そして、私は炎に焼かれる
燃えている。
ジャネットの身体は業火に焼かれていた。
──熱い。
失っていく意識の中で、焔の向こうで自分を呼ぶ声を聴く。
──フローラ……。
おろかな姉の名をまだ呼んでくれるのか。
火に焼かれているのに、ジャネットの頬が濡れる。
──大丈夫。あなたのほうが、ずっと強いから。
ジャネットは小さく呟く。
『紅蓮の魔術師』
その能力は最強レベルと言われながら。思えば、ずっと自分の意思に反した生き方をしてきた。
妹のように、自分の意思で戦うこともできず、そして追い詰められた。
──今度、生まれてくるときは自分の意思で生きたい。
ジャネットは目を閉じた。
「せめて死は、自分で選ぶ──」
ジャネットは、手にした剣をのどに突き立てる。
炎が、一層激しく燃え上がった。
「姉さま、姉さま」
柔らかな心配そうな声。
頬をなでる指の感触で、ジャネットは目を覚ました。
「私?」
栗毛の髪の少女が、ほっとしたように微笑んだ。
「ああ、姉さま。良かった。気がついたのですね」
ジャネットは横たわった体を起こす。ズキンと左手に痛みが走った。
見慣れたはずの自分の部屋であることは瞬時に理解したにもかかわらず、違和感がある。
「私、死んだはず……」
ジャネットは、自らの身体を調べていく。手足は傷むが火傷の痛みとは違う感じだ。左手に包帯。しかし、これはおそらく切り傷だ。何より剣を突き立てたはずの喉には傷一つない。
「銀龍との戦いで、崖から落ちてしまわれたのです──幸い、大きなけがはなかったみたいですけど、ずっと意識が戻らなくて……」
ジャネットは、ゆっくりと辺りを見回す──自分の部屋であることは間違いない。
目の前にいるのは、妹のフローラ。
この状況には、既視感がある。
「銀龍」
ジャネットは呟く。
ジャネットとフローラは、帝王ザネスの命を受け紅蓮石の採掘現場を守護している。
ふたりは、帝都の魔力を支える紅蓮石のありかを探し当てられる能力もちだ。
ザネスは父を人質に、紅蓮石を探すことを強いている。
もっとも、採掘現場では、ジャネットが、強制的に集められた人に採掘を強いる役どころなのであるが。
銀龍というのは、たびたび採掘場を襲う反帝国派の首領だ。
民衆に非常に人気のある正義の味方と言ったところか。
「崖から?」
ジャネットは混乱する記憶に額を押さえる。
銀龍と戦い、崖から落ちたことはあった──しかし、それは半年以上も前のことではなかったのか?
「今は、いつなの?」
「レグルス月の十五日ですわ。お姉さまはもう、七日も眠っておられたのです」
「そう……」
ジャネットの記憶によれば、レグルス月は半年も前のことだ。
どういうことだろう。
自分が自害して果てるまでのここから半年間は、長い夢だったのだろうか?
「……ひょっとして、私が眠っている間に、帝都から皇子が訪ねてきたかしら?」
「あら、どうしてご存知なのですか?」
フローラが不思議そうにジャネットを見上げる。
「そう……」
ジャネットは自らの手に視線を落とした。
──時が、戻っている?
そうとしか思えなかった。
ここから死に至るまでの半年間の『記憶』はあまりにも鮮明で、とても夢とは思えない。
ジャネットの記憶が確かなら、このあと屋敷に皇子が訪ねてきて……招きもしないのに、部屋に入ってきたはずだ。
そして、この程度のけがで済んだことで銀龍との内通を疑われる。
もちろん、銀龍がジャネットを本気で殺そうとしたわけでないのは事実だ。
父デニスの意思は、反帝国。銀龍はそれを知っている。
ジャネットのケガから数か月後、妹のフローラは父の意思を重視して反乱軍に身を投じることになる。
しかし、ジャネット自身は人質である父を助けるため、皇子にすり寄った。だが、父は皇子に処刑され、ジャネット自身も自害──したはずであった。
「ダメです、まだ、ご面会は!」
階下で、女中の声がとんだ。
ドタバタという足音。
何の躊躇もなく、バタンと扉が開く。入ってきたのは長身の男だ。
冷ややかな眼光。なまじ端正なだけに、余計に鋭く感じる。
「……レディの寝室に、随分ですわね。ハリス皇子」
最初からわかっていれば、動揺はない。そのぶん、デリカシーのない男への怒りが込み上げた。ジャネットは、男の顔を睨みつける。
「お、皇子といえど、未婚の女性の寝室に無断で入るなんて失礼ですわ!」
フローラが、ジャネットを庇うように前に出た。
「いいだろう? ジャネットは俺の婚約者候補なのだから」
