しーい
エフィリナはおもむろに「では」と言って食堂を出た。
あ、逃げた。
またも見事に心の中で皆がハモったが、エフィリナは風のように走って行ってしまった。
混乱して一瞬反応に遅れたロンヴァートが「待て!!」と言って追いかけたが、しばらくすると、走って走ってぐでんぐでんになったロンヴァートと騎士たちが食堂に戻ってきた。
魔法で強化したエフィリナに追いつける人間などこの世に存在しないのである。
そんなロンヴァートにトドメを刺すようにザックが問いかけた。
「殿下、エフィリナ以外と婚約したんですか?」
「んな訳あるかっ!!」
即行で否定したロンヴァートにザックが「ははは」と力なく笑った。
エフィリナと自分の子。仄かな夢は夢のまま霧散した。
ロンヴァートがエフィリナを全力で囲い込んでいることもエフィリナ本人がこの男を好いていることも、とっくの昔からのことなのに、ザックはやっと今、叶わぬ想いを呑み込めた気がした。
「ですよね~。まあ、座っていてください。どうせその内エフィリナは戻ってきますから」
ロンヴァートに椅子を勧めて食堂の女将に飲み物を注文した。
エフィリナはおそらくあのまま女神に会いにまっすぐ行ったのだろう。立ち止まることも迂回することも知らずまっすぐと、一人では神々の棲まう国には入れないことすら忘れて。
逃げられた逃げられた子種子種仕込む仕込む……と頭を抱えるロンヴァートに、この国の王族大丈夫かとザックは不安になったが、こと、エフィリナが絡むと皆平常ではいられないのだ。
「コソコソするからですよ」
「クソがっ!! ようやく婚約までこぎ着けたのに!!」
ロンヴァートが王子にあるまじき悪態をついて、食卓を叩いた。
「ここは食堂ですよ、汚い言葉はやめてください。そもそも何でエフィリナに言わずに婚約したんですか。俺、正直ちょっと引いてますよ?」
ザックがそう言うと、ロンヴァートは据わった目で「お前に言われたくない」と言って拳を握りしめた。
「あいつの思い浮かべる理想の結婚式の話を聞いたことがあるか?」
子どもの頃から変わらないソレは、ザックには耳タコの話だった。
「あれでしょ? 大蚕の繭から取った糸で織ったドレスはシンプルに、不死鳥の羽を織り込んで炎の揺らめきのような輝きのベールをまとい、人魚の里でしか取れない蒼真珠の耳飾りと首飾りで、ってヤツでしょ」
大蚕は翅を広げたら馬車よりも大きくなる遥か東方にしか生息していない幻獣の一種で、人魚の里は言わずもがなの海の底。不死鳥は異なる世界の生き物だし、たかが人間では見えることさえ非常に困難である。だが、存在はするのだ。ということは、そういった素材はべらぼうに高価なのである。買えば、であるが。
「私だって、真っ先にエフィリナに求婚したかったさ! どんなに高額でも、あらゆる伝を駆使して素材を集め、ようやく手に入ったというのに……。あいつは私のことを好きだ好きだと言うくせに、いっそ分かっていてわざとなのかと疑うくらい、私からの好意には鈍感なんだっ!!」
心根が真っ直ぐすぎて、一度もそういったことをロンヴァートから言われていないエフィリナは、囲い込まれているとは想像もしていなかった。
「あいつはドラゴンの鱗を私に渡しながら理想の結婚式を語った次の瞬間、『将来のために素材だけ先に取りに行っちゃおうかな~。お兄様、いつなら暇かしら?』と言ったんだぞ!?」
ロンヴァートはザックを「キッ」と音が出るほど睨み付けた。
「あいつは私を好きだと言い結婚の話をしながら、結婚式の準備はお前とするって、どういうことだよ!? たとえ告白して求婚して受けてくれても、さあ結婚の準備は別の男としますから!? させるかよ!! 全部私がするわ!! どれもこれも高すぎて八年もかかったけどな!!」
ロンヴァートもさっさと婚約したかった。自分の軽い一言でドラゴンと死闘を繰り広げ、ボロボロになって(主にザックが)帰ってきたエフィリナを愛おしく思わないはずがない。
だが、婚約したら間違いなくエフィリナは素材を狩りに行く。ロンヴァートではなく、ザックを連れて、ザックだけを連れて。そして手に入れるまで帰ってこないのだ。
ならば、用意が調ってから求婚する。そして婚約期間は最短にしてすぐ結婚する。そうロンヴァートは決意し、その通りにしたのである。
「ようやくだ、ようやくなんだ……!!」
ロンヴァートの慟哭に、食堂全員の心の声がまたもやハモった。
王子、不憫……。
でも。
ドラゴンと死闘してきたひめ様のどこに萌えポイントがあったんだろろうか……? 高貴な人の考えは分からん。
と、長文でもハモったのだった。
ズシャァ!!
