姿は、彼女のためにしつらえられたかのようによく似合っていた。
誰だかわかるのに、数秒の時間を要した。
「……佳代?」
「まあ、何だかちょっとお痩せになった? 苦労なさってるのね」
「今日は、学校は」
西宮は困惑する。女学校でも、土曜日は授業があるはずだが。
「今日はお休みだったのよ。だから遊びに来られたの」
そして、にっこりと微笑んだ。
西宮のことを「龍兄さま」と呼ぶのは、日本で、いや地球上で只一人。
五歳年下の妹、西宮佳代しかいない。
「な、なな、なんでここにいるんだ!?」
西宮が菊坂のアパートに住んでいることを、佳代に教えた記憶はない。
「それはね、ひ・み・つ!」
うふふっと、からかうような微笑みを浮かべる佳代。兄に対して時折見せていた、懐かしの表情だ。
「ねえ、龍兄さま。ここで立ち話もいいのだけど、中に入れてくださらない? 結構お外寒かったのよ?」
「……ああ、わかったよ」
渋々ではあるが、佳代を部屋に通す。
部屋の状態を改めて見て唖然とする。屑籠からはチリ紙やら鉛筆の削りカスやら雑多なごみが溢れていた。妹とはいえ、とても女性を上げて良い部屋だとは言えない。
「兄さま、何でそんな嫌そうな目で私を見るの? 私が来たらいけないの?」
「……いや」
——嫌ではないけど。
「来るならせめて連絡をくれよ」と言う気持ちを込めて、佳代の顔を見つめたのだが、上手く伝わりはしなかった。
「いつか来るかもしれない来客用に」と買った抹茶の茶葉は、予想よりも早く使われた。
「とっても美味しいわ、このお茶」
座布団の上にちょこんと正座し、満足そうに湯呑のお茶をすする佳代。
「昔は私が手取り足取り教えないと、お茶を入れることもできなかった人とは思えないわ。やっぱり、一人暮らしをされると変わるのね」
「そう、みたいだな」
褒められたことは少し嬉しいのだが、心の奥深くまで響いてこない。
——何の用で来たんだ。
西宮の脳内はそれだけで占められていた。
まだ嫁いでいない妹は、実家がある築地からはるばると電車を乗り継いで来たはずだ。よっぽど重大な用事がなければ、運賃をかけてわざわざ来るはずがない。
「……あのさ」
「なあに?」
「どれだけ説得されても、僕は絶対に戻らないからな」
言われそうなことに関しては、最初から自分が言っておくに限る。
佳代は「やれやれ」と言いたそうな顔で西宮を見た。
「話を先走らないで頂戴。何も兄さまを呼び戻しに来たわけじゃあないわよ」
「本当か?」
「本当よ!」
それでも不信そうに妹の顔を伺う西宮に、佳代はあきれたように肩をすくめた。
「仮にもし、父様や母様から呼び戻すように頼まれたとしても私は絶対に行かないわよ。あの件に関して兄さまは、私たちに説得されたら『はいわかりました、今すぐ戻ります』なんて素直に従う?」
「いや……」
「そうでしょ? 私はね、やっても無駄なことはしたくないの。労力の無駄遣いだもの」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らす佳代。誰に似たのか西宮と違って気が強い。
「じゃあ、今日は何しに来たんだ?」
予想していた嫌な話題が来なかったことにほっとしながら、西宮は妹に問うた。今日は寒い日なのに、口の中はカラカラになっていた。
「今日はね、私のお願いを聞いてもらいに来たの。龍兄さまにしか頼めないのよ」
「はあ……」
兄さまにしか頼めないお願い。これまで何度も佳代から聞かされてきた常套句だ。高確率で碌なものがあった試しはない。
あるときは、「お友達とスケートに行くから一緒に行って」と慣れないスケートに突き合わされ、翌日筋肉痛で苦しんだ。またあるときは、「お洋服を買うお金が足りないから、少し貸して頂戴」とせがまれた。決して妹が可愛くないわけではないし、彼女が頼れるのは家族ぐらいしかいないということはわかっているのだが。
「今の僕だってお金ないから、貸せないぞ」
「まだ何も言ってないでしょ。どうして私の話を聞かないのよ。大丈夫よ、お金をせびりに来たわけじゃあないから」
「じゃあ、『どこかに連れて行って』か」
「そう! 今度ね、学校のお友達のおうちに遊びに行くから兄さまにも行ってほしいの」
お願い!
佳代が懇願するような顔で両手を合わせる。
「友達の家なんて、僕が行かない方がいいんじゃないか?」
「それがね、そんなことないの。参加する人をたくさん集めてほしいと言われてるから、兄さまを呼びたいのよ!」
佳代の口調は、はしゃぎ始めていた。
「参加?」
祭りとか行事にでも誘うような口ぶりに違和感を覚える兄に構わず、佳代は続ける。
「お友達のお姉さまがね、ウイジャボードを使った降霊会を行うんですって」




