その剣で貫くものは
聖剣で、勇者は殺されることとなった。
別に聖なる力を発揮したわけでもなく、ただ、腹を刺されて。
「……あ?」
勇者はその両眼を大きく見開いて、自分を刺した人間を凝視する。
その顔には、信じがたいと言わんばかりの表情がべったりと張り付いていた。
自分にしか使えないはずの聖剣。だが、今それを握っているのは、誰であろう苦楽を共にしてきた仲間である。
「リュゼ……、どうして、だ……?」
息と共に血を吐いて、一歩、二歩、勇者ライデルは後退する。
腹に感じる灼熱は、臓腑を抉られた痛みだけではない。
不理解と衝撃、貫かれた腹の奥底に蟠る、疑問、疑念、疑心の黒霧。聖剣を握る仲間を見上げた。
両手で腹を押さえても、溢れる血を止めることは敵わず、のどに溜まった血が魔法の詠唱も許さない。
「どう、して……」
濁った声でそれだけを仲間に、いや、仲間だった少女に告げる。
リュゼと呼ばれた盗賊の少女はしかし、その顔に晴れやかな笑みを浮かべていた。
神より賜りし正義の象徴、神聖なりし白天の聖剣が、使い手であるライデルの血に染まって穢されている。
満足だった。
生まれてこの方、感じたこともないくらいの満ち足りた気持だった。
ことの善悪を脇に置いて、リュゼは確かに『やってよかった』と実感し、喜んでいる。
「勇者様さぁ、ず~っと前の話になるけど、『黒影盗賊団』、覚えてる?」
「それは……」
覚えている。
まだライデルが勇者として名乗りを上げて間もない頃、とある村を占領していた盗賊団を撃退した。
その盗賊団が『黒影盗賊団』。ライデルによって壊滅させられた、大した規模でもないありふれた盗賊団である。
リュゼも元々は、『黒影盗賊団』に所属していた盗賊見習いだった。
「盗賊なんてちんけな商売さ。村なんか牛耳ってお山の大将気取ってさ。情けない連中だったよ」
「…………」
「あたしは嫌気が差してた。あんな連中とはさっさと縁を切りたくて、だからあんたについていくことにしたよ」
右手に提げた聖剣から今もポタリ、ポタリ、とライデルの血が滴り落ちている。
それを目に入れつつも、特に何も感じないままリュゼは、うずくまったまま動かない彼へと視線を移した。
「でも皆殺しにする必要なんてあったかい?」
冷ややかな声だった。
「ああ、確かに連中は悪党だったさ。それは間違いないよ。でもね、一人残らず殺されるほどじゃなかった」
「それは……」
「何かあるんだろ。言ってみなよ、聞いてあげるさ」
「ぐ……、は……」
ダラリダラリと血を流し、ついに身を支えることもできなくなったライデルが床に横たわった。
彼は身を仰向けにして半ば近く閉ざされた目が薄汚れた天井を見る。
最初に神経を焼き切るかと思われたほどの激痛も今は感じられなくなって、死の冷たさが身の髄を凍えさせつつあった。
「……か、彼らは、悪だった」
「で?」
「か、れらの行ないに……、お、多くの人が、苦しんでいた……」
「…………ハッ」
ライデルの言葉に、リュゼが見せたのは嘲笑だった。
少女は倒れた勇者を見下して、その手の聖剣を両手で持ち替えた。そして告げる。
「その、『多くの人』ってのは一体誰のことだったんだい?」
「……な、何の話、だ」
勇者には、盗賊の少女の言葉が理解できなかった。
「あたしはね、あの村の人間と盗賊団の間に生まれた娘さ」
「な……」
リュゼから告げられた出自に、ライデルは絶句する。
静かな部屋の中には、ただ勇者の途切れかけた呼吸の音だけが残って、時間は無機質に流れていた。
「『黒影盗賊団』はね、もう何十年もあの村を支配してたのさ。国だって、たかが村一つ、たかが盗賊団一つ、わざわざ騎士団を動かすことなんてしなかった。あんたが巣食ったつもりのあの村はさ、盗賊団に支配されながらもそれが普通になっちまってたんだ。……いびつながらも平和だったんだよ、あの村は」
「う、嘘だ……」
「ハッ」
勇者の否定を、しかし盗賊は再び鼻で笑ってやった。
分かっちゃいない。本当にこの勇者は何も分かっちゃいないんだ。それをしみじみと感じとる。
「村の解放を願ってたやつは確かに多かったさ。けど、そうじゃない村人もいた。勇者様、あんたの言う『多くの人』にそいつらは含まれていたのかい?」
「…………が」
「あたしも最初はあんたと同じだったよ。ウチの盗賊団はロクでもない。村は解放されるべきだって思ってた」
