いけにえ娘と龍神様
ある山間部の村に、一人の若い少女が住んでいた。名前はカンナ、村の一員として人一倍働く娘だった。
「はい、おばあちゃん。草履の鼻緒を直しておいたよ」
「ありがとうねぇ。カンナちゃんは村で一番器用だから、助かるわぁ」
「こちらこそ、お婆ちゃんの知恵に助けられてばっかりなんだから。……何かあったらまた言ってね? 私に出来る事なら、助けになるから」
カンナはお辞儀をしてお婆ちゃんの家を出る。彼女は特定の仕事を持っている訳では無い、普通の村娘だ。他の村人から仕事や知恵を学び、少々力自慢で手先が器用なカンナは村人みんなから頼られた。村は運命共同体だ。頼り頼られ合う事で、漸く現状の維持ができる。
「おーい、カンナー。少し手伝ってくれーい」
「分かったー! 今行くよー!」
向こうの畑から一人の男がカンナに呼びかける。今度は畑仕事の手伝いだった。
少女は今が一番幸せだった。特定の職業に就けなかった彼女は、誰かに頼られることで、自分の存在意義を見出せる。しかし、彼女は自分が無力だと理解していた。今も村の女性達の声に耳を傾ければ、この村の現状が聞こえてくる。
「……このままでは、今年の作物の収穫量も去年より少なくなるわね」
「餓死する人も出るかもしれないわ。せめて水害さえ何とかなれば……」
村は度重なる水害に頭を悩まされていた。作物の収穫量は減り続け、魚は取れず、村の蓄えは年々減るばかりだ。村の未来をカンナは気にかけていた。
「お婆ちゃんの知恵ではどうにもできない。みんなで出来る事は全てやった。私は、村の負担を少しでも減らさないと!」
カンナはもう一度自分に気合を入れて、再び畑仕事に集中した。
*
「村長、村はもう限界です。ご決断を」
「しかし、それは村の民を犠牲にする事。即決など出来ん」
「このままでは村そのものが全滅してしまう! 村を救うためには多少の犠牲も致し方無いでしょう!」
「分かっておる。……一晩だけ考えさせておくれ、明日の正午に村人を集めよ」
「……承知しました」
村長の家から、数人の若い男性が立ち去っていく。その後ろ姿を見ながら、表情を曇らせた。
「……若者よ、それがお主達の選択なのか。それは本当に、本心からの言葉なのか? しかし、この村が存亡の瀬戸際に立たされているのもまた事実。全ては、彼女の選択次第か……」
そう呟くと、村長も自宅へと戻り、村の家の灯りは全て消えた。
*
翌日、朝早くからカンナは村を走り回っていた。
「カンナちゃん、おはよう」
「おはようございます、おばさん。今日はいい天気だね。洗濯、頑張って!」
「よう、カンナ。今日は珍しく芋が多く取れたから、後で持って行ってやるよ」
「おはようございます。わあ、いい自然薯だね。ありがたく頂きます」
これから洗濯に向かう女性や、森での採取から帰って来た村人達から声を掛けられ、彼女は元気よく挨拶を返した。
「ところでカンナ、聞いたか? 今日は、村長の家で集会を開くらしい。全員参加だそうだ」
「そうなの? 教えてくれてありがとう。遅れない内に私も向かうね」
カンナは村人達に頭を下げて、最初に手伝う家へと向かった。そして、手伝いの半分を終えた頃には、太陽が真上に差し掛かっていた。
「すみません! 遅れました!」
「珍しい、カンナが遅刻するとは。まあ良い、これで全員揃ったな」
村長の家に、村人全員が集められた。緊急集会は村長のみが開くことができ、基本的には村の方針を決めるために開催される。ただ、今回だけは少し違っていた。
「皆に伝えなければならぬことがある。近年の水害で、村の作物の収穫量や川魚の漁獲量が減っていることは知っておるな?」
「ああ、水田の稲の幾つかがやられちまった!」
「度重なる氾濫で、川の魚も殆ど捕れやしねぇ!」
村長の言葉に村人たちが次々と不満を挙げていく。暫くしたのち、村長は皆を制止し言葉を続けた。
「皆も知っておるな、この村に伝わる龍神様の伝説の事を」
村長の言葉にカンナを含む全員が頷いた。この村の河川の上流、滝の裏側に許された者しか通れない洞窟が隠されている。そして、その最奥にこの村を守ったとされる龍神様の祠があり、村が危機が迫る度に龍神様に生贄を捧げることで、難を逃れてきたという。
「この度、私は“古いしきたり”の復活を決定した。その為に、我らは生贄を決めなくてはならない」
再び周りが騒がしくなるのを村長が止め、彼はカンナの方に顔を向けた。
「カンナ。すまないが、やってくれるか」
カンナは、遅刻を謝罪してから一度も言葉を発せずに村長の言葉を受け止めていた。村人が一斉に振り向く中、彼女はただ村長の方を見つめて――――首を振ることは無かった。
