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古書店「怪奇庫」の奇怪な日常  作者: 暇崎ルア
第1章 『異物』の怪
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作品を美しく終わらせることは至難の業である

第11話更新です。

『異物』の曰くを聞いた西宮はある決断を迫られます。

 店主の話は、『異物』の作者の話に移っていった。

「元々作家志望の男だったんだと。泉鏡花だとか芥川龍之介なんかに強く影響されてな。その手の文学作品なんかを読み漁りながら、自分でも地道に小説を書いて、出版社に持ち込みなんかも繰り返してたんだと。編集者から突き返されることの方がほとんどだったそうだけどな」

「すごいですねえ。僕だったらすぐに諦めてしまいますよ」

「そうだな。地道に続けられたのは三木の尊敬すべき点だ。何かを続けるっていうのは究極の才能だよ」

 店主は素直に三木を褒めた。

「——けどよ、人生っつうのは皮肉なもんだよな。作品を書き続ける中、三木は病に伏した」

 西宮の脳裏に、苦しそうに何度も何度も吐血をしていた三木の姿が蘇る。

「結核だ。かかっちまったら、もうどうしようもない」

 店主が重々しく言い放つ。

「結核菌」という菌は多くが人間の肺に侵入し、肺結核を引き起こす。罹患した患者は慢性的な熱と吐血を伴う咳に苦しみ、やがては死に至る。身を守るには予防しかなく、有効な薬は開発できないまま今でも日本で多数の死者を出している感染症だ。

 店主が再び口を開く。

「三木はどれだけ高熱が出ようとも、咳が出続けようとも書き続けていたそうなんだが、完結までもう少しというところで、完全に寝床から起き上がれなくなった。その間もずっと、三木はうわごとのように同じ言葉を繰り返していたんだと」

 ——結末が書けない。

 ——終わらせないといけないのに。

 布団の周りは、書いてはくしゃくしゃに丸められた紙や原稿用紙に囲まれていたという。

「三木は結局、この小説を完成させる間もなく息絶えた。彼の姉さんは未完の原稿を読んだあと、題字をつけて原稿を紐綴じしたんだそうだ。身内のお世辞じゃあなく、純粋に悪くない作品だと思ったからだそうだぜ。その夜、三木の姉さんは金縛りにあった」

 店主がふう、と息を吐く。

「特段寝つきが悪いわけでもねえのに、夜中の二時に目が覚めた」

 彼女は寝付けないまま、闇に慣れてきた目で部屋を見渡した。

「向かって右手、三段に分かれた本棚の最上部からだったそうだ。パサリと、本みてえな薄いものが落ちた。そこが『異物』を置いた場所だと気づいた途端、身体がずっしりと重くなった」

「まさか、目の前に三木さんがいたっていうんじゃないでしょうね」

「そのまさかさ。髪も髭もぼさぼさの状態の弟が自分の上に乗っかって、姉の顔を見下ろしてたそうだ」

「さっきと、同じだ……」

 西宮の本棚からも『異物』は勝手に落下した。

 呆然と呟いた西宮に同意するように、店主は大きく頷いた。

「本が勝手に落ちるのは、三木の魂が自分の存在を主張するからなんだろうな。自分は、ここにいると」

「それで、お姉さんはどうしたんですか?」

「なんとなく想像はつくだろ。『この本には、弟の無念が憑りついているに違いない』と思った彼女は震えあがった。『弟が書いたものだけど、なんだか気味が悪くて』と、うちに持ってきた」

「うちっていうのは」

「あんたが来た古本屋だぜ」

 怪奇庫。なぜそんな奇特な店名なのか、西宮はようやく理解できた気がした。

「うちには、ああいうのが日本全国から集まってくる」

 面白えだろ?

 店主がにやりと笑った。

「『異物』は俺が買い取った。三木の姉さんの話が本当だっていうのは、この本を初めて見たときからわかったよ。——なあ、一つ聞くがこの本の表紙は何色だ?」

「何です、急に」

「いいから、教えてくれよ」

「えっと、題字が書かれてる部分は白くて、表紙全体は若草色の和紙でできてますよね」

 突然の問いに首を捻りながらも、西宮は見たままを答えた。

「そうか。俺には、この本全体が真っ黒に見える。表紙も中身もな」

「えっ!?」

 西宮は店主の手の中の『異物』を穴が空きそうなほど見つめたが、墨で書かれた題字以外、黒い部分は見受けられなかった。

「思念だ」

「思念?」

「簡単に言えば、三木の想いのことだな。それも『悔しい』とか『死にたくなかった』っていう恨みだとか苦しみに近い感情だから、黒い思念となって現れる。三木の姉さんから渡されたときから今まで、この本には黒くなった思念がびっしりとこびりついてんだぜ。こんなんじゃあ客に売ることもできねえし、捨てるのも気がひけるだろ? まったく、あの作家先生も厄介なものを残してくれていったもんだ。なあ?」

 同意を求められるも、首を縦にも横にも振ることができなかった。

「……じゃあ、三木さんの魂はいつまでもこの本に居続けるんですか?」

「そうだろうな」

「そんな、それって……」

 ——いつまでも苦しいままじゃないか。

 小説を完成させられなかった無念と共に、完結させることもままならないまま。三木の魂は自分の作品の中に囚われている。

 己の顔から流れた透明な雫が畳を灰色に汚したことで、西宮はやっと自分が泣いていることに気がついた。

「センチメンタルになってるとこ悪いんだが、一つやってもらいたいことがある」

「……何です?」

 ハンカチーフで涙を拭きながら、店主の顔を見る。

「あんたも見ていたと思うが、俺は三木から話を聞いた。長ったらしかった口上をまとめれば『私にはもう無理だが、あの青年ならできるはずだ。だから、『異物』を完結させるように頼んでほしい』だ」

「あの青年? 誰ですか?」

 店主は目をぱちくりとさせた後、簡潔な言葉を残した。

「あんただよ」

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