リュゼが、聖剣を逆手に握り直す。
足元にライデルの乱れ切った息遣いを感じた。ズクンと、盗賊の少女の心臓が一度だけ高鳴って、
「でもそれは、あたしが世界を知らなかっただけさ」
彼女は声を一段低くし、過去の己を愚昧と断じた。
「あんたについていって思い知らされたね。ずっと同じことの繰り返してだった。一面の平和だけを優先して、それ以外の全てを切り捨ててきたじゃないか」
ため息を一つ。目を伏せれば、瞼の裏に今日にいたるまでの出来事が次々浮かんで流れていく。
とある城で、魔族と通じて私腹を肥やしていた大臣を魔族諸共討ち果たした。
――その大臣にも家族がいて、友人がいて、治める領地があるはずあった。
とある港で、海賊と通じてひそかに密輸を手引きしていた豪商を海賊諸共討ち果たした。
――その豪商が作り上げた流通網によって、生活の糧を得ている者もいるはずだった。
とある街で、暗殺者ギルドと通じて子供の奴隷を組織に売り渡していた奴隷商人を組織諸共討ち果たした。
――その組織があったからこそ、暗殺者としてかろうじて生きていられた者もいるはずだった。
「救って、切り捨てて、救って、切り捨てて、切り捨てて、切り捨てて、ついには聖剣まで手に入れやがって」
まぶたを開いたリュゼが、聖剣を見た。
金色と純白を基調とした壮麗な意匠が施されている、見るからに立派な剣だ。
だがその刀身も、今は本来の所有者の血によってすっかり赤黒く染まってしまっている。
「こんなモン持ってたら、誰だってあんたが正しいって思わなきゃいけなくなるだろう?」
「リ、リュゼ……」
ほとんど体温を失った指先が、小さく蠢いた。
ライデルが弱々しく手を動かして、リュゼの靴の爪先を触れようとする。
少女も声に応じるように目線を下げて、両者の視線がその時確かに交わった。
「言いたいことがあるなら、一応聞いてやるけど?」
「――った」
しかし、勇者の声は小さすぎて、よく聞き取れなかった。
「何て言った?」
リュゼが問い返すと、ライデルは目の光もおぼろげに、震える唇で再度その言葉を口にする。
「――必要なこと、だった」
彼の言葉を、リュゼは最初少しも理解できなかった。
勇者ライデル。神より聖剣を賜り、この世界の誰よりも正しいと神に認められた青年が、今、何と言ったのか。
リュゼは自分の唇もにわかに震えだしていることに気づかず、
「……もう一遍、言ってみなよ」
浮かべた笑みはどこまでもぎこちないものだった。
だが、ほぼ死の淵へと落ちつつある今の勇者に彼女の顔つきなど映るはずもなく、弱い声はかすれ声で独白の如く続けた。
「魔族の、き、脅威に晒され、て、世界、を……、す、救うには……、平和に、するには……、悪は討つ必要、が……」
「ああ、もういいよ」
その言葉を、途中でリュゼは遮る。
彼女の瞳から人の情を司る輝きは完全に失われて、リュゼは一歩ライデルの方へと寄った。
聖剣をかかげる。天井の明かりを受けて、刃にこびりついた血の赤がやたらと生々しい光沢を見せていた。
「あんたはそうやって、あんたの世界を救うために、他の誰かの世界を滅ぼすんだろうからさ」
「そ、そんな、こ、とは……」
「もういいっつったぞ」
底冷えがするほどに寒々しい一言を飛ばして、リュゼは逆持ちのままの聖剣を一息に下へと落とす。
切っ先が、再び勇者の腹を抉った。
そしてそのまま背を突き破って、勇者を完全に串刺しにする。
「……ァ――」
小さな声。
しかし体をビクンと大きく震わせて、それっきりだった。
貫かれた勇者ライデルの身体から、流れ出た血が床に大きく広がっていく。
「あんた一人に救えるほど、世界は単純じゃないんだよ」
熱は失われ、鍛え上げられた体は骸となって、世界を救う勇者は死して天へと召されてしまった。
彼が使うはずあった聖剣もただの凶器と化して、今のリュゼには色あせて見える。
今の自分には、こんな使い道を失った凶器こそがお似合いなんだろうと、浮かぶ自嘲の笑みを止められない。
「……行くか」
聖剣だった凶器を引き抜いて、死体をその場に残したまま、リュゼは窓を開けて飛び出していく。
この世界で、死者が決して蘇らない。勇者といえども、死ねばそれまでだ。
神の代弁者である勇者を殺したリュゼは、この日をもって盗賊から世界最大の犯罪者となった。
その手に血まみれの聖剣を携えて、世界最高の賞金首リュゼの逃亡劇が始まる。