とめどないロンヴァートの愚痴に、他の皆が空気に徹して微妙な空気が漂っていた食堂の外で、何かが勢いよく着地した音がした。
「お兄様!!」
エフィリナが叫びながら食堂に入って来た。その出で立ちはボロボロである。
「行きますわよ!! ……神様たちが、お兄様と一緒じゃないとダメだって、はじかれてしまいました!」
神々の棲まう国へ突進したエフィリナは、神々に「あの子と一緒においで」と言われて『ぽーん』とはじき返され、『ひゅーん』と飛んで食堂前の道に着地したのである。もちろん魔法でだ。
「エフィリナ!!」
「今忙しいので!!」
ロンヴァートが叫んだが、エフィリナにピシャリ断られるというケンモホロロな対応をされてしまった。とりつくしまもない。
ロンヴァートは「ぐっ」と詰まったが、持ち直した。
なにせ、ザックの目が「まさか告白までも面倒見させる気じゃねぇよな?」と笑っていなかったからである。
「女神に願いを取り下げる必要はない」
ロンヴァートのこの言葉に、ザックをガチで拉致しようとしていたエフィリナの動きが止まった。
「え、でも、妃殿下になられる方にとっては……」
「私は母上が大好きだ!!」
ババン!!
そんな効果音が聞こえてきそうなほどドヤッたロンヴァートに、さすがのエフィリナも呆気にとられた。
「は、はあ、さようで、ございますね?」
確かに、王家の家族仲が良いのは有名だった。
「子どもというのは、よほどのことがない限り母親が大好きだ。ザックもそうだろう?」
母親は大切だが、『大好き』かと聞かれて頷くのはなんだか違うような気がして、ザックはロンヴァートの問いかけを無視した。なんか一緒にされたくなかったのである。
ザックの無視をものともせず、ロンヴァートは続けた。
「だから、女神へ願いを取り下げなくていい」
エフィリナは珍しく頭の上に「???」を乱舞させて目をくるくるさせていた。
「子、子、子種は私が。私の子たちの母はエフィリナだ。だからエフィリナは他の男に二度と頼むな」
「……私に殿下の子種を仕込んでくださるのですか?」
「仕込っ……、そ、そうだ! 私の子を産んでくれ!!」
エフィリナの顔にじわじわと喜色が広がり、やがて瞳一杯に涙が溢れ出した。
「嬉しい……っ!! ロンヴァート様とのお子を持てるなら……私……妾でもっ!!」
そう言ってロンヴァートの胸にエフィリナが飛び込んだ。
「め、妾!? 違う!!」
エフィリナを抱きとめながらロンヴァートが慌てて叫んだところで、ザックが頭を抱えて叫んだ。
「馬鹿にもほどがあるよ!? 告白になんでその単語!? 返事が妾ってホントになんでぇ!?」
不敬である。
けれども、護衛騎士をはじめ、誰もザックを咎めなかった。
なぜなら、全員激しく同意だったからである。
そして、これからザックがたどる運命に気が付いた者から、順次ザックに憐れみの目を向け、最後には皆の心がまた一つになった。
どんまい、ぼっちゃん。
負けるな、ぼっちゃん。
そう、皆には見えていた。拗れた二人の縒りを戻すのに巻き込まれるどころか、『でんっ!』と真ん中に挟まれるだろう憐れなザックの姿が。更には、喜びで間違いなく暴走するエフィリナに振り回されるであろうザックの姿も。皆はザックの生存と健闘を静かに神々に祈ったとかオモシロがったとか。
それは当のザックにも見えていた。
ザックはため息を噛み殺しながら、まあ、これでもう「お兄様行きますわよ!」と拉致されて人外魔境に連れて行かれずに済むと安心した。なにせ、エフィリナが病的なほどに恋い焦がれている殿下が生涯の伴侶となるのだから、これからは二人でどこまでも行くのだろう。
もう自分は用済みなんだな……と感傷的になり、安堵よりも寂しさとロンヴァートへの嫉妬と恋が実った従妹への餞とが、ぐるぐるに混ざった感情が込み上げてきて、ザックは静かに息を吐いて口を結んだ。
決して余計なことを口走らないように。
「ぼっちゃん、フラれたの?」
「しっ!」
食堂前に集っていた町民の子どもが無邪気に母親に尋ね、母親に引っ張られて退場していった。
あまりに憐れになったのか、食堂の看板娘(十歳)がザックのところにやって来て、無言で頭をヨシヨシしていったのが、かえってザックへのトドメになった。
それでも最後、ザックは肩の力を抜いて、「おめでとう」と二人に言って笑った。まだすれ違ったままの二人がまとまっていないことからは現実逃避した。