これを運命の出会いと、人は言う
思わず、気の抜けた声が出てしまった。
星霊種。星霊種?
それが意味するところを分からないバカはいないだろう。
このダンジョンがよりにもよって星霊を捕獲したという事実に私は完全にフリーズしてしまった。
星霊とはこの星において三つに分類される神の一角であり、私の身体に流れる精霊の血からすれば上位種に当たる存在だ。
そもそもの個体数も少なく、普通に生きていればまずお目にかかれることのない高位の存在がなぜこんなダンジョンに捕まったのかさっぱり理解できない……。
いや、待って。
今、学名が星海龍ってあったよね?
海のドラゴン?
このネグーシス海にいる、ドラゴンの星霊……?
瞬間、背筋を悪寒が駆け抜けた。嫌な予感が脳裏をかすめる。
このドラゴンというのはまさか……。
私が最悪の結論に達してしまったまさにその時。
「なっ……!」
男が焦ったように天を仰ぎ、突如甲高い機械音が鳴り響いたのは同時だった。
ビーーーッ! ビーーーッ!
それはまるで、何かを知らせる警告のようだった。
クリスタドライブが赤く明滅し、いくつもの投影写板が新しく展開される。男が慌てたように自身の眼前にも投影写板を展開すると、目にもとまらぬ速さで両腕を動かしそれらを操作していく。
『捕獲システムにエラー発生。捕獲システムにエラー発生。制御システムを再起動します』
「ふざけんななんだこれ! どうなってやがる……!!」
平坦な人工音声とは対象に、男は焦り声をあげている。
明らかに異常事態が起きている状況に、対応できる私ではなかった。
なにせ、私は私で先ほど思い至ってしまったものに対する理解が追い付かず……、いや、理解することを脳が拒否し、動けないでいたからだ。
――――そう、最初からそういうことなのだ。
今の今まで、私は現実逃避をしていただけなのだ。
だってそうだろう。
今までの話はここが本当にダンジョンであり、この男が真実のみを口にしている場合のみ成り立つものだ。この男の言葉に何一つとして信憑性はない。
そもそも、私はどうやってここまで来た?
海辺にいた際に、謎の思念波を受けて無意識のうちにここに誘われていた。私の耐性を突破する高度な催眠だ。
今のこの状況も、私に都合の良い世界として作られた幻想の可能性だってある。
人を無理やり拉致する手腕。この状況をそのまま受け入れていいわけがない。
大体、この男の言葉がすべて真実だとして、彼は何と言った? 私がダンジョンのマスター? 訳が分からないにもほどがある。
通常なら受け入れられるはずのない数々。
それを、私は簡単に受け入れてしまった。
だって、私にはダンジョンがすべてだった。
そのダンジョンに関わる術を失ったのなら、どうなったっていいと思っていた。
最悪、これが私にとって都合の良い夢であり、何かの罠で一秒後に死んでしまったとしても、それはそれでよいと思った。
けど、これはダメだ。
自暴自棄になっていたとしても、ダンジョンによりこれだけ多くの人が囚われたままでいるという悪行を見過ごすことなんて私にはできない。
私が破滅するのはいい。誰かを救う手段があるのに、それを実行しないまま見過ごすなんてことは到底看破できない。
しかし、今目の前に差し迫った危機はそれとは全く異なる現実だ。
『星命力供給ラインに異常発生。異物の混入を確認しました。供給を一時停止。異物除去を優先します』
「捕獲対象が星命力の供給ラインを辿って移動してるだと!? ありえねえだろ! いや、待て星霊!? 星霊ならワンチャン……。いや、それでも、いくらエーテルだからってこんな芸当まかり通るのか?!」
「ねえ、一つ聞いていいかしら」
「なんだマスター、今忙しいんだが!?」
今私の脳裏をしめるのは、ダンジョン研究における通説の一つ。
ダンジョンは星命の河から星命力を汲み上げることで、星命力をエネルギー代わりにしているという話。
もしそれが正しいのなら、私の嫌な予感は間違いなく的中しているだろう。
「ダンジョンって、元々星命の泉のあった場所に存在したりする?」
「そうだな、それがどうかしたか!?」
『ダンジョンハートへの違法アクセスを確認しました。妨害術式第一突破、第二突破、侵攻を防衛できません。最終防衛ライン破壊されます』
機械音声の宣言の直後、まるで雷が落ちたかのような轟音が鳴り響いた。
ああ、決定だ。
嫌な予感は当たるものだ。
自分の頬が引きつっているのが見なくてもわかる。