「あくまで候補ですわ。そもそも、皇子は私を望んでもいらっしゃらないでしょうに」
「ほう? 今日はいつもとは違うな」
いぶかし気にハリスがジャネットを見る。
──しまった。
ジャネットは、唇をかんだ。
記憶が混乱していたせいで、つい本音が漏れた。
「俺の嫁になりたいのではなかったのか?」
ニヤリと、ハリスは笑った。
「そうでしたわね」
ジャネットは、開き直った。
父のためにこの男に取り入ろうとしていたのは事実だ。
帝王ザネスに比べれば、この皇子のほうがマトモだとは思う。
だが、半年後、父は帝王の命でこの男に処刑される。
そして、ジャネットは反乱軍ともども業火に焼かれた。
この男のご機嫌を取って得た未来は、最悪だったと言っていい。
思えば、皇子にはジャネットを信じる気など最初からなかった。そこに愛も恋もない。
ほんの少しだけ、信じて賭けていた自分が情けない。
「怪我をした私を嘲笑いにいらっしゃるような方では、百年の恋も冷めます」
「お、お姉さま」
ジャネットの物言いに、フローラの顔が青くなる。
「皇子、姉はさきほど意識が戻ったばかりなのです。どうか、日を改めて……」
「いいのよ、フローラ」
ジャネットは、にこりと笑った。
「私は、もともと皇子に好かれてはいないの。でも大丈夫。殿下は『寛大な』お方でいらっしゃるから、この程度のことでお怒りにはならないはずよ」
「好いていないと言った覚えはない」
ハリスの眉がひくりとあがった。
「好きと言われた覚えもございません」
ぴしゃりと返して、ジャネットは息をついた。
「フローラ、席を外して。皇子は私にご用なのでしょうから」
「お姉さま」
心配そうなフローラに大丈夫、と微笑みかける。
「何かあったら、お呼びください」
フローラはそう言って、扉を少し開けたまま出て行った。
皇子に椅子に座るように言って、ジャネットは足音が階下に消えていくのを待った。
「それで、ご用件は?」
ジャネットは、皇子に向き直る。
「ずいぶんだな。見舞いにきた婚約者に言う言葉じゃないだろう?」
「候補ですわ。そもそも、お見舞いなんて可愛らしい理由ではないのでしょう?」
ジャネットは苦笑した。
「私が銀龍と通じていると思っているのでしょう?」
「ジャネット?」
ハリスは明らかに困惑の表情を浮かべている。
「信じてくださいと言っても、無駄ですもの。好きにお調べになるといいですわ。婚約者候補から外して下さっても構いません」
「候補から外す?」
ハリスは驚いたように目を見開く。
必死で嫁候補の列に名を連ねようとしていたのはジャネットのほうだ。
「俺の嫁になって、父親を救いたいと思っていたのではないのか?」
「それがわかっていて、なぜ私を疑いますの?」
ジャネットはハリスを睨みつける。
「銀龍が、わざと急所を外したという報告がある……」
「銀龍が、私に止めを刺すことをためらって、何の不思議があるのです?」
ジャネットはくすりと笑った。
「父デニスの研究を欲しいのは、銀龍も同じこと。皇子が私を婚約者候補から外さないのも、それが理由では?」
「……どうした? 今日はずいぶん歯に衣を着せぬ言動だが」
ハリスは、ジャネットの意図をはかりかねているようだった。
ジャネットは、傷一つないのどに手を当てる。突き立てた痛みの記憶は夢や幻とはとても思えない。
きっと、あれは『現実』になるのだろう。
運命に抗うことはきっとできない。ならばせめて自分の心に嘘をつかずに生きたい。
どうせ自分は捨て駒だ。捨てられるのが、早いか遅くなるかそれだけだ。
「これほどの傷を負って、疑われるのであれば、何を言っても無駄だと悟っただけですわ」
「……痛むのか?」
ハリスの手が、包帯の巻かれた手にわずかに触れそうになり、ジャネットは手を引いた。
「茶番で、七日も寝込むほど暇ではありません」
「……そうだな」
ハリスは伸ばした手に視線を落とす。
「非礼を許せ。俺が悪かった」
ジャネットは驚いた。ハリスがこんなふうに自分に謝罪するのは初めてだ。
「珍しいこともあるのですわね」
「お前を銀龍に奪われるわけにはいかない」
ハリスの手が、ジャネットの頬に触れる。
ジャネットは、自分を見つめるハリスから視線をそらした。
「養生しろよ」
いつになく優しい言葉をかけると、ハリスは帰っていった。
「私にはまだ、利用価値がある……ということですね」
小さく呟いた言葉は、ハリスの背には届かなかった。