「はい。分かりました」
彼女はただ一言、そう言って生贄に成る事を了承した。
*
村長と二人で川を上流に向かって歩き、祠のある滝へとたどり着いた。ここから先は彼女一人で行かなくてはならない。
「すまない、私はここまでだ。今まで、本当に世話になった」
「大丈夫です、村長。私は、何もできないから。だから、みんなの罪もまとめて三途まで持っていくよ」
「……なんだ。全部、分かっておったのか」
「うん。でも、みんなを責めないで。全部、何もできないのに色々できてしまった私が悪いの」
村人の中には、自身を良く思わない人も居たことを彼女は理解していた。特定の職業を就いていないにも関わらず、みんなから頼られる彼女に嫉妬する者も少なくなかった。
「本当に良いのか? もしお主が拒否すれば考え直すつもりだったのだが・・・・・・」
「それでも生贄は選ばないといけないんでしょ? だったら、一番居なくても問題ない私が行くよ。それにね? 私はみんなが生きてくれればそれでいいの」
「そうか。もう、私にできることは何も無い、か。……達者でな」
「じじ様もお元気で。それじゃあ――――行ってきます」
カンナは村長に一度頭を下げた後、振り返らずに祠を目指した。龍神様の生贄になる者は持ち込める物も制限される。洞窟内は水害の所為か地面が塗れており、身に着けた薄着だけではとても肌寒い。手に持った松明だけを頼りに、彼女は洞窟の奥へと進んでいった。
幸い、道は舗装されており、空洞まで辿り着く事が出来た。空洞の半分は水が満たされており、その中心には祠が建てられている。カンナは祠の少し前に置かれていた篝火へ松明の灯りを移し、祠の前で跪いた。
後は龍神様が現れるまで、生贄はただ祈る事に時間を費やす。食事を摂る事も、来た道を戻る事も許されず、ただカンナは祈りを捧げ続けた。
彼女が祈り始めてから、どれくらいの時間が経っただろうか。祠の池の水面が揺れそこから白い何かが姿を現した。
それは、顔だ。
顔の大きさですらカンナの身長と同じかそれ以上、彼女にはその姿全てを目に収める事が出来ない程、巨大な体を持つ白い龍神様だった。
「貴様、何故此処に来た。……生贄か」
「はい。私の全てで私の村をお救い頂きたいと思い、参りました」
カンナは顔を上げ、龍神様を見つめた。龍神様はその首をゆっくりと横に振った。彼女にはそれが呆れているようにも見えた。
「既に我と人間との契約は破棄された。故に、我が人間如きの願い等聞く理由は無い」
「なら、もう一度。再び契約を結びましょう。その為に、私に出来る事ならどの様な事でも致します」
「人間。何故、その様な目で我を見る。この先どの様な事が起ころうと、汝の命は既に無いも同じだ。貴様自身の言葉で答えよ人間、貴様は何故そこまでして他の人間の事を思える」
カンナは一度瞬きして龍神様を見たあと、一度深呼吸をしてから答えた。
「私が今まで生きてこれたのも、私がずっと幸せで居られたのも、この村があって、みんなが居たから。だから、恩返しをしないといけないけど、私にはこんな事しかできないから。だから、これでいいの。龍神様は水害を何とかできるんでしょ? ……だったら、私の全てをあげるから、みんなを助けて!」
カンナの気迫に龍神様が一瞬気圧される。そして、龍神様は声をあげて笑い出した。
「フフフ、ハハハハ! 面白い、面白いぞ。このまま消えて無くなるのもいいと思っていたが、……気が変わった! どれ、貴様と契約を交わそうではないか!」
「本当!? ……失礼しました。感謝致します」
「良い、先程の言葉で話せ。我も永く生き過ぎた、この世界に我を敬う者は無く、命も長くはないだろう。故に貴様と交わす契約は一つ――――こことは異なる世界で我の信者となれ」
「それは構わないけど、どうやって?」
「何物にも成れなかった貴様には丁度良い呪いだろう。汝を異なる世界へ連れていく力の余波を以って、ここ一帯の嵐を吹き飛ばす。――――それで数十年は持つだろうよ。後は、その世界で我を維持する為に、その身を捧げるがいい」
カンナには龍神様の語る事は一割も理解できなかったが、自分が死なない事と、どうやら村のみんなは助かる事は理解でき、安堵の息を吐いた。
「分かった。私の全てを龍神様に捧げましょう」
「契約は成立だ、もう後悔すら許されぬ。覚悟するがいい、貴様がこれから何を為すのか、楽しみにさせてもらうこととしよう」
龍神様がその顎を開き、目を瞑ったカンナを飲み込む。龍神様の体が光に包まれると、その体を捻り、洞窟の壁を破壊しながら、その場を後にした。
そして――――、村は水害から逃れたが、カンナは二度と祠から帰ってくることは無かった。




