いーち! はじまり~
全五話です。
よろしくお願いいたします。
誤字訂正しました。
誤字報告ありがとうございました。
m(_ _)m
「というわけで、お兄様の子種をください」
ボフォッ!!
男が盛大に吹き出して咽せた。レモネードが鼻の奥に入ってしまい、大変なことになっている。
しばらく咳き込んだ後、恨みがましい目で発言元の女を見るが、女は拳を握り、期待を込めた目で男の返事を待っていた。
曰く、断るわけないだろう、と。
「エフィリナ、待て。どうしたらそんな思考回路になるんだ。どこが『というわけで』なんだ!? ……そもそもあいつが他の女と結婚するワケな」
「よくぞ聞いてくださいました!!」
女は男の話を最後まで聞かずに、勢いよくテーブルを叩いて立ち上がった。
男がビクッとなるが、女は構わず話を被せた。
女は話を聞いてくれるのが嬉しかった。というのも、女の『好きな男』の話は、家でも職場でも「あーハイハイ」といつも超軽く聞き流されてしまい、誰も真剣に聞いてくれないのである。
唯一、話に付き合ってくれるのが目の前の『お兄様』なのである。
いつも似たようなのろけ話の上に、とてもとても長いとくれば、皆の反応が薄くなるのは仕方のないことだが、女はそれが不満の一つだった。
それが日常の女は、目の前の男が疑問形で話を返してきたことに『話を聞いて関心を持ってくれている』と、いつも喜びを感じていたのである。
男の名はザック。
女の名はエフィリナ。
二人はよくある従兄妹同士であり、家も近く、本当の兄妹のように育った仲である。
会うのに気を遣わない上に、話を聞いてくれるこの従兄をエフィリナは大層信頼していた。
故に、今回の相手には絶対ザック以外はいないとエフィリナは思っていた。
「私はあの方の妻に選ばれませんでした」
話を聞いてもらえる喜びを感じながらも、自分の言葉にエフィリナの胸はひどく痛んだ。
エフィリナにはずっと慕っている男がいた。
少しでも役に立ちたくて、令嬢が学ぶ以上の様々な学問を修め、女性としては珍しく男の側近として上がっていた。
その男の名はロンヴァート。この国の第一王子である。
伯爵家に生まれたエフィリナはギリギリ王妃候補にもなれる身分だが、エフィリナの性分から側近を選んだ。
やがては……という想いもあったが、ただの婚約者では交流が出来ても、常に側にいるのは結婚するまで難しい。エフィリナは、それまでロンヴァートと離れ離れになることに我慢がならなかったのである。
そう、エフィリナは好きな男に尽くしに尽くし、側で声を聞いて役に立ちたい、一秒でもその姿を視界に入れていたいという、愛の重い子であった。
幼少期にロンヴァートに一目惚れしてからというもの、思う存分その性分を発揮しているエフィリナは、ロンヴァートの家族を除けば名実ともに一番近い女性であると自覚していた。
だが、ロンヴァートが側近の一人と立ち話をしているのをエフィリナは聞いてしまったのである。
「これで滞りなく婚約が整ったな。はあ……。長かった。本当に長かった」
「ようございましたね。しかし、エフィリナ様にお伝えするのは最後の最後で本当によろしいので?」
「ああ、暴走するのが目に見えている。全部決まってから伝えないと、何をしでかすか……」
「まあ、それは」
話の内容もだが、自分の名前が出てきて、エフィリナは柱の陰で固まった。
こちらに気が付いていないロンヴァートを思う存分視線で愛でてから、さも「今来ましたよ~」風に近付こうと思っていたのに、出るに出られなくなってしまった。なにせ、好いた男の結婚話を立ち聞きで本人の口から聞いてしまったのである。
そのショックに加えて更に傷付いたのは、側近であるにも関わらず自分にはその話が伏せられていたことだ。
暴走して、何をしでかすか分からないとまで言われ、自分がロンヴァートの結婚相手に危害を加える恐れがあるとまで思われている。そう、エフィリナは受け取った。
肩を落としてエフィリナは呟いた。
「正直、大好き過ぎて隠しきれなかったのがいけなかったのでしょうか……。自分としては職務に専念して一切気持ちを漏らしているつもりはなかったのですが、よく周囲から「少しは抑えなさい」と苦言を呈されておりました。でも、自然と溢れ出てしまうのは仕方ないじゃないですか。だって大好きなんですもの」
エフィリナはロンヴァートを思い浮かべてうっとりした。
そりゃもう格好いい。姿形も声も話し方も、所作はもちろん目線一つでさえも格好いい。性格もいい。初対面から相性抜群だ、と。
ザックはここまでの話でかなりの違和感を覚えていた。
エフィリナが何をしでかすか分からないのは昔からで、そんなことは今更なのである。それを踏まえて、あの男はエフィリナを選んで側に置いているのである。それを今更他の女を選ぶと?
