セカイの外側
星霊種の多くは星泉を守るために発生し、星泉を守るため基本的に自分の領域から出ることはない。
個体によっては領域外にも頻繁に出入りするモノもいるようだが、少なくとも僕はこの海から出たことは一度としてなかった。
出る必要を感じなかったし、領域の外側にもさして興味がなかった。
僕が発生したばかりの頃はさすがに隣接する土地くらいは気にしていたが、いつからかそれすらも気に掛けることはなくなった。
僕の領域の近くに多く生息していたのが獣だったのもその一因だろう。長くても200年ほどしか生きられない動物たちは発展するのが一瞬なら、滅ぶのだって一瞬だ。
気が付くたびに国境も国名も文化も景色も、何もかもが変わっていることなんて珍しくなかったので、そのたびに情報を書き換えるのが煩わしくなった、というのもある。
結局のところ、僕にとって重要なのは領域の外側の生き物が有害か無害かでしかない。だから、領域の外側がどうなろうと、どうなっていようと些末な問題に過ぎなかった。
だから、まあ。
何が言いたいのかというと。
僕は今、発生して初めて領域の外へ出たことになる。
* * * *
「はあ、やっとついた……!」
ライラライラが疲れ切った声を出しながら、海面から浮上し砂浜へと歩いていく。
水中での移動で半分精霊である彼女に普通の獣のような疲労の概念はないはずだが、何にそんな疲れているのだろうか。
一方、僕は水中の浮遊感から一転、地上の重力を感じてむず痒い違和感を覚えてしまう。そこまで大したものではないし行動に支障はないが、海の外に慣れない原因の一つだ。
(海の中から出るのもいつ以来かな)
ライラライラの肩に乗りながら思案する。
3回前に目覚めたときに、海上まで逃げた獲物を追いかけた時以来だろうか。あの頃は1周もせずに頻繁に起きる事態が続いていたが、そう思うと今回はずいぶん長く寝ていたものだ。
これからはしばらく起き続けているだろうし、星の記憶と同期して知識をアップデートしていくのもいいかもしれない。
…………。
……………………。
……反応がない。
本体はダンジョン内にいるせいか、同期に異常が出るようだ。端末から直接星の記憶に接続して同期することもできないことはないが、領域外だと処理能力が少し落ちる。それに、この方法だと一部の上位種に気取られる可能性がある。
それに、フィーネなどの眷属ともラインが切れている。これもダンジョンの内外に分かれている影響だろうか。
まあ、急ぐことでもないし、代わりに現在の地上を《視て》みるか。
僕は周囲に感覚を広げていく。領域外であろうとも、周囲を把握するぐらいは僕ら星霊にとって容易なことだ。
現在僕たちがいるのは砂浜の海岸線で、海岸が地平線まで続いている。少し離れた北側には船着き場があり、いくつかの船が停泊していた。
正面にはヒトの街並みが広がっている。……ざっと感知したところ、ヒトがおよそ30万ほど存在しているから、規模としては小さくはないだろう。どうやら今の時代はずいぶんヒトの数が増えているらしい。それとも、単にこの街だけが特別に多いのか。
建物はほとんど低いが、中には群を抜いて高いものも少なからず点在していた。
時刻は既に日付が変わる寸前だ。獣たちの多くは眠りについている時間だからか、建物の外にヒトの気配はほとんどない。灯りも少なく、夜の闇を照らすのは空に浮かぶ赤と青の二つの月だ。何万年が過ぎても、外来種達の作った中継衛星は今もなお健在らしい。
見上げた夜空には、この街の上空に光学迷彩で隠蔽された何かの魔道具が浮いている。マナのラインが街と繋がっているから、おそらく何らかの設備なのだろう。
しかし……。かつてはこのあたりも神霊の縄張りだったはずだが、奴らを祀る教会はおろか代行者すら感じ取れない。勢力圏が変わったのだろうか。
神族の協会は変わらずあるけれど、メファリズフィーレンの気配はない。アレには昔世話になったから、久しぶりに挨拶でもするべきかと思ったが、いないのならしょうがない。担当が交代にでもなったのだろう。なにかあれば向こうから接触してくるだろうし。
『それで、君の家はどのあたりなんだい?』
思念会話でライラライラに話しかけると、ようやく息を整え終えた彼女はぐっと伸びをしながら返答する。
『この街にはありませんよ。ここからアグレーに乗っていきます』
『あぐれー?』
『アグレーとは地下鉄のことで……。フィグー様、地下鉄は分かります?』
『知らないね。話の流れ的に乗り物だとはわかるけど』
『……まあ、見ればわかりますよ』
そういうと、ライラライラは小さく息を吐いた。
左の掌で頭を押さえたかと思うと、右手の人差し指を立てて細い指先を顔の横で円を描くようにクルリと動かす。
すると、彼女の動作に合わせるように頭上に水球が発生する。そのまま、つい、と指先を地面に向ける動きに合わせてその水球がライラライラの頭上に降り注いだ。
水球は重力に従いライラライラの頭から足先へと彼女の体を包みながら落ちていき、砂浜へと吸い込まれていった。
一方、先ほどまで海水まみれだったライラライラの体からは一切の水気が失われていた。海水を洗い流すのと肉体を乾燥させるのを同時に行ったのだろう。ついでに僕まで洗われた。
そういえば、陸上の生き物は濡れたままなのと塩気をまとうのを嫌うんだっけ。海水を洗い流さずに乾くとべとべととして気持ちが悪い、と言っていた。
『さて。それでは、少し急ぎますので落ちないように』
告げると、ライラライラはタン、と軽やかに地面を蹴った。
軽い足どりに反し、その跳躍は力強い。背中の精霊器官が脈動し、風を纏った彼女はあっという間に夜の街を飛んでいった。