神と弟
アグレーとは地下に掘った穴を走るヒトを運ぶ輸送車両……『地下鉄』の総称のことのようだ。
空を飛んで一気に町の中心部にまで到達したライラライラはアグレーの駅舎に駆け込み、最終を告げる車両へ滑り込んだ。
10両編成の車内にライラライラ以外のヒトの姿は数人ほど。この時間に車両に乗るヒトはほとんどいないようだ。
『普通のヒトはこの時間とっくに眠ってますから』
ライラライラは空いている車内で座席に座ることなく、手すりにもたれかかりながら教えてくれた。
彼女の住居がある駅までは20分ほどかかるらしい。
その間、ライラライラは無言のまま立っていた。
……疲労だろうか? 無言というより、意識が朦朧としているようにも見える。肉体が睡眠を求めているのだろう。半分精霊とはいえ、実体がある生き物は面倒だなあと考えながら、僕はほかの乗客に意識を向けた。
僕たちが海を上がってからずっとついてきているヒトが二人ほどいるが、ライラライラの監視かなにかだろうか。
…………ふむ。この二人は名目上ライラライラの身辺警護としてついてきているのか。彼女は迷宮庁とかいう国家機関をクビになったというが、末端には詳細が伝わっていないようだ。
なんか、あったなあ。そういう、陸の生き物たちの持つ概念。なんといったか。政治闘争。権力争い。裏工作。いや、違う。どれもしっくりこない。
まあ、名称はともかく、僕からすれば生き物たちはひどく面倒くさい生き方をしている。世間から正義と思われなければ戦うこともできず、どこの誰ともわからないヒトが定めたルールによって善悪が定められる。
人間という大量に繁殖し広がった生命が、大量であるがゆえにある程度の規律が必要になるとは理解できる。ただ、それを人ではない僕らにまで当てはめようとするのは何とかしてほしいものだ。
ただ、ライラライラと今後長く関わっていくとなったら、僕もそういったことに巻き込まれていくのだろう。
面倒だなあと思いながらも、それに少しばかり高揚している自分もいる。
何であろうと、何もない退屈に比べればよっぽどましだからだ。
* * * *
『終点、ミジェイ~。終点、ミジェイ~』
ライラライラの言うとおり、20分ほど過ぎたあたりで停車した駅で彼女は降りた。
『ここが君の暮らしている街か』
尋ねるも、ライラライラからの返事はなかった。
彼女はだいぶ意識が朦朧としているようだった。それでも、精霊器官を脈動させ、地面の上をわずかに浮いて滑るように移動する。その進みは淀みなく、目的地に向かってまっすぐ進んでいるようだった。
ヒトにしては器用な真似をするなあ。
先ほどの街はヒトが30万ほどいたが、この街はそれほど多くはない。5万ほどといったところだ。
だが……、なるほど。ライラライラは元々ダンジョンを探索する仕事をしていたと言っていたな。ここがそうか。
僕の領域と同じように、僕ら星霊の感知を受け付けず星命力が吸い上げられている場所がある。僕のところとは違って何やら門のような施設があるが、あれがここのダンジョンの入口といったところか。
だけど、やけに入口の周りに《《仕掛け》》が多いな……。入るのにあんなに仕掛けがあったら手間が増えるだけじゃないのか?