なんて、最悪に最悪が重なったタイミングなのか。思わず笑いだしたくなるくらいだ。
ピキピキと、空間に亀裂が走る。
亀裂の向こう側から穴が開いたかのように、大量の水が零れ落ちる。ソレがただの水ではないことは、私の精霊としての感覚が教えてくれた。
それは水などではない。間違いなく、一個の生命体であった。
「……貴様が、ここの主か。随分と手間をかけさせてくれたな」
声が、した。
ここには私と男しかいないはずなのに、第三者の声がした。
空間から溢れ出した水が形を成す。
はじめは空に浮かぶ水の玉だった。空間の穴から零れ落ちる水の流れが止まると、水は一滴残らず水球を形作り、次いでごぽごぽと蠢き肥大化していく。
かくん、と気づけば膝から崩れ落ちていた。
それは、この身に刻まれた原初の恐怖であった。一見すればただの水の玉にしか見えないソレが、瞬きの間に私一人を殺せるほどの力を持つ存在であると知っているからだ。
声が出ない。出せるわけなどない。
己が犯してしまった愚行を理解してしまえば、言葉を発することなどできるはずがない。
なぜなら、その存在には言い訳はおろか対話すら叶わないと伝えられているからだ。
――とぷり、とゆるい水音がする。
その大きな体に見合う重量など存在しないかのように、彼の御方は柔らかな水のように床に着地する。
ヴェールを纏ったように波打つ肉体は透明な部屋を埋め尽くすほどに大きく。
ただそこに在るだけですべての生命を平伏させる威圧感を放ち。
湧き上がる星命力はその力を感じる術が無い者でも視認できるほどに靄のように溢れて。
こちらを見下ろす青き双眸は何の熱も宿していない。
「この海を守護するものとして、星の命を無為に消費するものを許してはおけない」
その御方は、一口にドラゴンとまとめられるもののカタチをしていた。
その姿の、なんと美しいことか。
初めて目にする御姿は余りにも神々しく、この世のどんな絵画や偶像ですら再現できないだろう。
私はこの御方を拝謁したことなどない。
それでも、私は目の前のこの御方が私が思い描いている存在であるということを知っている。私の中に流れる血が、そうであると告げている。
決して有象無象の前に姿を現さず、その神威を振りかざす時のみ仇成すものの前に姿を現す。
ゆえに、その詳細な姿すら伝わることはなく、存在だけが独り歩きで伝えられている。
「おまえ……。そうか、この地を統べる星霊種か!」
突然の蘭入者に、男が得心したように呟いた。
そう、先ほどリストに現れたのがこの御方こそ、この星の頂点に立つ種族。
この星に連綿と続いてきた進化の果てに生まれた獣種。その中で独自の進化を遂げた人間種。彼らが交配の果てに生み出された亜人種。
そんな、代を重ね種を増やすことで強さを増していく貧弱な種族とは違う、単一で発生し個のみで力を振るう究極の一。
発生原因からして異なる、この星そのものから分かたれた星の分け見。
この海を統べるものにして守護るもの。
星の命である星命力を管理し守護するために生み出された星の端末、星霊種。
その中でも最も無慈悲な報復機構として恐れられ、人類の脅威として世界に認定された存在。
特定自然災害、『理非殃災』。その名を、『ネグーシスの海龍』と人は呼んだ。
嗚呼、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
私は階位すら異なる超越者に恐怖する。これから訪れる破滅の時に涙する。
私は間違いなく、この御方に殺されるだろう。
臨界を超えた恐怖。見ないふりをしていたダンジョンの喪失。それらを許容しきれなくなった私の心は、指先一つ動かすことができず、抵抗の意志を刈り取られていた。
竜の咢が開かれる。
ドラゴンの息吹はもっとも原始的で最も強力なドラゴンの武器。
私はなす術もなく、その息吹によって塵も残さず消えるだろう。
…………ああ。本当に、どうしてこんな風になってしまったのだろう。
諦観に捕らわれた私はまだ知らない。
この出会いこそが、私の道行きを変える運命の出会いだったのだと。
Tips:
理非殃災……世界統一連盟により、「どこにも属していない個人でありながら、物理的・自然的・経済的・精神的問わず災害をまき散らし国家壊滅をもたらす可能性がある」と認定された存在。本人が積極的に災害を起こすタイプと、何もしなけなければ無害だが地雷を踏むと躊躇せず災害を起こすタイプの二種類がいる。