期する紅玉
ラリマールはこれの使い道をすでに考えていた。
「というわけですので、これは私たちの指輪にしましょう」
「どういうわけだ?」
ラリマールの手にあるのはルビーの感情である透明な宝石だ。ダイヤモンドのように透き通ったその石は、ルビーからラリマールに贈られた物で、文字通り婚約者に「愛」を贈ったルビーはしばらく顔を真っ赤にしていた。珍しいものだとラリマールはジロジロと見つめる、ことはしなかったが、その様子を盗み見て楽しんだ。
美しいものが大好きなラリマールは最初、とにかくその宝石を眺めて楽しんだ。角度を変えてみたり、太陽に透かしたり、月明かりで照らしたり。なんなら片時も離さず持ち歩こうかと考えたくらいだ。しかし、石そのものを持ち運ぶのは少し勝手が悪い。いくら美しくとも、石の状態では友人に見せることも出来ない。決してそんな真似をするつもりはないが。この感情はラリマールだけのものだ。せいぜい家族にしか見せたくない、いや、家族にだってあまり見せびらかしたくない。それが独占欲だということに、ラリマールはまだ気付いていなかった。
話を戻すと、ラリマールはルビーの愛の宝石を身につけたいということだ。残念ながらラリマールの感情は宝石にならないので、ラリマールの感情の石を加工して指輪にすることはできない。本当はルビーの感情をラリマールの指輪に、ラリマールの感情をルビーの指輪に出来たら最高だったが、それは無理な話。それにどうせ見た目は同じダイヤモンドのような石のついた指輪になるのだからと自分を納得させ、「愛し合った結果この宝石になった」ということで、これでお揃いの指輪を作ってはどうかと思い立ったのだ。
ラリマールは「これは名案」とばかりに話し終わると、ルビーは何故かあの時のように頬を真っ赤にしていた。はて何故だろう。
ルビーとしては、自分の感情の宝石を見るたびに彼女を愛しているということを実感させられることが大変恥ずかしい。更にラリマールはしれっと言ったが、「もし自分の感情が石になったら」ラリマールの感情も「同じダイヤモンドのような石になる」ということは、彼女もルビーを愛していると言ったも同然だ。本人に自覚がないのが悔しいところ。
「俺としては、それはラリマーに持っていて欲しい。指輪は俺がつけて欲しい物を用意する」
「……でも、身につけたいです。ルビー様からの大切な贈り物ですから」
彼女の我が儘は叶えたい。けれどそれは色々どうなのか。しかし――。
「分かった」
ラリマールの表情がパッと輝く。彼女に勝てる日は来ないかもしれない、ルビーは改めてそう思った。
ラリマールはルビーが指輪にしてくれることを信じて、自分は彼に贈るためのハンカチと手袋に刺繍を始めた。刺繍がそんなに苦手ではないラリマールは、黙々と作業を進める。時に義姉や甥と戯れて息抜きをしていた。
時間に余裕を持って完成しそうなのでゆっくりと作業を進めている最中、義姉にお茶に誘われる。義姉はお菓子のセンスが抜群にいいので、ラリマールは大歓迎だ。彼女の傍らにはいつも日差し除けのついたゆりかごが置かれていて、そこに甥が眠っている。覗き込むと、かわいいかわいい甥はぷすぷすと寝息を立てていた。つい頬が緩んでしまう。たまに起きている時は口角を上げて微笑んでいるような表情になることもある。どうやら楽しくて笑っているわけではないらしいが、その顔がまたかわいらしく天使と称するに相応しいと思っている。
今日は母が様子を伺いに来た。孫が嬉しい母は、最近ラリマールとルビーのことも気になっているようだ。
「ところでラリマー。あなたはきちんとルビー様に愛を伝えているのかしら?」
義姉が泣き出した甥をあやしに席を外した時、全てを知っている母は言う。ルビーからの愛を受け取ったけど、あなたはどうなのかと。