ライラライラに聞こうにも、彼女は半分意識が飛んでいる。今は何を質問したところで返ってこないだろう。
彼女に使役される立場になっているせいか、彼女の記録を深く視ることもできないし。
まあ、ヒトは非効率こそを美徳とする感性も持つからなあ。僕にはよくわからないが、ヒトなりの理由があるのだろう。
そう納得することにした。
僕が街を視ている間に、ライラライラの目的地にはすぐにたどり着いたようだ。
同じような造りの建物がずらりと並んだ一角、その最奥にひときわ大きな屋敷が建っている。ここがライラライラの住居のようだ。
もうヒトの多くは寝ている時間だろうに、屋敷には明かりが灯っている。
……誰かいるな。ああ、ライラライラの弟か。
屋敷の門と玄関扉の鍵がガチャリと独りでに開き、玄関をくぐるとそのまま家の中を進んでいく。独りでに開いた門と扉は再び独りでに鍵が閉められていた。
自動認証式の魔法錠か。以前、フィザイッドが嬉々として神殿に導入したことがあったなあ。脆弱性が見つかったとかで、次に目覚めた時には撤去されていたが。
ライラライラが廊下の先の扉を開けると、そこは本や物がうずたかく乱雑に積まれた部屋だった。部屋の中央にあるソファと机のあるスペース以外は床が見えなくなるくらいに物で溢れている。さすがの僕も、この室内の状況が一般的なヒトの営みから外れていることくらいは分かるぞ。
ライラライラはソファにばたりと倒れこむと、
「げん、かい……」
それだけ呟くと、彼女は気絶するように眠りについた。
それと入れ替わるように、どたばたと上階からライラライラの弟の慌ただしい足音が近づいてくる。
「姉さん! やっと帰ってきたのか! どれだけ連絡したと……って、寝てるのかよ!」
バタン!と勢いよく扉が開いたかと思うと、ライラライラによく似た姿の精霊人……彼女の弟であるレイグレイグが室内に入ってきた。
「一か月以上もダンジョンに籠ってようやく出てきたと思ったらこっちの連絡を散々無視して、挙句の果てに即寝落ちとかいい加減にしろよなこのバカ姉!!」
倒れ伏すライラライラに気づくと、レイグレイグは大声で叫び散らす。そのまま大股でライラライラに近づいてくると、レイグレイグは彼女の背中に乗っている僕と目が合った。
「……あぁ? なんだ、これ」
僕が星霊だというのはバレない方が良いということで、この僕はライラライラが海で拾ってきた原精霊ということにするとなっている。なので、基本的に僕から何かアクションを起こすことはしない。
が、僕に気づいたレイグレイグは僕の首根っこを摘まむと、自分の目線の高さにまで持ち上げてきた。なかなか新鮮な体験だが、こういう場合普通の精霊はどういう反応をするのだろう。取りあえずレイグレイグの次の対応を待っていると、彼は「チッ」と舌打ちをして僕を後ろに放り投げた。
何て乱雑な扱いだろう。仮にも精霊人なら精霊を大事にするものだと思うが、個体差なのだろうか。
そもそも、僕自身投げられたのが久しぶりだ。前に投げられた時は首根っこを両腕で抱えられ、胴体を散々振り回された上に海面を10カリほど滑ることになったっけ。
そんな過去の出来事に思いを馳せつつ、空中で静止してライラライラの上に戻ると、レイグレイグがさらに大きな音で舌打ちをした。
間髪入れずに、レイグレイグは僕の体を勢いよく掴むと、そのまま床に向かって思いっきり叩きつけてきた。
「どっから紛れ込んだのかはしらねえが邪魔なんだよ!」
そのまま、ぐしゃりと足で踏みつぶされる。精霊を模倣した流体の身体が水のようにはじけて、床にぶちまけられた。
…………八つ当たりか。加えて嫉妬。
精神生命体である僕に単純な物理攻撃は無意味なので、何の痛苦も感じないのだが。
不快感がないわけでは、ない。
『《《レイグレイグ・リアシーン・アコーニツム・ライラック》》』
「っ!?」
広がった身体の形を元に戻し、告げる。
ライラライラには使えなかったが、真名を掴んで魂を操るのは星霊にとって人が呼吸をするかのようにたやすいことだ。
『まずはその足をどけて、少し話をしようじゃないか』
この時、原精霊のふりをするというライラライラとの約束はすっかり反故することになっていた。
Tips:
『星龍眼』
星霊種の中でも一部の個体が所持する権能。星龍眼の権能を発動するとき、瞳が虹色に輝く。
無機物有機物生物非生物問わず、この星に存在する対象の「記憶」を視ることで対象が誕生(あるいは発生)してから現在までのあらゆる情報を知ることができる。この記憶とは一般的な意味での記憶ではなく、対象の肉体に宿る記録のようなものであり、本人が知覚していない事象すらも把握することが可能。
これを使用すれば、文字通り対象の全ての情報を知ることができる。
この星に生まれ生きている存在は星霊の瞳から逃れることは叶わず、それを認識することすらできない。
なお、便宜上『眼』『視る』と表記しているが、眼球に能力が宿っているわけではなく、視界に収める必要もない。
この権能は同じ星霊種や、この星で生まれていない法則狂い弐式、他天体からやってきた外来種には通用しない。
なお、すべての記憶を常時参照可能にしているとさすがに情報量が多すぎるため、多くのモノは確認できる情報を極一部だけにしたり、オンオフを使い分けたりしている。