だが、エフィリナがこんなことに嘘を吐くはずもなく、ザックは途轍もなく大きなすれ違いが生じていることを察知した。
「で、それでなんで俺の子……子を産もうとしているのか、さっぱり分からんが」
ここは王都からほど近いザックの父が治める町にある食堂である。
夕食時で席は満席に近く、気にしていない振りをしながら周囲は耳をそばだてていた。
昔からエフィリナもこの町に頻繁に出入りしており、領主と領民の距離が近い風土から、町の皆はザックのことを「ぼっちゃん」、エフィリナのことを「ひめ様」と呼んで親しんでいた。
町の皆が集うこの食堂もエフィリナのお気に入りの店の一つである。
二十歳を迎えようとしている成人男性に向かって「ぼっちゃん」はないとザックは不満だが、それこそハナタレ小僧の頃から一緒にいる領民たちである。父であり母であり兄であり姉であり良き友でもある皆に、ザックは強く文句を言えないでいた。……町の子どもたちからも「ぼっちゃん」と呼ばれているが、親世代がそう呼ぶから直しようもなく受け継がれてしまっている。
そんな中で「俺の子種」なんてパワーワードをザックが言えるわけがなかった。
エフィリナは更に話を掘り下げて聞いてくれるザックに目を輝かせた。
普段どれだけ周りにスルーされているか気の毒になるほどの食いつきっぷりである。
「これから先もロンヴァート様のお役に立つために、やがて生まれるお子の乳母になりたいと思いまして。そうすると、私が乳母になるためには自分の子を先に産んでおくのがベストです。更に言えば、身元の確かな父親との子でなければ城には上がれません。今現在はロンヴァート様に仕事を与えていただいてお側におりますが、私も貴族の娘、そう遠くないうちにお父様がどなたかとの結婚をまとめるでしょう。それから乳母を目指すのでは遅いのです」
ザックは目眩がした。
何かの話を聞きかじって、どえらい思い込みをした割には冷静に自分の行く末を考えている。
この気持ち悪いほどのちぐはぐさがエフィリナの絶望を示しているようだった。
「なんで俺?」
嘔吐きたくなるような気持ち悪さを無視して、ザックは辛うじてそれだけ聞いた。
「だって、自分の子の父親になる人を考えると、お兄様しかいなくて。幸い、お兄様には婚約者も恋人もいないでしょう?」
そう言って見上げるエフィリナの目は、本当に困っているから助けて欲しいと、情に縋った色気すら漂わせていた。
ザックは唾を飲み込んで一息吐き出した。
信頼はされている。好かれてもいる。だが、自分はロンヴァート殿下の次点だ。
そう分かってはいても、エフィリナの言葉にザックの心は泡立った。
未だに仄かな熱を持っているザックの初恋はエフィリナなのだから。
だが、ザックはその心のままに行動するには経験を積んでいた。積み過ぎていた。
決して望んで積んだ経験ではないが、この世界の第一人者とも言えるほどの識者、経験値を誇っていた。
対エフィリナという経験値を。