言われてみれば、ラリマールはルビーに対して好きだとか愛しているだとか言葉を口に出したことはない。瞳の色が好きだとは言ったことがあるような気がする。顔が好きだとは言ったことはあっただろうか。
母は「言葉にしないと伝わらない物なのよ」と優雅にお茶を口にする。それもそうだ。ルビーは何も言ってこないが、もしかしたら彼は不安に思っているかもしれない。そんな状態で結婚するなんてよろしくない。早速伝えに行かなくては。ラリマールは部屋に戻って一番に筆をとった。
完成したハンカチと手袋を持って彼の家に行く――ことはなく、ルビーがブルーペクトライト家に訪れた。引きこもりをやめた彼は、いつもラリマールの家に来てくれる。客間で2人向かい合って座ることにも、随分慣れてきた。
「ルビー様、私大変なことを忘れていました」
綺麗な布とリボンに包まれたそれらを差し出した。差し出した贈り物を彼が受け取ったことを確認し、しっかりとイエローダイアモンドを見据える。不思議そうなその顔は最近よく見る。ラリマールが何をするか分からない時に見られる表情だ。彼の表情に変化が生まれて、ラリマールは大変嬉しい。
それはさておき、ラリマールは彼に伝えなくてはならない。
「私、ルビー様のことを心からお慕いしています。どうかこれからずっと、飽きずに私と過ごしてください」
――うん、こんな物だろう。
ラリマールは満足した。まず自分がルビーを好きだと伝えたし、取り立てて取り柄のないラリマールとこれから一緒にいて欲しいことも伝えた。これでルビーが不安に思うこともないだろう。
1人満足している彼女の視界には、またもやこれでもかと顔を赤くして停止しているルビーがいた。最初に、珍しく「会いたい」という手紙が来たことで喜びを感じた。次に贈り物を受け取って嬉しく思った。最後に唐突なプロポーズを受けて思考が飛んだ。贈り物までは受け止めることができたが、その次に持っていかれた。
微笑んでいる婚約者を見ると、特にプロポーズをしたつもりはなさそうだ。自分の情けなさに胸元を押さえ、その情けなさの原因とも言えるそれを取り出す。
「あら、これは……?」
指輪にしては大きなベルベットの箱を開けると、透明と黄色の2色の宝石があしらわれたイヤリングとネックレスが納められていた。
流石にラリマールでも気が付いた。宝石の色が、一番好きな色だということに。そっと目を合わせると普段より柔らかい黄色に迎えられ、頬が熱を帯びていく。
いつもより丁寧にイヤリングを手にとり、右耳からつけてみる。左耳までつけると、今までの自分とは違う自分になれた気がした。ふと前を見ると、ルビーがネックレスを両手で摘んでいる。恥ずかしいと思いながらもソファに沈んだ体を浮かせ、うなじが見えるように髪を上げる。ヒヤリとした感触が首をかすめて思わず肩が震えたが、そのまま後ろで留め具がされる。髪を下ろしようやく一息吐こうとしたところで、後ろから腕が回される。抱きしめられたラリマールは、借りてきた猫のように体を強張らせてしまう。けれどそんなことは知ったことかと、ラリマールの白く小さな手にルビーの手が重ねられる。身動きが取れないラリマールは更に固まり、石のようになってしまった。耳元で笑う吐息を感じて悲鳴をあげたくなるラリマールだが、淑女として何とかそれは抑えられた。
永遠のような一瞬の時間が終わり、抱擁から解放されたラリマールだったが、手だけがルビーに囚われたまま。何だろうかと思いつつも顔の熱が収まり始めてから、ようやく気付く。
薬指に輝くシンプルなそれに。中央に佇む小さくも透き通った丸い石は、光を集めていくつもの色を重ねている。
うっとりとそれを見つめていると、握られた手に力がこもった。左手からルビーの瞳に目線を移すと、想像していたよりずっと堂々とした黄色に出会う。
それからやけに時の流れが遅く感じる中、ルビーの口が開かれる。次に来る言葉に期待を寄せて、ラリマールは婚約者を見守った。