さーん
「お前が殿下と結婚したとしてよ? 殿下との間に生まれた子が大きくなるにつれてお前じゃなくて乳母に懐く様をよ? それは愛情を注いでくれているからじゃなくて、神の力でねじ曲げられて盲目的に、だ。しかもその乳母、殿下に懸想していて殿下にそっくりのお子の側にいたいなんて言ってる女だ」
「あ……」
エフィリナは血の気が引いた。
ようやっと、自分が何をしようとしているのか理解したのだ。
そんなヤバい女に自分の子を任せたいと思うはずがない。ましてや、夫に懸想している女を我が子の側に置くはずもない。
自分の行いの意味に気が付いたエフィリナを見て、それでもザックは追撃の手を緩めない。
「どうだよ?」
「や、やだ。絶対に子どもに関わらせたくない……」
ぽろぽろと大粒の涙を落とすエフィリナを見ながら、ザックは更に真顔で言った。
「お前さっき俺の子を産むって言ったよな?」
「……う、うん。乳母になるために子を産むならお兄様の子が良いと思って……」
「じゃあよう? 命をかけて産んだ子が、呪い……神の祝福で自分じゃなくて乳母に懐くってのが母親にとってどれだけ不愉快で辛いか想像出来たかも知れねえがよ? 俺との子が生まれたとして、母親が……父親じゃない別の男に懸想して、そいつの子どもに懐かれてずっとそっちの面倒見ているのを見て育つ子どもの気持ちを考えることは出来るか?」
「……う」
「そしてその子と一緒にそんなおまえを見る俺の気持ちがどんなものか、分かるかよ?」
エフィリナはもう嗚咽で言葉が喋れなかった。
「なあ、どうなんだよ?」
はうはう口を動かしては嗚咽を抑えられないエフィリナの頭を握る手の力を緩めたザックは、エフィリナが落ち着くまで頭を撫でてやった。
「……祝福のつもりだったの」
「おう」
「……そのついでにちょっとだけ自分のいいように願ったの」
「おう。で、どうすんだよ?」
エフィリナは小さな小さな声で「女神様に取り消してもらいに行くから付き合って」とザックに言った。
ザックは溜め息をついた。
ドラゴンの鱗を取りに行った時に暴れに暴れたエフィリナは、単独では神々の棲まう国に出禁となっていた。ザックと一緒ならば良いという、ザックにしてみれば謎の条件がつけられているのだ。
神々は気まぐれである。偶々女神が降りてきた時にエフィリナは祝福を願うことが出来たが、会いたい時に来てくれるわけもなく、願いも叶えられる保証もない。ましてや願いを取り消したいなど、礼儀的にこちらから出向いて伏して願わなければならないだろう。人外魔境のその先にいる女神に。
「その前にしっかり事情を説明してからにしろよ。……お前、まさかと思うが、ここに来ることを殿下や伯爵にちゃんと言ってきただろうな?」
目をぐるぐる回しながら何かうまい言い訳をしようとして、泣きすぎて頭が回らず変な顔で回答を拒否するエフィリナに、顔芸で『言ってきてない』って言わんでもいいと、ザックは頭が痛くなった。
空は茜色から紫紺に移り変わりつつあった。
エフィリナが王城からとんずらしてからそう時間は経っていないため、まだ捜索隊は出ていないだろうが、いつものようにわんさかと騎士たちがエフィリナを探し回るのは時間の問題だった。
エフィリナが予定外に姿を眩ますと、あの男が心配してすぐに探すのだ。
「お前は本当に懲りないな……。少しでも考えれば分かるだろうに」
どれだけあの男に大事にされているのか。
「だって、もう、お兄様の子種をもらうことしか考えてなかったんだもの……」
「その単語やめろ」
ザックが何度目か分からない溜め息をつこうとした瞬間。
バアンッ!!
食堂の扉が勢いよく開かれた。
そこには息を切らせたロンヴァートがいた。
「どういうことだ!? エフィリナ!!」
ロンヴァートが護衛たちと共に食堂になだれ込み、エフィリナの前に立ちはだかった。
「こだ、こだ……こだ……っ!?」
ロンヴァートがエフィリナに向かって問い質そうとするが、あまりの衝撃的な単語に言葉が続かなかった。
一方のエフィリナは、すっと立ち上がってロンヴァートに向き直り、礼を取った。
「殿下」
あ、とザックは気が付いた。
エフィリナはロンヴァートのことをいつも名前で呼んでいた。
エフィリナは突拍子のない思考回路をしているが、自分なりに気持ちを収めてケジメをつけようとしているのだ。
それがとんでもない思い違いだとしても。
「……はじめてお会いした時からお慕い申し上げておりました。……この度、ご婚約が成立なさったとお話しされているのを聞きました。立ち聞きしてしまい、申し訳ございません。私が婚約者様に危害を加えるのではと、殿下に危機感を持たせてしまった至らぬ身を申し訳なく思います。……もう、お側にいることは叶わなくなるので、殿下のお子たちの乳母としてお役に立てないかと思い、お兄様に子種を仕込んでもらうようにお願いしていたところです」
「仕込む!? はあっ!?」
ロンヴァートはあまりのことに固まってしまった。
エフィリナの思考回路は常人の理解を超えたところにあることは重々承知していたのに、あまりの内容に、脳が理解するのを拒絶したのだ。
「エフィリナ、謝罪するのはそこじゃない」
ザックがエフィリナを窘めた。
そんなことよりも、エフィリナが女神に願ってしまった内容を告げ、女神に会いに行ってその願いを取り下げ、その後は処罰を待たなければならないのである。私欲のために王族に対して呪いとも言える内容を女神に願ったのだ。反逆行為とも取られかねない。
「殿下がご婚約されると聞き、呆然としていると女神様が現れて……私は……殿下がご成婚後すぐにポコポコ子宝に恵まれるよう願いました。……そして、お子の乳母となりたいがため、お子が私に懐くようにとも願いました。出来る限り殿下のお側に……乳母になってお役に立ちたかったのです。けれども、お兄様に叱られて気が付きました。妃殿下となられる方がそんな心根の女を大切なお子の側に置くはずがなく、私の産む子も、お兄様も傷付けるだけだと。……これからお兄様と神々の棲まう国に向かい、願いを取り下げて参ります」
「う、乳母……? は?」
ロンヴァートは混乱していた。
なぜ、ようやく囲い込んで婚約にこぎつけた愛する女が自分の子の『母』ではなく『乳母』になるのだ? しかも親戚だからといっていつも行動を共にするこの男の子を産むという。
「殿下、今までお世話になりました。私なりに頑張ってきたつもりでしたが、殿下のお側にいることに能わないことを痛感いたしました。この時をもって暇させていただきます。……殿下の幸せを、ぃゃぃゃですが、お祈りいたします」
ちっちゃい声で言ったけど「いやいや」って聞こえてんぞ。
もう溜め息しか出ないザックは天を仰いだ。
どんなに囲い込んでもその想いに気付かれない殿下と。
どんなに側にいても『お兄様』でしかない自分と。
一体どっちが憐れだろうか。
どっちもだよ……。
食堂にいる皆の心の声がハモった。